第七章 「国民教育」論の展開

 サンフランシスコ体制への転換は日本の民主的な再建に期待をふくらませていた多くの国民に独立と平和にたいする危機として受けとめられました。教育の分野では「国民教育の危機」としてうけとめられました。
 当時の教育運動や教育学研究を代表したすくなからぬ人々が「国民教育」について言及しました。「この『国民教育』がとりたてて強調されなければならなかったのが一九五〇年代終りから六〇年代にかけてのことであった」(大槻健『学校と民衆の教育』、新日本出版社、一九八〇年、三五四ページ)。それにはそれなりの理由があったように思います。基本的には、戦後の教育研究や教育運動にあらわれた自由主義、個人主義的傾向はその後の政治情勢の転換に真に対応できるのかというきびしい問題意識が「国民教育」という枠組みを前提としながらその性格や内容の再検討をうながしたということができるとおもいます。日本国憲法や教育基本法に「普通教育」という概念が導入されたことも当時の情勢からすればそれ程のインパクトをあたえなかったように思います。
 「国民教育」と一口にいっても、その意味するところは論ずる人によってさまざまでした。本章では、この時期に展開された「国民教育」論は「普通教育」論とどのような関係にあるのか、政府・文部省が「普通教育偏重是正」政策を全面的に展開しようとしていたときに、教育学研究や教育運動の分野では「普通教育」についてほとんど言及されることなく、なぜ「国民教育」論が重視されたのかについて検討してみたいとおもいます。本章では主として矢川徳光氏の「国民教育」論、および勝田守一氏の「国民教育」について検討しますが、そのまえに上原専禄氏および五十嵐顕氏の「国民教育」論についても触れておきたいと思います。
 
  第一節 上原専禄氏および五十嵐顕氏の「国民教育」論について

(一)歴史学者である上原専禄氏は一九六〇年に「国民形成の教育」という論稿(岩波講座『現代教育学』第四巻、所収)に書いています。そこで上原氏は「『人間づくり』の教育ではなく、『国民づくり』の教育があらためて問題にならざるをえない」という重要な問題提起をおこなっています。
 上原氏はその理由を「ペダゴギーク」すなわち教育学本来の反省と、「今日の日本、という歴史的時点において、とくに『国民形成』の教育が重要な意味を帯びる」、という二つの側面から説明しています。
 第一に、教育学的反省として、「『人間形成』の教育がおちいりがちの抽象性、恣意性、遊戯性を払拭して、教育に具体性、客観性、実際性を付与する必要」があると論じています。ここから上原氏はストレートに「国民づくり」の教育の必要性を説いているのです。
 上原氏は、ルソーなど「人間教育」を主張した教育思想家に言及しつつ、そこでの「人間教育」は「常に、それぞれの時代の、それぞれの社会において、歴史的・現実的な問題をになうものとして、具体的に問題にした」と述べ、「亜流ヒューマニスト」が唱える非歴史的・非現実的な「人間教育」論とは区別していることを強調しています。
 上原氏はルソーなど多くの教育思想家をあげながらそこでの教育論を「人間教育」と一括しています。その当否は別として、真の「『人間教育』の理念は、常に、現実的・具体的・必然的・客観的、かつ主体的・実際的な生きた教育原理を形づくっていた」と把握していたことは見識というべきでしょう。しかしながら、そのような教育原理をより明確に体現した教育論として「普通教育」という思想が生まれ発展し、わが国などでも法制度化されてきたわけですから、「普通教育」にこそ着目するべきだったのではないでしょうか。ところが上原氏は戦後の「亜流ヒューマニスト」が主唱する「人間教育」を強く批判するあまり、「普通教育」には目もくれず、いきなり「国民教育」の「創造」に向かってしまうのです。そこには一面では「教育目標を明確化させ、教育内容を実際化させ、教育方法を確実化させないかぎり、『人間づくり』の教育の美名のもとに、実はかたわの人間、無益の人間を作り出しかねない、『人間形成』の教育への教育学的批判を介して『国民づくり』の教育、『国民形成』の教育が問題にならざるをえない」という上原氏の真摯な歴史認識があるのですが、他方では政府・文部省が「普通教育」の理念の定着と拡充の方向に危機感をもちその方向を「是正」しようとしていたまさにそのとき、「普通教育」にまったく言及することなく、「普通教育」を充実させる課題を事実上回避し、もっぱら「国民教育」の「創造」を教育運動の課題として提唱するという独特な教育論・教育運動論が主張されていくことになるのです。
 上原氏は「国民教育」の「課題と目標」について次のように論じています。「『国民教育』とは、現代日本を、それ以外の諸世界に対して、主体性と自律性を持った緊密な民族集団にまで高めうる、行動と責任の主体としての『日本国民』の創造を一般的目標とし、その目標の実現を一般的課題とする、『国民的立場』における意識的・組織的・継続的な教育活動の全体を意味する、という命題を仮説として提起してみよう」と。これでは戦前の「国民教育」論と異なるところはなくなってしまいます。
「上原氏のは「『ポリティーク』の場において、「『国民づくり』への切実な要求が存在する」と述べるとともに、「『ペダゴギーク』と『ポリティーク』とを統一的にとらえ、一体的に成り立たせる課題を想定しつつ、さしあたっては、ポリティークの場における問題解決の基本的なかぎをペダゴギークの中に求めようとする、いわば高次の政治的発想にもとづいて、『国民形成』の教育が問題になる」と述べています。歴史学者としての上原氏の真剣な現状認識は充分伝わってきますが、結局は「高次の政治的発想」から「国民教育の課題」が導かれることになります。 この「国民教育の課題」からどのような教育内容、教育方法が導かれるのか、が注目されるところですが、残念ながらそれについての上原氏の発言に見るべきものはありません。