第一〇条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。

 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

 

第一〇条(教育行政)について

 『解説』は、わが国の戦前の教育行政が「教育内容の面にまで立ち入った干渉をなすことを可能にし、遂には時代の政治力に服して、極端な国家主義的又は軍国主義的イデオロギーによる教育・思想・学問の統制さえ容易に行われるに至らしめた制度であった。さらに、地方教育行政は、一般内務行政の一部として、教育に関して十分な経験と理解のない内務系統の官吏によって指導せられてきたのである」と総括しています。まるで現在のわが国の教育行政を描いているかのようです。

 

 また、『解説』はアメリカ教育使節団報告書の一節を紹介しています。「日本の学校制度は従来しばしば批判の的になった。全制度を通じていろいろな点で重要な地位は、教育者として職業的訓練を受けたことのない人々が占めていたからである。多くの教育行政関係職員が、内務大臣またはその代表者によって任命され、またそれに対して責任を負うことになったのである」と。このような反省に立って、「新しい教育行政のあり方一般を示す」ためにこの第一〇条が構想された、と述べています。

 

 まず、憲法前文から出発し、教育は他の国家的公務活動と同様、国民主権原理のもとにおかれたことを確認しています。

 

 その上で、第一項の後半「教育は、・・・国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」という部分が設定された理由として『解説』は三つの理由を挙げています。

 

 すなわち、第一に「法律に定める学校の事業がもともと国の事業であるというのも、教育がその根源においては、国民から信託されたものであるからにほかならない。教育者もまた、国民から教育をなすことの委託を受けたものであり、国民の意思から離れて固有の権威をもつものではない」と明確に述べています。第二に、本法第六条からも導かれるが、「教育行政に対する国民の発言権が広く認められなければならない。第三に、教育は国民のために行われなければならないのであって、「国家そのものの発展とかある一部の者の利益のために教育目的が立てられてはならない」と述べています。

 

 これらは『解説』の執筆者(安達健二氏とされています)が全体の叙述から判断してとくに力をこめて強調しているように感じられます。さらに『解説』は第一項の「責任を負って」について、基本法が掲げる教育の目的や方針に反する教育は「排斥されなければならない」とまで述べています。

 

 つぎに、その前半「不当な支配に服することなく」について、政治も教育も国民主権原理に服するものであるという点では同一であるが、両者の間には「重大な相違点が認められなければならない」として、『解説』は次のように述べています。「政治は現実生活ことに経済生活をいかにするかを問題とするのであるが、教育は現在より一歩先の未来に関する」と。また「教育はたとえ民主主義下においても、そのような現実的な力によっては左右されないことが必要なのである」、「教育に侵入してならない現実的な力として、政党のほかに、官僚、財閥、組合等の、国民全体でない、一部の勢力が考えられる」、「教育はこれらの現実的な勢力の侵入に対してしっかりとした態度をとり、自主的に行われなければならないのである」と。

 

 このような相違点の指摘には現時点では異論があるかもしれません。政治自体も現実の政治とは区別されて政治法則に則った未来にかんする事業と言えるのではないか。逆に教育と言えども、現実の教育に対しては必然的にさまざまな現実的諸力が関心をもつ事業であり調整せざるを得ない事業と言えるのではないか、と。さらに教育は一面では未来に関する事業であるが、同時に子どもの諸能力の発達法則に即した科学的事業であるから、だからこそ不当な支配に服してはならないのではないか、と。しかし、これらの議論も、「不当な支配に服することなく」をより強固にする議論であると言えます。

 

 また、「直接に」という文言について、『解説』は「国民の意思と教育とが直結して」いて、その間に「いかなる意思も介入してはならないということである」と明快に述べています。その上で『解説』は「現実的な一般政治上の意思とは別に国民の意思が表明され、それが教育の上に反映するような組織が立てられる必要がある」と述べ、具体的にはアメリカの教育委員会制度を採用する価値があるとしています。

 

 この場合、「一般政治上の意思とは別に国民の意思を表明する」とは具体的にはどうするかが問題となります。「別に」とは「独立して」ということだと思いますが、憲法の教育理念や「四七年基本法」が示す教育の目的や方針を前提としても、より具体的で全般的な教育課題について審議し具体化できる権限を持った、政治から独立した制度を創造しなければ、たとえアメリカ式の教育委員会制度によったとしても国民の総意を表明することは難しいといわざるを得ません。

 

 『解説』は第二項が「教育行政の任務とその限界」を定めたものであり、「教育行政機構の根本的刷新が行われなければならない」と述べています。具体的には、アメリカ教育使節団報告書に依拠して、教育刷新委員会総会がまとめた「教育行政に関すること」という決議(一九四六年一二月二七日)を紹介するにとどまっています。

 

 その「決議」は、教育委員会、地方教育委員会および地方教育研究所、中央教育委員会をそれぞれ以下のように提案しています。

 

 教育委員会

 

 イ 教育行政はなるべく一般教育行政より独立しかつ国民の自治による組織を

 

  もって行うこととする。

 

 ロ そのために、市町村及び府県に公民の選挙による教育委員会を設けて教育に

 

  かんする議決機関とする。

 

 ハ 教育委員会は教育総長(仮称)を選任してこれを執行の責任者とする。

 

 ニ 管内の学校行政及び社会教育を掌り、学校の設置、廃止、管理、教育内容、

 

  人事、教育行政等の権限をもつ。

 

 ホ 地方財政と関連することから、地方との円滑な運営にとくに配慮すること。

 

 地方教育委員会

 

 イ 数府県を1単位として地方教育委員会および地方教育研究所を設ける。

 

 ロ 地域内の各府県の教育委員会の委員が地方教育委員会委員を選任する。

 

 ハ 上級教育機関に関する事項を扱う。

 

 ニ 各府県の間の教育内容、教育財政の不均衡を是正し、人事の適正を図る。

 

 ホ 地方教育研究所は、現実に即して教育に関する調査研究を行い、その成果を

 

  市町村及び府県教育当局に勧奨する。

 

 中央教育委員会

 

  文部大臣の諮問機関とし、重要問題の審議にあたる。

 

 

 

 以上、『解説』は第一〇条について解説していますが、この間、政府主導とも言える教育行政が進展する中で、全国学力調査、教科書、日の丸・君が代などとくに教育内容をめぐって、第一〇条はもっとも中心的な争点になってきました。

 

 「〇六年基本法」はこれまでの「国民全体に対し直接に責任を負って」という文言を「この法律及び他の法律の定めるところにより」という文言に、「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として」の文言を「国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に」という文言にそれぞれ改変してしまいました。それは『解説』が述べてきた教育行政についての歴史的総括や「四七年基本法」第一〇条についての「解説」を完全に覆し、憲法理念および憲法の教育理念に反するものと言わざるを得ません。

 

 政府・自民党はこの「〇六年基本法」に基づいて、現在「教育再生」の名のもとに、戦前のような国家主導の教育支配を志向する教育政策を相次いで強行しています。教育行政に関して言えば、二〇一四年、政府は教育委員会をますます教育政策の下請け機関化する地方教育行政法の改悪を強行しています。

 

 なお、「〇六年基本法」第16条(教育行政)は「四七年基本法」第一〇条の二項構成を四項構成とし、第一項のなかにこれまでの二項の内容を詰め込み、「地方公共団体」と「国および地方公共団体」に関する条文二項を追加しています。「地方公共団体」の教育行政に対する権限を強化しつつ、全体として中央集権的教育行政体制を強化することを意図していることは明らかです。