第六章 普通教育の偏重是正政策
     ー五〇年代の教育政策と普通教育ー

 いわゆる冷戦体制が構築されていくもとでアメリカ政府の対日政策の強化はアメリカ政府に追随する日本の支配勢力を政治的にも経済的にも鼓舞し、これに呼応した日本政府はふたたび帝国主義的な方向に向かって進むべく日本国憲法・教育基本法体制を改変する政策を急速にとりはじめました。そのことは当然のことながら教育や普通教育のありかたにも重大な転換を求めていくことになりました。一九五〇年代はその後今日に至るまでのわが国の教育および普通教育をめぐる二つの方向を基本的に確定した時期であるといえましょう。
 日本国憲法、教育基本法、学校教育法によって戦後教育改革の法制上の骨格は確立しましたが、いわゆるサンフランシスコ体制への転換という緊迫した政治情勢の進展のなかで、とくに教育目的、教育内容、教育課程、教育行政、高等学校制度のあり方などが、それらの戦後改革上の不備や未成熟もかかわって、するどく問われることになりました。教育基本法は「国民の育成」よりも「人間の育成」を基調としているが両者の関係が明確ではないのではないか、全体として普通教育が重視されているが国民教育の視点や職業教育が軽視されすぎているのではないか、「学習指導要領一般編(試案)」は作成されたがいつまでも試案のままであったり文部省の著作物のままでよいのか、教育課程制度をどうするのか、教育委員会の事務に「教科内容及びその取扱」とあるが学習指導要領の編集もその中にはいるのか、道徳教育について無方針のままでよいのか、高等学校の理念が現実に即していないのではないか、などの根本的な問題が戦後教育改革がまだほとんど実現されていない一九五〇年前後から、全面的にふきだしてきました。日本国憲法ですら安泰ではありませんでした。
 五〇年代は第十二章でとりあげる一九九〇年代に匹敵する教育制度の転換期といえると思います。五〇年代の一〇年間に、教育委員会法は廃止され地方教育行政法が制定され、「学習指導要領」は法的拘束性を有するものとみなされ、「道徳の時間」が特設され、中央教育審議会をはじめ教育課程審議会、中央産業教育審議会、理科教育審議会、保健体育審議会が設置され、文部省の政策立案能力が強化され、また日経連教育部会などの経済団体が教育改革提言をおこなうようになり、全体として普通教育を基調とする教育理念から国民教育・人的能力開発政策への転換が強行されていきました。とりわけ、一九五一(昭和二十六)年に政令改正諮問委員会が出した「教育制度の改革に関する答申」の中で「普通教育を偏重する従来の制度を改め」ると提起していますが、〈普通教育偏重の是正〉は五〇年代の教育政策の展開をつらぬく象徴的な表現ということができます。
 本章では、五〇年代の教育政策の展開過程を普通教育の視点から解明することにしたいと思います。
 
 第一節 新たな「国民教育」再構築のための教育課程政策の展開

 一九四八(昭和二十三)年六月、衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」をそれぞれ可決しましたが。一九四九年六月には早くも吉田首相は文教審議会(首相の私設諮問機関)において「教育勅語に代わる教育宣言のようなものを出したい」と発言しています。また、天野文相は一九五〇年、学校の祝日行事に「国旗」を掲揚し「国歌」を斉唱することが望ましいとか、新しい修身科を特設したいなどと発言し、一九五一年には「国民実践要領」(文相草案)を出しています。このような日本国憲法や教育基本法のめざす理念・目的と相いれない発言があいついでだされるようになりました。
 一九四九(昭和二十四)年五月に制定された文部省設置法によって教育課程審議会がおかれることになりましたが、その名称には「教育課程」という言葉が用いられています。つづいて一九五〇年一〇月の学校教育法施行規則改正において「教科課程」が「教育課程」という用語に改められることになりました。それ以前は「教育課程」という法令用語は用いられていませんでした。「学習指導要領一般編(試案)」では「教科過程(ママ)」、学校教育法では「教科に関する事項」(第二〇条など)、教育委員会法では「教育内容及びその取扱に関すること」(第四十九条)、一九四七年に制定された学校教育法施行規則では「教科課程」(第三条および第二十五条)、という言葉がそれぞれ用いられていました。学校教育法では現在でも「教科に関する事項」のままとなっています。
 「教育課程」という用語への改正はなにを意味するのでしょうか。学校教育法には各学校の教育目標が規定されていますが、それらは基本的には教科に対応する内容が表現されており、「学習指導要領一般編(試案)」に示されている「自由研究」や道徳教育などは学校教育法上の目標規定や「教科に関する事項」あるいは「教科課程」という用語にはなじまないという事情が考えられます。また、「自由研究」のような教科ではない領域や道徳教育などを包括する事項についてその大綱を「学習指導要領一般編(試案)」とは別に、文部省の教育政策として制度化しておく必要があるという事情も考えられます。「学習指導要領」を今後試案であれなんであれ、文部省の著作物としてひきつづき発行していくのか、それともその仕事は教育委員会にすっかり任せてしまっていいのか、より包括的な教育課程についての大綱なり指針なりを法制化しなくてもいいのか、「学習指導要領」にしても教育委員会制度にしてもアメリカの教育制度を強く意識したものであるから日本の「国情」にふさわしいものに改めるべきではないか、このような問題がサンフランシスコ体制への転換という政治情勢のもとで、文部省がするどく問われた重要な政策課題であったと言えます。
 一九四九(昭和二十四)年二月、文部省は「学校基準法(案)」を作成しています。小学校にかぎっていえば、この法案は、「小学校の教育課程」は学校教育法が定める小学校の目的や目標を達成するための「教科の指導及び自由研究並びにその他児童の心身の発達を助長する各種の指導とする」ものと規定し、「教育課程及びその取扱いに関する事項は、文部大臣が定める学習指導要領に基づいて、地方の実情と学校の特殊性とを考慮して定めなければならない」としています。この法案では「教育課程」という用語を「教科の指導及び自由研究並びにその他児童の心身の発達を助長する各種の指導」とひろく規定していますが、それは学校教育法施行規則における「教科課程、教科内容及びその取扱い」という表現と整合していません。そのため学校教育法施行規則の方はのちに「教科課程」という言葉を「教育課程」という言葉に改正することになるのですが、より大きな問題としては、この法案が「教育課程」の基準を「学校教育法が定める小学校の目的や目標」から導いていることです。「学校教育法が定める小学校の目的や目標」には「教科の指導」以外の「自由研究並びにその他児童の心身の発達を助長する各種の指導」は含まれていないのです。ですから、この法案を実現しようとすれば、学校教育法を改正しなければなりません。
 なお、「教科課程」から「教育課程」への変更、しかもその法律用語化は教科外の指導や特別教育活動あるいは道徳教育などを「教育課程」という用語で包括し、それにたいする全般的な国家統制を強めるという意図とむすびついていたものと思われます。
 また、この法案には、「学習指導要領」を教育課程の大綱的文書として文部大臣が定め、教育委員会はそれに基づいてそれぞれの地域にみあった教育課程をさだめるという構想が示されていますが。「学習指導要領」を「文部大臣が定めること」とすることはこれまで文部省の著作物にすぎないとしてきた文部省の説明に反するものです。さらにこの法案は教育委員会法とも矛盾していました。教育委員会法によれば教育委員会の重要な任務の一つに「教科内容及びその取扱に関すること」をかかげ、学習指導要領の作成もその中に含まれると説明されていたからです。この「学校基準法(案)」は実現しませんでした
 さらに、この法案では「教育課程」を、学校教育法が定める小学校・中学校・高等学校の目的や目標を達成することを基準として編成するとしていますが、それは法理的には「普通教育」を基準とすることを意味することになります。一九四七年に発行された「学習指導要領一般編(試案)」が学校教育法が定めた各学校の目的や目標と無関係に作成されたこととの関連でいえば、この法案は学校教育法と学習指導要領との整合性を一歩進めたといえますが教育課程の基準が「普通教育」に基づくことになることについて当時どのような議論がなされていたのかについては定かではありません。
 その年(一九四九年)五月、文部省は「新制中学校の教科と時間数の改正について」という文書を出して「自由研究という名称」を廃止し、「特別教育活動の時間を新たに設ける」と通知しています。文部省設置法が制定され教育課程審議会がおかれることになったのはその直後のことです。
 文部省は一九四九年十二月、「学校の教育課程及び編制の基準に関する法律案」を作成しています。これは小・中・高をはじめ盲学校及びろう学校、養護学校、幼稚園を網羅する教育課程と編成に関する法律案ですがこれも実現していません。
 この法律案では、「小学校の教育課程」は学校教育法が定める小学校の目的・目標を達成するために「教科の学習、選択学習その他児童の心身の発達に有効な活動及び経験とする」と規定しています。また、学習指導要領の取り扱いについては「附則」に移し、「教育委員会が学習指導要領を作製し、学校が教育課程について指導計画を定め、(中略)所轄庁が教育課程に関し定をなす場合においては、当分の間、文部省の作製する学習指導要領を基準としなければならない」としています。この法律案もまた、「附則」に示されているように学校教育法の少なからぬ条文の改正を要すること、「教育課程」の内容が未だ確定していないこと、文部省が作製する学習指導要領と教育委員会が作製する学習指導要領との関係をどうするか、などの問題点が内在しており、それがために実現するに至らなかったと推察されます。これらの課題が新設された教育課程審議会の審議事項として託されることになりました。
 一九五〇年六月、教育課程課審議会は「小学校の教育課程をどのように改善すべきか」という答申を提出しています。それによれば①毛筆習字を課することができる、②家庭科の内容は改善する必要がある、③自由研究は、実施上の経験に鑑みてこれを廃止するのを適当とする、④新たに、教科以外の活動の時間を設ける、などが提言されています。
 文部省はこの教育課程審議会の答申を受けて、あらためてその年の十一月に「学校の教育課程及び編制の基準に関する法律案」(第一次試案)を作成しています。この法律案は「教育課程及び編成に関する最低の一般基準を定めることにより、学校教育の水準維持を確保することを目的とする」とした上で、「教育課程は、必修科目、選択科目の授業と経験及び法律に規定する目的及び目標を達成するため児童、生徒の精神的、肉体的、社会的、職業的ならびに情操的発展に有効な他の諸活動及び経験とする」と規定しています。授業と経験について、幼稚園からはじまって各学校の教科編成について、などを定めていますが、小学校については「小学校における必修の授業及び経験の教科は、国語、社会・・・」と記述されており、依然として模索している様子がうかがわれます。
 また、この法律案は「基準設定の責任」という章を設け、その冒頭に「中央政府と同格のいかなる機関も教育委員会所属の学校に対し法律に定められた基準以上に、または附加的に教育の基準の細部を設定することは都道府県及び市町村の教育委員会または監督機関の責任である。法的拘束力を有する基準を政令または省令または規則によって定めることはできない」としています。また、これまで各学校に対して基準を定めた文部省及び内閣の文書は、いかなる種類のものといえども「法的拘束力を有せざることを確言する。かかる文書の規定はすべて本質上助言的示唆的のものと考えるべきで、いかなる意味においても命令的のものではない。文部省発行の学習指導要領もまた同じである」と述べ、さらに「都道府県の教育委員会は、法律に矛盾せざる範囲において都道府県、市町村教育委員会の管轄する諸学校に対し、拘束力を有する次の事項に関する最小または最大限度の基準を定めて差支えない」として「学校における教育課程、実施する課程の大綱に限る。細目を学習指導要領に印刷し、またはそれと同様のものを都道府県教育委員会が発行した場合、それは市町村の教育委員会の管轄する諸学校に対し拘束力を持たない」としています。
 この法律案は、教育課程の大綱的基準は政令・省令・規則によってではなく法律において定めること、その基準は学習指導要領を必ずしも意味するものではないこと、文部省や教育委員会などが出す基準に関わる一切の文書は法的拘束性はなく、したがってこの法律で定める基準が唯一の法的拘束性を有するものであるという関係を明確にすること、などを意図したものと言えます。このことは内容自体は一定の合理性を有するこれまでの政府・文部省が発行してきた「新教育指針」、「学習指導要領一般編(試案)」などを事実上反古にし、今後は法律が定める基準による教育課程によって「学校教育の水準維持を確保」していくことを言明したことをも意味します。これは「学習指導要領」に対するこれまでの文部省の方針を根本的に転換するものといえます。しかし、この転換は教育にたいする「不当な支配」の排除を規定した教育基本法の理念と基本的に矛盾することになります。
 この法律案もまた実現するには至りませんでした。教育課程の基準をあからさまに法制度化しようとする文部省の執ような画策は結局は成功しませんでした。とはいえ、サンフランシスコ体制への転換を至上命題とする政府・文部省にとって「教科以外の指導」や道徳教育を教育課程にくみこむという課題は緊急を要する政治課題でしたから、当面は「学習指導要領一般編(試案)」という形式を維持したままで内容上の改変という方向で決着が図られることになりました。
 一九五一年七月、「学習指導要領一般編(試案)」は改訂されることになりました。しかし、それは緊急かつ暫定的な改訂という性格のものでしたから、より本格的な改訂に向うということが政府・文部省にとっては不可避的な課題としてひきつづき追求されていくことになりました。