一九六二年に「国民教育としての文学教育」という文章(国土社『教育』一九六三年四号)がありますが、そこではシェークスピアや馬琴をとりあげながら「人間生活の本質とか、人間生活の実体というものは、馬琴やシェークスピアの描いた世界のなかにあるという、そういう感じ方を子ども心にしたということです。このことが、私の人間形成にとってひじょうに大きい意味をもったように思うのです」と述べています。「わからないことはたくさんあるのだが、それにもかかわらず、けっこうシェークスピアが面白く読めた。読めると同時に、なにがつかめたかというと、日常的な世界のもう一つ奥に、日常的な生活よりももっと深いもの、もっと感動・共鳴を呼びおこしてくれるようなものが存在している、という感じがした」、だから「そういう文学作品を、国民教育の教材として使うことができないものだろうか」、そのような「古典が、日本の全国民のものになるような、そのような教育の中身をそなえていることがのぞましい」などと述べています。私は上原氏のこのような思い出話しと結びついた問題提起に注目したいと思っています。上原氏は古典などの文学作品について論じていますが、より重要なことは「日常的な生活よりももっと深いもの」「もっと感動・共鳴を呼びおこしてくれるようなもの」に触れたり発見することのかけがえのなさを想起しているのだと思います。
 ところで、そのことは文学作品に限ったものではありません。自然や社会についてだって言えることなのです。上原氏は「子どもの認識の能力、思考の能力、心理の発達の度合い」という言葉をもちいながら、そのような教育の過程を通して、その結果として自然や社会などについてのより全体的な判断力が形成され、したがって緊張にみちたきびしい現実社会にたいしても果敢に挑戦していけるようなたくましい主体(国民、主権者)が形成されるのだ、といいたかったのかもしれません。もしそうだとするならば、それはまさに「普通教育」を論じていることになるのです。しかし、上原氏の場合、このような問題についての発言はいかにも少ないし、この問題をけっして「普通教育」の問題としても「人間教育」の問題としても論じることなく、あくまでも「国民教育の」の問題として論じるにとどまっているのです。
(二)五十嵐顕氏は『民主教育論』(一九五九年、青木書店)において「国民教育を創造する力」という一章を設け、戦前の「国民教育」の根本的な反省の上に立って戦後の「国民教育」を創造することの重要性を論じています。「日本の巨大な現実である国民教育」とか「かつて国民は世界屈指の普及率を誇る国民教育をつうじて国民の最大の不幸となった侵略戦争を助ける役割をになわされた」という言い方に示されているように五十嵐氏は「国民教育」の第一義的な意味を国民全体を対象とする教育であることに求めています。したがって、大学も「国民教育」に位置づけられています。別な言い方をすると教育目的を示す概念としてではなく、存在論的な意味で「国民教育」という言葉を用いています。五十嵐氏の問題意識は一九五〇年代以降の政治状況が再び戦前のような「国民教育」を志向しはじめてきたことを受けて、いかにして「国民教育」を本当に民主的で国民全体の利益に貢献できるようなものにすることができるのか、にあるということができます。その意味で五十嵐氏は自らの教育論を「民主教育論」とも特徴づけていますがそれは民主的な国民教育論ということもできると思います。なぜ民主的でなければならないのかについては「労働にたいする人間の自主的な意欲は、学習にたいする青少年男女の自主的な意欲の根底」であるとする労働と学習との関係についての五十嵐氏独自の認識と関係があるようです。労働と学習に関する五十嵐氏の見解それ自体については傾聴すべきものが多いのですが、そのことについてはこれ以上はたちいりません。いずれにしても、五十嵐氏の教育論には十八歳までのすべての子どもを人間として育成する「普通教育」という教育学論的枠組みは設けられていないのです。

  第二節 矢川徳光氏の「国民教育」論

 矢川徳光氏の『国民教育学』(明治図書、一九五七年)はつぎのような構成になっています。この節では、まえがきとそれぞれの章で展開されている矢川氏の主要な見解を普通教育論の見地から検討することにします。

  まえがき
  第一章 子どもから
   第一節 国家教育 第二節 国民教育 第三節 教師 第四節 子どもと父母
  第二章 教育学について
   第一節 国民教育学の出発点について 第二節 教育諸関係の細胞
   第三節 教育の独自性 第四節 全一的把握 第五節 教育学の方法論
  第三章 認識について
   第一節 脳髄・五官・言語 第二節 感性の脱落 第三節 学習妥当性 第四節 歴     史的認識
  第四章 教科について
   第一節 人間像の筋骨 第二節 教科の客観性 第三節 教科の科学性
  第五章 領域について
   第一節 身体教育 第二節 芸術教育 第三節 知性教育 第四節 技術教育 第五     節 道徳教育 第六節 集団主義教育

(一)「まえがき」の部分について
 矢川氏は明治以来用いられ国民に対して威圧的な印象を与えてきた「国民教育」というコトバが、今日ある新しい感情をよびおこすのはなぜであろうかと自問して、次のように解明しています。
 イ 今日、国民教育というコトバで意味しているものは「じぶんたちの教育」、「これからの  教育は国民のものでなければならない」という感じとむすびついている。そのために教職員  を中心とした民主的な教育研究運動が果たした役割は大きい。
 ロ 原水爆禁止運動や母親大会などの運動を通して、子どもの教育を「平和のためのもの」、  「じぶんたちのもの」にしなければならないというとする親たちの願いがこめられている。
 ハ 「国民教育」とはアメリカ教育ではないのだという意識が国民のなかにひろがりつつある。
 
 このように、教職員や父母・国民の側からつくりだされてきた教育運動が﹁国民教育﹂というコトバでうけとめられつつあると指摘するとともに、矢川氏はアメリカ流の教育ではない日本の教育をという国民の声を逆手にとって、政府の側から再び戦前的な「国民教育」が打ち立てられようとしていることに警戒観を表明し、その意味で「いま、政府と国民とのあいだで国民教育というものの、いわばうばいあいがはじめられているときに、どういうものが国民の国民教育であるべきかについて、問題提起としてでも、じぶんの総括的な学問的見解をしめすことが、日本の教育学者の当然はたすべき国民的義務であると、わたしは感じた」と述べています。
