はじめに

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  普通教育という言葉を知っている人は多いと思いますが、その意義を理解している人は少ないと思います。それもそのはずです。それにはそれなりの理由があるのです。しかし、いささかかまえた言い方をすれば、これからの日本そしてこれからの世界において普通教育はまさにキーワードの一つになるのではないかと私は考えています。本書は教育に関心をお持ちの方々にひろくそのことを訴え、いっしょに考えていくきっかけになることを願って書いたものです。

 戦後日本について言えば、日本国憲法に普通教育という言葉が「憲法ノ指導精神」と結びついて導入され、教育基本法や学校教育法にも普通教育についての重要な規定が盛り込まれることになりました。ところが、普通教育の理念・目的等がほとんど具体化しないうちから、普通教育「偏重」のかけごえのもとに教育政策からは忌避されその方向に沿った教育政策がその後の半世紀の間にいっそう拡大強化されていったのです。また、教育学研究の分野でもそれなりの歴史的事情もあって普通教育についての研究はほとんど進展しませんでした。そのようなことを反映してさまざまな教育研究団体やジャーナリズ、マスコミなども普通教育に着目してきませんでした。

 主としてこのような事情から普通教育という言葉は知っているけれどそれについてとくに考えたことはないという状況が存在しているのです。

 今日みられる教育の荒廃は普通教育の在り方と深く関わっていると言えます。もっと正確に言えば、普通教育が理念・目的にとどまらず教育課程、内容、方法、制度等の全般にわたってほとんど存在する余地がないところに教育荒廃は必然的に生ずるのです。そのことをもう少し考えてみたいと思います。


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  「日本の教育の荒廃は見過ごせないものがある。いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の続発など教育をめぐる現状は深刻であり、このまま では社会が立ちゆかなくなる危機に瀕している」。これは教育改革国民会議が二〇〇〇年十二月二十二日にまとめた「最終報告」の一節です。これほど「危機 だ」というのですから、さぞかしその原因究明も本格的に行なわれているのだろうと期待しながらその先を読むと「今日の教育荒廃の原因は究極的には社会全体 にある」、さらに読んでいくと「近年でも臨教審をはじめ改革案は幾度も出され」てきたが「改革がなかなか進まない」という不満がひろく存在している、「今 求められていることは、なによりも実行である」というのです。その「実行」のために十七の提案がなされているのですが、そのなかに教育基本法の改正も含ま れているのです。「危機だ」と言っている割にはどうも言っていることがよくわかりません。

 いろいろ考えてみる と、「最終報告」はこういっているのです。今日の教育の荒廃はそもそも「戦後教育」の理念等に問題があったのだ、だから「戦後教育」の理念等の見直しをす るために臨教審が設置されたのではないか。ところが臨教審答申は「教育基本法の精神に則って」などとあいまいなことを言っている、だから効果がなかなかあ がらないのだ、今はもうそんな二枚舌を使っている場合ではない、教育基本法改正の「実行」こそが重要なのだ、ということなのです。そこには「危機」をなん とか打開しようという意欲はまったくみられません。「危機」にたいしては打つ手はなし、あるのは臨教審答申以来進めてきた教育政策をスムーズに実現してい くために教育基本法を改正するだけなのだ、ということなのです。

 ところで、「戦後教育」の理念といえば日本国 憲法の教育条項をはじめ教育基本法あるいは学校教育法の理念・目的ということになるのでしょうが、その理念・目的だけではなく、小学校から高等学校までの 教育は憲法上は「普通教育」と言うことになっているのですから、「普通教育」のあり方も「今日の教育の荒廃」の元凶だということになるのです。はたしてそ うなのでしょうか。

 日本国憲法は主権は国民に存することを「人類普遍の原理」として宣言し、教育権は主権者た る国民にあること、国民は教育を受ける権利を有していることとともに、すべての子どもに「普通教育」を受けさせることは主権者たる国民すべての義務だと定 めているのです。ではその教育もしくは「普通教育」の理念・目的はというと「人間の育成」を基礎とする「国民の育成」である(教育基本法の前文および第一 条)としているのです。これをうけて学校教育法は小学校・中学校・高等学校各段階の「普通教育」の目標を具体的に掲げているのです。

  政府・文部省はこのような普通教育制度の定着を恐れ、日本の国情に合わないということで早くからその「偏重」是正を基調とする教育政策をすすめ、その後の 日本の教育の進展にあわせてその政策をエスカレートしてきました。それは国民の教育要求から遊離するものでしたから、とくに一九八○年前後から荒廃現象が 社会問題化しはじめました。しかし「最終報告」はそのことを認めようとはせず、「個性重視の原則」に立った「生涯学習社会」を構築することこそがすべてを 解決するカンフル剤であるとしてそれを実現するために教育基本法を改正しようとしているのです。教育基本法は臨教審答申がしめす改革方向とは絶対的に矛盾 することを「最終報告」が告白しているのです。