  第二節 道徳教育政策の始動と「学習指導要領一般編(試案)」の改訂

  一九五〇年に入ると、朝鮮戦争の開始とむすびついてサンフランシスコ体制への地ならしがいよいよ本格的にはじめられました。連合国軍総司令部は沖縄に恒久基地を建設することを発表し、日本共産党機関紙の発行禁止をおこないました、連合国民間情報教育局の顧問イールズは多くの大学で「共産主義は学問の自由と相いれない」と講演しています。第二次アメリカ教育使節団は道徳教育の必要性を盛り込んだ「報告書」を提出しています。吉田首相は全面講和を主張する南原繁東大総長を「曲学阿世の徒」と批判しました。政府は警察予備隊令を制定し、教職員や公務員のレッドパージを実施し、国家公務員につづいて地方公務員の政治活動・争議行為を禁止しています。
 第二次アメリカ教育使節団の来日に対応して文部省は一九五〇年八月に「日本における教育改革の進展」を提出していますが、そこには道徳教育についてはなんら言及されていませんでした。しかし、アメリカ教育使節団がまとめた『報告書』は「極東において共産主義に対抗する最大の武器の一つは、日本の啓発された選挙民である」と述べるとともに「道徳および精神教育」という項目をたて、そこで「道徳教育は、全教育課程を通じて、力説されなければならない」と述べています。その年十一月、天野文相は全国教育長会議において修身科復活、国民実践要領の必要性を表明しました。アメリカの極東戦略と「独立」国家における国民の道義の確立をもとめる日本政府の姿勢は道徳教育政策の強化となって具体化されていきました。
 一九五一年の一月、教育課程審議会は「道徳教育振興に関する答申」を提出し「民主的社会における道徳教育」のあり方を明確にする必要があるという見地にたって「道徳教育は、学校教育全体の責任である」など五項目の一般方策を提言しました。これを受けた文部省は二月に「道徳教育振興方策案」を発表し、「道徳教育のための手引書作成」、「現に改訂中の学習指導要領における解明」、「特別教育活動の再検討」などの振興策を示しました。
 文部省はただちに手引書作成のために「文部省制定・道徳教育のための手引要綱︱児童・生徒が道徳的に成長するためにはどんな指導が必要であるか」を発表しました。
 この大部な「要綱」の内容はアメリカ教育使節団報告書や天野文相などの発言に見られるようなむきだしの政治的な意図からは明確に距離をおいており、一定程度学術的な水準を保持しているといえます
 たとえば、道徳教育の指導にあたって、教師は「仮面をぬいだ赤裸々な平凡な人間として、どれだけ児童を愛し、児童のよき成長を助けるために努力することができるか」が重要であること、「きびしい現実の社会生活に立ち向かっても、一歩も退かない人間を育てることこそ、道徳教育のめざすところである」などの記述が散見され、つよく自覚されているとはいえないにしても「人間の育成」という見地から道徳教育論が展開されていると言えます。
 同時にこの「要綱」には「国民的道義の確立」や「愛国心」というような政策的に要請されている問題を道徳教育においてどのように扱うかという視点からの積極的な解明はなく、そのことがその後の特設道徳の導入化に抵抗し得ない弱さをもっていたとも言えましょう。しかし、より根本的には、教育基本法に明確に抵触するこのような文書を文部省がなんの注釈もなしに制定し通知することの戦前的な体質こそが指摘されるべきでしょう。
 このような道徳教育政策の始動こそが「学習指導要領一般編(試案)」の改訂を強くうながしたということができます。
 一九五一年の七月、「学習指導要領一般編(試案)」が改訂されることになりました。
 改訂された「学習指導要領一般編(試案)」は、改訂した理由の第一に「その後の研究や調査によって新たな事項を加えたため」としていますが、構成は「序論」、「教育の目標」、「教育課程」、「学校における教育課程の構成」、「教育課程の評価」および「学習指導法と学習成果の評価」となっており、全体として「教育課程」の基準の大綱を提示するという性格を強めています。
 第一章の「教育の目標」の部分では、教育目標設定の原理を「児童・生徒の個人的・社会的必要」に求めるという二元論的見地を踏襲しながら、小学校・中学校・高等学校の目標について「学校教育法に述べられてある学校ごとの目標を基に考えていく必要がある」としています。すなわち、初等普通教育、中等普通教育、高等普通教育および専門教育、の目標を基本にするとされています。このことは一九四七年の「学習指導要領一般編(試案)」にはなかった観点と言えます。とはいえ、普通教育についての教育内容・教育方法の解明がなされているというわけではありません。
 第二章の「教育課程」の小学校の部分は、「教科内容について」、「自由研究の時間に代わって、新に教科以外の活動の時間を設けたことについて」および「時間数および一日の指導計画について」から構成されていますが、全体として教育課程審議会の二つの答申(一九五〇年六月、および一九五一年一月)を具体化させるものとなっています。とくに道徳教育については「教科内容について」の部分に「道徳教育について」という項目をおこしていますが、その内容は四月に制定した「道徳教育のための手引要綱」に沿ったものと言えます。
 なお、文部省設置法によって、小学校および幼稚園における教育が「初等教育」、中学校および高等学校における教育が「中等教育」という言葉で制度化されることになりました。このことによって中等教育は前期(中学校)と後期(高等学校)に分けられることになりました。これらの法律用語は学校教育法で用いられる「初等普通教育」「中等普通教育」「高等普通教育」とは異質な基準による用語ですが、あえて混乱あるいは複雑化をおしてまでこのような用語を採用したのには、戦前の学校体系の継承という意味もあったと思われます。
 
