普通教育とは(簡潔な説明)


 普通教育とは、18世紀後半、西欧において生成した教育理念を言い表した概念で、一言で言うと「人間を人間として育成する社会的営み」と定義することができます。

 現実の社会では、その時々の社会制度のもとで、大人たちの利害にあわせて、国民を育てる、市民を育てる、人材を育てる、あるいは大人を育てる、など特定の「人間像」に合うように子どもたちを育成しようとします。普通教育はそのような見地に立つのではなく、人間として生まれもった諸能力を、教育を基軸とする豊かな社会的な関係を通して、成長・発達させ、子どもたちが自ら自主的・能動的に社会の一員として振る舞うことができるように育成すること、を理念とするものです。

 このような普通教育観は、身分社会や階級社会では、その本来の理念ゆえに、十分に実現することなく、それぞれの国、その時々の教育制度の中に埋没されて、複雑に展開してきたと言えます。

 1946年に制定された日本国憲法は「すべて国民は・・・その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負っている」(第26条第2項)と定めています。この場合の「普通教育」とは何か、については、憲法制定過程においていろいろ論議されています。それらを整理すると、(1)戦前の教育のあり方に対するきびしい反省、(2)新憲法の基本理念、(3)18世紀以降の西欧民主主義教育思想との関係、(4)明治前期、とくに自由民権運動などによって表明された普通教育論の想起、(5)戦前の普通教育制度との関連、(6)戦後、占領軍総司令部などからの示唆、など多くの要因が絡み合って、最終的に「普通教育」という語句が選択されたと思われます。

 日本国憲法に言う「普通教育」は、すべての子どもたちを人間として育成することを基本理念とするものと言えます。この「普通教育」は、同時に、主権者にふさわしい国民を育成することになります。保護者をはじめすべての国民は、このような「普通教育」を、生まれてから18歳までのすべて子どもたちに、受けさせる義務を負っている、としているのです。憲法第26条は続けて「義務教育はこれを無償とする」と定めています。この場合の「義務教育」の「教育」とは普通教育のことで、戦前のように国家が設計した教育をただ強いるという意味での「義務教育」のことではありません。

 また、「無償とする」という意味についても、国公立の小・中学校に限って授業料を徴収しない、という意味に限定されるものではありません。子どもたちが受ける普通教育自体「無償」であると定めているのです。

 憲法と一体のものとして1947年に制定された教育基本法は、広義の教育と普通教育の両面について定めていますが、その前文で、教育の理念を「人間の育成」とし、その上で、第1条で「国民の育成」を掲げています。

 また、同年に制定された学校教育法は、小学校の目的を「初等普通教育」、中学校の目的を「中等普通教育」、高等学校の目的を「高等普通教育及び専門教育」としています。つまり、小学校から高等学校までの教育を普通教育で一貫させているのです。高等学校の目的に「専門教育」が付加されたのは、学校教育法の制定事情とも関連しています。この規定が、政策上、拡大解釈され、戦後の高等学校のあり方が、普通教育の理念から乖離して、複雑に展開されています。

 障害児教育あるいは特別支援教育、職業教育・専門教育あるいは大学教育、さらに保育園・幼稚園などと普通教育はどのような関係にあるのか、が議論されています。いずれも、普通教育の理念を深く理解していくことと結びつけて根本的に検討することが求められています。

 2006年に制定された改正教育基本法は、教育理念を、「人間の育成」ではなく「国民の育成」としている点で、普通教育から国民教育へ後退させるものと言えます。また、「義務教育として行われる普通教育」という新たな語句の導入に見られるように、「義務教育」という語句を前面に押し出し、その中に普通教育を位置づけています。この改正教育基本法を受けた学校教育法では、高等学校の教育目的を「高等普通教育及び高度な専門教育」と規定し、小学校・中学校の普通教育とこれまで以上に差異化する規定になっています。

 現在の学習指導要領のあり方や教科書制度あるいは教育行財政制度も、普通教育の理念にたって、再検討される必要があります。

 最後に、普通教育という概念が意味する「人間を人間として育成する」ということは、子どもたちがお互いに身近な人間関係あるいは仲間同士のなかで、お互いを理解し合い、学び合い、助け合いながら、他の人も自分と同じように人間として生きているんだというということを認識していくことを基本とすることによって初めて可能になるのです。また、これまで人類が蓄積してきた知識や文化が人間に取ってどのような意味があるのかを理解し合うことも、そのような普通教育のなかでこそ可能となるのです。詰め込みや競争を原理とする教育では普通教育は根本的には実現できないのです。学力についてはさまざまな議論がありますが、普通教育において求められる能力こそが真の学力といえるのです。

 (参考文献:武田晃二・増田孝雄共著『普通教育とは何かー憲法にもとづく教育を考える』、地歴社、2008年)