補論二 『教育基本法の解説』はその後どのように扱われてきたか

 

 

 

 一九四七年、日本国憲法および教育基本法が公布され、平和の体制が構築されましたが、ほぼ同時に「戦争の体制」への構築化が開始されました。アメリカ政府との同盟をいち早く画策した日本政府は、米ソ冷戦および朝鮮戦争勃発を背景としたアメリカ政府の世界戦略および対日戦略の変化を機に、一九五一年、サンフランシスコ単独講和条約および日米安全保障条約を締結しました。この年、リッジウエー司令官の声明を受け入れ、占領体制からの「独立」するということで内閣に設けられた政令改正諮問委員会は当初は政令全般を検討する構想でしたが、途中で解散すべきとの動議がでて、結局は同年一一月に「教育制度の改革に関する答申」のみがまとめられました。この「答申」は、あまり知られていませんが、今日安倍政権がすすめる「教育再生」政策に規模において匹敵するものといえます。

 

 この答申は「国情に合致させる」とし、日本国憲法の基本理念に対抗し、とくに普通教育条項(憲法第二六条第二項)を敵視し、「普通教育偏重を是正する」という「基本方針」を打ち出しました。このことによって文部省が一九四七年に発行した『解説』が事実上棚上げという状況になったのです。

 

 「答申」は、(一)学校制度、(二)教育内容および教科書、(三)教育行政、(四)教職員、で構成されています。

 

 「学校制度」について言えば、六・三・三・四制を維持するとしながらも、中学校に普通教育の課程とともに実用的職業教育の課程をおくとしています。高等学校にも普通教育の課程のほかに「職業教育に重点をおく」課程をおき「専門的職業教育」を行うとしています。また、「学区制は原則として廃止する」としています。国立大学については学芸大学を「教育専修大学」にするとしています。

 

 「教育内容及び教科書」については、「生活経験中心のカリキュラム」に「論理的なカリキュラム方式を加味すること」、教科書については「標準教科書を国家において作成する」などとしています。

 

 「教育行政」については、都道府県に教育委員会が大学以外の教育行政を担当し、人口一五万人程度以上の市には別の教育委員会を設置するとしています。この教育委員会の委員(定員三名)は「任命」とするとしています。大学財政について「重点的に増額する」などが述べられています。

 

 また、文部省の附属行政機関として「単一最高の審議機関を設ける」としています。この「審議会」の構成員には「広く社会の意向を十分に反映させる」として教育関係者が半数の超えないよう限定する」としています。

 

 教育刷新審議会を継承する形で一九五二年、文部大臣の諮問機関として中央教育審議会が発足しますが、それはもはや政令改正諮問委員会の「基本方針」に沿って設置されたもので、その政治的性格は今日に至るまでますますエスカレートし、今日では事実上、文部行政のお墨付け機関になっているといえます。

 

 この「答申」が今日、「教育再生」の名の下に安倍政権が進めている教育政策に匹敵すると申し上げたことがご理解できると思います。

 

 さて、このような「答申」はその後一九五五年に結成された自由民主党のいわゆる「自主憲法制定」構想によって理念上完成されたと言えます。この「自主憲法制定」構想と日米安保条約体制が日本国憲法・教育基本法がめざす「平和の体制」に抗する「戦争の体制」であることは言うまでもありません。翌五六年、鳩山首相は「教育基本法だけでは不十分」と発言し、臨時教育制度審議会設置法案を設置し、教育基本法の「改正」や教科書法案の提出をめざしましたが実現しませんでした。しかし、同時に提出された「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が制定され、教育委員の任命制が強行されることになりました。

 

 一方、「独立」と関連して、独立民主日本を担う国民主体の育成を目的とする教育運動が「国民教育」の名のもとに重視されていくことになりました。一九六四年に『国民形成の教育』を著した上原専禄氏は、「人間教育」が近代ヨーロッパの思想伝統になっているとした上で、その「人間教育」に対する「亜流ヒューマニズム」的理解を問題にし、そこから「人間教育」ではなく戦前とは異なる「国民教育」という概念を導きだしています。しかし、上原氏が「人間教育」を「人間であるはずの子どもをまさしく人間の名に値する人間にまで育成しようとする」教育と認識していたわけですから、それはまさに日本国憲法が掲げる「普通教育」の理念と結びつく可能性があったのです。しかし、運動の中では「普通教育」理念はすっかり忘れ去られて、事実上「国民教育」という概念が採用され、結果として「普通教育」概念は有名無実化し、教育学分野も含めて社会全体から急速に忘れ去られていきました。その異常な状況は今日まで持続しています。

 

 二〇〇〇年になって、教育学研究者竹内常一氏は「教育学は『普通教育とは何か』を本格的に問うてこなかった」(『教育を変える』桜井書店)という反省を表明してするに至りました。拙著『普通教育とは何か―憲法にもとづく教育を考える』(共著、地歴社、二〇〇八年)を出版したあとも大きな状況の変化はみられません。子どものおかれている状況、教育内容、教育制度それら全般にわたって教育荒廃が深刻になっている今日、「普通教育」概念が事実上死語に近い状態になっていることがいかに異常な出来事であるか、そのことがいかに国民にとって重大な損失となっているかはいくら強調しても強調しすぎることはありません。日本国憲法を全面的に活性化させ、普通教育概念の意義を全面的に実現していくことはまさに今日的課題でなければなりません。