 第三節 普通教育偏重是正策の登場

 一九五一(昭和二十六)年の五月に、占領下諸法規再検討の権限が日本側に委譲されたことを受けて「政令改正諮問委員会」が吉田首相の私的諮問機関として設置されました。この委員会は追放解除問題や行政機構、独占禁止法、労働関係法令、警察制度等の再検討などサンフランシスコ体制の骨格を方向づけたものですが、その年の十一月には「教育制度の改革に関する答申」を提出しています。この答申はそのなかで「普通教育を偏重する従来の制度を改め」ると述べています。これまでの教育制度がどのような意味で「普通教育を偏重」してきたのか、またこの答申はどのような方向で普通教育制度を「改め」ようとしたのかを、答申に即して検討しておきたいと思います。
 政令改正諮問委員会の「教育制度の改革に関する答申」は、戦後の教育改革について「過去の教育制度の欠陥を是正し、民主的な教育制度の確立に資」したことを認めつつも「国情を異にする外国の諸制度を範とし、いたずらに理想を追うに急で、わが国の実情に即しない」と問題提起し、教育制度改革に関する政令改正諮問委員会としての「意見の大綱」(基本方針と具体的措置)を述べるとともに、その実施については「適当な審議機関」で審議するよう求めています。これはその後今日に至るまで半世紀にわたって一貫して推進されてきた戦後教育の総決算路線のスタートを切ったものとして注目しておきたいと思います。「適当な審議機関」については一九五三(昭和二十八)年に中央教育審議会設置として具体化されることになりました。
 政令改正諮問委員会の答申は「基本方針」において、教育制度改革の目的を「わが国の国力と国情に適合し、よく教育効果をあげ、以て、各方面に必要かつ有用な人材を多数育成し得る合理的な教育制度を確立すること」としています。サンフランシスコ体制に組み込まれた独特な「国情」へのスタートをまえにして、日本国憲法や教育基本法の諸理念のストレートな実現ではなく、「独立」国家にふさわしい政治体制・教育体制を新たに構築することを明確に方向づけた提言といえましょう。この方向はその後今日に至るまで数回にわたり脱皮を繰り返しながらより全面的に展開されていくことになります。
 さて、この「基本方針」は、六・三・三・四の学校体系を原則的に維持するとしつつも、その維持のための三つの条件をあげています。
 第一の条件は、「画一的な教育制度を改め、実際社会の要求に応じ得る弾力性をもった教育制度を確立すること」を要求しています。「画一的な教育制度」とは何を意味するのでしょうか。教育内容上の画一性を問題にしているわけではありません。結論から言えば。日本国憲法第二十六条や教育基本法がめざす教育制度を問題にしているのです。教育権は主権者たる国民にあるとか、すべての子どもに普通教育を受けさせることは国民すべての義務であるとか、「人間の育成」とむすびついた「国民の育成」を図るとか、「普遍的」文化のうえに「個性豊かな文化」を創造する、などというのは「国力と国情」を無視した画一主義であり、とんでもない理想論だというのです。「実際社会の要求に応じ得る弾力性をもった教育制度」とするためには時々の政府や財界の意向を反映したものでなければならないわけですから、そのような見地からするならば戦後教育理念は障碍であり、「画一」と映らざるを得ないのです。明治以来、一般的に言って教育に対して向けられる「画一的」という批判は政府や財界の側からもちだされる場合が多いのです。
 第二の条件は、「普通教育を偏重する従来の制度を改め、職業教育の尊重強化と教科内容の充実合理化を実現すること」とされています。日本国憲法が制定されて五年とたたないうちに第二十六条第二項が志向する普通教育制度を「従来の制度」と攻撃するその近視眼的な見解には驚くばかりです。第二十六条第二項は第二章で詳しく述べましたようにさまざまな論議を経て確定されたわけですが、それは「普通教育を偏重する制度」でもなければ職業教育を尊重しない制度でもないのです。げんに学校教育法でも普通教育の目標の一つにとして「社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んじる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと」と、いささか書きすぎるほど職業教育について述べているのです。職業教育は普通教育の外にあるのではなく、普通教育の一部をなすものなのです。しかし、政令改正諮問委員会はこのような普通教育制度が不満だったのです。「普通教育を偏重する従来の制度を改め」というのですから、普通教育制度の外に職業教育(学校教育法上の用語では「専門教育」ですが)を制度化することを要求しているのです。しかも、その方向で普通教育および職業教育の「教科内容の充実合理化」を要求しているのです。それはその後の経過からみて、普通教育から職業教育的内容を脱色し、職業教育から普通教育的内容を脱色した上で、普通教育と職業教育との関係を社会的要請に対応して適宜組みあわせていくことを意味するのです。このことはすでに一九四八(昭和二十三)年の高等学校設置基準の制定によってすでに具体化されていました。学校教育法での高等学校の教育目的「高等普通教育及び専門教育」が高等学校設置基準では「普通教育を主とする学科」と「専門教育を主とする学科」の二学科制に事実上分離されたのです。普通教育としての純化、職業教育としての純化はいずれも青年期段階の教育制度としてはいわば片肺飛行であり、けっして両立し得るものではありません。その矛盾は両者がその後の高校進学率の急速な向上などを契機として破綻せざるを得ず、「第三の学科」を構想せざるを得なくなります。そのことについては第十二章などで論じることにします。
 条件の最後は、「国力」の現状を考慮しつつ「職業教育を強化する」方向で「最善の教育効果をあげる」ことを求めています。これを受けてはやくも一九五一年に、産業教育振興法が制定され、それに基づいて中央産業教育審議会が設置されることになりました。この審議会のもと中学校・高等学校の職業教育の充実が推進されていきました。
 政令改正諮問委員会の答申は「基本方針」につづいて、学校制度、教科内容及び教科書、教育行政、教職員の四項目からなる「具体的措置」を述べています。
 「第一、学校制度」についてはさらに「学校体系の原則」、「学校体系の例外」、「現存学校の再編成」に分けて論じています。
 「学校体系の原則」の部分では、特に中学校について「普通教育偏重に陥ることを避け、地方の実情に応じ、普通課程に重点をおくものと職業課程に重点をおくものに分け、後者においては、実用的職業教育の充実を図ること」を求めています。高等学校についても同様のことをもとめ、とくに専門的職業教育を求めています。中学校についての提言は今日にいたるまで実現はしていませんが、高等学校についてはのちに述べるように半世紀を通じて一貫して着実に強化されていきました。
 「学校体系の例外」の部分では、中学校と高等学校を併せた六年制の農工商等の職業教育に重点をおく「高等学校」などを提言しています。戦前の五年制の中学校や七年制の高等学校構想、あるいは臨時教育審議会が提言した(一九八五年)六年制中等学校の構想とも異なりますが、いずれにしても戦後教育法制が定めた高等学校の性格とは原理的に異質なものであることは指摘しておきたいと思います。
 さらに「現存学校の再編成」では、「総合高等学校はこれを分解し、普通課程学校または職業課程学校の何れかに重点をおいてその内容の充実強化を図ること、学区制は原則として廃止すること」が提言されています。専門教育(職業教育)とむすびついた「高等普通教育」という理念をまさに「分解」し、しかも学区制をも廃止するという、おどろくべき提言をおこなっているのです。
 一九四九(昭和二十四)年に新制高等学校は総合制高等学校としてスタートしますが、それ以前は新制高等学校総数(定時制・夜間制を除く)のうち、すでに総合制になっていた高校は十五%、普通課程のみをおく高校五三%、農業課程のみをおく高校十三%、工業課程のみをおく高校九%、商業課程のみをおく高校七%、水産課程のみをおく高校一%、家庭課程のみをおく高校一%という状況でした。総合化によって総合制高校は高校総数の四二%にまで高まりましたが、普通課程のみをおく高校は依然として三七%、農業課程のみをおく高校は八%、工業課程のみをおく高校は七%、商業課程のみをおく高校は四%、水産課程のみをおく高校は一%、家庭課程のみをおく高校〇・四%が存在していました。政令改正諮問委員会の「答申」はこの総合化の方向をあっさりと放棄し、ふたたび普通教育を主とする高校と職業教育を主とする高校への分化・固定化を意図するものでした。
 次に「第二、教科内容及び教科書」についてですが、「教科内容については、その画一化を排し、実情に即して教育効果をあげ得るようこれに弾力性をもたしめること」とし、さらに「備考」として「従来の生活経験中心のカリキュラム方式に偏することを避け、論理的なカリキュラム方式を加味することも考慮すること」と説明しています。なお、教科書については、検定制度を原則とした上で、「標準教科書を国家において作成し、教科書の進歩向上を図る」としています。
 このほか「第三、教育行政」では、公選制であった教育委員を地方公共団体の長が任命するよう提言しています。これは一九五六年に具体化されました。
 以上、政令改正諮問委員会の答申について検討してきましたが、この答申には主として当時の財界の教育要求が強く示されており、この方向と政府が進める教育政策とが相俟って全体としてその後のわが国の教育政策、普通教育政策の基調となっていくのです。また、その政策は政治的側面と経済的側面とが相互に多少の矛盾をはらみつつも全体としては両者が一体となってその後いっそう強力にかつ大規模に進展していくことになるのです。その集大成が今日の臨時教育審議会体制といえるでしょう。

