第十章 「個性重視の原則」
    ー臨時教育審議会答申と普通教育ー
  
 一九七一年の中教審答申が出されてから十三年たった一九八四(昭和五九)年、中曾根内閣は臨時教育審議会(以下、臨教審と略します)を発足させました。臨教審は三年間にわたる審議結果を一九八七(昭和六二)年に「最終答申」として発表しました。この「最終答申」は一九七一年の中教審答申が不明確ながらもすでに提起していた「個性重視」の考え方や「生涯教育」の提唱を「個性重視の原則」とか「生涯学習体系への移行」という表現で明確に定式化するとともに、二一世紀を展望した「教育改革の必要性」やわが国における「教育の歴史と現状」にも言及しています。しかし、それらは全体として本書第八章で指摘した一九七一年の中央教育審議会答申がめざす方向と日本国憲法・教育基本法体制との矛盾をさらに現実的に全面的に深刻化させるものとなっています。一九五一年の政令改正諮問委員会の答申「教育制度の改革に関する答申」を普通教育偏重政策の第一段とするならば、一九七一年の中教審答申は第二段、そして臨教審答申が第三段と位置づけることができるように思います。
 普通教育の窒息はすなわち子どもたちの人間としての成長発達の窒息に他なりません。一九七一年の中教審答申以来、子どもたちの自殺を含む精神的・身体的諸能力の低下が急速かつ全面的に進行し、子どもたちによるさまざまな暴力等の犯罪や学校からの消極的・積極的逃避がひろがっていきました。「最終答申」はこのような現実にどのように応えようとしたのでしょうか。
 「最終答申」は「第一章 教育改革の必要性」、「第二章 教育改革の視点」、「第三章 改革のための具体的方策」、「第四章 文教行政、入学時期に関する提言」および「第五章 教育改革の推進」から構成されています。
 「最終答申」は広範囲な教育問題をとりあげていますが、本章では本書のテーマである普通教育問題に焦点をあて、現代社会における普通教育の課題を明確にするという見地から「最終答申」を検討してみたいと思います。
 第一節では中央教育審議会答申以後の教育状況について概観し、第二章では「最終答申」の第一章、第三節では「最終答申」の第二章、第四節では「最終答申」の「第三章 改革のための具体的方策」のなかのとくに「第三節 初等中等教育の充実と改革」を検討することにします。「最終答申」のその他の章、あるいは第一次〜第三次答申さらには四回にわたる「審議経過の概要」については必要に応じて言及することにします。

  第一節 中央教育審議会答申以後の教育状況

 一九七一年の中教審答申前後から臨時教育審議会答申までの十数年、わが国は政治的にも経済的にも社会の全面において重要な展開がありました。結論から先に言えば、緊迫した内外情勢を政府・文部省は国家・大企業主導のこれまでの政策をさらに大規模に強化する方向を強めていきました。その方向が政府自らにとってもきわめて危険な選択であったことは臨時教育審議会答申のあとまもなくバブル崩壊がはじまり未曾有の長期的な不況を招き、十数年後の今日、自民党政権自体が歴史的な危機に直面するという事態に当面していることによって証明されています。
 「社会主義」体制の危機を背景とした米ソ・米中接近という国際関係の中で日米体制の再確立が企図されました。日米安全保障条約の自動延長の強行、日米ガイドラインの設定、不沈空母発言、有事立法化の動きが顕在化しました。国内では、憲法改正・小選挙区制制定の動き、国会でのいわゆる保革伯仲と革新自治体の拡大とその後退、第一次・第二次石油ショック、一連の公害裁判での被害者側の勝訴と企業側責任の明確化、「日本列島改造」論、「戦後政治の総決算」発言・・・これらは全体として政治的経済的社会的緊張をもたらしました。
 他方、国民生活の分野においても、国際競争力の激化、高度経済成長政策・自由化政策また第一次産業の衰退と第三次産業の拡大、就業構造の変化等のもとで、長時間労働、過労死、単身赴任、共働きなどがひろがり、家族形態の変化、核家族化、カギっ子・・・などが大きな社会問題となり、生活不安が広がりました。そのなかで、国民の学習・教育要求は生活防衛という要素ともむすびついていっそうたかまっていきました。
 このような状況のもとで、子どもたちの生活にも大きな変化があらわれ、そのうえに一九五八年以来法的拘束性が強化された学習指導要領のさらなる改訂(一九七七年)とがむすびついて、子どもたちの学習・教育環境も大きく変化しました。
 一九七一年前後から政府関係機関や民間団体が相次いで子どもの生活・学習状況についての調査結果を公表しています
 一九七一年、全国教育研究所連盟が〈半数の子どもが授業についてゆけない〉という調査結果を発表しました。 
 一九七三年、小学校の生徒三人が校舎三階から飛び降り自殺するなど自殺の低年齢化が社会問題となりました。
 一九七五年、総理府は青少年の性行動の早期化についての調査を行い公表しました。
 一九七六年、日教組・国民教育研究所は五万人の小中学生を対象として学力実態調査をおこない、国語・算数とも学力が停滞していること、格差が拡大していること、落ちこぼれともいえる現象が広がっていることを解明しました。
 一九七七年、文部省は学習塾について調査し、小学校六年生で二六.六%、中学生で三八%の子どもたちが塾に通っていると発表しました。また、体力運動能力調査では筋力が低下していることを明らかにしました。警察庁は少年の自殺についての調査結果を発表し、その動機の四分の一が学業に関係していること、その点では国際的に最高であることを指摘しました。
 一九七八年、中学三年男子二人が友人四人を殺傷し一人を死亡させる事件が発生しました。労働省は中・高生のアルバイトの実態について調査し、中学で四%、高校で十五%の生徒がアルバイトに従事していると報告しました。
 一九七九年、警察庁は少年の非行と自殺の概況をまとめ、自殺の動機が学校に問題があると指摘しました。青少年白書は子どもの生活と意識について取り上げ、核家族世帯の子どもの実態、活字離れなどの状況を報告しました。
 一九八〇年、総理府は読書・公共図書館に関する世論調査を公表し、この一年間に本を読んだことのないものが四〇%もいると報告しました。総理府は国際比較で日本の子どもは学校の勉強時間がもっとも長く睡眠時間がもっとも短いことを指摘しました。日教組・国民教育研究所は子どもの生活環境調査をおこない、生活リズムの乱れなどを指摘しました。また、日教組は子どものなかに成人病、生活習慣病がひろがっていること、骨折についてはこの十年間で倍増していることと発表しました。総理府が委託した青少年対策本部は全国で発生した家庭内暴力一、〇五一件についての事例分析結果を公表しました。総理府は調査結果に基づいて家庭内暴力の原因が親の過剰期待、父母の無力と溺愛などにあるという見解を示しました。この年、中学校の校内暴力事件で警官五一人が出動し十二人が補導されるという事件が発生しました。また、予備校生が金属バットで両親を殺害する事件が発生しました。
 一九八一年、青少年問題審議会は家庭内暴力・校内暴力の解決についての青少年問題に関する提言をまとめ首相に提出しています。また、総理府青少年対策本部は現代の青少年について現状満足型、個人生活重視型の傾向があることを指摘しました。
 一九八二年、校内暴力の続いた県立高校の校長が服毒自殺しました。警察庁は全国中・高校の約一割で警察官つき卒業式が行われたと発表しました。日教組は親の子育てのよしあしが骨折の増加と大きく関係していると発表しました。
 一九八三年、横浜市で中学生五人を含む十四〜十六歳の少年らが浮浪者を襲撃するという事件が八件発生し、三人が死亡し十三人がけがを負いました。東京の市立中学校で襲いかかってきた男子生徒を教師が死傷させるという事件が発生しました。文部省は校内暴力発生率は公立中学で十三.五%、同高校で一〇.五%、被害教師一、八八〇人、出席停止の措置をとった者延べ二八七人、登校停止の措置をとった者延べ五四七人と発表しました。日経連は「近年の校内暴力問題について」を発表しました。
 一九八四年、文部省は一九八二年度における公私立高校の中途退学者は公立で全公立高生の二%にあたる六五、三一四人、私立で全私立高生の三.二%にあたる四〇、七二四人と発表し、その理由として「学業不振」「学校生活・学業不適応」などをあげています。
 国民教育研究所は学校規模が大きくなるにともない子どもの問題行動や教育環境の低下など多くの教育問題が発生することを指摘しました。文部省は「児童の日常生活」に関する調査結果を発表しました。高校一年男子生徒がいじめの仕返しということで二人の同級生に惨殺される事件が発生しました。
 一九八五年、中学校の教師が三年男子生徒に暴行され死亡するという事件がおきました。 法務省は「いじめ」問題の解決に積極的に取り組むよう各法務局・地方法務局長に通達をだしました。文部省は一九八三年度の高校中退者が十一万人を突破したと発表しました。
 一九八六年、東京の中学校生徒が「いじめ」を苦に盛岡で自殺するという事件がおきました。文部省は「いじめ」の実態について「いじめ」は小学校五年生から中学校二年生で多発していると発表しました。また、文部省は一九八五年度の児童・生徒の問題行動の実態調査結果を発表し、校内暴力は沈静しつつある一方、登校拒否・いじめが増加していると指摘しました。

 以上、一九七一年の中央教育審議会答申から一九八七年の臨時教育審議会最終答申までの十六年の間に政府あるいは民間機関が発表した子どもの生活や教育に関する実態調査の結果および子どもにかかわる社会的事件について挙げてみました。臨時教育審議会答申から今日までさらに十数年が経過しましたが事態はけっして好転せず、ますます深刻化している状況ですが、このような状況はすべての子どもたちを人間として育て上げていくことを社会的責務とする普通教育を政治的・経済的利益に従属させ、事実上普通教育の息の根をとめる教育政策を推進してきた中央教育審議会・臨時教育審議会の諸答申および政府・文部省の教育行政のあり方と深くかかわっているのです。

 第二節 教育改革の必要性(一)

