第四条(義務教育) 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。

 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

 

第4条(義務教育)

 『解説』はまず憲法第二六条第二項について、それは「勅令で認められていた義務教育の制度を憲法において保障することとした」と述べています。このこと自体は首肯できますが、「義務教育の制度」の戦後転換については勅令から法定主義への転換にとどまるものではありません。『解説』は義務教育制度が「教育機会の均等」および「国家的見地」という二つの要請から行われるようになったことについて述べていますが、何よりも「義務教育」観の戦後転換があったことを明確にしておく必要があります。

 

 憲法制定過程で「教育を受ける義務は、保護者が少女に教育を受けしめる義務というように表現すべきでないか」(憲法問題調査委員会、一九四六年一月二三日、入江俊郎委員の発言)という議論がその転換の契機となったように思います。つまり、子どもに就学の義務があるのではなく、一方で教育を受ける権利を有する国民・保護者が、他方で子どもたちに対しては教育を受けさせる義務を負うこととされたのです。その場合の教育とは、もちろん普通教育のことですから、国民・保護者たちはすべて、子どもたちに普通教育を受けさせる義務を負うことになったのです。ここには子どもはすべて普通教育を受ける権利主体であるという認識が前提とされています。憲法第二六条はそのことを明文化したのです。

 

 その上で、本条は普通教育の義務年限を「九年」に限定し、さらに授業料不徴収を国公立の義務教育に限定したのです。この三重の限定は、不幸にして、今日に至るまで維持されています。しかし、憲法は一八歳未満までの教育を「普通教育」として、つまり普通教育の義務年限を「一二年」とし、それを受けさせることは国民・保護者の義務であるとし、その意味での「義務教育」を「無償」としたのです。憲法自体には「四七年基本法」の三重の限定はなかったことを確認しておきたいと思います。

 

 「四七年基本法」はなぜこのような三重の限定を行ったのでしょうか。その答えは「四七年基本法」の制定過程に求められます。このことについて『解説』は述べていません。

 

 「四七年基本法」制定(一九四七年三月)直前の「教育基本法要綱案」(一九四七年一月)では「一二年の普通教育」とされていましたが、大蔵省側からの圧力があり、「等分の間」という条件付きで「九年」に特定されたのです。なお、「〇六年基本法」は「九年」も削除され、義務年限は学校教育法に委ねられました。

 

 つぎに、憲法第二六条第二項が「義務教育はこれを無償とする」としているのに対し、「四七年基本法」が無償の範囲を「授業料」に限定していることについて、『解説』は「授業料の不徴収だけではなく、教科書、学用品の無償貸与または給与その他学費の国家的負担が理想であるが、現在の段階では、そこまで達することはできない」と述べています。また、「現在の国情に照らして明確にしたものである」としています。ある意味で憲法が示す「理想」をより具体的に示した教育基本法に「国情」論を挟み込むというのも理解できませんが、『解説』執筆者の苦悩の説明だったのかも知れません。

 

 「無償」の範囲については、教育刷新委員会でも文部省審議室長は、就学奨励に要するいろいろの経費、教科書、被服費、給与に要する費用、汽車通学による交通費などを例示して、「そこは無償にできるかどうか。このことはまだちょっと決め切れないところがあるのじゃないか」と述べています。半世紀以上経っても「理想」は却ってますますほど遠い「理想」になっていると言わざるを得ません。

 

 また、『解説』は私立学校を除外するのは憲法第二六条第二項違反ではないかという議論が出されていることを紹介しながら、「国立又は公立の学校で無償の義務教育が受けられるのに、みずから進んで私立の学校へ行くのは、無償で義務教育を受ける権利を放棄したものといいえられるからである」と述べているのは、憲法理念とは相容れないものです。「建学の精神」がどうであれ、普通教育については「無償」原理が貫かれるべきです。なお、『解説』は「すべての父兄が、自己の負担においてその子弟を適当に教育することができれば国家が義務教育の制度を設ける必要はない」と述べていることも、憲法理念とは異なるものです。

 

 現在、憲法理念というよりも地方活性化を根拠として、卒業アルバム、修学旅行費、給食費等を含む無償化を実施している自治体が憲法規定の実現と言うよりも地域活性化の観点から、一部とはいえ、実現していることは注目すべきことと言えます。

 

 さて、『解説』は「義務教育において施されるべき教育は普通教育である」と述べ、普通教育について重要な解説を行っています。その前に確認しておきたいことは、普通教育が「義務教育において施される教育である」という理解も必ずしも正確ではありません。普通教育というのは原理的には理念・目的・課程・制度等の全体を包括する概念で教育内容に限定されるものではないのです。

 

 『解説』は「普通教育」について、人たる者にはだれでも共通に且つ 先天的に備えており、又これある故に人が人たることを得る精神的、肉体的諸機能を十分に、且つ調和的に発達せしめる目的の教育をいうのである。かかる教育は、いかなる身分の者、またいかなる職業につく者にも共通に必要であるから、名づけて普通教育と称するのである」と説明しています。憲法上の概念としての「普通教育」は一般には無内容と理解されている中で、これは大いに積極的な説明であると思います。

 

 『解説』では触れていませんが、この説明は一九三九年に岩波書店が発行した『教育学辞典』の項目「普通教育」での説明を基本的に援用したものです。この『教育学辞典』に依拠していること自体、『解説』の見識を示すものと言えます。そこでは普通教育(一般陶冶)には、コメニウス、ルソー、ペスタロッツィらの「胸一杯に漲る情熱とともに盛り込まれていた」と紹介されています。

 