 第四節 「普通教育」偏重是正政策の展開とその背景

 政令改正諮問委員会の「教育制度の改革に関する答申」の「基本方針」は「わが国の国力と国情に適合」した教育制度を確立するというものでした。日本国憲法や教育基本法は「占領期」という「特殊事情」のもとで生まれたものである、占領期を脱して「独立」した今日においてはそれらは「わが国の国力と国情に適合しない」、したがってそれらを全面的に再検討しなければならないという論理が、政財界の根本的命題として確立していくことになりました。占領期はある意味で「特殊事情」といえますが、その「特殊事情」のもとで、戦前の異常なまでの軍国主義・超国家主義そしてそれをはぐくんだ大日本帝国憲法・教育勅語体制にたいする可能な限りでの真摯な反省から日本国憲法・教育基本法という戦後理念・戦後の体制が生み出されたのです。「特殊事情」だからそこで生み出されたものはすべて「特殊」なもので「是正」されなければならないというのはあまりにも形式的でご都合主義というべきではないでしょうか。もちろん、そのことは日本国憲法や教育基本法のなにからなにまですべて戦後理念として正しいということを意味するものではありません。それらの中にもいわゆる戦後理念から見て不徹底であったり、未成熟というべき部分も含まれています。しかし、それらは日本国憲法や教育基本法をつらぬく基本理念、「人類普遍の原理」にたった「国民主権」原則、「人間の育成」を前提とした「国民の育成」という見地にたって歴史的に克服されていくべきであって、「わが国の国力や国情」という戦前的な国家理念を基準として「是正」されるべきものではありません。
 日本国憲法や教育基本法の「再検討」も当然のことながら視野にいれつつ、当面、具体化できる部分から「再検討」に着手していくという方針が五〇年代に入って文部省の教育政策の確固たる基調として展開されていくことになります。また、一九五二年十月には日経連教育部会が早くも「新教育制度の再検討に関する要望」をまとめるなど経済界の側からの教育政策もだされるようになりました。
 一九五三(昭和二十八)年七月には、教育刷新審議会を受け継いで発足した中央教育審議会が「義務教育に関する答申」を採択しています。この答申の冒頭には「終戦後の特殊事情のもとに実施されてきた教育制度の再検討を行なってきた」と記されています。
 中央教育審議会の最初の答申が「義務教育に関する答申」であることについても留意しておきたいと思います。この答申は「学校制度」、「教育委員会制度」、「教員」から構成されています。
 最初の「学校制度」の部分では「六・三の制度は堅持する」とされています。これは第一に、「六・三制」は「義務教育」であるということ、第二には、高等学校までは義務制を拡大しないということ、の再確認といえます。
 ところで、この答申には、小学校から高等学校までを「普通教育」機関とする視点は完全に欠落しています。小学校や中学校ですら「普通教育」機関としてではなく「義務教育」機関としてしか把握されていないのです。「普通教育」という概念の戦後的意味について、それが「国民の育成」にたいして「人間の育成」を第一義的とするものである、ということは政府・文部省にあっても認識していたはずです。政令改正諮問委員会の答申が「普通教育偏重是正」というスローガンをすえたのもけっしておもいつきや偶然ではなかったのです。ですから「普通教育」という言葉ではなく「義務教育」という言葉を用いたのは、「普通教育」とは「義務教育」のことであり、「義務教育」ということで戦後の小学校および中学校の問題を戦前の義務教育制度の延長上に位置づける、という政治的な思惑がそこにはあったのではないでしょうか。
 答申はつづいて義務教育の「施設および内容をも整備充実することに努める」と述べていますが、この場合の「内容」とはさしあたって「社会科」のことであることは、二週間後にまとめられた第二回目の答申が「社会科教育の改善」に関してであることからもいうことができます。
 中央教育審議会は同じ一九五三年八月八日に「社会科教育の改善に関する答申」をおこなっています。その前日の七日には、教育課程審議会が「社会科の改善に関する答申」を行ない、文部省はただちに「社会科の改善に関する方針」を発表しています。中央教育審議会の答申本文は教育課程審議会答申に「賛意を表する」としてお墨付きをあたえただけの短いものですが、「民主的道徳の中心は人格の尊重、ひいては社会公共への奉仕にある」と理解するべきであること、「理科についても検討する必要がある」ことなどを付記しています。
 教育課程審議会の答申については第六節で検討することにします。
 最後にこの答申は「教育委員会制度」についても「現行法どおりとする」としつつも、教育委員会制度の趣旨は「ひたすら教育の中立性と自主性とを樹立するにある」ことのみを強調しています。「中立性」についてはのちにもふれますが中央教育審議会は教育委員会にたいし教職員組合監視の役割を果たさせようとしていたのです。
 また、教育委員会がその任務のひとつとしている「教育内容及びその取扱に関すること」についてはなにも言及していません。学習指導要領、それが試案であれ何であれ、の作成と発行もしくは告示はすでに文部省がおこなうという方向が確定していたのでしょうか。

 第五節 普通教育の理念に対立する「国民実践要領」

 一九五〇年十一月に当時の天野文部大臣は全国教育長会議において「国民実践要領」が必要であると表明し、翌年十月には国会の答弁でそのことを公式に表明し、かつその大綱を発表しました。そのときは世論は大反発し、結局「国民実践要領」の公刊は撤回されています。しかし、天野貞祐氏は文相を辞任したあとの一九五三年一月、「国民実践要領」を刊行しました。その趣旨はその後の「社会科」の性格変更や道徳教育政策、一九六六年の中央教育審議会答申別記「期待される人間像」を経て、さらには一九八五年の臨時教育審議会の改革理念へと受け継がれていくことになります。その意味で「国民実践要領」は今日でも影響力を有しているといえます。ここでの思想は普通教育の理念と根本的に対立するものですから、ここでその内容について検討しておきたいと思います。
 「国民実践要領」は前文と第一章「個人」、第二章「家」、第三章「社会」、第四章「国家」から構成されています。
 「前文」では、わが国が独立国家となったこと、国家独立の根源は国民における自主独立の精神にあること、それは国民によって立つべき道義の確立をまって初めて発現すること、そのためにはまず一人ひとりが自主独立である人格の尊厳にめざめ、自らの立つところをもつ人間となること、また、他の人格の尊厳をたっとび、和の精神に貫かれた家庭、社会、国家を形成することにある、したがって自主独立の精神と和の精神とは、道義の精神の両面である、我々が国家のために尽くすことは、世界人類のために尽くすことになる、ということが説れています。
 「国民実践要領」の思想は、「国民によって立つべき道義」というものがすでにあたえられており、それを個々人のなかに「確立」することによって「自主独立の精神」を発現することができるというのです。「利己心を越えて」とか「私心を脱して」などが強調されていますが、利己心であれ利他心であれ、それらが人間にとって何であるのかについて明確に判断できる能力を育成することによってはじめて人間としてのみならず国民としても自立できるようになるのではないでしょうか。ところが「国民実践要領」では「国民によって立つべき道義」に反するものはすべて「利己心」「私心」とみなされ、個々人の外で構想された「国民によって立つべき道義」を個々人が内面においてひたすら「確立」するように徹底的に注入していくことが求められることになるのです。そのために学校教育とくに道徳教育が徹底的に活用されることになるのです。
 「国民実践要領」の本文を構成する四つの章は「国民によって立つべき道義」を構成する各要素として構想されたものであり、したがって徹頭徹尾、特定の立場から構想された特殊な個人観、家族観、社会観、国家観を前提としたものであり、それらはほんとうに自主的に独立した個人が、人間としてかつ国民として成長していった結果到達する個人観、家族観、社会観、国家観と一致するものとはなり得ないのです。
 「国民実践要領」の筆者も、またその思想を今後の教育政策の基調に据えようとしている政府・文部省もその矛盾を自覚しているからこそ、社会科や道徳教育をはじめ、教育課程、学校教育、さらには今日風にいえば「生涯学習社会」あげてそのような思想の定着化を図らなければならないと力説せざるを得ないのです。

