はじめに

 

 第一部 『教育基本法の解説』による教育基本法解釈の検討

 

   前文

 

 名著と言われこれまで三回にわたって復刻されてきた『教育基本法の解説』(以下『解説』と略します)を、現時点であらためて出版しようと考えたのには理由があります。

 

 二〇〇六年に教育基本法は「改正」されました。この「改正」を契機に、とくに二〇一二年に安倍政権が成立して以来、政治の分野では集団的自衛権の閣議決定や特定秘密保護法の成立など憲法理念に反する政策が強行されてきましたが、教育の分野でも、「教育再生」の名の下に、あたかも戦前の教育へ逆戻りするのではないかと思われる教育政策が矢継ぎ早に強行されています。時代はまさに「戦争」に直面せざるを得ない状況となっています。

 

 戦争と平和がまさに緊張した局面を迎えているという意味では現在は敗戦直後の状況とよく似ているように思われます。教育基本法(以下「四七年基本法」とします)は日本国憲法とともに、「平和の体制」を構築するものとして迎えられ、その実質化が着手され始めました。『解説』(一九四七年)は戦争から平和を生み出すまさに産みの苦しみの最中に文部省から発行されたものです。

 

 しかし、それもつかの間、一九五五年に「自主憲法制定」構想を打ち出した自民党が結成されました。それに先立つ一九五一年には、憲法第二六条第二項に掲げられた「普通教育」について「普通教育偏重是正」を基本方針とする「政令改正諮問委員会」の答申が出されました。こうして日米両政府の戦略的判断で、日本国憲法も教育基本法も逆流に見舞われることになり、再び「戦争への体制」へと向かう政治構造が構築されていきました。それはさまざまな紆余曲折を伴いながら、今日、憲法「改正」を叫ぶ安倍政権に継続されています。

 

 この『解説』の意義は、こうした政治状況の中で言わば急速に忘れ去られていきました。復刻されてきたという事実そのものが、そういう状況に対する危機感の表れではなかったかと思います。

 

 とはいえ、今日においても、『解説』は「名著」と言われるほどには正確に読まれ理解されてきたとは言えないように思われます。『解説』の意義がしっかり理解されていないということは「四七年基本法」についても同じことが言えるのではないか。あるいは二〇〇六年の教育基本法「改正」(以下「〇六年基本法」とします)によって『解説』も「四七年基本法」もすっかり吹き飛んでしまったのでしょうか。私たちは決してそのようには考えていません。

 

 例えば、憲法第二六条には「教育」という用語とは別に第二項で「普通教育」という用語が用いられていますが、両者はそれぞれどのようなものか、とくに憲法概念としての「普通教育」とはどのような意義を有する概念なのかで、その点で憲法と教育基本法とはどのような関係にあるのか、についてほとんど解明されてこなかったように思われます。『解説』も名著であること自体は疑いないとは思いますが、やはり、憲法や教育基本法を正確に理解する上で不十分があったのではないか。私たちはそのような思いから『解説』についてあらためて検討してみることにしました。結論から言いますと、憲法第二六条の意義を深く理解していけば『解説』の意義があらためて理解されていくのではないか。逆に言えば、『解説』を深く理解することで、憲法・教育基本法もこれまでとは異なった深い理解が得られるのではないかということです。『解説』もまた両者の根本的な関係についての説明はあまり明確ではなかったのではないかと思います。

 

 日本国憲法と「四七年基本法」との関係については、これまで一般に、憲法の基本理念(国民主権原理、基本的人権、平和的生存権など)とされているものが憲法二六条を規定している、憲法の基本理念がすばらしいのは憲法の基本理念がすばらしいからだと解釈されています。しかし、私たちは第二六条第二項に掲げられている「普通教育」という用語自体が教育思想史的にも教育史的意味でも重要な教育理念を内在させており、憲法自体の基本理念はむしろ第二六条を補強する関係になっているのではないかと考えています。この点で『解説』が「普通教育」という用語について積極的に説明していること、当時の文部省が「教育は人間を人間として育てあげることを目的とする」(『新教育指針』一九四六年)と述べていることなどは、文部省がどこまで自覚的に理解していたかはともかく、「普通教育」の基本理念に迫る理解をしていたことを示していると思います。しかしながら、当時の文部省サイドに見られた「普通教育」についてのそのような理解が憲法第26条第2項に掲げられた「普通教育」という概念とは必ずしも明確には結びつけられていないように思われます。「人間を人間として育て上げる」ということは、『解説』がまさに説明しているように、その結果として人間にふさわしい国民を育てることになるのです。人間性を欠いた教育では真の国民は育成されないのです。「国民の育成」をストレートに求める「〇六年基本法」はその点で決定的な間違いをおかしているのです。このことを明確にしておくことは今日の教育問題を根本から解明していく上で極めて重要なことであると言えます。