 矢川氏のこのような問題提起が一面では戦後的な状況の中で教育権の実質的な担い手が現実的に形成されてくる過程に注目し、かれらの運動を鼓舞する重要な役割を果たしたことは認めたいと思います。しかし、矢川氏の「国民教育」論は主として教育権の主体をどこにもとめるかという視点から構想されていました。
 広範な国民が教育権の主体として成長してきているという実感と期待は普通教育にとってもきわめて重要なことです。主権者であり、したがってまた教育権を有しているすべての国民は子どもたちに普通教育を受けさせる義務を負っているのですから、どのような普通教育を子どもたちに用意できるかは広範な国民の普通教育観の成熟にかかっていると言えます。教育権の担い手としての国民の側の主体形成の問題を重視することと国民によって担われる教育を﹁国民教育﹂と呼称することとは必ずしも連動するものではありません。普通教育における民主主義の問題としてとらえる可能性もあったわけです。
 普通教育における民主主義の問題は戦前にあっても存在していました。とくに明治前期においては教育国会を設けるべきではないか、学務委員を公選制にすべきだ、大日本帝国憲法に教育条項を盛り込むべきである、国会開設に関連して参政権を担い得る国民を養成する方向で普通教育の教科のあり方を検討するべきであるなど、さまざまに論じられました。また、普通教育を論じた庵地保は一八九〇(明治二十三)年、大日本帝国憲法および教育勅語を背景に政府内部で小学校令改正論議が進行しているなかで「教育者、外ニ対スル務」という論説を書き、普通教育を普及するためには教育にたいする人民の信頼を確保することが重要であると強調しています。(『教育報知』第二一三、二一五号)
 庵地保は町村制実施を口実に教育費の節減策が実施されようとしているがそのようなことができるのは結局教育が人民に信用されていないからだ、もし人民がほんとうに教育を重要だと考えているのであれば教育費節減などは許しはしないだろう、と力説しています。また、どうすれば教育は人民の信用を得ることができるか、それは敵のなかに味方をつくること、すなわち教育社会の外に教育の価値を理解できる人を獲得することであるとし、「町村立学校ニ奉職スル人」の責務を論じている。土地の人情・風俗を理解すること、父兄と親交・親接できること、常に町村人民の先達となり、そのなかで教育の価値を説くことができること、教員等が主催する幻灯会等には人民に参加をもとめること、演説等は俗談平話にできること、などを挙げているのです。
 普通教育における民主主義の問題はその後も客観的には進展していきましたし、戦後は画期的に前進しましたが、それを普通教育の問題として自覚されていたかどうかはたいへん心もとない状況だったといわざるをえません。
 矢川氏の場合はどうでしょうか。矢川氏は国民が担うべき教育をどのような理念・制度でうけとめているのでしょうか。矢川氏の教育学の対象についての認識は「学校教育」という平板な認識に留まっています。この場合の「学校教育」というのは学校教育法でいうところの大学を含むものではないようですが、同時に高等学校についても除外されているようです。矢川氏は本書での「問題が小・中学校の教育のことにかぎられていて、家庭教育や青年教育のことなどには触れられていない」も述べています。小・中学校の教育のことにかぎることが前提とされているのです。
(二)第一章は「子どもから」となっています。この章の末尾に「「子どもから」ということは、教育学にとっては絶対に正しい出発点である」と述べています。一九四七に発行された『学習指導要領一般編(試案)』が教育目標を「社会的要請」と「児童の生活」という二元論の見地から立てていたことを考えると、「子どもから」という明確な見地は重要であると思います。しかし、矢川氏が「「子どもから」とさけんだ教育家たちは、まだ真に子どもたちを具体的にとらえていたとはいいがたい。歴史的・社会的な制約のもとで生まれており・そだてられている具体的な存在として、子どもたちをとらえたのではなかったのである」というとき、矢川氏のいう「子どもから」の意味は特別の意味をもってくるように思います。
 たしかに、子どもたちは、さまざまな歴史的社会的制約のなかにおかれています。しかし、それらの制約条件をどんなに分析しても、現実の子どもたち自身が観察されるわけではありません。子どもたちがもっている基本的な諸能力が現実にどのようなものとして実在しているのか、そのことの現実的な観察から出発して、そこにどのような教育学上の課題があるかを発見し、かれらの諸能力をしっかりとした理性的人間として自立できるように育てていくにはかれらの発達段階に応じてどのような教育課程、教育内容あるいは教育方法等が必要なのか、そのようなことをまず明らかにしていくことが「子どもから」ということの意味ではないでしょうか。さまざまな制約条件を捨象した後に残る子どもというものはどのような存在なのかについては矢川氏からはあまり明確には示されないのです。
 さて、『国民教育学』第一章「子どもから」の前半は「国家教育」、「国民教育」にあてられています。子どもたちが戦前、国家教育のもとでいかに制約されていたかが説明されています。
 矢川氏は「国家教育」を一八八九(明治二十二)年の教育勅語発布以降から説きおこし、とくにその翌年に改正された小学校令第一条で用いられている「国民教育」について「注意」をうながしています。この「国民教育」について矢川氏は「国家権力が国民を『臣民』とならせる教育」であったと述べ、そのような意味での「国民教育」が基本的には戦前を一貫して支配したと述べています。このような見解は正確でしょうか。
 第一に、矢川氏は教育勅語発布以後から説き起こしていますがそれ以前との関連にも言及するべきだったと思います。