 第六節 「社会科」の変質 
 
 第四節で述べましたように、教育課程審議会は一九五三(昭和二十八)年に「社会科の改善に関する答申」を提出しましたが、それは「一般的事項」と小学校・中学校・高等学校別の「学校の段階による改善事項」から構成されています。答申は冒頭で社会科は「自主的民主的な国民の形成」をめざす教科として設けられたとしていますが、そこにはすでに教育基本法の基本理念である「人間の育成」という視点は完全に欠落していることを最初に指摘しておきたいと思います。
 さて答申は、社会科のより具体的な目的について、「地理や歴史などの知識や理解を与えること」のほかに「民主的社会人として道徳的に成長することに寄与すること」をあげ、小学校下学年の社会科については「地理や歴史などに分化しないで組織した方がよいと考える。また、この年齢の児童はまだ見聞も浅く、具体的事実もあまり知っていないから、精選された重要な具体的事象をしっかり知らせることにもっと重点をおき、そこから歴史的考え方や地理的考え方を芽生えさせるように導くべきであろう」と述べています。「精選された重要な具体的事象をしっかり知らせる」という認識はその後の「精選」論や「厳選」論を想起させます。その視点から社会科の現状について「民主的社会における道徳の理解や、道徳的判断力の養成がじゅうぶんに行なわれていない」ことを指摘し、現行の「学習指導要領一般編(試案)」を改訂することを提起しています。
 ところで、この答申では、「民主的な国民」「民主的国民」「民主的社会」など、「民主的」という言葉がふんだんに用いられていますが、答申が社会科という科目をどのように認識しているかはきわめて不明確と言わざるを得ません。
 子どもたちが観察したり経験しえる社会的な諸事象をとりあげ、それらの性質や内的な相互関連さらにはそれらが自分や人間にとってどのような意味があるかなどについての認識能力を子どもたちの発達段階にそくして育成していくことは普通教育の重要な一分野を構成するものと言えます。また、人々のさまざまな行為を〈よい・わるい〉という価値とむすびつける社会的事象についても人間にふさわしい判断能力を育成することは重要な教育分野であるといえます。これら二つの教育分野が一つの教科の中に位置づけることができるかどうかはある意味で形式の問題であって、それぞれがどのような教育分野であるのかを明確にすることが重要であると思います。正確に提起された教育分野において営まれる教育の結果として子どもたちの中に育成される全体的な諸能力が現実社会の民主主義的な変革に貢献できたときに、個々の行為について民主的という形容詞を付することは可能であると思いますが、はじめから「民主的国民」とか「民主的社会人」というものを想定してそれに近づけるというような教育は本来社会科でも道徳教育でもないとおもいます。もちろん、社会科や道徳教育がどういうものであるのかについてはさまざまな見解がありえますが、この教育課程審議会の答申に見る限り、明確な規定がなされていません。しかし、そのことが問題というよりも、たとえ明確な定義がなされていたとしても、それぞれが学校においてどのような状況になっているのかについてなんらかの政治的な判断をくだし、それによって学習指導要領を改正し、学校教育を方向づけるという手法自体が教育基本法の理念に明確に反するものです。このような自覚が欠落していることは以後の日本の教育にとってさまざまな混乱と不幸をもたらすことになりました。
 答申はさらに、社会科の分野として地理や歴史のほかに「政治・経済・社会などの方面が時代とともにますます重要になってきている」とも述べていますが、それ自体としては理解できるとしても時代的もしくは社会的要請という見地にたつかぎり社会科の分野拡大も矛盾をひろげることにならざるをえません。
 この答申をうけた文部省はただちに六項目にわたる「社会科の改善についての方策」を通知していますが、そのなかでとくに学習指導要領の改訂を強調しています。二年前に改訂されたばかりであるにもかかわらず、同じ社会科や道徳教育のあり方を中心に学習指導要領の改訂を提起するということは、「国民道義の確立」という見地からの道徳教育の強化が政府・文部省にとっていかに重要な政策課題であったかをしめすとともに、文部省がこの時期にはすでに、教育課程の基準の法制化や教育委員会における学習指導要領の作成という方向ではなく、学習指導要領の制度化という方向を確定していたことを示すものともいえるでしょう。とはいえ、道徳教育については学校全体で行なうことを前提としつつも、それを社会科にふくませるのか、あるいは特設化などの方向にいくのかについてはいまだ確定しているわけではありませんでした。 
 この文書は「小学校下学年における指導計画は、児童の発達から考えて、これまでのように身近な社会を中心とした学習に重点をおくのがよいであろう」と述べています。
 地理・歴史や道徳への異常なこだわりなど全体としてきわめて不明確な社会科観といえます。子どもたちが食べたり用いたりしている食品や道具などを教材としながら、それらがどこでだれがどのような方法でどんな知恵をだしてどのような目的のためにつくっているのかなどについて理解する能力、えばったりいじわるしたり、助け合ったったりほめられたりするのはどういう場合か、そのような行為をひきおこす諸条件や因果関係等をしっかりと理解する能力、自分たちの生活を支えているさまざまな人々についての認識をひろげ理解する能力、これらの能力を育てることは低学年の社会科においてもっとも基本的な内容となるのではないでしょうか。それらはその後の社会認識能力の成長・発達の基本となるものです。しかし、このような方向での社会科の改善は結局はなされず、ひきつづき社会科の「改善」方策が展開されていきました。
 一九五四年、文部省は「社会科の指導計画に関する資料について」なる文書を出し、さらに一九五五年には「小学校社会科の目標および学習の領域案について」を出しています。この二つの文書はセットになっていますから、ここでは両者をまとめて検討したいと思います。
 これらの文書で文部省は、社会科の「各学年の主題」、「基本的目標」、「内容の概略」および「具体目標」、「学習の領域」さらには「単元」についての見解を示しています。
 小学校第一学年についてだけいえば、第一学年の主題は「学校や家庭の生活」であり、そこには五つの「基本的目標」が設定されます。最初に掲げられている基本的目標は「自分の考えや希望をすなおに表現するとともに、ほかの人の立場をよく考えて協力しようとする気持ちを育て、自分たちが学校や家庭の一員として毎日の生活に気づかせる」というものです。人間としてのどのような能力をどのように育てるのかという視点が見られません。
 この五つの「基本的能力」のそれぞれに三つないし五つの「具体目標」があげられています。第一学年だけで計二十四項目の「具体目標」となります。さきに示した第一の「基本的目標」には四つの「具体目標」がしめされていますが、ここでも最初の「具体目標」だけを紹介するにとどめます。そこには「学校や家庭では、自分の思うとおりにはならないことがよくあるが、そのような時にはそのわけやどうしたらよいかについてよく考えてみることがたいせつである」と書かれています。自分の意思が相手に受け入れられない場合、その理由や受け入れられるようにするためにはどうしたらよいかについて考える能力を育てること自体は必要なことです。しかし、自分の意思が相手に受け入れられるとか、相手の意思が理解できないということ自体どういうことなのか、そこで育てられるべき能力を第一学年にふさわしくしっかり育てるということは具体的にはどのような内容を意味するのか、そのためにはどの程度の時間を必要とするのか、などをより明確にする必要があります。相当な時間をかけるに値する課題と言えるのではないでしょうか。
 一九五五年の文書は、さらに「学習の領域」という新たな概念を導入しています。「学習の領域」とは「学習としてとりあげる必要や価値のある児童の問題や学習経験にはどんなものがあるか、それらはどんな具体的なまとまりとして考えられるか」という課題に応えるものとして構想された概念です。小学校第一学年についていえば、「学校の様子」や「じょうぶな身体」など七つの領域が示されています。これらの領域案は「各学校での具体的な単元構成に先立つ資料」であり、たとえば「じょうぶな身体」という領域から「身体検査」とか「冬の衛生」という「単元」を考えたりすることができると説明されています。一九五一年に発行された「学習指導要領社会科編(試案)」は社会科における「単元」について「経験の組織、言い換えれば学習活動が問題解決を中心として次々に発展していって形づくられるまとまり」と定義し、社会科の目標や学習内容につづいて「単元」を基本とした学習指導を設計していましたが、この「学習の領域」を設定することによって、「単元」自体が何重にも上からあるいは外から囲まれ、方向づけられるようになったと言えます。
 ここで「領域」の一つである「じょうぶな身体」について考えてみたいと思います。「じょうぶな身体」は次のように述べています。
 「健康は、個人の活動にとっても集団生活にとってもきわめて重要なものであるが、それはまた各人の不断の注意やよい生活習慣によって維持されるものである。経験の乏しい児童は、健康や生命の大事なことについての理解や集団の一員としてのこうした問題への関心に欠けるところを多く持っている。そこで、学校や家庭で衛生に深い関係をもつ場所、設備(たとえば衛生室、手洗所、便所等)とこれらの利用のしかた、学校における身体検査、回虫駆除などの行事、大掃除、はえ取りデー、予防注射などの意義、健康のために必要な日常の生活習慣、病気の際の経験や他人の病気に対する態度等について考えさせながら、学校や家庭ではみんながそれぞれの立場で自他の健康に留意していかねばならないことの理解や、健康のために必要な生活の基礎的な習慣を育ててやることが有効であろう」
 健康であれなんであれ、一般的に価値あるものとされているものがとりあげられ、それについて「経験が乏しい」「関心に欠ける」という一方的な断定をした上で、だからこのような教育が必要であるとして政策主体にとって必要とされる教育内容の詰め込みがなされる、このような構造がそこに見ることができます。結局は注入的な教育方法にならざるをえないこのような教育観で社会認識能力を育てることができるのでしょうか。学校教育法に規定された目標、社会科という教科としての目標、各学年の主題、基本的目標、具体目標、そして領域という順序で目標が具体化され、それを「資料」として「単元」が構成されるという構造では、子どもは幾重にも受動的な教育の客体として位置づけられることになります。このような道徳教育ともいえない、いわば〈しつけ〉とも言うべき社会科観にたつかぎり、社会科の存立基盤はきわめて不安定なものとならざるをえないでしょう。
 子どもたちは家族や仲間のなかで、あるいはさまざまな社会的経験をとおして、ものの考え方や身体の状態について健康であろう、病弱でありたくないという事実に直面します。どのように考えることが健康なのか、どのような状態が病気なのか、なぜ健康でいられるのか、不健康になるのはなぜなのか、そのような問題について、子どもたちが直接観察し理解できる事象をとりあげ、人間として健康とはどのようなことなのかについて理解し判断する能力を社会的認識能力として位置づけ育成することは小学校一学年の社会科においても意義あることだと思います。