 一九七一年の中央教育審議会が打ち出した教育改革は現実には以上のような諸結果をもたらしました。臨時教育審議会が中教審答申とその後の状況を真摯に総括し「教育基本法の精神にのっとって」(第一次答申)現実の教育問題を具体的全面的に分析しそこから改革すべき課題を導き出すというのであれば今日のような事態はけっして招かなかったでしょう。残念ながら臨時教育審議会にはそのような認識はまったくといっていいほどありませんでした。欠落していたというのではなくそのような認識を意図的に排除していたと言うべきでしょう。臨時教育審議会は中央教育審議会が標榜した「第三の教育改革」路線をさらに明確に定式化し、「戦後政治の総決算」路線につきうごかされて出発したのです。
 さて、「最終答申」はまず教育改革の必要性について、「成熟化の進展」、「科学技術の進展」、「国際化の進展」をあげて「これらがもたらす可能性と問題点を見定めるとともに、日本文化・社会の特質と変動を十分に認識することが、今次教育改革の出発点でなければならない」と述べています。
(一)「成熟化の進展」では日本が先進国として成長から成熟の段階に入りつつあると認識した上で、生活面での成熟において量としての豊かさから質への豊かさへと向かっていると述べています。しかし、この場合の「成熟」は同時に「人間の精神的、身体的諸能力の退行、社会連帯や責任意識の低下、俗悪な文化の氾濫などを生じさせる危険を伴っている」と述べています。あらゆる成熟にも現実にはさまざまな矛盾が内在していることは一般的にいえることです。しかし、「成熟」が「人間の精神的、身体的諸能力の退行」を生じさせるとはどういうことでしょうか。オタマジャクシが成熟してカエルになるように成熟によって新たな質に転化することはありますがそれは成長であります。「人間の精神的、身体的諸能力の退行」をもたらすような「成熟」というものはありえるのでしょうか。もしあるのだとすれば成熟の過程自体に「人間の精神的、身体的諸能力の退行」をもたらすような基本的な矛盾が内在している場合ではないでしょうか。富を求めれば求めるほど貧者になるのは経済過程内部に基本的矛盾があるからなのです。もしそうであるならば、「成熟」を求めてきた過程そのものの理念や目的をも含む根本的な見直しが必要とならざるを得ないのです。つまり一九五一年以来の日本国憲法・教育基本法の形骸化とその上に展開してきた高度経済成長政策の根本的な見直しが必要と言うことになるのです。あるいは「追い付き型近代化」自体が反省されるべきなのではないでしょうか。そうでなければ「最終答申」が強調している「物の豊かさから心の豊かさへ」「量の豊かさから質の豊かさへ」もまた同じような新たな「人間の精神的、身体的諸能力の退行」を呼び起こすことにならざるを得ないでしょう。
(二)「最終答申」は「科学技術の進展」についても、科学技術のめざましい発達の反面、「人間のもつさまざまな資質の退行や人間相互の触れ合い、思いやりの心等の希薄化などが見られるようになった」と述べ、したがって「新しい科学技術の時代に生きる子どもの教育においては、科学技術と人間の心情や感性の調和を図る視点が重要である」と述べています。
 ここにも歪ん発想が見られます。「心情や感性」との調和という問題ではなく、核兵器問題や地球環境問題等が人類の生存とどのような関係にあるのかについての確かな判断力こそが一部の専門家や技術者はもちろんのこと、すべての国民に、またすべての子どもたちに求められているのではないでしょうか。子どもたちは、周囲にある科学や技術を、与えられたもの・肯定すべきものとして受動的に受け入れるのではなく、それらが人間生活にとってどのような意味があるのかについて、仲間同士で、教師や両親との間で、学校教育全般を通じて、十分に理解し認識する機会をもつことがなによりも重要です。
 例えばナイフについて、用途によってさまざまなナイフがあること、人びとが自分たちの生活を向上させ幸せにするためにナイフが考案されてきたこと、使い方を間違えればナイフは人びとを不幸にする場合もあること、ナイフの危険性を防止するために人びとはいろいろな工夫をしてきたこと、などは国語の時間でも、理科の時間でもその他の時間でも可能です。学年が進むことによってさまざまな道具や機械や核兵器をふくむ科学技術について、同じような教育が行われる必要があります。このような教育は臨時教育審議会の答申を待たなくてもいくらでもできるものです。というよりも臨時教育審議会はこのような教育をしてもらっては困ると考えているのです。すべての子どもにとっては科学的な精神・科学的な判断力は不要であって、むしろ高等教育の課題として「知的・文化的生産能力の高い個性的・創造的で感性豊かな人間が一層求めれている」という記述に見られるように、特定分野の高度な、そのために豊かな感性を発揮できる専門的技術者の養成こそが課題となるのです。多くの子どもたちはあいかわらず取り残されてしまいますが、どのような境遇におかれてもそれにすすんで耐えうる「心情と感性」を備えることが求められることになります。
(三)「最終答申」は「国際化の進展」は「文化摩擦」をもたらすことが寧ろ「常態」であるが、これを「これからの日本社会のためのエネルギーに変えていくような新しい積極的な生き方が求められている」と述べています。「人と人との交流」には「文化摩擦」がつきものなのでしょうか。抽象的にはそのように言うこともできるでしょう。しかし、だからこそ、わたしたちは「摩擦」を民主的に平和的に、すなわち相互理解にもとづいた話合いによって解決するという知恵を積み重ねてきたのです。その意味では日本国憲法は「前文」において「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国との対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」と明記しているのです。
 ところが、「最終答申」は「文化摩擦」をこれからのエネルギーに変えていく努力を通じて、「我が国の個性豊かな伝統・文化の特質と普遍性が改めて再発見、再認識されることとな」ると述べています。ここでの「個性豊かな伝統・文化の特質と普遍性」という表現は教育基本法前文に用いられている「個性」と「普遍」をアベコベにしたものです。これは臨時教育審議会が進める教育改革の基本原理である「個性重視の原則」を言い換えたものです。「個性豊かな伝統・文化の特質と普遍性」では「普遍性」は「伝統・文化の特質」としての「普遍性」ということになり、それはしばしば「不易」に置き換えられてもいます。「再発見、再認識」とは「不易」の「再発見、再認識」であり、それは日本の伝統文化はいつの時代でも天皇をいただいてきたところに特質があり、それが日本文化の普遍性なのだという議論と容易に結びついていくのです。このような価値の「再発見、再認識」によって「多様な文化と多元的な制度の共存と協調による平和と繁栄の国際社会の形成のために、我が国文化が寄与し得ることともなる」と言うのです。

 第三節 教育改革の必要性(二)

 「最終答申」は「教育の歴史と現状」について概観しています。「最終答申」は「近代学校教育の基本理念」について、戦前戦後を通じる連続面が「冨国」であり、非連続面が「軍国主義、極端な国家主義」であるとしていますがどうでしょうか。これはなにも教育にかぎったものではありません。政治や経済の戦前・戦後についても政府が好んで用いる特徴づけといえます。教育について大きく時代区分するとすれば、大日本帝国憲法・教育勅語体制の以前と以後、そして第二次世界大戦後、の三つの時期に、戦後はさらに臨時教育審議会答申の以前と以後に、区分されるでしょう。
 ところで、「教育」の歴史であれ「学校教育」の歴史であれ、それぞれの概念内容が不明確なままでそれらの歴史を論ずることに意味があるのでしょうか。かつて沢柳政太郎が主張したように教育学の基本的な研究対象が普通教育であるならば、また、日本国憲法が規定しているように、すべての子どもに普通教育を受けさせるのが国民すべての義務であるならば、普通教育の歴史というように概念内容をより限定してその歴史を論ずるべきではないでしょうか。
 ここでは、「教育の歴史と現状」で普通教育に対応した部分について検討をしておきたいと思います。
 「最終答申」では、戦後四〇年を振り返りながら、「この間、教育の機会均等の理念の下に、教育の著しい普及、量的拡大と教育水準の維持向上が図られた」こと、そのことが社会経済の発展の原動力となったこと、また国民生活の向上に寄与したこと、を評価しています。このような総括のなかに臨時教育審議会の姿勢が端的に示されています。教育の機会均等は教育基本法の第三条に規定されているものですが、戦後の教育そして普通教育は日本国憲法前文やとくに教育条項(第二十六条)そして教育基本法の前文をはじめとする全条によって、質的にも量的にも飛躍的に発展することがすくなくとも法制上は約束されていました。
 しかし、一九五〇年ころからその発展は質的にも量的にも主として国策上の理由から押え込まれていったのです。「最終答申」は教育の量的拡充の社会経済上の貢献を強調していますが、質的に押え込んできたことについての反省はなにもありません。「最終答申」は他方で戦後四〇年の「問題点や限界」について列挙していますが、それらはしたがって質的統制の結果としてではなく、量的拡大のひずみ程度にしか位置づけられていないのです。
 「問題点や限界」の第一は「戦後改革で強調された人格の完成や個性の尊重、自由の理念などが必ずしも十分に定着していない」こと、「個性豊かな我が国の伝統・文化についての認識や国家社会の形成者としての自覚に欠けて」いること、「しつけや道徳がおろそかにされ」たこと、「権利と責任の均衡が見失われた」ことなどをあげています。これら「問題点」のあげ方の恣意性についてはともかく、「人格の完成や個性の尊重、自由」などは「戦後改革で強調された」ということではなく、今日に至るまで教育関連の最高法規である教育基本法に明記されているわけですから、「十分に定着していない」のであればいまからでもおそくないのです、憲法・教育基本法の理念・目的に即して徹底することこそが求められているのではないでしょうか。
 「問題点や限界」の第二として「教育が画一性になり、極端に形式的な平等が主張される傾向が強く、各人の個性、能力、適性を発見し、それを開発し、伸ばしていくという面に欠けている」ことをあげています。ここでの画一性や形式性は一般には法的拘束性をもって迫ってきた学習指導要領等の教育政策によって生み出されてきたものとつい考えてしまいますが、「最終答申」の言い分はそんなところにあるのではありません。現実の経済社会はごく一部の大企業と大多数の中小・零細企業があってそれぞれに人材を求めているのにもかかわらず、高等学校への進学率が急速に向上してもあいかわらず普通教育だなどと現実社会無視の教育が行われているということについての政府・財界のイラダチを表明しているのです。教育は現実の資本主義社会に従属もしくは貢献しなければならないのであって、人間の育成などと言ってる暇はないのだ、企業社会にすぐにでも役立つ個性、能力適性こそが必要なのだ、それらを発見しあるいは開発できるように教育は根本的に改変していかなければならないというのです。
 「最終答申」は、受験競争、偏差値教育等の弊害も、また登校拒否、校内暴力などの教育荒廃等も、現実に対応しない「画一的、硬直的、閉鎖的な学校教育」にその原因があるのだと力説しているのです。社会も父母も学校に企業に対する即戦力を求めているのに学校側はそのような考え方はダメだという、そのような教育観のギャップから「教育荒廃」が生じるのだということなのです。
 現実にそのようなギャップは存在していますし、ますます拡大しているように思います。このようなギャップを普通教育はどのように考えどのように対処していけばいいのでしょうか。学校教育が「画一的、硬直的、閉鎖的」となっていることをみとめ、どんどん資本主義的企業社会に貢献できるように柔軟に開放的に規制緩和していけばいいのでしょうか。それは普通教育にとっては死に至る病の道へ踏み込むことになるでしょう。
 私の見解を簡単に言えばこうです。現在の普通教育を「画一的、硬直的、閉鎖的」たらしめている諸要因を解明し、普通教育の現状を根本的に変革していくことです。そのためには教育内容・教育方法あるいは教育課程等の抜本的な改革が必要です。国民の英知も必要です。そのような改革によって、子どもたちは成長するにしたがって現実社会についてもより身近かに理解し判断することができるようになり、社会がどのように変化しても、人間として、また主権者たる国民として、自立していくことができるようになるでしょう。

 第四節 教育改革の必要性(三)