 改正された小学校令以前の小学校令および教育令期の十年間は小学校の教育目的は「普通ノ教育」もしくは「普通教育」とされていました。普通教育という言葉自体は慶応年間にすでに用いられ、明治八年頃からは行政上の用語としても用いられるようになり、明治十年代はさかんに普通教育論が展開され、いわば普通教育の時代ともいうべき状況でした。国民教育という言葉はその間は用いられておりませんでした。しかし、明治十四年の政変以降、自由民権運動は全体として抑圧され、政府・文部省内からも自由民権派は追放されるに及んで、「普通教育」という用語は「国民教育」という用語へ転換されていきます。
 文部省の幹部であった大窪実は一八八五(明治十八)年十一月、「国民教育」と題して演説を行い、「各人自己ノ為メ」の「普通教育」から「国民タルニ適当ナラシムル為メ」の「国民教育」へ転換するべきであると述べています。
 「普通教育」から「国民教育」への改変をもとめるもうすこしドラマチックな事例として『教育報知』誌の変節ぶりを紹介しておきましょう。
 この教育雑誌は一八八七(明治二〇)年、「普通教育・国民教育・実業教育」という社説を三回にわたって連載し、「普通教育」を「(理性アル人間ノ)能力ヲ発達調和セシメ社会ノ一個人タルニ欠ク可ラサル要状ヲ具備セシメントノ目的ヲ以テスルモノ」と明確に定義した上で「如何ナル特別ノ事情アリトモ」「普通教育ハ教育ノ基本タリ根底タリ之ナケレバ他ノ教育ハ一モ成立ス可ラザルノ位地ニ立ツモノナリ」と主張していました。ところが翌年の社説では「国家教育・専門教育・普通教育・皆是レ其ノ特性ヲ標準トシテ名ヲ分チ業ヲ異ニセルモノナリ」とのべて普通教育を基底・根底とする見解からそれぞれの教育があるのだとして普通教育を相対化する見解に変えています。さらに二年後の社説では「故ニ国家教育ハ普通教育ニシテ・・・」と説明し普通教育を国家教育のなかにとりこんだ見解を示しています。わずか数年の間に普通教育と国家教育との関係を逆転させているのです。これは大日本帝国憲法および教育勅語の制定に敏感に対応したものといえましょう。
 第二に、「国民教育」という用語は基本的に教育権概念ではなく教育目的概念であったことです。明治十年代に小学校の教育目的が基本的に普通教育であったからといって教育権が国民にあったわけではありません。国家の教育権のもとで普通教育が教育目的とされていたのです。明治二十三年の小学校令改正に際してそれまで用いられていた「普通教育」という用語が削除され、それに代わって「国民教育」という言葉がはじめて法令用語として用いられることになったのですが、そのことによって国家による教育になったというのではなく、教育目的が「普通教育」から「国民教育」に変わったということを意味するのです。ですから改正された小学校令において教育目的を規定した第一条に「国民教育」という用語が導入されたのです。小学校令改正時の文部省普通学務局長であった江木千之は明治二十四年の演説において「国民教育」とは「一国ヲ組織スル分子ヲ、其国ノ特性ニ適当サセル」ための教育であると説明し、そのような「国民教育」を「全国ニ普及」するものが「普通教育」であると述べています。このような「国民教育」観はその後およそ半世紀にわたって日本の歴史を支配したのです。
 矢川氏は「『国民教育』とは、国民のための国民をつくる教育ではなく、天皇制権力に忠誠な『帝国臣民』をつくる教育であった。支配権力は、そういう真相をかくし、そういう真実を国民にみぬかれないために、『国民教育』という概念をひろめたのであった」と述べていますが、明治二十年前後の経過に見るように教育目的をめぐる基本的な対抗軸は「国民」をつくるのか「臣民」をつくるのかではなく、「人間」をつくるのか「国民」をつくるのかにあったのです。戦後の日本国憲法・教育基本法が明確に「人間の育成」に転換したのもそのような対抗軸を自覚していたからと言えます。なお、矢川氏がいうように真の「国民教育」を「国民のための国民をつくる教育」と理解するならば、臣民教育か国民教育かという問題は生じても、普通教育か国民教育かという問題は生じないことになります。
(三)矢川氏は「戦後日本の国家教育」という表現で日本国憲法や教育基本法のもとでも「国家教育」が進められていることを指摘し、これを「国民教育」に転換していかなければならないと強調し、「本書で主張する国民教育とは、しんに民主主義的な教育のことである」と述べています。ところで、「民主主義な教育」という場合の「教育」とはどのような教育なのでしょうか。私はまえに矢川氏の教育学の対象についての認識は「学校教育」という平板な認識にとどまっていると述べましたが、ここでも教育そのものについての矢川氏の積極的な提言がみられないのです。
 矢川氏は「日本国憲法や教育基本法の精神」を生かすことの重要性については指摘していますが、それ以上の具体的な言及はありません。日本国憲法においては、教育権を有する国民が同時に子どもたちに普通教育を受けさせる義務主体でもあること、教育基本法では「人間の育成」(前文)のうえに「国民の育成」(第一条)を位置づけていること、また個性的な文化は普遍的な文化を前提として開花するものであること、さらに学校教育法では小学校・中学校・高等学校の教育目的を普通教育とした上でさらにそれぞれについての目標を明示していること、さらに教育基本法は普通教育を行う学校や教員の性格、政治教育や宗教教育との関係、教育行政の性格等についても規定し、また学校教育法は普通教育をおこなう学校の設置基準や授業料、校長・教員の配置および資格、教科等について規定しています。これらも普通教育の理念・目的をより明確にしながら理論化し教育学論として構築していくことが求められていたのです。
 同時に、これら普通教育に関する基本的枠組みについて主権者である国民の総意をどのようにまとめていくのかはまさに普通教育をめぐる民主主義の問題です。普通教育のあり方を具体化していく過程で民主主義が徹底されるかどうかは国民の普通教育についての成熟度に規定され、また時代の進展とともにその課題や内容等も変化していくことになります。これこそが民主主義的な普通教育だという特定の価値とむすびついた普通教育があるわけではありません。