 『解説』の説明を言い換えると、普通教育とは「人間に内在する精神的、肉体的諸機能を発達させること」と言うことができます。人間の外から持ち込まれた特定の目的に支配される概念ではないのです。

 

 このような普通教育観は戦後の文部省の基本文書にも散見されます。例えば一九四六年に発行された冊子『新教育指針』は「教育は、人間を人間らしく育て上げることを目的とする」という記述にも普通教育の理念が表れています。

 

 『解説』はこのような普通教育観を前提として、「一八歳まで初等教育及び中等教育を義務とすることが最近における義務教育の理想とされている」と述べ、各国およびわが国における義務教育年限延長の経過を紹介しています。『解説』が紹介しているように、戦前において義務教育年限の到達点は「八年」でした。一九三八年、教育審議会は「初等普通教育」を行う国民学校の義務年限を「八年」と答申しました。この年限は戦時ということで結局は実現されませんでしたが、『解説』はこのことを受けて、ではなぜ戦後義務年限が「九年」に延長されたのかについて、アメリカ教育使節団報告書(一九四六年)にも触れながら、国民全体の一般的教養の向上、機会均等の見地、被教育者の心理的・生理的条件、の三点を挙げています。

 

 『解説』は憲法制定過程で政府原案にあった「初等教育」が「普通教育」に「修正」されたことを取り上げ、その理由について、「初等教育」に「中等学校の教育」を含める必要が出てきたために、「初等教育」に代わって「普通教育」という語句が選択されたと「想像」しています。なぜ『解説』執筆者があえて「想像」と表現しているのかについては理由がありそうです。それは憲法制定ににおいて「初等教育」が「普通教育」に「修正」された事情を知る速記録が当時秘密扱いにされてきたという事情がありそうです。その速記録が一九九五年になってようやく公開されることになったのです。このような重要文書が五〇年以上も非公開にされてきたことはきわめて問題です。

 

 さて、経過とはつぎのようなことです。

 

 最初に、一九四六年三月二日の憲法改正政府案第二三条第二項は「凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ保護スルニ児童ヲシテ普通教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フ。其ノ教育ハ無償トス」となっていたことを紹介しておきます。「其ノ教育ハ無償トス」という場合の「其ノ」とは「普通教育」のことですから、当初は「普通教育」が「無償」とされていたのです。

 

 この「普通教育」はその直後の三月六日の憲法改正草案要綱では「初等教育」と変更されていました。衆議院で、政府原案の「初等教育」は適切でないということが確認され、ではどのような言葉を用いるべきかをめぐって議論され、「義務教育」にするか、それでは「語呂が悪い」、では「教育」ではどうか、「それではどういう教育かが明示できない」、「では国民教育ではどうか」などのやり取りが交わされました。結局、憲法改正委員会に「小委員会」が組織され、そこで議論されることになったのです。「小委員会」では種々議論があって、八月一日の第7回委員会で、佐藤達夫政府委員が「唯『教育』トヤッタラドウカト云フ御話ハ此ノ間カラ縷々承ハリマシタケレドモ、ソレデハドウモ『憲法ノ指導精神』ガダセヌモノデスカラ―狙ヒ所トシテハ、ヤハリ何カ多少手掛リニナルモノガ欲シイ」と回答したのを受けて、結局、芦田委員長が「デハ『普通教育』ト云フコトデ」ということで、それが最終文言となったのです(「衆議院帝国憲法改正案委員小委員会速記録」、衆栄会、一九九五年、二〇五ページ)。

 

 佐藤達夫氏の判断には、戦前、高等学校も国民学校もともに「教育目的」に「高等普通教育」「初等普通教育」というように「普通教育」という語句を含んでいたことが根拠となっていたと考えられますが、同時に「普通教育」を「憲法ノ指導精神」と結びつけて答弁したことがきわめて重要なことと言えます。

 

 政府・文部省には当時、「普通教育」という語句自体が、近代民主主義思想を反映した概念であること、明治前期、政府部内や自由民権運動あるいは教育法令においてもっぱら「普通教育」という語句が用いられていたこと、戦前の学校とくに高等学校において教育の目的に「普通教育」という語句が一貫して用いられてきたこと、憲法制定過程で、GHQが提出した憲法案に「無償の普通義務教育」という語句が用いられていたことなどがともかくも観念されていたと思われます。

 

 佐藤達夫氏がなぜ「憲法ノ指導精神ヲ出ス」ことにこだわったのかは定かではありませんが、憲法改正の政府側のもっとも中心人物であったことから当然の判断だったとも言えます。しかし、あえて指摘しておきたいことは、佐藤氏自身、憲法の基本理念を「普通教育」に外から結びつけたというよりも、一九三九年発行の『教育学辞典』が示しているように、「普通教育」という語句自体に「憲法ノ指導精神」が内在していたことを嗅ぎ取っていたのではないかと思われます。

 

 

 

 「〇六年基本法」は、第五条(義務教育)を次のように改めています。

 

 「国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う

 

  二 義務教育としておこなわれる普通教育は、各個人の能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする

 

  三 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う

 

  四 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。」

 

 

 

 「義務教育としておこなわれる普通教育」という語句が用いられていることに着目していただきたいと思います。「四七年基本法」も第四条は「義務教育」とされていましたが、その意味するところは大きく異なります。「四七年基本法」の場合は、普通教育があってその義務年限下にある教育を「義務教育」と称していました。しかし、「〇六年基本法」は義務教育の下位概念として普通教育を位置づけるというものです。しかも「義務教育として行われる普通教育」の目標は、もはや「人間の育成」ではなく、「国家及び社会の形成者」の育成とされています。さらに言えば「義務教育」の無償範囲は、依然として「授業料」に限定されていることは驚きと言わざるを得ません。