 つぎに「最終答申」は「教育の基本的在り方」について論じています。臨時教育審議会第一次答申では「教育基本法の精神に則り」が「最終答申」では「教育基本法にあるように」とトーンをおとしているように思われますが、そこで言っている教育基本法とは教育基本法の第一条に限定されています。一般に戦後教育の理念を論ずる際に不用意に教育基本法第一条から立論する場合がありますが、それは正確ではありません。第一条は教育基本法の前文(とくに「人間の育成」)とセットになってはじめて戦後的な意味が発揮されるのです。そのことは教育基本法制定当時の文部省の説明によっても明白なのです。そこでは「ここに人間と特にいったのは、過去においては国民ということが人間より先にいわれたが、よき国民たるには、まずよき人間でなければならず、よき人間はそのままよき国民となるとの信念に基くものである」(教育法令研究会『教育基本法の解説』、教育基本法文献選集一、学陽書房、所収、一五七ページ)と述べています。この「人間の育成」という理念を隠すことが臨時教育審議会の姿勢をつらぬいているのです。
 「人格の完成」についてもこれは「教育的努力の究極の目標」と観念的に把握されていますが、人格自体を社会的諸関係の総体としてとらえることができるとするならば、人格の完成は社会的諸関係の総体が全体としてより人間にふさわしいものへ現実的に改善されていくことを前提とするものではないでしょうか。その意味では日本国憲法の基本理念・原則の実質化こそが人格の完成の前提条件であるということもできます。「最終答申」も「正しい国家意識の涵養」などをあげていますが、なにをもって「正しい」とするかは歴史的・法制的には議論の余地がないのではないでしょうか。
 「最終答申」は「人格の完成」には「個人の尊厳、個性の尊重、自由・自律、自己責任などが重視されなければならない」とし、そこからストレートに「このためには、子どもの自己努力と経験に基づく自発的な成長に期待しつつ、必要な基礎・基本をしっかりと教えることを教育の基本に据えていかなければならない」と提言しています。一見相反するようにみえる「自発的な成長」と「基礎・基本」はどのように関連しているのでしょうか。
 大人あるいは教育者が期待するしないにかかわらず、子どもたちは日々「自己努力と経験に基づく自発的な成長」を遂げています。その過程は複雑な社会的諸関係に規定されていますから、そこには必然的に教育課題が発生します。そこでその教育課題にとって必要な教育内容と教育方法等が設定されることになります。教育基本法がしめす教育理念・教育目的・教育方針、あるいは学校教育法が提示している教育目標というのはいずれもそのような教育課題の存在を前提として設定されているものです。教育内容や教育方法あるいは教育技術等はより具体的な教育実践の場面で構想され選択されるものです。理念・目的等がなんであれあらかじめ「基礎・基本」が設定されそれだけは最小限徹底するがあとは「子どもの自己努力と経験に基づく自発的な成長に期待」するというのは本末転倒というべきであって、またそこには普通教育は成立しようもありません。これでは普通教育にたいする国民の義務は果たせないことになります。
 「最終答申」は今後の教育の目標を①ひろい心、すこやかな体、ゆたかな創造力、②自由・自律と公共の精神、③世界の中の日本人、をあげていますが、そもそも学校教育法にかかげた教育目標はどこへいってしまったのでしょうか 。教育目標を法律で設定すること自体は適切である限りありえることです。学校教育法の教育目標は基本的には人間がもっている基本的な諸能力を列挙しそれらの能力をやしなう、という観点から設定されているものです。それらの諸能力が向かう方向性や内容を規定しているものではありません。それは人間を人間として育成するという普通教育であるというだけで充分なのです。なにをもって人間とするかは国民が相互に自由に民主的に話し合いながらそれぞれの責任で考えればいいのです。「最終答申」が言うような「国民的合意」などえられるものではないのです。
 「世界の中の日本人」についてのみ検討しておきましょう。「最終答申」は次のように述べています。「我が国がいまだかつて経験したことのない国際的相互依存関係の深まりのなかで、国際社会の一員として生き続けていくためには、全人類的視野に立って様々な分野で貢献するとともに、国際社会において真に信頼される日本人を育成すること、すなわち、『世界の中の日本人』の育成を図ることが重要となる」と。
 「国際社会において真に信頼される日本人を育成する」ことが日本国憲法・教育基本法体制のもとで普通教育の課題とすること自体は理論的にはありえることです。そのためにはたとえば次のような条件が満たされていることが必要となるでしょう。①普通教育の初期の段階からそれぞれの発達段階にふさわしく子どもたちが子どもたち仲間の相互交流を含めて基本的な諸能力が十分に育成されていること、②さらに進んだ段階ではわが国全般の現在と過去について具体的に見聞する機会を十分にもつこと、③それらについて人間としても国民としても必要とされる基本的な判断力を有すること、④少なくとも一つの外国語について十分活用できる能力を習得していること、⑤諸外国について十分に理解できる機会を有すること、⑥日本の立場や利益が同時に諸外国の立場や利益と一致するためには相互にどのような課題があり、またどのような努力をする必要があるのかについて十分に判断できる能力を習得していること、などです。
 以上のような普通教育をすべての子どもたちが享受できれば、日本は国際社会から真に信頼されるようになるでしょう。
 これにたいして「最終答申」では、第一に「日本文化の個性」「多様な異なる文化の優れた個性」について理解できる能力、第二に「日本人として国を愛する心をもつこと」、「狭い自国の利害のみで物事を判断するのではなく、広い国際的、人類的視野の中で人格形成を目指すという基本に立つ」こと、「国旗・国歌のもつ意味を理解し尊重する心情と態度を養うこと」、第三に「国際的コミュニケーション能力」を育成すること、などをあげています。「狭い自国の利害のみで物事を判断するのではなく、広い国際的、人類的視野の中で人格形成を目指す」ことが可能であるためには子どもたちが豊かな人間として育てられそして国民として主権者としてすぐれた判断力が形成されていく過程のなかで培われていくものではないでしょうか。初めから「日本文化」「国旗・国歌」等への態度を求められるような「国際的、人類的視野」とはどのようなものなのでしょうか。