(四)矢川氏は第二章で「教育学」について論じています。矢川氏は多くのことを語っていますが、普通教育の理論化にとって重要と思われる次のことに着目しておきたいと思います。
 矢川氏はさまざまな矛盾に満ちた教育的諸関係のなかで子どもの人格が形成されているという事実から出発して「人間性を十全に生かし・人間の全面的発達を可能にするような教育を実現したり、その教育を基礎づけ」る教育学を構築しなければならないと主張しています。と同時に「人間が知・情・意の面にわたってもっている欲望を、国民大衆の幸福と自分自身の幸福とをしんに統一できる方向へのばすこと、そのようなありかたで人間性をゆたかにすること」、「子どもがなにを見、なにを感じ、なにを考え、なにを喜び、なにをかなしみ、なにをさけ、なにをもとめているか」を「合理的・科学的に追跡する」ことの重要性も指摘しています。その場合、「科学的・合理的に追跡する」とはどういうことなのでしょうか。私は矢川氏の提起は非常に重要であると思いますが、残念ながらそれ以上の論述は見られないのです。
 「子どもがなにを見、なにを感じ、なにを考え、なにを喜び、なにをかなしみ、なにをさけ、なにをもとめているか」、つまり、子どもの世界をいくつかの能力に区別しながら、それらが現実にはどのような世界になっているのかを、個々の子どもの生まれもった個性や現実生活中で形成された個性に考慮しつつ子どもの発達段階に即して分析すること、また現実的な分析と諸事実間に内在するより本質的な関係を区別しながら、そこに教育的な課題を発見し、必要な教育内容、教育方法等を明らかにすること、このような「追跡」こそが求められていたのではないでしょうか。
 子どもの世界はそれ自体さまざまに変化し、ある意味で無限の広がりをもった世界でもあります。この世界は教育学によって観察可能な世界であるといえますが、その個体性・複雑性・流動性あるいは長期性などのためその観察は他の諸科学にもけっしてひけをとらないほど困難であるといえます。ここでルソーの一節を思い起こします。「はたらきかけるべき主体については、わたしは十分に観察したつもりだ。とにかく、まずなによりもあなたがたの生徒をもっとよく観察することだ。あなたがたが生徒を知らないということは、まったく確実なのだから」(『エミール』岩波文庫上巻、十八ページ)。
 そしてこの世界は人間としてもっているいくつかの基本的な能力の具体的な内実に分類可能な世界といえます。そこに教科を設定し、あるいは領域を設定する客観的な根拠があるのではないでしょうか。
(五)矢川氏は第三章「認識について」の冒頭で「子どもは教育されることのできる存在である」が「どのようにして、または、どういう仕くみにもとづいて、子どもは教育されることができるのであるかを、合理的・科学的に説明することができなかった」とのべて「教育可能性」について論じています。ところが「子どもは教育されるべき」という場合の「教育」という意味は子どもの外にあって現実社会が必要とする教育課題・教育目的から導かれた「教育」のことを意味しているように思われます。矢川氏がせっかく前章において教育学の出発点を確認しながらなぜそのあとで「教育可能性」を論じなければならないのでしょうか。
 矢川氏のこれまでの論旨からするならば教育学の出発点につづいて論じるべき課題は、子どもたちの「知・情・意」あるいは知的能力・情動的能力・精神的能力の具体的内実はどのようなものか、そこにどのような教育学的課題があるか、それらの課題を解決するには子どもたちの現在の能力をどのような内容と方向で育てていかなければならないのか、ということになるのではないでしょうか。
 ところが、矢川氏は教育可能性論をその間に介在させることによって、教科論・領域論をもっぱら「子どもは教育されることができる」という見地から位置づけてしまっているのです。
矢川氏はつづく第四章・第五章で教科論・領域論を展開していますが、矢川氏にとって教科・領域で論じられる教育内容・指導内容はもっぱら「教育されるべきもの」という観点から捉えられているのです。ここにも「人間の育成」を大前提とする「普通教育」論とは相容れない「国民教育」論の論理を見ることができます。
(六)矢川氏は第四章「教科について」で最初に「教育学者は・・・国民全体に教育目的をはっきりしめす義務がある」とのべ、「国民教育学の教育目的」は「わが国の国民のまえにおかれている歴史的課題の解決に積極的に参加することのできる人間を準備すること」であると述べています。「課題」の「解決」に「参加」できる「人間」を「準備」する、とはどういうことなのでしょうか。このような教育目的観と普通教育の教育目的観とは両立するのでしょうか。
 日本国憲法は「人類普遍の原理」のうえに「主権は国民に存する」ことを宣言しています。教育基本法は「人間の育成」を前提とした「国民の育成」を、また、普遍的な文化のうえに個性豊かな文化の創造、という教育理念・教育目的を掲げています。これらを受けて学校教育法は普通教育の目標を具体的に提示しているのです。私は学校教育法のこれらの教育目標は憲法や教育基本法の理念や目的に即して、また時代の進展のなかで具体的に実現されるべきものであるとと考えています。教育学者の責務はまさにそこにあるのであって、それとは別にあらためて教育目的観を提起しなければならないというものではないはずです。
 ところで、矢川氏は「教育目的」の問題を「人間像」の問題としても論じています。「国民教育学は国民教育の人間像の筋骨として、ダマサレナイ(知性)、テヲツナグ(団結)、ヘイワヲマモル(平和)という三つをたてる」と述べています。
 矢川氏が『国民教育学』を書いて間もなく政府は「人づくり」政策を提起しはじめました(一九六二年)。また、中央教育審議会は一九六五年に「期待される人間像」(中間草案)を発表しました。この「期待される人間像」の原型はすでに一九五三年に天野貞祐元文相が執筆した『国民実践要領』に示されています。矢川氏もこのような動きを知らなかったわけではありませんから、そのような状況に対抗する「人間像」をおしだす必要があると考えたのでしょうか。しかし、