 第七節 高等学校学習指導要領改訂と普通教育 
 
 一九五一年七月に「学習指導要領一般編(試案)」が改訂されますが、この前後、高等学校の教育課程上の性格は複雑でした。改訂された「学習指導要領一般編(試案)」によれば、高等学校は「高等普通教育」を行なう機関とされ、「この時期は、専門教育を行なう時期でもある」として、「高等普通教育」主として「専門教育」を位置づけるという関係を説明しています。
 ここでは、主として社会科に焦点をあて、五〇年代の高等学校の教育課程政策の動向を普通教育の視点から検討することにします。
 「学習指導要領一般編(試案)」改訂にともなって教科編も逐次発行されていきますが、高等学校社会科について発行されたのは「中学校・高等学校学習指導要領社会科編Ⅱ(試案)」(中学校の一般社会科と第十学年たる高等学校第一学年の一般社会科からなる)、「中学校・高等学校学習指導要領社会科編Ⅱ(試案)」(中学校の一般社会科、中学校の日本史および高等学校第一学年の一般社会科からなる)、「中学校・高等学校学習指導要領社会科編Ⅲ⒜日本史⒝世界史(試案)」および「中学校・高等学校学習指導要領社会科編Ⅲ⒞人文地理(試案)」の四種でした。中学校と高等学校の関係が少なくとも教育課程政策上は明確ではありませんでした。
 一九五四年から一九五五年にかけて教育課程審議会は文部大臣からの諮問をうけて高等学校の教育課程のあり方について検討し二回に分けた答申を出しています。文部省は一九五五年十二月に「高等学校学習指導要領一般編」を(試案)という言葉なしで発行しています。「小学校学習指導要領・社会科編」、「中学校学習指導要領・社会科編」もあいついで(試案)という言葉なしで発行しています。ここまでは、(試案)という言葉を削除したり、教育課程審議会答申を反映するなど新たな性格も含んでいますが、基本的には一九五一年の「学習指導要領一般編(試案)」をベースに整合性を図ったものといえましょう。つぎに「高等学校学習指導要領一般編」が官報告示されるのは一九六〇年です。
 さて、「専門教育」の分野ではどのような経過だったのでしょうか。
 一九四七年三月の「学習指導要領一般編(試案)」には高等学校の部分は間にあいませんでしたから、文部省は四月になって「新制高等学校の教科課程に関する件」という学校教育局長通達を「学習指導要領一般編(試案)」の「補遺」という形で出しています。戦後の高等学校教育課程政策は学校教育局長通達ではじまったといえます。さて、その文書においては、工業系十五学科百三十六科目、農業系九学科九十七科目、商業系一学科五科目、水産系三学科四十科目および被服系一学科五科目が「実業」として記載されていました。これは戦前の実業学校をほとんどそのまま継承したものでした。翌年、文部省は高等学校設置基準を制定し高等学校の学科を「普通教育主とする学科」と「専門教育を主とする学科」の二学科としましたが、「専門教育を主とする学科」については、農業、水産、工業、商業、家庭、厚生、商船、外国語、美術、音楽に関する学科その他と学科の種類を増やしていますが、農業に関する学科は九教科、水産に関する学科は三教科、工業に関する学科は十五教科、商業に関する学科は一教科、家庭に関する学科は二教科と教科数ではほとんど変化はしていません。「専門教育」の実態は戦前的な「実業教育」を出るものとはなっていません。
 一九四九年、学校教育局長は「新制高等学校教科課程中職業教科の改正について」という通達をだしていますが、そこでは、「職業に関する教科」という用語のもとに、「農業に関する教科」十五科目、「工業に関する教科」四十四科目、「商業に関する教科」十四科目、「水産に関する教科」十四科目、「家庭技芸科に関する教科」十七科目、計六教科百四科目があげられています。これは一九四九(昭和二十四)年度から新しい「教科課程表」に基づいて「実業関係を含めて新制高等学校の全部に対してこれを実施すること」になったことをうけた改訂といえますが、依然として「実業関係」という認識のままであることに留意しておきたいと思います。
 一九五一年に改訂された「学習指導要領一般編(試案)」は高等学校について「この時期は、専門教育を行なう時期でもある」とのべ、職業教育に関する教科・科目については農業科十五科目、工業科四十四科目、商業科十四科目、水産科十四科目、家庭技芸科十七科目、となっており、四十九年の通達をほぼ踏襲しています。なお、ここでは高等学校設置基準にもかかわらず、「普通課程(普通教育を主とする課程(普通課程)」と「職業教育を主とする課程(職業課程)」とされています。
 一九五四年から五五年にかけて教育課程審議会はあいついで高等学校の教育課程のあり方について答申をまとめ、文部省はそれらを受けて数学科、理科、国語科、芸術科の改訂について通達を出しています。これら一連の答申、通達を集約したものとして、一九五五年十二月、文部省は「高等学校学習指導要領一般編」を(試案)という言葉をはずし、はじめて高等学校単独で改訂し発行しました。改訂の趣旨は七項目あげられていますが、五十一年改訂に比して質的変化が見られます。最初の三項について検討しておきたいと思います。
 第一に、高等学校を「完成教育であるという立場を基本」にしたことです。それは一面では普通教育として完成する教育、すなわち大学への予備教育機関とは見なさないという意味をもちますが、他面では実社会への準備教育という側面を強めることをも意味します。
 第二に、高等学校の教育課程は、「各課程の特色を生か」すように編成するとしています。職業教育の課程を「(高等)普通教育」の範疇に位置づけるというのではなく、それぞれ特色をもったものとしてさらにその特色を生かすようにするというのです。これは基本的には十八歳まではすべての子どもに普通教育を保障するとする日本国憲法の理念を歪める方向であり、いわゆる「特色」論のスタートを意味するものと言えます。
 第三に、「教育にいっそうの計画性をもたせるため、特に普通課程においては、教育課程に類型を設け、これにより生徒の個性や進路に応じ、上学年に進むにつれて分化した学習を行ないうるようにする」としています。「計画性」というのは、子どもたちの成長・発達の自然の順序に基づいて教育を行なうというのではなく、国家社会的な「計画性」に基づいて行なうということを意味するのだと思います。また、普通教育と「類型」というのは本来矛盾するものなのです。子どもたちは高校生ならずとも小学生であってもそれぞれに個性豊かな人間なのです。だからといって小学校の普通教育に類型が必要ということにはなりません。個性豊かな人間を前提としてどんな子どもであっても人間としてしっかり成長できるようにそしてその結果として自らの個性をより明確に自覚できるようにうながすことこそが普通教育なのです。「計画性」のもとでの「類型」化、そしてそのような発想にもとずいて「個性」や「進路」が普通教育において強調されるというは、普通教育の本来の性格を根本において歪めるものです。もちろん、高校生段階において自己を実現する方向がある程度分化することは認められることですし、教育課程の編成もそのことを考慮することは当然のことながら必要なことだといえます。しかし、そのことと「類型」化とか「計画性」とストレートにむすびつくものではありません。しかしながら、この個性・進路、類型、特色などはとりわけ今後の高等学校教育政策のますます強固なコンセプトとして位置づけられていくことになります。
 このような改訂の方針にもとづいて、とくに職業科目については科目数がそれぞれ大幅に増加しています。家庭科二十四科目(五十一年度改訂比七科目増)、農業科四十科目(同、二十五科目増)、工業科二十一教科二百十四科目(同、百七十科目増)、商業科二十一科目(同、七科目増)、水産科二十九科目(同、十五科目増)。
 この改訂の背景には一九五一年に産業教育振興法が制定され、中央産業教育審議会が発足したことがあげられます。この方向は六〇年代に入って「後期中等教育の多様化政策」として猛威を発揮することになります。