 第五節 教育改革の視点(一)ー「個性重視の原則」について

 「最終答申」は「個性重視の原則」を「今次教育改革で最も重視されなければならない基本的原則」としています。これは「個人の尊厳、個性の尊重、自由・自律、自己責任の原則」を総称したもので、この原則に照らして「教育内容、方法、制度、政策など教育の全分野について抜本的に見直し」ていくものとされています。
 この「個性重視の原則」は教育基本法の理念を否定しつづけてきたこれまでの政府・文部省の教育政策をつらぬく教育観の集大成をなす原則といえます。
 「個性」という言葉は教育基本法前文の「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」という文章のなかで用いられています。その意味は当時の文部省側の説明によれば、「文化の意味とか価値においては普遍的であるが、その事実においては、文化形成主体の個性味をゆたかに文化をいう」(文部省・教育法令研究会『教育基本法の解説』、一九四七年)というものでした。この見地は当時全国の学校に配布された『新教育指針』の基調にもなっています。『新教育指針』は「新日本教育の重点」の第一に「個性尊重の教育」を掲げ、つぎのように説明しています。「教育は人間を人間らしく育てあげることを目的とする。人間らしく育てあげるといふのは、人間性をおさえずゆがめずに発展させて、りっぱに仕上げることである。しかるに、すでに述べた如く、人間は人間であるというふ点ではみんな同じであって、だれでも人間性をそなえているのであるが、その人間性のあらわれ方は各人においてそれぞれちがっている。そこに個性が成り立つ。したがって人間性をのばすといっても、実際には一人ひとりの個性を完成することのほかにはあり得ない」と。
 個性を豊かにそだてるという教育は人間性を発展させるという普遍的な教育の営みを通じてこそ実現されるのだという教育理念はまさに戦後教育の理念であり、そのまま普通教育の理念でもあるのです。
 ところが、この理念はその後しばしば否定され続けてきました。(1)すでに述べてきたことですが、まず、一九五八年改訂の小・中学校の「学習指導要領」の「道徳」の目標の記述に教育基本法の「普遍的にして個性豊かな」の箇所が引用されているのですが「普遍的にして」が削除されました。(2)一九七一年の中央教育審議会答申の中には「個性的で普遍的な」という記述が現れました。普遍と個性の関係が逆転されたのです。また、「学校教育」の目標が「個人の特性の分化に応じて豊かな個性と社会性の発達を助長する」と説明されています。(3)そして臨時教育審議会によって「個性重視の原則」として完成されたのです。しかも「普遍的」にかわって「不易」という言葉が用いられることになったのです。
 「個性重視の原則」については「第一次答申」でその思想的な意味が述べられています。
 第一に、「人間の生命は過去・現在・未来とも結ばれており、また、各個人は家庭、学校、地域、国家などの各レベルにおいて複雑な相互依存関係のなかに生きている。個人の尊厳、個性の尊重の考え方の根本にあるものは、この時間・空間という縦・横双方の広がりのなかで、各個人はそれぞれ独自の個性的な存在であるということ、また、個性的な個人が集まって集団の活力を形成しているということである」と説明されています。
 生の哲学を想起させる語り口ですが、同様に「この時間・空間という縦・横双方の広がりのなかで」、「各個人はそれぞれ人間として普遍的な存在である」ということもできるのです。おたがいが人間として同じであるということを自覚することは特別難しいことではないのです。きわめて日常的な経験的事実によって人びとは理解しています。子どもでも同様です。
 一九九八年五月に放映されたNHKテレビ「中学生日記ー大人たちに言いたいこと、自分たちにできること」では中学生たちが「私は先生に先生の人間としてどう思うかということを聞きたいのに、先生は教師としての意見しか言ってくれない」、「大人も子どもも大人とか子どもという区別でおたがいに見ているんじゃないか、人間というかたちで話し合う必要があるんじゃないか」、「他人の意見を聞いて、いろいろぶつかりあったり、みんな同じように思ってたりすることがあって、私はほんとに今日みんなと話し合えてよかった」などと語り合っているのです。おたがいに人間なんだという意識が確認できていないことに中学生たちはいらだちを感じているように思います。このような確認を通じて自らの個性と言うものを深く感じとっていくことができるのではないでしょうか。
 また「集団の活力」についても同様です。同じテレビでこのような発言がありました。「たしかに子どもだけで社会を変えるというのは難しい話だと思うけど、一番自分たちに身近かなところで、学校のクラスとかそういう身近な、自分たちでも変えられるところをまず大人に頼らないで変えていったら、そういう変わったところで育った子どもたちが社会へ出て行ったら、世の中も変わっていくし、、身近なところを変えていったら意外に変わるかも知れない」、「自分を変えていく力だって自分たちは絶対もっていると思うんですよ、だから考えるには時間がいるかも知れないけれど・・・考えることって大切なことだと思う。たとえ時間がなかったとしても考えることってすごく大切なことだから、やっぱり自分のことは自分で考えてやっていくべきだと思う」。社会を変革する力は紛れもなく「集団の活力」でもあります。単なる個性の集団としてではなく人間的共感に支えられた、あるいは人間として考えるべきことをしっかり考えることができる人間(すなわち個性)があつまって巨大な社会的活力が発揮されるのではないでしょうか。
 第二に、「第一次答申」は「個性とは、個人の個性のみならず、家庭、学校、地域、企業、国家、文化、時代の個性をも意味している。・・・真に自らの個性を知り、それを育て、それを生かし、自己責任を貫くもののみが、最もよく他者の個性を尊重し、生かすことができるのである」と述べています。
 学校について考えてみましょう。学校の個性とはどのようなものでしょうか。学校というのは、まさに時間的にも空間的にも、きわめて多くの要素から構成されています。また、そのような多面的な学校のどの部分を個性と見るかは見る人によってもそれぞれことなってきます。それぞれ個性と思っている部分を主張しつつ全体としての個性が保持されていくのではないでしょうか。ですから、これこそが個性だと誰かが一方的に宣言したところでそれがその学校の個性になるわけではないのです。
 ですから、学校の個性を特定するとすれば、これこそがわが学校の個性であると一方的に決める人が必要になります。そしてその個性が個性であるために、その他の多くの要素がその個性に服従しなければならなくなるのです。そのようにして選ばれた学校の個性として従来は校風とか校訓というものが存在してきました。会社には社訓、家庭には家訓、国には国風、文化には「日本文化」ということになります。
 このような校訓が校訓として定立するための条件は一般的には校長の存在が決定的といえるでしょう。もちろん全校の教職員・生徒児童の合意できめるということもあり得るでしょう。しかし、それは個人についてこれが私の個性だと簡単には決められないように、ほとんど不可能なことでしょう。ですから、校長が決定した個性(校訓等)に他の教職員、児童・生徒、父母、地域住民らがそれぞれの立場でそれぞれの責任において無条件に従うことが「個性重視の原則」を具体化したということになるのです。
 このような見解は一八九一(明治二四)年にも主張されました。大日本帝国憲法・教育勅語体制がスタートし、それにあわせて一八九〇年に小学校令が改正されましたが、そのときの文部省普通学務局長だった江木千之が「帝国小学教育ノ本旨」と題して講演しています。そのなかで江木千之は「今茲ニ一ツノ家族ヤ一ツノ会社ガアリマスレバ、其家族ヤ会社ニハ自ヅカラ其家族ヤ会社ニ固有ナル所ノ特性ト云フモノガ多少存シテ居ルコトハ普通ノ事実デアリマス」と切出し、それらを構成する「分子」をそこでの「特性」に「適当」するようにしなければその家族や会社は栄えていくことはできないばかりでなく、存在を保つことすらできなくなる、国家についても同様であって、「一国ヲ組織スル分子ヲ其国ノ特性ニ適当サセル様ニシマスルニハ必ズ其国ノ特性ニ関スル所ノ教育ヲ全国ニ普及サセナクテハナラヌコトデアリマス」と述べ、そのような教育こそが「国民教育」であり、小学校令を改正して小学校の目的を「国民教育」の基礎を授けるとしたのはそのような理由からであると説明しているのです。
 第三に、「第一次答申」は「個人の尊厳、個性の尊重、自由・自律、自己責任は、相互に不可分の一体をなすものであ」り、さらに「自他の個性を知り、自他の個性を尊重し、自他の個性を生かすことは、個人、社会、国家間のすべてに通ずる不易の理想である」と述べています。
 日本国憲法は第十二条において「自由」、第十三条において「個人の尊重」、第十九条において「思想及び良心の自由」、第二十条において「信教の自由」、第二十一条において「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」、第二十二条において居住、移転、職業選択、営業、外国への移住、国籍離脱の自由、第二十三条において「学問の自由」、第二十四条において家族生活における「個人の尊厳」を保障しています。これら一切が「個性重視の原則」の理念にたつ教育政策によって重大な制約を受けることになるのです。
 また、「自他の個性」ということで他国が個性を主張すればその個性は無条件に尊重する、日本政府が日本の個性を主張すれば他国はこれを尊重しなければならない、ということを外交の基本路線とすることは、それぞれの個性の衝突を調整する基準を失うことになります。日本国憲法前文は「政治道徳の法則は普遍的なものである」という表現でその法則に従うことを「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である」と明記していますが、そのことと「個性重視の原則」は明かに矛盾していると言わざるを得ません。国家関係にあっても、人間的な信頼関係を基調にしてこそ、相互の利害を理解し合い、政治・経済・文化・スポーツ等の国際交流が発展するのではないでしょうか。国際関係は結局は人間性に、そしてその意味での普遍性に立脚しなければならないのであって、真の普通教育への接近がそのような国家関係確立への接近にもなるのではないでしょうか。
 第四に、「最終答申」は「個性重視の原則」ということで「創造性・考える力・表現力」を強調しています。「創造性」が「考える力」よりも重視されていることに注意したいと思います。一般に創造性とは「これまで無かった新しいものをつくりだすこと」といえますが、「これまで無かった新しいもの」と「これまで存在していたもの」とはどのような関係にあるのでしょうか、また「これまで無かった新しいもの」とはどのようなものなのかを誰が判断することが期待されているのでしょうか。
 温故知新という言葉もありますが、一般的に「これまで無かった新しいもの」はすべて「これまで存在していたもの」からもたらされるのです。それは人びとが自由で民主的な関係のなかであれこれ思考することを通じてこそほんとうに意味のある「創造」が可能なのです。また、その自由で民主的な関係は子ども時代の充実した普通教育のなかでこそ実現可能といえるでしょう。「最終答申」は「創造性は、個性と密接な関係をもって」いるとしていますが、わが国の「個性」を前提として、その意味を直観的に受入れることができ、かつその方向で特定の才能を発揮し得る「並外れた」一部の人間集団によって担われるような創造性あるいはその結果が多くの国民が求めているものと基本的に一致するということはありえないでしょう。
 第五に、「最終答申」は、「個性を伸ばし、創造的で豊かな心を育てる」という観点にたって「教育環境の人間化」を積極的に推進すると述べています。「教育環境の人間化」という以上、現実の教育環境の非人間的実態を無視できない、これ以上放置できないというということを臨時教育審議会もみとめたということもできますが、なぜそのような非人間的な状態になっているのかについての分析はまったくなされていないのです。そのような論点には関心は払われていないのです。「人間化」の具体例としてあげられているのは「自然環境のなかで心身を鍛えることができるような教育の仕組みを導入すること」などですが、子どもたちが学級や学校のなかで、先生や仲間同士で真に人間的な触れ合いができるような環境を確立していくことこそが今日切実に求められているのではないでしょうか。もちろん自然環境との関係も大切ですが、人間環境、社会環境、教育環境自体が子どもたちにとっても教師や父母や大人たちにとっても人間的といえるものに変えていくことに社会はすべてのエネルギーを注ぐべきだと思います。
 最後に、「最終答申」は、「個性重視の原則」の見地に立って「教育の画一性、閉鎖性の弊害を打破する」ために「選択の機会の拡大」を図ることが重要であり、とくに「教育行政や制度もまた柔軟で分権的でなければならず、関連する諸規制の緩和が必要である」と述べています。
 教育史をふりかえってみますと、明治五年の「学制」に託された「尊卑貧富ノ差別ナク」という理念は行財政上の困難に当面しその理念は「画一性」だという口実のもとに破棄されることになります。明治十二年の教育令は国民を「中人」以上と以下とに分けることによって複線型学校制度を導入することになり、以後国民は深刻な「選択」を余儀なくされていきました。戦後になって、教育基本法は戦前の教育の反省をふまえて「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」(第三条)と規定しているのです。「選択の機会の拡大」を図ることが現実にはさまざまな教育上の差別を拡大することは、例えば私立高校や職業高校の生徒たちが一番痛切に感じていることではないでしょうか。
 また、明治二十年代には社会の変化への対応(開放)と言うことでさまざまな職業科目が小学校に持ち込まれ、その結果、小学校の普通教育が破綻していった事例も生まれました。現実社会における資本主義的な諸原理がストレートに学校社会を支配するのではなく、現実社会に対する学校社会の相対的独自性の確保も歴史的に確認されてきたことです。教育基本法も「教育の方針」として「学問の自由を尊重」するとしているのも、教育自体が学問的な真理に支配されなければならないことを強調しているのです。
 戦後あるいは今日の教育法令はこのような歴史的にまた国民の意思として確認されてきた重要な「規制」から構成されているといえます。と同時に戦後半世紀にわたる教育政策には法的行政的拘束を一貫して強化してきた教育課程行政などのように、父母や多くの教育者の意思を封じ込める文字通り閉鎖的な諸規制もたくさん存在しています。「規制」といっても国民の総意のもとに築きあげられてきた「規制」もあれば、早急に改革もしくは撤廃すべき「規制」もあります。これらを意識的に混在させ、「規制緩和」の名のもとに、前者の「規制」の解除、後者の「規制」の強化、というのでは国民は納得しないでしょう。
 「分権化」について言えば、それは「地方自治」化ではないことに留意しておく必要があります。「三割自治」という言葉もありますが、中央集権体制に組み込まれた地方行政機関の権限強化のもとでの分権化は地方自治の原則とは相いれないものです。このような行政主導の分権化のもとで校長先生もまたその行政の末端機関に組み込む政策も今日進められようとしていますが、いわば本店・支店・営業所というピラミッド型の権力機構の強化とむすびついた「分権化」もまた「個性重視の原則」の具体化にほかなりません。
 目に見える規制ではなく目に見えない実質的な規制で上意下達的な美しい教育ピラミッドを構築するというのが初代文部大臣森有礼の夢でしたが、臨時教育審議会答申もそのような夢を描いたのでしょうか。