このような特定の「人間像」の実現を目的とする教育論と普通教育の理念とは異なるものです。
 矢川氏は「わが国の国民のまえにおかれている歴史的課題の解決に積極的に参加することができる人間」と述べていますが、なにをもって歴史的課題とするのか、どのような方向が解決といえるのか、積極的に参加するというのはどのようなことか、などは主権者である国民が自主的に判断すべきことであって、自分以外のいかなる権力・権威によっても強制されるものではないのです。もちろん、国民全体が立ち向かわなければならない国民的課題というものが現実的に提起されることはありえることです。しかし、普通教育がほんとうに充実して機能しているならば、なにが国民的課題であるのかについて判断できる能力はすでに個々人において形成されているのであって、そのための特別な教育が必要になるというものではありません。
 さて、矢川氏は教科構成について種々検討しながら、結局は、読・書・算の教育の重要性とその進歩的意義を再確認するとともに、さらに「一般的通則として、国語・文学・数学・歴史・憲法・地理・天文・物理・化学・生物・労働・製図・図画・音楽・体育・外国語などとなる」と述べています。いずれにしても学校教育法が掲げた普通教育の目標から導かれる教科編成とも異質な構成になっています。学校教育法が掲げた普通教育の目標にたいする批判的な検討に基づく議論が必要だったのではないでしょうか。
(六)『国民教育学』の最後の章は「領域について」となっています。「領域」とは何なのでしょうか。矢川氏はそのことについてはなにも説明していません。一九四七年に発行された「学習指導要領一般編(試案)」の場合は教科課程は文字通り教科課程であって、教科以外の領域はありませんでした。一九五一年の改訂によって小学校では「教科」と「教科以外の活動」、中学校および高等学校では「教科」と「特別活動」の二領域構成となり全体を包括して教育課程という用語が用いられるようになりました。さらに矢川氏が『国民教育学』を刊行した直後の一九五八年の学習指導要領改訂では「各教科」「道徳」「特別教育活動」「学校行事等」の四領域構成になっています。矢川氏の「領域」論もこのような状況を反映していると思いますが、矢川氏の場合は「学習指導要領」とは独自な領域論を展開しています。
 矢川氏は「領域」として身体教育、芸術教育、知性教育、技術教育、道徳教育、集団主義教育という六つをあげています。他方、矢川氏は「学校教育は教科の総体のみによってできているのではない。それは教科の組織のほかに、課外活動の組織と校外活動の組織をもっている」、あるいは「子どもという一個の人格の総体的な実践力は、学校の全教育力をとおしてやしなわれねばならない」とも述べています。さらには教科指導と生活指導についても述べています。六つの領域と三つの組織とはどのような関係にあるのか、また教科指導と生活指導とは「領域」とどのように関連しているのか、これらについて立ち入った説明は『国民教育学』ではなされていません。
 例えば、「知性教育」の領域について見てみましょう。ここでは知性、科学的精神の重要性を指摘した上で「知育は子どもに論理的思考を発達させることを基本的な目標としている。その論理的な思考は理科や数学だけでやしなわれるものではなく、国語のテニヲハの用いかた、歴史の事実の時間的継起の理解、三角定規の使いかた、清潔と健康との関連など、教科指導の全般において、論理的思考の育成が配慮されねばならない」と述べています。とするならば「知性教育」の大部分は「教科」に対応しています。道徳教育と集団主義教育をのぞく他の四領域にも教科的な部分が含まれています。つまり矢川氏の「領域」にはそれぞれ教科的な部分と教科外的部分が含まれていて、学習指導要領のように教科領域と教科以外の領域という区分ではないように思います。
 前にのべたことでもありますが、戦前の教育法令はもっぱら教科課程主義でした。国民学校令施行規則にも「儀式、学校行事等ヲ重ンジ之ヲ教科ト併セ一体トシテ教育ノ実ヲ挙グルニ力ムベシ」とありますが、儀式・学校行事等はあくまでも教科課程主義を前提として位置づけられているのです。
 とはいえ、教科以外の領域を設定する必要があるのかどうかについては学問的には必ずしも明確ではありません。普通教育を行う教育機関である学校も子どもにとっては一つの社会ですから、そこには教育活動以外のさまざまな社会的活動があって当然です。そこでは子どもたちの間の社会的関係をはじめ、子どもたちと教師や職員や地域の人々や父母やさまざまな社会関係が営まれている社会です。これら子どもたちに特有な社会が民主的に組織されているかそうでないかは子どもたちの人格形成にまぎれもなく影響します。このような社会の中では子どもたちはさまざまな社会性をはぐくんでいきます。そこでの関係が豊かであればあるほど教育活動もいっそう充実したものになるのです。これらの社会的諸関係を「教育的関係」あるいは「領域」という枠組みとして受けとめるべきなのかどうか、このことについては普通教育の見地からさらに検討していく必要があるように思います。

 第三節 勝田守一氏の「国民教育」論

 一九五四年から五九年にかけて勝田守一氏は精力的に「国民教育」論を展開しています。「国民教育」一九五四年(平凡社『政治学事典』一九五四年、所収)、「国民教育の課題」一九五五年、「国民教育の十年」一九五五年、「国民教育について」一九五五年、「国民教育」(有斐閣『社会学事典』一九五八年)、「人権と国民教育」一九五九年、などです。
 この時期に集中的に国民教育論を論じた勝田氏の教育学というものはどういうものであったのか、これらの「国民教育」論は普通教育論とどのような関係にあるのか、という視点から、これらの論文を貫いている主要な論点について以下に述べてみたいと思います。