 第八節 産業教育振興法および理科教育振興法の制定

 教育課程審議会が設置されたのは一九四九年のことですが、その際、「職業教育及び職業指導審議会」も設置されていました。しかし、それは一九五一年の産業教育振興法の制定によって中央および地方産業教育審議会に発展的に改組されました。産業教育振興法は「教育基本法の精神にのっとり、産業教育を通じて、勤労に対する正しい信念を確立し、産業教育を習得させるとともに工夫創造の能力を養い、もって経済自立に貢献する有為な国民を育成する」ことを目的にし、また「産業教育」とは中学校・高等学校および大学が「生徒又は学生に対して、農業、工業、商業、水産業その他の産業に従事するために必要な知識、技能及び態度を習得させる目的をもって行う教育(家庭科教育を含む)」と定義されています。
 このような目的や定義は教育基本法や学校教育法と両立するものではありません。現実的な諸条件をふまえつつも充実した普通教育によって、それぞれの子どもたちは経済を含む社会全体の発展に自ら責任をもってかかわっていこうという生き方が育てられていきます。それは小学校を含む普通教育の全体のなかでつちかわれるものです。それを「国民の育成」という戦前的な狭い発想で、しかも中学校以上大学までを含むという学校教育法からは導かれない枠組みのもとで、さらに「職業教育」でもない「専門教育」でもない「産業教育」という独特な教育分野を提起するということ自体、そこには乱暴な「社会的要請」のあらわれをみることができます。
 一九五二年十月、日本経営団体連盟は「新教育制度の再検討に関する要望」をまとめていますがそこでは「新教育制度について産業人の立場よりこれをみるに社会人としての普通教育を強調する余りこれと並び行われる職業乃至産業教育の面が著しく等閑に付されて」いると述べています。中央産業教育審議会は一九五三年の建議「中学校職業・家庭科の教育内容について」など五〇年代に四つの建議を提出しています。
 いっぽう、一九五三年八月、理科教育振興法が制定され、理科教育審議会が設置されました。理科教育振興法制定の目的は「教育基本法および学校教育法の精神にのっとり、理科教育を通じて、科学的な知識、技能及び態度を習得させるとともに、工夫創造の能力を養い、もって日常生活を合理的に営み、且つ、わが国の発展に貢献しうる有為な国民を育成する」こととされ、「理科教育」とは小学校から高等学校までの、したがって「普通教育」における「理科・算数及び数学に関する教育」とされています。
 産業教育振興法に比して、学校教育法との関連が明確にされていますが、しかし、学校教育法第十八条の初等普通教育の目標の第五・第六項とはかなり異質な内容になっています。第五項は「日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと」とされており、第六項は「日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと」とされています。この異質性も偶然ではなく、「人間の育成」よりも「国民の育成」を優先させる「普通教育偏重是正」政策から必然的に導き出された目的であるといえます。
 理科教育審議会は「科学教育のあり方について」など五つの答申・建議をまとめ、一九六七年には「理科教育及び産業教育審議会」に改組されていくことになります。
 教育課程に直接関連したものにかぎっても、文部省にはこの他、保健体育審議会、国語審議会などがあり、国語、理科、数学・算数、職業、家庭、保健体育、などの教科は教育課程審議会とは相対的に独自の政策提言をおこなっており、わが国の教育課程政策はこれまで述べてきたように、「教育基本法にのっとり」などとことわりながら、実はそれとは基本的に矛盾する方向を、したがって、教育上の理念も原理もない、その時々の「社会的要請」の論理に身を任せてきたといえるのではないでしょうか。もし、そこに一貫した理念があるとすればそれは日本国憲法・教育基本法の理念とあいいれない「国民の育成」という理念というべきでしょう。

 第九節 臨時教育制度審議会設置法案と普通教育
 
 一九五三年十月の池田自由党政調会長とロバートソン国務次官補との会談において「日本人が一般に、自分の国は自分が守るという基本観念を徐々に持つように、日本政府は啓もうしてゆく必要がある」、「自衛の観念を日本に育ててほしいと日本政府に希望する」などが確認されたとされています。これを契機にサンフランシスコ体制はわが国をいっそう反動的な方向に向わせることになります。
 一九五四(昭和二十九)年一月、中央教育審議会は「教育の政治的中立維持に関する答申」を提出しました。五月には「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」および「教育公務員特例法の一部を改正する法律」がそれぞれ制定されました。
 六月には防衛庁設置法および自衛隊法が制定されています。十一月には自由党が日本国憲法改正案要綱を発表しました。一九五五(昭和三〇)年十一月の保守合同、すなわち自民党の結成を経て、翌一九五六年二月には憲法調査会法が制定されました。日本国憲法や教育基本法の改正が政治日程にのぼってきました。
 十一月には政財界からつよく求められていた保守合同が実現し自民党が結成されました。自民党は「政綱」の第一に「国民道義の確立と教育の改革」を掲げ、それを実現するために「内閣に、調査審議機関を設ける」としました。
 一九五六年は戦後新教育制度を「再検討」する側にとって重要な画期となりました。
政府は「臨時教育制度審議会設置法案」、「教科書法案」および「地方教育行政の組織及び運営に関する法律案」をあいついで提案しましたが、結局前二者は廃案となり、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が制定され、その結果、教育委員会法が廃止されることになりました。
 「臨時教育制度審議会設置法案」によれば、この審議会の目的は「教育に関する現行制度に検討を加え、教育制度及びこれに関連する制度に関する緊急な重要政策を総合的に調査審議する」とされていますが、とくに限定なく「教育に関する現行制度に検討を加え」るとありますから、日本国憲法第二十六条や教育基本法も「検討」に含み得るものでした。現に清瀬文部大臣は国会審議において教育基本法の改正が含まれると答弁し、その理由として教育基本法第一条の教育目的を問題にしています。文相の答弁によれば、第一条には「国家に対する忠誠心というものがどこにもない」というものでした。また、個人は平等であるということが強調しすぎて、親とか祖父母に対する孝養、日本人の気品、というものが欠けていると説明しています。清瀬文部大臣は教育基本法第一条の目的規定が教科書編纂や学習指導要領編纂の基準の絶対要件にしているとして、だから教育目的は重要であり、したがって改正する必要があるというのです。この論理からすれば、第一条に「国家に対する忠誠心」等を盛り込みさえすれば、それが教科書編纂や学習指導要領編纂の基準の絶対的要件にできるということになります。
 臨時教育制度審議会設置法案は教育基本法改正のほかに「国の教育内容に関する責任」と「学校制度の再検討」を審議内容とするとしていますが、それらは現行教育基本法のもとでは実現できないような内容を意図していたのでしょう。ですから教育基本法の改正を法案提出の第一目的にしたのです。
 文相の説明に見る限り、教育基本法の前文あるいは前文と第一条との関連については問題にしていないようです。
 「教科書法案」は前年十二月の中央教育審議会答申「教科書制度の改善方策について」をうけて提出されたもので、検定・採択・発行供給の制度の改正を意図したものですが、「臨時教育制度審議会設置法案」とともに審議未了・廃案となりました。
 「地方教育行政の組織及び運営に関する法律案」の「提案理由」の第一は「地方公共団体における教育行政と一般行政との調和を進めるとともに、教育の政治的中立と教育行政の安定を確保すること」であり、その根幹は教育委員の公選制から任命制に切り替ることでした。第二は「国、都道府県、市町村一体としての教育行政制度を樹立する」ことであり、小中学校の教職員等人事権を都道府県の教育委員会に移すこと、また文部大臣の教育行政における指導的地位を明確にしたことなどです。政府はこの法案を国会に警察官を導入してまで強行成立させました。
 「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の第四十六条は「勤務成績の評定」について定めていますが、この不当性をめぐって全国的な反対闘争が展開されました。
 なお、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」によれば、教育委員会の職務権限の一つに「学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること」がありますが、教育委員会はこれらをふくむ学校等の管理運営の基本的事項について「法令又は条例に違反しない限度において」教育委員会規則をさだめることができるとされています。すなわち、学習指導要領の作成権は法令の範囲内の事項とされ、結局文部省の政策に委ねられることになりました。文部省が学習指導要領を官報に告示さえすれば、教育委員会は学習指導要領についての作成権をいわば自動的に失うことになるのです。