 第六節 教育改革の視点(二)ー「生涯学習体系への移行」について
 
 「最終答申」の第二の原則と言うべきものが「生涯学習体系への移行」です。一九七一年の中央教育審議会答申でも提起され、一九八一(昭和五六)年の中央教育審議会答申「生涯教育について」で発展させられ、臨時教育審議会においていっそう体系化されたものです。また「最終答申」の第三章「改革のための具体的方策」の第一番目に「生涯学習体制への整備」があげられており、臨時教育審議会がめざすもっとも基本的な改革課題として位置づけられています。
 それは第一に「学校中心の考え方を改め、生涯学習体系への移行を主軸とする教育体系への総合的再編成を図」るとしています。「学校中心の考え方」というものがなにを指しているのかは不明ですが、基本的に学校は教育基本法第四条において「公の性質」をもつものと規定され、そこでの教育理念・目的・方針等は教育基本法だけではなく日本国憲法や学校教育法においても規定されています。そこでの考え方というのは、人間の育成を基本として併せて国民(主権者)を育成するというものであり、普遍的な文化を基本として個性的な文化を創造するというものです。このような使命を有する学校と両立し得る民主的な社会を構築するというのが教育基本法の精神といえます。「最終答申」がいう「学校中心の考え方を改める」というのはこのような学校観を変更し、国家社会に従属した学校体系、「個性重視の原則」に基づいた教育体系を再構築するということに他ならないのです。
 「教育体系の総合的再編」についてはすでに第八章でも述べていますので、「生涯学習体系への移行」の意図がより明確に現れている一九九〇年(平成二)年に制定された「生涯学習の基盤整備の振興に関する法律」(以下、「生涯学習振興法」と略します)について簡単に紹介しておきましょう。
 ところで、臨時教育審議会が発足した一九八五(昭和六十)年に第四回ユネスコ国際成人教育会議は「学習権宣言」を採択しています。それは学習権を基本的人権として明確に位置づけた画期的な宣言といえますが、この宣言と一九六五(昭和四〇)年に行われた同じユネスコの生涯教育に関する提案とをあわせるとユネスコがめざしている生涯学習社会というのは日本の政府や文部省がめざしている「生涯学習体系への移行」とはまったく質を異にするものといわざるをえません。
 さて、一九八八(昭和六十三)年、文部省は機構改革をおこない早々と生涯学習局を設置し筆頭部局に据えました。翌年、諮問を受けていた第十四期中央教育審議会は 一九九〇(平成二)年一月、「生涯学習の基盤備の在り方」という答申を行いました。政府はこれを受けて「生涯学習振興法」(全十二条)を国会に提出し、六月にアッというまに成立させてしまいました。この法律の骨格を簡単に紹介しておきましょう。
 ①文部省内に二十七名の委員からなる「生涯学習審議会」をおく。審議会は学校教育、社会教育および文化に関し文部大臣及び関係行政機関の長に建議することができる。
 ②都道府県にも「生涯学習審議会」を設置し、都道府県教育委員会または知事の諮問に応じたり、それぞれに建議することができる 
 ③都道府県は「地域生涯学習振興基本構想」を作成する。「基本構想」とは「生涯学習に資する諸活動の多様な機会の総合的な提供を民間事業者の能力を活用しつつ行うことに関する基本的な構想」である。
 ④この「基本構想」は文部大臣および通産大臣に申請しなければならない。両大臣は承認にあたってあらかじめ、関係行政機関の長と協議しなければならない。また、承認基準について自治大臣その他関係行政機関の長と協議しなければならない。
 ⑤都道府県が行うべき事業は、「学校教育及び社会教育に係る(体育に係るものも含む)並びに文化活動の機会に関する情報を収集し、整理し及び提供する」、「住民の学習に対する需要及び学習の成果の評価に関し、調査研究を行うこと」など、六点があげられています。
 中教審答申「生涯学習の基盤整備について」では制度的には地域に「生涯学習推進センター」、大学・短大に「生涯学習センター」をおくとしています。すでに多くの大学・短大におかれています。
 以上です。「新たな学習需要」の増大や「新たな学習意欲」の高まりが最大限に利用されてこのような法律にむすびつけられています。この法律は都道府県が作成する「地域生涯学習振興基本構想」を前提としていますが、「最終答申」は家庭や企業など民間との「総合的なネットワークを形成していかなければならない」と述べていますが、このネットワークが「地域生涯学習振興基本構想」と連動することによって国民の学習意欲・学習活動等が壮大な国家的統制のもとにおかれることになるのではないでしょうか。
 近代教育史を勉強していた私の研究室の学生が当時この「生涯学習振興法」を読んで一九三七(昭和十二)年の「国民精神総動員実施要綱」(閣議決定)と酷似していると驚きの声をあげたのが印象にのこっています。

 第七節 初等中等教育の充実と改革(一)
        ー徳育の充実ー

 「最終答申」の第三章「改革のための具体的方策」の第三節は「初等中等教育の充実と改革」となっています。「初等中等教育」という言葉は「普通教育」に対応する行政用語ですから、教育法制上の用語を用いれば「普通教育の充実と改革」と表現すべきところでしょう。
 第三節は「教育内容の改善」、「教科書制度の改革」、「教員の資質向上」、「教育条件の改善」、「後期中等教育の構造の柔軟化」、「就学前の教育の振興および障害者教育の振興」、「開かれた学校と管理・運営の確立」からなっていますが、ここでは主として最初の「教育内容の改善」にしぼって検討することにします。なお、必要に応じて第二次答申等にも言及します。
 「教育内容の改善」は(1)徳育の充実、(2)基礎・基本の徹底と個性の伸長、からなっています。
 一九七一年の中教審答申では道徳教育の強化は課題になっていませんでしたから、臨時教育審議会答申が「教育内容の改革」の冒頭に「徳育の充実」を掲げたのは大きな特徴と言えます。また、学習指導要領ではこれまで「道徳教育」という用語をもっぱら用いてきたにもかかわらず「徳育」という言葉を押し出しているのも特徴と言えます。これまでの道徳教育は学習指導要領で見る限り、「道徳教育」であれ「道徳の時間」であれ、道徳的判断力、道徳的心情あるいは道徳的実践力などの用語をもちいながらそれらの順序性や比重のおきかたなどをあれこれ変えてきたという経過はありましたが、全体として小学校から発達段階を考慮しつつ積み上げていくというものでした。「徳育の充実」ということで意図しているものは逆に国家主義や資本主義から導かれる一定の「徳目」を前提としてそれらをさまざまな機会にそれぞれの段階の子どもたちに体系的に降ろしていく、あるいは注入していくという徳目主義の制度化といえるのではないでしょうか。
 「徳育」という言葉は「知育」および「体育」と一体をなす概念としてわが国の教育史のなかでは明治二十年前後からスペンサーの影響を受けて広く用いられるようになった言葉です。また、冒頭に位置づけられたことにかんしていえば、明治十三年の教育令改正の際に「修身」が突如として首位教科に格上げされた「事件」をも想起させます。「徳目」という言葉を選択したこと、「徳目の充実」を「教育内容の改革」の第一に位置づけたことなどは「人間の育成」ではなく日本人や国民の育成を基調とする「個性重視の原則」の具体化ということができます。
 さて、「徳育の充実」では、初等教育の課題として「基本的な生活習慣のしつけ」、「自己抑制力」、「日常の社会規範を守る態度」などの育成を、中等教育では「自己探求」、「人間としての『生き方』の教育」を重視するとしています。
 子どもをめぐる生活環境が大きく変化しています。家庭生活や家族関係の変化に子どもたちは自己を主張しながら必死になってが適応していこうとしています。そのなかで子どもにとっても受入れられるようなあらたな生活リズムや生活習慣や生活ルールが生み出されています。この過程がスムーズに展開されている限りでは問題はないのですが、生活環境の変化に充分適応できないところに一方的な「基本的な生活習慣のしつけ」の押し付けがなされれば、しなびた植物に強い肥料をふりかけてもますます枯れてしまうのと同様に子どもたちは人間としての生活力を失ってしまいます。中学生や高校生の場合は人間らしさを失うだけではなく、ときには野性化し凶暴化することになります。
 子どもたちはそれぞれの自己主張のぶつけ合いをとおして人間らしい「ものの見方考え方」を習得していきます。この過程が充実したものであればあるほどそれに応じて「自己抑制力」が獲得されるのではないでしょうか。このプロセスを貧困なままで国家社会が求める「自己抑制力」をひたすら子どもたちに求めようとしても、盲目的に従順になるか、逆に単純に反発することにならざるを得ません。そのときはさらに強力な自己抑制を求めるとでも言うのでしょうか。
 「日常の社会規範を守る態度」についても同様です。私の体験でも今日の学生の大部分は道徳教育とは「日常の社会規範を守る態度」をそだてることだと思いこんでいます。かれらは小学校・中学校の九年間、週一回の「道徳の時間」をとにもかくにも通過しているわけですから、その意味では一九五八(昭和三十三)年に導入された「道徳の時間」の意図は成功しているとも言えます。しかし、一方でいじめや非行等が増大しているわけですから、「日常の社会規範を守る態度」を育てる教育や「心の教育」をもっと強化しなければならないということになるのです。
 「最終答申」はさらに「徳育の充実」策として、「自然体験学習の促進」、「特設『道徳』の内容の見直し・重点化」、「適切な道徳教育用補助教材の使用の奨励」、「教員養成・現職研修の改善」をあげています。これらの大部分はすでに具体化されており、そこには論ずべき問題もいろいろありますがここでは言及しません。
 なお、「自然体験学習の促進」が「徳育の充実」という観点から位置づけられていることに注意しておきたいと思います。

 第八節 初等中等教育の充実と改革(二)
        ー基礎・基本の徹底と個性の伸長ー
 「教育内容の改善」の第二は「基礎・基本の徹底と個性の伸長」とされ、「教育内容の改善の基本方向」、「教科等の内容、構成」および「教育内容にかかわる制度の運用上の改善」が提起されています。これら三点については第一次答申でより具体的に述べられていますので、第一次答申を中心に検討することにします。