(一)全体として、勝田氏は「国民教育」概念をかなりアバウトに用いています。
 第一に、勝田氏はしばしば憲法第二十六条第一項の教育を「国民教育」と言い換えて表現しています。しかし、第一項でなぜ「国民教育」という言葉を用いなかったのか、その「国民教育」概念と同じ第二十六条第二項で用いられている「普通教育」とはどのような関係にあるのかなどのついての解明はありません。日本の教育史を振り返ってみたとき、「国民教育」という概念は、一様ではないにしてもきわめて政治的な性格を帯びて用いられてきましたし、「普通教育」概念と緊張関係をもった用語としても用いられてきていることから、このような歴史的現実とむすびついた「国民教育」概念と「普通教育」概念との歴史的総括をしっかりと踏まえておくことが求められていたと思います。。
 第二に、勝田氏はブルジョワジーとしての市民を育成する「市民教育」に対して「国民大衆を対象とする」教育を「国民教育」という言葉でとらえています。資本主義社会の中では〈市民を対象とする市民教育〉と〈国民大衆を対象とする国民教育〉とは国によっても時代によっても制度上きわめて複雑な関係がみられます。また、いわゆる複線型学校制度が生まれてくる所以でもあります。しかし、教育の対象が国民全体であるという場合、その場合の「教育」とは何か、が問われることになります。また、教育の対象が国民全体であるからといってその教育を「国民教育」という言葉で表現しなければならないというものではありません。少なくとも戦後の教育法制上「国民教育」という言葉はまったく用いられていないのです。
 第三に、勝田氏は「国民教育」を「国あるいは地方政府が教育について責任をもち、財政的支持をおこなうという意味、すなわち公教育とほとんど同じ意味」とも説明しています。責任主体・財政支持主体が国や地方政府であるような教育のあり方を「国民教育」とした場合でも、教育権が基本的に国家にあるのか国民にあるのかによって「国民教育」の性格は根本的に変わります。この場合の「国民教育」概念はそのような基本的な対立関係を内包する概念ともいえますが、逆に言えば教育権の所在を曖昧にした「国民教育」概念をことさら用いる意味があるのでしょうか。戦後教育法制は教育権が国民にあることを前提としてすべての子どもに普通教育を受けさせることを国民の義務としているのですから、財政支持主体の所在がどうであろうと「普通教育」で一貫させるべきではないでしょうか。
 なお、ここでの「国民教育」は「公教育」とほぼ同義とされています。「公教育」の目的や内容は国や自治体において「一応共通している」とされていますが、それは「国の法律によって一定の基準が与えられ」、「国民大衆のすべてが、その性別や貧富や身分などに拘わりなく、教育の対象として含まれている制度」であるからと説明されています。
 ここには、勝田氏の独特な「国民教育=公教育」観がしめされています。すなわち、「国民大衆のすべてが一応共通の目的と内容をもった教育の対象とされるような教育制度」への無条件の信頼があるのです。
 教育権が国民にあるということは本来、さまざまな意思をもった主権者としての国民がそれぞれ教育に対しての見解を出し合い、そこに共通な理解を確認しながら、それらの教育意思を国のレベルでも実現する権利を有していることを含意しているのです。しかし、勝田氏の場合は、そのプロセスが「法律によって」という言葉で単純化され、しかも国民は教育の対象として位置づけられているに過ぎないのです。
 このような「国民教育」観のなかに「普通教育」も包含されているとするならば、勝田氏の「普通教育」観は少なくとも①国の法律によって一定の基準が与えられていること、②一応共通の目的と内容をもった教育であること、③性別や貧富や身分などに拘わりがないこと、などが演繹的に導かれることになります。しかし、それらの要因はすでに憲法・教育基本法および学校教育法に規定されているのであって、勝田氏の「国民教育=公教育」論から演繹的に導かれるものではないのです。
 勝田氏は、戦後における教育の民主化がアメリカによる占領のもとでもたらされたことを批判的にうけとめつつ、その後の教育者や教師、教職員組合などの努力によって教育の民主化が図られたこと、さらに教育にとって「自由や個人の価値」の重要性が理解されていったことなどを強調しています。
 勝田氏が「自由主義の原則」をことさら強調するのは、教育基本法を改廃しようとする政治状況のなかで、教育における自由を確保することによって国家権力の介入に枠をはめる必要があるという問題意識があるからです。ここから教育における中立性の問題が導き出されることになります。
 しかし、教育における自由は国民の側からだけの原則ではありません。国家や資本にとっても重要な原則であるはずです。ですから自由主義の原則だけで、国家権力の中立性を期待することは原理的に無理であって、教育に対する民主的統制の強化が重要な原則となってきます。
 このことは当然、「普通教育」についても言えることであって、戦後の教育法制上の理念としては、国民はすべての子どもに普通教育を受けさせる義務を負っているのであって、その義務を教育基本法がめざす方向や学校教育法に示されている普通教育の目標に沿って十全に実現することが、すべての国民に期待されているのです。そして国や地方自治体はそのような国民の義務を実現するための条件整備を、国民にたいして直接責任を負って行うことが法定されているのです。
 もちろん、普通教育における制度面での民主的統制の問題と教育実践面での自由の問題とは区別して論じるべき問題です。勝田氏は「教育の目的は、なによりも子どもたちのもっている可能性を外からの押しつけや注入によってゆがめることなく、最大限に自由に伸ばしてやる」というとき、子どもにとっての自由と教師にとっての自由の問題があると思います。また、同時にそれらがなんのための自由なのかについてもいっそう立ち入った解明が必要だと思います。勝田氏は教師の「学的良心や確信」に従うことを求めていますが、それではあまりにも自由主義的と言わざるを得ないでしょう。子どもの成長発達の過程に内在する法則性を解明し真に人間としての育成を可能にするために、また子どもが持っている普通教育を受ける権利を実現するためにこそ、教育は自由でなければならないのです。