 

 普通教育を「人間を人間として育て上げる」ととらえることで、この普通教育観は普遍性を得ることができます。教育現場においても家庭においても地域社会においても、その理念に基づいて共同することができます。そこではどういうことが人間らしいと言えるのかが問われるだけなのです。その答は、そのような問題を問い続ける国民の間にこそ存在しているのです。すでに世界人権宣言の教育条項や「子どもの権利条約」が掲げる教育理念についても、「人間を人間として育成すること」を掲げています。

 

 『解説』が発行された時点で、憲法第二六条第二項の「普通教育」概念の憲法制定過程上の意味が必ずしも明確に理解されていなかったことは、関係資料が長い間「非公開」にされてきたことと関係がありそうです。その重要な資料が1995年に公開され、この「普通教育」概念自体が「憲法ノ指導精神」と結びついて導入・確定されたことが明らかとなりました。ですから、私たちはそのような新事実をも含めて「四七年基本法」も『解説』も、あらためて深く解明しなければならないのです。

 

 現実には「〇六年基本法」が立ちはだかっています。「後法優先の原則」が無意識に働いているのでしょうか、「四七年基本法」は事実上「旧法」扱いとされ、国民の教育運動を励ます力になっているとは言えない状況があります。

 

 しかし、「〇六年基本法」は「四七年基本法」との関連で「後法」と言えるのでしょうか。「憲法の精神に則って」制定された「四七年基本法」は、性格上、「〇六年基本法」よりも「上位法」であると言えるのではないでしょうか。その意味において、日本国憲法のもとで「四七年基本法」は依然として今日私たち国民の依拠すべき法律と見なすことができるのではないでしょうか。

 

 百歩譲って「後法優先の原則」が働くとしても、私は「四七年基本法」を法律としてではなく、少なくとも憲法と一体となった教育理念を示す歴史的文書としてみることは今日なお有効であり、かつその理念は国民の中にしっかりと生き続けていると考えています。

 

 『解説』は、「名著」という評価もあって、批判的に検討することを躊躇する面があったのではないかと思います。本書では批判は批判として指摘することで、かえって『解説』の意義を再評価することになるのではないかと思います。読者の忌憚のないご感想・ご意見をお聞かせいただければ幸いです。

 

 

 

  二

 

 

 

 今回の復刻版発行は、『解説』の意義だけではなく問題点についても明確に指摘しすることで、本書が今日私たちが進めていくべき教育運動を教育法制面から考える力強い指針となるように構想しました。『解説』は「本法制定の由来」「本法の性格及び概観」および「本法の内容」の三章構成となっています。最初の二章は読者のみなさまに読んでいただくことにし、本書では第三章「本法の内容」を中心に検討していきたいと思います。前二章の要点はその中で触れることにします。

 

 第一部は『解説』を、単なる学術的な解説とせず、『解説』に即しつつ、「普通教育」の見地にたって、「四七年基本法」の各条項を実践的に解明することを意図しました。また、『解説』以来半世紀以上経過していますから、『解説』に関わる範囲でその後事態はどのように進展してきたかについても言及しました。また、「〇六年基本法」によって新たに導入された諸条項についても補論三で簡潔に検討しています。第二部は『解説』そのものの全文復刻です。

 

 なお、『解説』などからの引用にあたっては原則として現代仮名遣いに改めています。

 

 本書の発行にあたっては地歴社の塚原義暁氏からのお申し出が契機となっています。出版に至るまでいつものことながら多大なご協力を得ることができました。あらためて感謝申し上げます。

 

 

 

  二〇一四年十二月

 

                         武田晃二