    一 「教育内容の改善の基本方向」

(一)「教育内容の改善の基本方向」では最初に「生涯にわたる人間形成の基礎を培うために必要な基礎的・基本的な内容の修得の徹底、自己教育力の育成を図る」としています。ここでの基本的な教育理念はすでに第八章において中央教育審議会答申を検討した際にも言及しましたが、十八歳ころまでに人間としての基本的な判断力を育てるという普通教育の理念ではなく、競争原理等を支配原理とする現実社会のなかで各自が自らの生涯計画を可能なかぎり早いうちから見極めさせ、その見地から必要となる基礎的・基本的内容の修得を徹底させるというものです。
(二)つぎに「このため学校段階ごとに、その教育内容の重点化と精選を図り、その際、創造力・思考力・判断力・表現力の育成、我が国の伝統・文化の理解と日本人としての自覚の涵養、体力の増進と健康教育の充実などを重視する」としています。「教育内容の重点化と精選」という場合の「教育内容」とは具体的にはなにをさしてしているのでしょうか。一九七七年改訂の学習指導要領に対応した教育内容を意味しているのでしょうか、学校教育法に示された普通教育の目標から導かれる教育内容を意味しているのでしょうか。そのことが明確でないまま「創造力・思考力・判断力・表現力の育成、我が国の伝統・文化の理解と日本人としての自覚の涵養、体力の増進と健康教育の充実」という観点から「重点化と精選」が必要というのです。では現行あるいはそれ以前の「教育内容」はどのような観点に基づいて構成されていたのでしょうか、その観点のどこに問題があったのでしょうか、そのことについての説明はまったくありません。もっぱら「時代の変化」あるいは「社会的必要」の論理から「重点化と精選」が必要とされ、子どもや教育の現実から提起されているわけではないのです。現実の子どもや教育から遊離した「重点化と精選」をどんなに推し進めても、結局は矛盾は深まるばかりではないでしょうか。
 小学校についてはとくに「読・書・算の基礎の修得と社会性や情操などの涵養を重視」するとしています。「読・書・算」について言えば、学校教育法は小学校の目的、すなわち初等普通教育の目標として「日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと」、「日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと」と、より具体的に定めています。「読・書・算」という認識だけでは明治前期の「読書・習字・算術」への逆戻りになりかねません。また、「社会性や情操などの涵養」についても学校教育法では「学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主的及び自律の精神を養う」、「生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと」などと規定されているのです。
 現代社会が大きく変化し、子どもたちはそれらの変化を鋭敏にうけとめ適応しようとしています。また適応しきれずにさまざまな不適応状況が社会問題として顕在化しているとき、子どもたちが生まれながらにもっている人間としての基本的諸能力を一つひとつをていねいに育てていくことが今日とりわけ求められています。その意味では学校教育法が提示しているような普通教育の目標にこそ注目し、それらの全面的な具体化こそが求められているのではないでしょうか。
 「最終答申」は教育内容を子どもの立場、普通教育の見地に立ってより具体的に提起するのではなく、抽象的かつより簡略化する方向に変革しようとしているのです。さらに言えば、前述した目標以外に学校教育法が掲げている「日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと」、「日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと」などについてはまったく言及していないのはどういうわけなのでしょうか。
 中等教育、すなわち中学校および高等学校についてはどうでしょうか。臨時教育審議会が「中等教育」制度の「改革」をいかに緊急の課題として重視していたかは第一次答申の「当面の具体的改革提言」が全体として中等教育制度の改変に充てられていることからもいえるでしょう。第一次答申では「学歴社会の弊害の是正」の名のもとにこれまでの格差選別主義、能力主義自体を温存したまま、その原理を学歴レベルではなく個人レベルにまで浸透させる方向をおしだし、そのための制度改革として「受験競争過熱の是正」の名のもとにセンター試験の導入や六年制中等学校、単位制高等学校の新設を提言しています。さらに、第二次答申では「個性の伸長を目指して教育内容の多様化を図る」として「必修教科と選択教科や普通教育と職業教育の在り方を見直す」ことを提起しています。
 「個性の伸長」と「教育内容の多様化」とはどのような関係にあるのでしょうか。どんな動物がすきか、どんな音楽がすきか、どんな職業につきたいか、どんな人生を送りたいかは、子どもたち自身が成長していくなかで自ら自覚し自ら選択していくものです。その過程が子どもたちにとって意義あるためには子どもたちはそれらを自ら自由に選択できなければなりません。そのようないわば選択能力を習得していくためにこれまでいくつかの基本的な教科が配置されてきたのです。学校教育法が列挙している八つの教育目標は、絶対的に正しいものとすることはできないにしても、すくなくとも私たちが共通に依拠すべきものとして確認しておく必要があります。これらの目標にそって教科が構成され、教育内容がしめされるのです。
 「最終答申」がいう「個性の伸長を目指して教育内容の多様化を図る」というのはこのようなことを言っているのではなさそうです。教育内容を多様化するといっても子どもの立場から言えば、多様化された教育内容のいくつかを選択することをもとめられるので、多様化というよりも狭隘化あるいは特定化(個性化)することになるのではないでしょうか。メニューは溢れるほどあるけれども購買力に応じてあるレベルのものしか買えない、というのと似ているのではないでしょうか。それでも自分の能力(個性)はこの程度しかないんだから仕方がない、と早いうちから諦めさせるというのが「個性の伸長を目指す」ということの意味なのです。
 もう少し具体的に検討して見ましょう。「最終答申」は中学校教育については「基礎的・共通的な内容をより深く修得させながら、個々の生徒の個性に応じた教育の推進について配慮しなければならない」としていますが、どのように「配慮」しようと言うのでしょうか。ここで注意しておく必要があるのは「基礎的・共通的な内容」の教育と「個々の生徒の個性に応じた教育」とが分離されて、並列的に理解されていることです。これまで述べてきたように両者は本来両立すべきものであって、人間にとって必要な豊かな「基礎的・共通的な内容」を子どもたちが学習していくこと自体が同時に「個々の生徒の個性に応じた教育」であるべきものです。そのことが可能であるあるためには現在よりももっともっと少ない教室で、時間的にも精神的にもゆとりをもった力量のある教師のもとで、子どもたちの一人ひとりの状況を把握しながらさまざまな方法を駆使してどの子どもにもしっかりとした教育ができるような環境が不可欠なのです。このようなこのようなことにはまったく「配慮」することなく、多人数教室の中で多忙に追われながら必要な研修を受けることもできない教師たちによって多様なタイプに子どもたちを選別していく教育、これが「個性重視の原則」から導かれる教育なのです。
 「最終答申」は中学校について「生徒の能力・適性の把握、進路に関する意識の確立に資する観点から、高等学校教育との関連にも留意して、選択教科の種類と時間数を拡大する」と述べています。具体的に言えば、これまで中学校第三学年において音楽、美術、技術家庭、保健体育等に選択制が導入されていましたがそれを第二学年にまで拡大し、第三学年の国語、数学、社会、理科に選択制を導入するというのです。この方針は一九八九年の学習指導要領改訂で具体化され、さらに一九九八年の改訂では選択制が全体としてさらに一年引き下げられ、中学校一年次にまで選択制が導入されることになりました。
 高等学校についてはどうでしょうか。「最終答申」は「教科・科目の多様化による選択の拡大、普通教科の科目の新設等の推進、単位制の活用を図る。職業教育については、その深化を図るものと、普通教育との統合を図ることがふさわしいものと、その特質に応じ充実を図り、学科構成についても、社会や時代の進展に応じて既存の学科にとらわれず柔軟に対応し得るようにする」などと述べています。これらの多くは今日までの十五年のあいだにほとんどが実現しています。
 ここで、戦後の高等学校について少し触れておきましょう。敗戦直前の一九四三(昭和十八)年に中等学校令が公布されました。「中等学校」については一九三九(昭和十四)年の教育審議会答申によれば「中堅有為ノ国民錬成ヲ完フセント」するものとされ、中学校・高等女学校および実業学校を包含するものでした。中学校や高等女学校の教育目的は「高等普通教育」、実業学校の教育目的は「実業教育」とされ、したがって「中等学校」独自の一元的な目的は示されませんでした。私の推測ではすでに一九四一(昭和十六)年の国民学校令ではその目的が「初等普通教育」とされていたことから「中等学校」については「中等普通教育」という言葉が有力な候補にあがっていたのではないかと思います。沢柳政太郎は一九二六年に「中等普通教育」という概念を用いるように提唱しています(『新日本史・教育篇』)。その場合の「中等普通教育」という概念も発達段階的な概念としてではなく「中等学校令」が目的とした「中堅有為ノ国民」の育成にあったのです。当時、高等学校の教育目的は「精深ナル程度ニ於テ高等普通教育ヲ施シ」とし、中学校の「高等普通教育」とは区別していましたが、「中等学校」の教育目的をしめす法令用語の創出の必要性はあったものの「中等普通教育」という言葉をあてるほどには機は熟していなかったのでしょうか。
 戦後の教育改革で新たな理念のもとに小学校、中学校、高等学校が生まれることになりましたが、高等学校は戦前の実業学校と中学校・高等女学校を明確な理念もないまま合体させて作られることになりました。学校教育法は高等学校の教育目的を「高等普通教育及び専門教育を施す」としましたが、はじめから基本的な矛盾を内包した定義となりました。「高等普通教育」というのは小学校、中学校の教育目的である「初等普通教育」「中等普通教育」につながる「高等普通教育」と理解されますが、しかし他面では、高等普通教育という用語が学校教育法の制定過程において明確な原理的転換が図られなかったことから、戦前の大学進学のための基礎教育という性格と「中堅有為ノ国民錬成」という側面とをなお色濃く継承しているように思います。これに実業学校の教育目的である実業教育をいささか格上げして専門教育とし、あわせて高等学校の目的規定としたのではないでしょうか。
 他方、日本国憲法では国民が保護する子女に対応する教育をトータルに「普通教育」と規定したのですから、学校教育法に定められた初等普通教育・中等普通教育・高等普通教育は全体として「普通教育」を構成するそれぞれの段階をしめす概念であると理解されます。高等学校は明確に普通教育機関といえるのです。したがって学校教育法上の目的規定、すなわち「高等普通教育及び専門教育」は基本的には「普通教育」の下位概念として理解されるべきでしょう。
 さて、戦後の高等学校は「高等普通教育」と「専門教育」を合体させたという意味において当時「総合制高校」と称され、すべての新制高校は総合制高校として出発したのです。しかし、総合制というのがどのようなものか、「高等普通教育」や「専門教育」とはそれぞれどのようなものか、両者を「及び」でむすびつける新制高等学校とはどのようなものなのか、については出発してから考えるという状況でした。そういう状況でしたから、まもなく、再び両者を分離する動きが表れ、「及び」という規定自体は残しながらも、もっぱら職業教育を主体とする高校、もっぱら普通教育を中心とする高校、両者を併置させた高校、などさまざまな組み合わせが展開されて行きました。
 そのような高等学校制度を前提として、そのうえに高度経済成長政策とむすびついて後期中等教育(高等学校のこと)の「多様化」政策が推進され、普通高校のなかでも大学との関係でさまざまな序列化がすすみ、いわゆる職業高校でも序列化が進みました。全体的に学区制の緩和や大学入試制度の「改革」とむすびついていわゆる「受験高」から「底辺高」までの高等学校が出現するようになりました。
 臨時教育審議会第一次答申が「学歴社会の弊害」や「受験競争過熱」の「是正」を口実として、単位制高校や六年制中等学校の新設を提言したのは、無原則的な序列化によって生じた高校教育の矛盾を「個性重視の原則」の立場から再編することを意図したものです。
 「最終答申」は「職業教育については、その深化を図るものと、普通教育との統合を図ることがふさわしいものと、その特質に応じ充実を図り、学科構成についても、社会や時代の進展に応じて既存の学科にとらわれず柔軟に対応し得るようにする」と述べていますが、学校教育法からはけっして導かれない「総合学科」なるものを創出し、総合学科高校の設置を進めています。学校教育法上の高等学校の目的規定がかならずしも明確でないこともあって、現実の高校教育問題を「改善」するという意図のもとに「総合学科」なるものを創出させることは理解できないわけではありませんが、高校教育問題を真剣に解明し、普通教育の普通教育たる所以を明確にし、すべての高等学校を普通教育機関として位置づけていくという方向も選択できたはずです。
 高等学校を普通教育機関として充実していくということは、人間の発達段階としての青年期をもっとも青年にふさわしく成熟させる教育を充実させるということにほかなりません。文学や芸術や政治やスポーツ等に情熱的に打ち込むのが青年期の特徴と言えますが、そこでの教育は中学校の教育の単純な延長ということではありません。モーリス・ドベスは『教育の段階』のなかで「先行段階の間、教育はすべての生徒に対して共通であった。しかし、思春期になると学校で学ぶ青年にとっては、生まれつつある諸能力の活動のため、学習にも幾つかのタイプがある方が望ましくなってくる」(岩波、一七二ページ)と述べ、そこでの教育のあり方として「青年たちをひきつけている価値の力を利用すること、彼ら自身の水準を越えて向上しようとする気持ちの高揚を利用すること、必要な明晰さと自制心を獲得するために知力や意志力を磨くこと」(同書、一八三ページ)の三原則をあげています。そのためにはさまざまな教育組織・教育形態が考えられるでしょう。しかし、その多様性は「社会的要請」からくる多様性ではなく、人間的要請から導かれる多様性でなければなりません。それらがどんなに多様であってもそれ自体は青年期の普通教育の特質であって普通教育となんら矛盾するものではないのです。
 このような青年期にふさわしい普通教育を通して、一部の青年は社会や自然のあり方についてより学術的・専門的に究明したいという欲求をいだくようになるでしょう。また、一部の青年は芸術やスポーツ等に、一部の青年は政治的社会的分野に、一部の青年はより高度な職業技術の習得に、一部の青年はそれぞれの公務および産業での従事者に、それぞれの夢をつなげるでしょう。
 しかしながら、「最終答申」は「社会的要請」の見地から、高等学校の卒業後の進路・進学先(出口)を厳密に把握しそれに基づいた進路指導体制の確立を強調しています。社会経済の現状に教育のあり方を合わせるということでほんとうに豊かで自由な社会経済は望めるのでしょうか。
(三)「教育内容の改善の基本的方向」の第三は「指導方法を多様化するとともに、評価のあり方を改善する」とされています。
 「指導方法の個別化と自主的、自発的な学習方法を重視する」という観点から「学級規模や教育・指導の方法や形態を工夫」し、とくに中学校において「到達度に応じた指導方法の多様化」、高等学校については「継続的な問題解決学習」などを推進するとしています。
 子どもの成長・発達自体は個々人の特徴をもちつつも根本的には人間としての普遍的な性質を有しています。ですから指導方法・教育方法というのはそれぞれ特性を有している子どもたちの存在を前提として探求されてきたのであって、そのことと必要な場合の個別指導というのはなんら矛盾するものではありません。
 「答申」も「児童・生徒の能力・適性は、変化し発展する」ものであり、したがって「能力・適性を多角的に開発・評価」し「探求の過程や成長の過程」を重視するとしていまが、それらは子どもたちの「能力・適性」を見極めるという観点から強調されているのあって、子どもたちのもっているさまざまな能力を全面的に発揮させ、かれらの能力を人間にふさわしく育て上げていくという見地にたっているわけではないのです。
 また、評価にあたっては、「単に知的な学力だけでなく、学校や地域における活動や態度などについての評価を工夫」するとしています。その後のいわゆる「新学力観」とそれとむすびついた「学習指導要録」の改訂は基本的にはここから導かれています。
 「学力」は知的なものに限定されるものではありません。「学力」についての法令上の規定はありませんが、学校教育法が掲げている普通教育の目標に対応した諸能力はさしあたって「学力」として理解することができるのではないでしょうか。これらの学力を高校卒業までの十二年間にしっかりと育て上げることがなによりも重要であって、その上で必要であれば「学校や地域における活動や態度」についての評価をおこなえばいいのです。
(四)「教育内容の改善の基本的方向」の第四は「勤労体験やボランティア活動などの実践的活動を拡充、推進する」ということです。
 受験競争や差別選別政策が支配的な状況のもとでの子どもたちはどうして「勤労体験やボランティア活動」に打ち込めるでしょうか。子どもたちはそれぞれが自らの能力を最大限に発揮して生き生きとした家庭生活・学校生活・地域での生活を享受していれば、かれらがほんとうに必要だと思ったときにはすばらしいボランティア活動に加わるものなのではないでしょうか。「犯罪の低年齢化」だ、「いじめ」だ、「不登校」だとさんざん言われている今日ですら、阪神大震災のような出来事に接すれば、子どもたちは思い思いにボランティア活動に参加したではありませんか。むしろそのような活動を受験だ・進学だといって抑制してきたのが文部省であり、今日の学校だったのではないでしょうか。
 臨時教育審議会が「ボランティア活動」等を重視するのはこれまでの政策を反省し改善したからではなく、「個性重視の原則」にたって「社会的要請」の見地から「ボランティア活動」を強制するものにほかなりません。限られた教育課程の枠内に基本的な教科指導をしわ寄せさせ「ボランティア活動」を割り込ませる、しかも「ボランティア活動」等を学習指導要領に位置づけ「学力」化させていくことによって「ボランティア活動」等への拒否や不参加あるいは「ボランティア活動」嫌いが広がることも当然予想されるのではないでしょうか。その場合の責任は誰がとることになるのでしょうか。
 「最終答申」は「ボランティア活動」等を「社会教育活動」としても重視しています。学校五日制ともむすびつけて子どもたちの学校外での生活についても政策化・制度化しようとしています。
 さらに「最終答申」は職業教育について「企業、専修学校などにおける現場実習を高等学校の単位として認定する」などについても提言しています。いわゆる「インターンシップ」は今日でも大学等でも進めれられていますが、高校教育の徹底した多様化を前提とした「インターンシップ」が高校生にとって普通教育を補完する重要な機会としてではなく、狭い技能主義的な進路選択の機会にならないという保障はどこにもありません。