 

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  「最終報告」が指摘するまでもなく、今日の日本の教育をめぐる現状はまさに危機的といわざるをえません。そしてさまざまな事件や子どもの現状を通して言え ることは、子どもたちは今、人間として認めてもらいたい、人間として接してほしいと必死に訴えていることです。一〇数年もまえから子ども達の様子につい て、遊べない、学べない、人間関係がつくれないなどが指摘されてきました。人間として生きることができない、これはまさに人間社会にとって根源的な危機と いえるのではないでしょうか。

 臨時教育審議会は「人間の育成」を否定して「国民の育成」もしくは「日本人の育成」を根幹とする「個性重視の原則」を教育改革の基本原則として押し出しました。その後の一連の教育政策はまさにその具体化にほかなりません。

 ところで「国民の育成」を理念とする教育観に抗して「人間の育成」を第一義的とする教育観こそ普通教育の理念にほかならないのです。

 普通教育はこれまで歴史の大きな転換期に登場してきました。そして普通教育は転換期がすぎると歴史の舞台から追い払われてきました。

  フランス革命の前夜にルソーなどが普通教育の思想を展開しました。ルソーは「人間よ、人間的であれ。それがあなたがたの第一の義務だ」(『エミール』、岩 波文庫上巻、一〇一ページ)と主張しました。十九世紀に入って資本主義原理の確立とともに、総じて「市民の育成」あるいは「国民の育成」を理念とする近代 学校が制度化されていきました。普通教育論は抑圧されていきました。

 日本ではどうでしょうか。「文明開化」と いう言葉に象徴される明治維新は当初から「普通教育」という言葉が教育の諸分野で用いられていました。これは興味のあることです。しかしながら、それは長 くはつづきませんでした。一八八七(明治二〇)年頃から「国民教育」への転換が主張されはじめ、それは大日本帝国憲法・教育勅語体制のなかにしっかりと組 み込まれていきました。小学校令からは普通教育という用語が削除されていきました。その後の天皇制国家体制の強化のもとで「国民の育成」は「臣民の育成」 へとエスカレートしていきました。そこでも子どもたちは人間として生きることを拒否されていました。人間として生きることはまさに国民に非ずでした。今日 の荒廃とは様子を異にしますが、これも「荒廃」のきわみといえるのではないでしょうか。

 戦後、日本国憲法は曲 折はありましたが普通教育という言葉を条文に取り入れました。これは画期的なことと言えます。戦前の国家主義的教育に対する反省というだけではなく、それ 以前の普通教育の歴史の反映という面も見落とすことはできません。教育基本法はその前文と第一条において「人間の育成」とむすびつけて「国民の育成」を掲 げました。これはまさに普通教育の理念と重なるものです。

 ところがそれもつかの間、数年後にはサンフランシス コ体制への転換を大義名分として普通教育「偏重」が叫ばれ、その是正策が教育政策の根幹に据えられることになりました。その後の教育政策はその上に構築さ れてきたのです。一九八五年の臨時教育審議会答申はその方向を一気に引き上げるものでした。「人間の育成」にはまったく言及することなく、「国民の育成」

「日 本人の育成」が教育改革の基本理念として位置づけられました。「人間の育成」に関心を払わない教育政策は学校だけではなく社会のさまざまな分野で重苦しい 状況を生み出しました。子どもたちはさまざまなストレスに喘ぎはじめました。多くの教師の必死の努力や父母・国民の真剣な努力にもかかわらず「荒廃」現象 は広がっていきました。普通教育自体まさに「死語」化されているのです。

 

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  本書は四つの章と二つの補論から構成されています。第一章では戦後の教育改革で普通教育はどのように位置づけられたのか、第二章では、戦後、普通教育はど のように進展していったのか、第三章では、臨時教育審議会が進めている「個性重視の原則」にたつ教育改革は普通教育とどのような関係にあるのか、なぜ今教 育基本法の改正なのか、そして第四章は「課題と展望」について論じています。また、補論(一)では、普通教育についての思想がどのように生まれてきたの か、補論(二)では、戦前の日本とくに明治前期には普通教育の豊かな歴史があったこと、またそれが「国民教育」に転換していったこと、について述べていま す。

 普通教育を現実社会の中で全面的に実現していくためには普通教育の内容や方法、カリキュラムや制度等につ いてしっかりとした検討に基づいた理論が不可欠です。本書はそのような課題に全面的に応えるものではなく、普通教育って何かという基本的な枠組みを提示し ようとするものです。多くの方々からのご意見やご批判を受けながら、ひきつづき内容や方法等についても検討していきたいと思っています。