 第十節 一九五八年の教育課程審議会答申と普通教育

 サンフランシスコ体制への転換につきうごかされた戦後新教育制度の「再検討」政策は日本国憲法や教育基本法の改正には及びませんでしたが、教育委員会法を廃止し、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」を制定させるなど重要な進展を見せました。
 政府・文部省にとって未だ解決をみていない重要課題は教育課程の国家基準の制度化であり、道徳教育の制度化であり、学習指導要領の制度化でした。これらが実現すれば、「再検討」政策は当面の目標を達成したといえるのではないでしょうか。
 一九五四年十月、教育課程審議会は「教育課程の改善、特に高等教育の教育課程について」(第一次答申)を答申し、ひきつづき一九五五年二月には第二次答申「高等学校普通課程における教育課程編制の具体例」を、六月にはその続編である「高等学校職業課程における教育課程編制の具体例」を答申しました。十月には文部省は高等学校の改訂社会科の内容について通達を出しています。これらを経て十二月に文部省は高等学校学習指導要領・一般編を発行していますが、そこにはすでに「試案」という言葉が削除されていました。
 一方、小学校については一九五五年二月、文部省は「小学校の改訂社会科の内容について」という通達を出し、つづいて三月には中学校についても同様の通達を出しています。
 幼稚園については一九五六年二月、文部省はこれまでの「保育要領」を廃止して「幼稚園教育要領」を制定し、同年十二月には幼稚園設置基準を制定しました。
 一九五七年、前年の科学技術庁の創設をはじめ、科学技術教育政策および産業経済政策の強化などが政財界から強調され、その方向に沿った教育政策・教育提言がなされるようになりました。中央産業教育審議会は「高等学校における産業教育のあり方について」(十月)、中央教育審議会が「科学技術教育の振興方策について」(十一月)、理科教育審議会が「科学教育のあり方について」(十二月)、日経連が「科学技術教育振興に関する意見」(十二月)などをそれぞれあいついで出しています。文部省も科学技術教育振興方策(十一月)をまとめています。
 この年の九月、松永文部大臣は教育課程審議会にたいして小・中学校の教育課程の改善について諮問しています。教育課程審議会は一九五八(昭和三十三)年三月、文相の諮問内容にそった答申「小学校・中学校教育課程の改善について」を提出し、文部省は十月に、小学校・中学校の学習指導要領を官報に告示しました。
 教育課程審議会の答申は「基本方針」、「小学校教育課程の改訂方針」、「中学校教育課程の改訂方針」、「別紙⑴道徳教育の特設時間について」および「別紙⑵道徳教育の基本方針」から構成されています。
 「基本方針」ではまず、「最近における文化・科学・産業などの急速な進展に即応して国民生活の向上を図り、かつ、独立国家として国際社会に新しい地歩を確立するためには、国民の教育水準を一段と高めなければならない」と述べています。国内外の課題と教育水準との関係については両者を統一的に考えることを前提としつつも基本的に対立する二つの考え方があります。一つは国内外の課題を直接教育内容にもちこんで教育水準をひきあげるという考え方であり、他の一つは国内外の課題を子どもたちが観察・理解できる範囲で教育内容に反映させながら人間としての基本的な諸能力を育成するという考え方です。教育課程審議会の答申は明かに前者の考え方に立つものであり、普通教育というのは後者の考え方に立つものです。
 教育課程審議会答申の「基本方針」はその上で、とくに道徳教育の徹底、基礎学力の充実および科学技術教育の向上をはかる、また中学校では職業または家庭に関する教育を強化するとして、六項目の方針を提起しています。第一は、「道徳」の時間を設けること、、第二は、小学校の国語科と算数科の内容を充実させ、指導時間数を増やすこと、第三は、算数・数学、理科など、とくに中学校では技術科を新設して、科学技術に関する指導を強化すること、第四に、中学校の第三学年において生徒の進路・特性に応ずる指導を充実すること、第五に、小学校・中学校間の関連や小学校低学年では家庭・幼稚園との関連をもたせること、また目標・内容を精選し、基本的事項の学習に重点をおくこと、そして最後に教育課程の国家的な最低基準を明確にし、義務教育水準の維持向上を図ること、以上です。これらの「基本方針」がその後の教育課程政策の骨格をなしていることは言うまでもありません。
 第一の基本方針、すなわち「道徳」の時間を設定したことがこの答申の最大の特徴といえます。これまでは一九五一年の教育課程審議会の答申や文部省の「道徳教育振興方策について」でも「道徳教育を主体とする教科あるいは科目を設けることは望ましくない」、もしくは「設けない」と表明してきたのですから大転換というべきです。前年(一九五七年)七月に松永文相が道徳に関する独立教科を設置する意向を表明したことが契機となったと思われます。「教科」や「科目」ではない特設の時間だというのです。
 教育課程審議会の答申には前にも触れましたが、道徳教育に関して「別紙⑴」「別紙⑵」があります。とくに「別紙⑴」〈道徳教育の基本方針〉では、「人間尊重の普遍的原理とその国民的自覚」が戦後獲得した「貴重な宝」であるとする一方、その精神を体現した教育基本法の「思想的背景の構造は、人間尊重の精神と、それに基く共同体の倫理」であるとのべ、道徳教育が教育基本法の精神と矛盾するものではないことを説明しようとしています。「人間尊重の普遍的原理」とか「人間尊重の精神」という言葉が何に由来するのか明確ではありませんが、「国民に主権が存する」ことを「人類普遍の原理」と宣言した日本国憲法の理念とは明確に異なるものと言わざるをえません。憲法前文の言葉と別の言葉を用いると言う狡猾な意図から選択された言葉ともいえます。このような「精神」に基づく「共同体」の成員を育成するという発想に立ってしか道徳教育を論拠づけることができないところに政府・文部省が推進する道徳教育政策の弱点があると言わざるをえません。しかし同時に、抽象的・観念的とはいえ、国民優先ではなく人間尊重といわざるえないところに戦後改革の反映を見ることができます。しかしそのような期待は三日しかもたない幻想であったようです。
 なお、「小学校教育課程の改訂方針」および「中学校教育課程の改訂方針」については、小学校、中学校とも教育課程を「教科」・「道徳」・「特別教育活動」および「学校行事その他」としたことだけを指摘しておきます。「教科」以外の領域の拡大は学校教育法が掲げている普通教育の目標以外にも「目標」をひろげ、子どもの人格形成全般にたいする国家統制の強化を意味するものにほかなりません。
 さて、三日後の三月十八日、文部省は文部事務次官通達で「小学校・中学校における『道徳』の実施要領について」を出しています。それは前文と「小学校の『道徳』の時間について」と「中学校『道徳』実施要綱」から構成されています。この通達における道徳教育の「目標」は教育課程審議会答申が示した道徳教育の「基本方針」とまったく異質と言うべきです。
 次官通達における「目標」は第一に、教育基本法に基づくとしながら教育基本法前文の「普遍的にして、しかも個性豊かな文化」という文言の「普遍的にしてしかも」という部分を削除し「個性豊かな文化」だけを引用しているのです。前文のこの文言部分は戦後理念を明確に表現した箇所の一つであり、普遍的であることの第一義性を重視している箇所です。第二に、「日本人を育成することを目標とする」と述べていることです。それは教育課程審議会の答申にはなかった文言です。国民という言葉も越えて「日本人」の育成を図るために「道徳」の時間を特設するというのです。
 教育課程審議答申の理念と明確に異なるきわめて国家主義的な理念を、しかも答申が出るのとほぼ並行して文部省自身が通達という形式で出すという無理をしてまで、「道徳の時間」の特設を制度化することが文部省にとって至上命題であったのです。この文部省の見地こそ、その後の道徳教育政策の基礎となったものであり、そしてこの見地は一九八五年の臨時教育審議会答申の改革理念である「個性重視の原則」へと拡大継承されていくのです。
 なお、この通達文書において、他の教育活動にたいする「道徳」の時間の特設の「趣旨」として「これを補充し、深化し、または統合して」という文言がはじめて用いられています。この文言は一九六八(昭和四十三)年改訂の学習指導要領における「道徳」の「目標」に取り入れられることになります、一九五八年八月の小学校学習指導要領道徳編には取り込まれていませんでした。
 この年(一九五八年)の八月二十八日、文部省は学校教育法施行規則を一部改正し、教育課程を「各教科」「道徳」「特別教育活動」および「学校行事等」の四領域にした上で、同日、小学校学習指導要領道徳編および中学校学習指導要領道徳編を告示し、「道徳」については九月一日から実施を強行しました。十月一日の小学校および中学校の学習指導要領にさきがけて「道徳編」のみを官報告示という扱いにしたのは三月の教育課程審議会答申における「基本方針」をいちはやく具体化したものといえます。小学校学習指導要領の全面実施は一九六一年度からですから、「道徳教育」に対する文部省の意気込みは相当のものといえます。
 以上のような経過を経て、「小学校学習指導要領」および「中学校学習指導要領」が官報に告示されることになりますが、この段階でも道徳教育の関して新たな特徴がみられます。事情は「中学校指導要領」とも同じですから「小学校学習指導要領」について述べることにします。
 「小学校学習指導要領」冒頭には「総則」が新たに設けられましたが、その「第三」として「道徳教育」が位置づけられています。そこではまず、「学校における道徳教育は、本来、学校の教育活動全体を通じて行なうことを基本とする」とされ、つぎに「道徳教育の目標」が、さらに「道徳の時間」の指導目標が、述べられています。「道徳教育の目標」の部分は三月の次官通達や八月の道徳編と同一の内容となっていますが、「道徳の時間」の部分では、三月の次官通達に示されていたとくに「これを補充し、深化し、統合し」という文言が前面に押し出されています。
 今一度強調しておきますが、「教育基本法および学校教育法に定められた教育の根本精神に基く」という見地と、「普遍的にして」という文言を削除し「個性豊かな文化」のみを引用し、「人間の育成」も「国民の育成」も言わず「日本人の育成」しかいわないという見地とはまったく矛盾することなのです。これとまったく同じ論法を二十七年後の臨時教育審議会第一次答申において今度は「教育改革」の基本理念にまでもちあげるということは法治国家としてありえることなのでしょうか。
 文部省内で教育基本法制定に直接かかわった当事者たちが執筆した『教育基本法の解説』によれば、教育基本法前文において「人間の育成」としたことについて「ここに人間(傍点)と特にいったのは、過去においては国民(傍点)ということが人間より先にいわれたが、よき国民たるには、まずよき人間でなければならず、よき人間はそのままよき国民となるとの信念に基くものである」と明確に述べています。また、「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化」とした理由についても、「従来ややもすれば民族文化の特殊性のみが強調され、ために文化の有する普遍的なものが見失われてきた」とのべ、戦前におけ国家主義的民族主義にたいする歴史的反省を表明したものであると説明しているのです。文部省側の基本的文献で明確に述べた見解と百八〇度異なる見解を道徳教育、とくに「道徳の時間」特設の論拠にするところに政府・文部省の道徳教育政策の政治的恣意性を指摘せざるをえません。
 「道徳の時間」が導入されて四十年が経過しました。その間、学習指導要領は三回改訂され、「道徳」の目標の記述が、例えば「人間尊重の精神」のほかにあらたに「生命に対する畏敬の念」が追加されたり、内容項目の数が変化したり、それらの分類基準が変わったりという変化はありますが、道徳教育や「道徳の時間」についての理論的な前進はまったく見られません。
 最近は青少年犯罪の増加等を口実にあらためて道徳教育の強化や「心の教育」が叫ばれていますが、子どもたちは自らの判断力を求められることなく、社会の変化に対応した「主体性のある日本人」であるかどうかのみが善悪の基準とされ、「善き生き方」をひたすら注入され、態度や行儀までその方向で「しつけ」られ、全人的にマインドコントロールされた「道徳的人間」が量産されようとしているのです。