  二 「教科等の内容、構成」

 「教科等の内容、構成」では、①小学校低学年においては、教科の総合化を進め」、②「中等教育段階における社会科の構成の在り方、家庭科の内容の取扱いを検討する」、③「健康教育を充実するため、道徳・特別活動、保健体育など関連する教科の内容、在り方を検討する」としています。
(一)小学校低学年の児童について「発達段階的には思考や感情が未分化の段階にある」ことや幼児教育から小学校教育への移行を円滑にするために「教科の総合化を進め、児童の具体的な活動・体験を通じて総合的に指導することができるよう」にするとしています。
 「思考や感情が未分化」ということについて検討してみましょう。幼児の言葉を採集しているある先生がつぎのような話を紹介していました。急に寒くなった朝、息を吐くと白くなることを発見したことを子どもたちは「いき、できるよ」「くうきが見えるときあるよ」などと口々にいいながら教えてくれるというのです。そんなあるとき、五歳の女の子が「〇〇くん、息いっぱいでるよ、半そでだから」と話しかけてきたというのです。
 寒いというのは大気が冷たいからではなく薄着だから寒いのです。その先生はこのことを次のように観察しています。「子どもは一人ひとり実感しながら、寒さを自分のものにしていく、つくっている途中のような気がします」と。寒いときには息ができる、半そでは寒い、これらはいづれも子どもにとっては確実な体験知といえます。しかし、このような体験知から、だから半そでになれば息はたくさんできる、という論理は一般には成り立ちません。そこには子ども特有の前論理的思考が働いているのです。これも思考の未分化の例証といえるでしょう。このような思考形式について普通教育はどのようにかかわっていけばよいのでしょうか。
 このような思考が子どもにとって体験や活動によって得られたとしても、固定化されるかどうかは別問題です。つぎの瞬間には子どもはその思考形式はおかしいと気がつくでしょう。あるいは先生が「厚着をしている仲間も同じようにたくさん息ができてるね」と注意をうながすだけで、自分の考えていたことがおかしいことに気がつくでしょう。こうして、子どもは体験知を経験知に転化しながらより適切な論理的な思考ができるようになります。「思考や感情が未分化」であることを根拠に未分化な状態をあえて持続化させるのではなく、子ども自身が自らの力で、あるいは適切な教育的働きかけによって一歩進んだ論理的思考にたかまっていくことは可能ですし、そうする必要があります。そのためには子どもたち同士が豊かな言語環境におかれていることが必要ですし、そのための教育も必要となるでしょう。理科と社会を総合化しなければならないという理屈は「思考と感情の未分化」を論拠とするかぎり無理なのです。
 体験知に基づく概念化からは自分がそう理解しているんだからそれは事実に違いないという認識しか生まれてこないでしょう。それも個性だというのでしょうか。体験を経験によって相対化しつつより本質的・合理的な認識へ高めていくことが教育なのではないでしょうか。
 つぎに、「幼稚園教育と小学校教育との移行を円滑にする」についてはどうでしょうか。 
 「幼稚園教育要領」の領域は一九五六(昭和三一)年に制定されて以来「健康・自然・社会・言語・音楽リズム・絵画製作」の六領域でした。これが臨時教育審議会答申以後の一九八九(平成元)年の改訂で「健康・人間関係・環境・言葉・表現」となりました。一方、「小学校学習指導要領」の低学年および中学年については「答申」以前の「国語・算数・社会・理科・音楽・図画工作・体育、道徳、特別活動」から「答申」以後「国語・算数・生活・音楽・図画工作・体育、道徳、特別活動」へと改変されています。この改変によって幼稚園教育から小学校教育への移行が円滑になったといえるのでしょうか。「幼稚園教育要領」の方は幼児自身に内在する基本的能力を基準とするものから文化的・社会的課題を基準としたものへ改変されているように思われますが、小学校の改変は必ずしもそのような幼稚園の改変の方向に沿ったものと言うほどではありません。「答申」としては幼稚園教育を小学校低学年の教育に近づけることが「移行を円滑に」することと考えられているのです。
(二)「最終答申」は「中等教育段階における『社会』科の教科構成の在り方、家庭科の内容と取扱いについて検討する」としています。
 「社会科」について言えば、小学校から高等学校までの歴史教育が「通史の繰返しになり、その重点が明確でない」というのがその理由ですが、「歴史教育」の系統性や専門性を重視する観点から「社会」科の枠を見直す方向が提起されました。その直後の学習指導要領の改訂では、高等学校について社会科は廃止され、「地歴」と「公民」に分割され、かつ選択教科とされ、中学校については第三学年について「社会科」が選択教科になってしまいました。
 戦後、新設された「社会科」の目的は一九四七年の『学習指導要領一般編(試案)』によれば「今日のわが国民の生活から見て、社会生活についての良識と性格を養うこと」とされていました。また、『学習指導要領一般編(試案)』の第四章「学習指導法の一般」においては、子どもたちは「現在ならびに将来の生活に力になるようなことを、力になるように学ばなくてはならない」として、第一に、教師主導ではなく「学ぶのは児童だ」という見地にたつこと、第二に、子どもたちが「ほんとうに学んで行く道すじに従って学習の指導をしなくてはならないこと、などを強調しています。「初期社会科」ともいわれるこのような社会科観はその後、一方では「社会科学教育」への方向と、他方では地理的分野・歴史的分野・公民的分野への分化(一九七六年の教育課程審議会答申)の方向、という経過をたどっていきました。
 学校教育法は小学校の目的である初等普通教育の目標の最初に「学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと」(第十八条)を掲げています。学校内外の社会生活についての子どもたちの経験にそくして、仲間同士や先生との関係、家庭や地域における人間関係等について正しく理解できる能力、協同できる能力、自主的に判断しできる能力、自律性をもって処理できる能力等を子どもたちの発達段階にふさわしく育成していくことが重要ですし、そのような教育を通して徐々に社会現象を科学的に認識し判断することができる能力が育成されていくことでしょう。「社会科」の改革と充実は普通教育全体にわたって今日切実に求められているのではないでしょうか。
 ところが、小学校低学年と中学校、高等学校とで社会科が廃止・分割され、もしくは選択教科とされることによって、子どもたちにたいして小学校から高等学校にかけて一貫してトータルな社会認識能力を育成するという普通教育の目標はズタズタに切り裂かれてしまいました。これで時代の変化をみぬき理性的人間として的確な社会的判断力をすべての子どもたちに育成することはほぼ不可能になったといえるのではないでしょうか。今日、青少年犯罪の低年齢化とか「透明」感などが社会的関心事になっていますが、それはとくに「社会」科に見られるような普通教育の形骸化と社会的病理現象とがむすびついた構造的な荒廃としてうけとめる必要があるように思います。
(三)「最終答申」は「『技術・家庭』『家庭一般』については、技術や技能の習得の観点や、例えばよき家庭を築くための学習など家庭の教育力の活性化の観点から、その内容を見直す」ことや共通必修的内容と選択的内容の区分、などを提言しています。
 知識よりも技能を重視し、「よき家庭」・「家庭の教育力の活性化」ということで家庭の倫理的価値的側面を強調し、そのうえで男女共修化をめざすとしています。
(四)最後に「最終答申」は「健康教育を充実するため、道徳・特別活動、保健体育など関連する教科の内容、在り方を検討する」としています。「都市化」「情報化」が「児童・生徒の身体的活動を行う場所と時間を減少させ」、また「現代の生活環境」は「児童・生徒の精神的負担を大きくしている」ことを指摘しています。このような認識から子どもたちの「生活環境を健康的・人間的なものにする」とともに「生命の尊厳・生きることの意義を基盤とし、(中略)今後は、とくに心の健康をふくめ、長期化する人生の全生涯にわたり健康で充実した生活を送ることができるようにする」と述べています。
 「都市化」とか「情報化」ということ自体きわめて曖昧な特徴づけですが、それはともかく社会のある種の動向が子どもたちの身体的・精神的活動を弱体化させていることが明かになった場合、「生活環境の改善」と同時により本質的には身体的・精神的諸能力の実態をうけとめそれらの回復・向上をめざす学校教育の努力が求められるのではないでしょうか。
 身体的活動が弱体化した、精神的負担が増加した、だから子どもたちの身体や精神に対する理解や認識が弱まり、したがって生命を軽んずる考え方や生き方が強まり、問題行動・犯罪の若年化等が激増することになるのだ、したがって「生命の尊厳・生きることの意義」あるいは「心の健康」を中心とする「健康教育」を重視しなければならない、具体的には「道徳、特別活動における指導との関連を図り、保健体育など関連する教科については、健康科学を基盤として、新たに教科として再構成することが適切であるかどうかも含めその内容を検討する」としています。生命を軽んずる子どもたち、善悪の判断ができない子どもたちを、保健体育なども活用してしっかりと子どもたちを鍛え、学校教育の道徳化をはかり、少年法などを改悪するなどして、「犯罪」防止社会さらには道徳国家を「生涯学習体系」の名のもとに構築していくという構想がそこには明確に提示されています。