 第四に、勝田氏は「近代国家の成員である国民を意識的に形成する教育」を「国民教育」としています。たしかに「国民教育」という概念は一般的にはこのような意味において用いられています。この場合、国民を形成する権利主体は明確ではありませんが、国家にあることが一般的には含意されているように思います。しかし、そのような意味での「国民教育」概念は欧米ではともかく、わが国の戦前にあっても一般的ではありませんでした。前の節でも紹介しましたように一八九〇(明治二十三)年に改正された小学校令に用いられた「国民教育」という概念は単に政治社会の構成員たる国民を教育するという意味ではなく、江木千之によれば「一国ヲ組織スル分子ヲ、其国ノ特性ニ適当サセル」ための教育であると説明されているのです。それはまたそれ以前の教育法令に用いられていた「普通教育」概念の否定とむすびついた概念であったのです。
 最後に、勝田氏は「国民教育」を「社会教育または普通教育」であるとも述べています。「社会教育」をどのように規定しているかはわかりませんが、教育基本法上では「国又は地方公共団体によって奨励」されるべきものとされ、国又は地方公共団体の任務については社会教育法で規定されています。いっぽう、「普通教育」は憲法第二十六条第二項、教育基本法第四条および学校教育法において規定され、国又は地方公共団体は「奨励」ではなく「条件整備」を義務づけられているものです。これらを国民一般にかかわるからという理由で「国民教育」と称するのは、国民医療とか国民スポーツというようなものと普通教育を同列におくことになるのではないでしょうか。
(三)勝田氏の「国民教育」概念はおおよそ以上のような特質をもっていますが、勝田氏は子どもを対象とする教育の在り方についても熱心に論じています。その教育を勝田氏は普通教育ということばでうけとめていませんが、普通教育概念の内実を構築していく上でも事実上重要な解明をおこなっています。と同時にそこには問題点がないわけではありません。勝田氏が「国民教育」について論じたもののなかで子どもの教育について言及した部分について若干触れておきたいと思います。
 勝田氏は「教育は子どもの幸福のために行われるべきものであり、すべての子どもは自由に自己の幸福のために学習を行うべきである」と述べています。教育というものが「子どもの幸福」のために行われるべきものであるかどうかについてはここではあえて問いませんが、「学習」は子どもたち自身にとって「自己の幸福のために」行われるべきものなのでしょうか。
 「学習」といっても教育の必要上子どもたちが行うものもあれば、子ども自身の必要から行われるものもあります。子どもたちは自分たちの幸福とは何かを自覚してそのために自主的に学習を行っているのでしょうか。教育の必要上行われる学習が子どもにとってどのような意味をもつのかは子どもたちにとって必ずしも理解できるものとはかぎらないでしょう。また、後者の学習についてもそれがどんなに自由かつ自主的に行われたとしても、自分たちの幸福とは何かを自覚してそのために学習しているわけでもないでしょう。学習が子どもにとって不幸を招く場合もあるでしょう。また、学習がいつも自由に行われているわけではありません。ほめられたり叱られたり、苦痛や空腹から逃れるために、他人に強制されたり偶然の出来事によっても、自覚的にあるいは無自覚的に、子どもたちの学習はたえまなく行われています。試行錯誤にみちた学習を通して子どもたちは何が自由であり、何が幸福であるのかを自覚していくものです。
 いずれにしても子どもたちが人権としての学習権を大人とともに共有していることは言うまでもないことであって、そのことと教育上必要な学習が子どもにとって無条件に自由であるかどうかは別な問題ではないでしょうか。ルソーは教育は何よりも自由でなければならない言っていますが、それは、子どもにとってどのような教育が必要であるかは子どもについての自由な観察を通して初めて発見できるのであって、それ以外のいかなる要因によっても教育がゆがめられてはならないということを強調したのです。そして、そこで得られた教育の課題から導かれた学習課題に子どもはひたすら「服従」することをルソーは求めたのです。
 勝田氏はまた、「親たちは、子どもの教育に関して責任をもつと同時に、子どもの人権を無視しない限り、自己の信条にしたがって、教育への要求を出す自由をもっている」と述べています。
 子どもという場合、英語では child  と son  and  daugter  の使い分けがあります。前者の対概念は  man であり、後者の対概念は parents  です。日本語でもことばの上ではそのような区別がなされていますが、教育論を論じる際にはあまり考慮されていない状況があるように思います。勝田氏が親の子どもに対する教育責任を論じるときの教育とはどのような教育をさしているのでしょうか。家庭における養育という意味で用いているのでしょうか、それとも普通教育とかより広い意味での教育をさしているのでしょうか。私は親というのは息子や娘に対しては親であるが、子どもたちに対しては国民であると考えています。その意味で親は養育責任と同時に普通教育あるいは教育に対する責任をそれぞれもっていると思います。そしてそれぞれ区別して論じるべきだと思います。
 養育については親は親権者としての責任があります。普通教育に対しては、親は国民としての立場から、すべての子どもたち(いうまでもなく息子や娘をふくむ)に普通教育を受けさせる義務を負っており、そのような意味において重大なる責任をもっていると言えます。広義の教育に対しても親は国民の立場からみずから教育を受ける権利主体として、また、主権者の立場からは教育のあり方に対してみずからの意思を表明する権利と責任をもっています。以上のことを「教育への要求を出す自由」ということばで表現することは適切とは言えません。