  三 「教育内容にかかわる制度の運用上の改善」

 この部分についても第二次答申でより具体的に提起されています。これらの多くはすでにその後の第十五期・第十六期中央教育審議会答申等で具現化されていますので、次章でも触れることになりますから、ここでは基本的な論点にしぼって述べておきたいと思います。
(一)学習指導要領については、「多様な創意工夫ができるよう」にするという観点から「大綱化」をさらにすすめる、教科によっては「基礎・基本」の明確化と充実をすすめる、選択教科を拡大する、必修教科・科目についても学校による選択的な取り扱いができるようにする、教科の指導にあたって合科等柔軟な取り扱いができるようにすることなどが挙げられています。
 「大綱化」について言えば、学力テスト事件裁判での判決において用いられた「最小限度要請される全国的画一性を維持するに足る大綱的な基準」という言葉を契機に用いられてきたものと思われます。この場合の「大綱的基準の範囲」については「教科、科目、授業時間数、標準単位数」に限られる(尾山宏氏、雑誌『教育』三二二号、一九七五年)とされています。学校教育法の教科についての規定(小学校については第二十条、中学校については第三十六条、高等学校については第四十三条)はいずれもそれらの条項に先立つ初等普通教育・中等普通教育・高等普通教育についての目標規定に従うと規定されていますから、「大綱的基準」とは法制上は〈普通教育についての教育目標から導かれる教科編成・教育課程〉と解するのが妥当ではないでしょうか。判決上では「大綱的基準」は「全国的画一性を維持する」ために必要であるとされていますが、「全国的画一性」については「普通教育」の根本的理念に照らして理解されるべきでしょう。
 「答申」が用いている「大綱化」と学力テスト裁判判決等で用いられている「大綱的基準」とを同一に論じることはできませんが、「答申」はこの「大綱的基準」をどのように踏まえているかは説明するべきでしょう。「多様な創意工夫」を進めるために「大綱化」を図るというのでは「大綱的基準」と「大綱化」とは逆方向の関係にあるというべきではないでしょうか。
 「基礎・基本」ついていえば、学校教育法が定める普通教育の目標自体が全体として「基礎・基本」であって、そこから導かれる教科等の内容がさらに「基礎・基本」部分と「基礎・基本」でない部分とに分化できるというものでは本来ありません。これまで「学習指導要領」が改訂を重ねながら、「基礎・基本」ともいえないような教育内容を教科等に盛り込んできたことがさまざまな弊害をもたらしてきたのは明白な事実と言えましょう。ですから「学習指導要領」等を普通教育が本来求める教育内容に再整理をすること自体はきわめて切実な課題となっていることも事実と言えましょう。しかし、「答申」には「学習指導要領」を普通教育のあり方に照らして反省してその見地から「基礎・基本」を明確にするという自覚はまったく見あたりません。ここでいう「基礎・基本」とは、例えば「国語」について言えば「読み・書き」を技術主義的に習得させるという方向にしぼりこんでいくということであって、学校教育法に明記されている「日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと」というような方向、あるいは一九四七年の「学習指導要領一般篇(試案)」に記されている「国語を正しくよく話し、かつできるとともに、また正しく読み、綴り、書く能力を持つようにする」というような方向からの基礎・基本の設定にはなっていないのです。もちろん、「国語」という認識でいいのか、日本語とするべきではないか、読み・書き以前に話す・聴く能力の育成を重視するべきではないか、などの問題もあわせて検討されるべきでしょう。
 つぎに、選択教科の拡大についても高等学校での大規模な選択教科の配置にとどまらず、一九八九年改訂の中学校学習指導要領では第三学年に、さらに一九九八年の改訂では第二学年への選択教科の拡大が具体化されています。
 また、「合科等柔軟な取扱いができるようにするなど例外的な取扱いについても配慮する必要がある」と述べています。一九八九年改訂の小学校学習指導要領からは第一・二学年の理科・社会科が廃止されて「生活科」におきかえられました。一九九八年改訂の小学校・中学校の学習指導要領からは週二〜三時間(小学校第三学年以上)の「総合的な学習の時間」が導入されることになりました。
 一九四七年の「学習指導要領一般篇(試案)」では教育課程は一〇〇%教科で占められていました。一九五一年改訂で教育課程に「教科以外の活動」が導入され、一九五八年改訂からは「道徳」「特別教育活動」および「学校行事等」と拡大し、一九六八年改訂以降はでは教科以外には「道徳」「特別活動」となり、一九九八年改訂でさらに「総合的な学習時間」が導入されることになり、小学校の教育課程全体のなかで教科の占める割合は戦後五十年の間に一〇〇%から八〇%へ(小学校第六学年)と削減されています。
(二)高等学校の修業年限について「答申」は定時制・通信制(現行四年制)が三年制に、他方全日制高校の方は三年制から四年制への延長を提言しています。前者の方は一九八八年の学校教育法改正で修業年限三年以上に改められました。「生徒の履修の実態と専門教育を深めさせる」ことが理由とされていますが、いづれも専門教育化の方向ではなく、普通教育機関として充実させる方向での改革が求められているのではないでしょうか。単位制高校についても一九八八年の単位制高等学校教育規程によって制度化されることになりました。
(三)「最終答申」は学校間の接続関係の全般的な見直しを提起しています。全体として大学のあり方の改変にあわせて高等学校から幼稚園に至るまでの各学校間の接続関係をよりスムーズにすることが意図されています。ここには学校制度を教育学的な観点からではなく、人材供給機関としてしか見ようとしない臨時教育審議会の立場が露骨に示されているといえます。
 「接続」が問題となるのは「非接続」的な関係の存在を前提としています。幼稚園・保育所と小学校との間、小学校と中学校との間、中学校と高等学校との間、高等学校と高等教育との間には法制上というよりも行政上あるいは政策的にさまざまな「非連続」な関係が制度化されてきました。
 例えば「最終答申」によれば、「義務教育の最終段階としての中学校の教育内容の完結性を見直し、青年期の教育としての連続性を重視するという観点から、高等学校教育との内容の一貫性を強化する」としていますが、中学校と高等学校は現行法制上は基本的に普通教育機関として一貫性あるものとして位置づけられており、また中学校教育(中等普通教育)を基礎として高等学校教育(高等普通教育)が位置づけられています。しかしながら、文部省は中学校までの義務制を「義務教育」と言い換え、高等学校への連続制をたちきり完結性を求め、両者を入試によって接続させることによって、不当に多様化させた高等学校のありかたに中学校教育のあり方を従属・統制させるという政策をとってきたのです。これは中学校と高等学校との関係についての戦後理念の逆行というべきものです。  
 幼稚園と保育所との間にも法制上二元的な関係がありその一元化が求められてきましたが、「答申」はそのことには触れずに「就学前教育の普及状況、心身の発達の連続性、幼児期および児童期の発達の特性」等を指摘しながら両者と小学校との「継続性」を強化するとしています。それらを根拠にするのであれば、まず幼児教育の見地から幼稚園と保育園との関係について学校教育法等を改正し、さらにその基礎のうえに小学校教育との連続性をはかるべきです。小学校に対する政策的動向を前提としてそれに保育園・幼稚園を従属させていく方向で「接続」を強化するのはやはり逆行というべきです。
 「接続」問題に関して歴史をふりかえっておきたいと思います。
 一八七八(明治十一)年のことですが、太政官の小泉信吉と中上川彦次郎は大隈参議にたいし報告書を提出していますがそこでは学校系統が「大学ー中学ー小学」となっているのは「大失誤」であると述べています。小学校を卒業して「各自ノ産業ニ就ク者」が多いのに小学校の教育は中学校へ進む者のために編成されている、そのため「小学生徒ノタメニハ其便堪エ難キモノ」となっている、というのです。一〇〇年もまえに「大失誤」と見なされていた政策を臨時教育審議会はさらに大規模に促進しようとしているのです。なお、小泉らの主張は以上のことを根拠に「大中小学ヲ区別シテ各自独立ノモノ」とし、「大中小学トモ各別ニ固有ノ性質ヲ具エ」それぞれで「全備ノ教育ヲ授ル」ことができるようにするべきであるという結論を引き出しているのです。「各自独自」というのは小学校は「下等ノ農工商等カ日常缺ク可ラサルノ教育」、中学校は「中等社会ノ人民ニ必要ナ識芸」そして大学は「学士又ハ重職ノ官吏等最上ノ知識ヲ要スル者ノミヲ教授スルノ場所」という意味でした。教育令はその後(明治十九)年に小学校令・中学校令などと学校種毎に分化され、その意味では彼らの主張は実現されたのですが、大学ー中学ー小学という関係はいっそう強化されていきました。
 戦後の教育改革は法制上は戦前的な学校系統を基本的に否定し、小学校を基礎に高等学校まで普通教育として一貫させるという理念を確立したのですが、現実的には「社会的要請」を論拠に大学ー高校ー中学校ー小学校という方向を軸に各学校を位置づけるという政策が推し進められていきました。臨時教育審議会の答申は生涯学習体系の原則にたって学校を人材養成・人材供給機関としてとらえるという見地から最終出口である大学を頂点として学校間の「接続」関係を全般的に調整することを意図したものといえます。