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はじめに

 本書の目的は普通教育こそが閉塞状況にある日本の教育現実を打開する基本理念であるということを説くところにあります。
 養老孟司氏がその著『バカの壁』の中で「『人間であればこうだろう』ということは考えられる。それは普遍性として成り立つわけです。人間であれば、親しくなった人間を殺すかという話になって、それはしないだろう、というある種の普遍性を必ず持てるはずなのです。(中略)『人間であればこうだろう』ということは、非常に簡単なようで、ある意味でわかりにくい。それでも、結局、そうしていくしか道は残っていないはずだ、と思うのです。イスラム教徒だろうが、キリスト教徒だろうが、ユダヤ教徒だろうが、あんた、人間でしょう、という考え方です。『人間であればこうだろう』ということは、普遍的な原理になるのではないか」と述べています。
 このような見解は普通教育の理念にも相通じるものがあります。しかし、もう少し突っ込んで考えてみたいと思うのです。「親しくなった人間を」とか「ある種の普遍性を必ず持てるはず」とか「そうしていくしか道は残っていないはず」(傍点引用者)という語句が気になります。
 今、子どもたちは仲間や周囲の人々と簡単には「親しくなれない」状況に置かれています。学校の先生たちが「最近の子どもたちは人間関係をつくることができなくなった」と嘆く問題です。そういう子どもたちを前にして「どうすれば「普遍性を必ず持てる」ように指導できるのか、と私は考えるのです。この普遍性を人間性に置き換えて、子どもたちは教師に導かれながら互いに学びあう中でさまざまな学習内容を人間性と結びつけながら習得していくことができるならば、養老氏が言うように「殺すかという話になって、それはしないだろう」ということは考えられます。だとすれば、養老氏の見解はそのような教育、すなわち普通教育とセットになってはじめて真価が発揮されるのではないか。『バカの壁』を読みながら私はこのように思いました。「そうしていくしか道は残っていないはず」の部分は普通教育の世界を切り開いていくしかない、と読むことができると私は思ったのです。
 普通教育とは、養老氏の言葉を借りるならば、「人間であればこうだろう」と自覚できるような人間を育成する教育を言うのです。人間として当たり前の判断力を育成する教育、人間を人間として育成する教育、を広義の教育と区別して普通教育というのです。
 この普通教育は、大人社会の中で政治や経済の論理から期待されたり理想化される人間もしくは国民像の育成を目的とする教育ではなく、子どもに内在している人間的諸能力を合理的に育成していく教育なのです。
 この普通教育の理念は十八世紀後半に西欧で生まれましたが、現実社会が要請するさまざまな教育理念との関係の中で基本的には抑圧されながら複雑に展開することになります。日本では明治前期は普通教育の時代とも言うべき一時期もありましたが、やがて教育勅語に導かれた「国民教育」の時代となります。戦後は日本国憲法をはじめ教育基本法等に普通教育という語句が導入されたにもかかわらず、その後は再び事実上「国民教育」政策が支配的になり、普通教育の理念は忘れ去られていきました。その必然的な結果として教育の荒廃が蔓延する事態になっています。この方向に法律上の追い討ちをかけるものが二〇〇六年の教育基本法の「改正」であり、その後の教育三法「改正」でした。
 教育基本法「改正」法案を策定する過程で政府・文部省は憲法や教育基本法にある「普通教育」という概念を一時は抹殺しようと試みましたが、結局「義務教育として行われる普通教育」というねじれた語句として残さざるを得ませんでした。
 「国民の育成」を基本理念とする改正教育基本法と「人間の育成」を理念とする普通教育について規定している憲法とは明らかに矛盾するのです。この矛盾を取り繕うために改正法案審議にあたって文部科学大臣は教育基本法の「普遍的理念は継承する」と答弁せざるを得ませんでした。しかし、その場合でも「基本理念を継承する」とは絶対に言わないのです。基本理念と言えば「人間の育成」となるからです。「普遍的理念」と言えば「人格」とか「平和」など何でも入ってくるのです。かつて教育勅語に掲げられている「夫婦相和シ」などを現代にも通じる普遍的真理だからと言ってその復活を主張してきたのと同じ論法です。
 この矛盾した構図のもとで、日本国憲法に基づいて普通教育の理念の徹底を進めて行くのか、それとも真綿で首を締めるように普通教育を窒息死させるのかが教育基本法改正後の根本問題と言えるのではないでしょうか。
 それにしても普通教育ってどうしてそんなに重要なの?これまで聞いたこともない、という状況は依然としてあります。しかし、それは無理もありません。政治、政策、運動、学術などさまざまな分野で普通教育という言葉は忘れ去られてきました。「もはや死語となった」とも言われてきました。同時に「教育学は『普通教育とは何か』を本格的に問うてこなかった」(竹内常一、二〇〇二年) という教育学研究者の反省も出はじめています。
 今日、根底においては、教育問題の広い分野で事実上普通教育が掲げる理念を切実に求める現実もひろがっています。このような状況のもとで普通教育とは何かについてあらためて提起することが求められているのではないか。これが本書を執筆した理由です。読者の忌憚のないご意見等をいただければ幸いです。



《コラム》 普通という言葉をめぐって
 「そんな普通の生活はしたくない」という人もいれば「普通の生き方」を夢見る人もいます。冒険家として知られた植村直巳氏はごく普通のひとだったと言われています。平凡な生活を求めず極限状態に挑む生き方も人間としてはあたりまえなのです。人間としてあたりまえの感情、ものの考え方、生き方を求めること、これは人類にとって普遍的な営みといえます。俳優の米倉斉加年氏は『いま、普通に生きる』(新日本出版社、二〇〇六年)という著書で「普通ということは宇宙的ですらある」と述べています。
 なんらかの事情でそのような生き方ができず、他人を理解できず、他者を傷つけ、自分本位の生き方しかできない、そういう生き方に対して「そんなの普通じゃない」という場合があります。普通教育を圧し殺し、それぞれに特色ある生き方を「個性重視」の名のもとに奨励し、それらを「国民」として統合していこうとする教育と普通教育とは対極にあるのです。


第一部 普通教育とは何か
 
 第一章 普通教育の理念
  
  第一節 教育と普通教育
 「教育とは何か」について論じられても「普通教育とは何か」については論じられることはほどんどありません。教育の歴史を振り返っても教育と普通教育とは区別されてきました。日本国憲法も教育と普通教育を区別しています。このことについて知らない人が多いのではないでしょうか。しかし、この区別はきわめて重要と言えます。
 教育を文字通り教え育てると理解しようが能力を引き出すと理解しようが、そのような教育は大人の世界でもおこなわれますし、子どもの世界でも行われています。子どもの世界にはそのような意味での教育と普通教育とがあるのです。普通教育は子どもの世界にあって子どもを人間として育成する社会的な営みのことを言うのです。もちろん、普通教育においても教え育てるとか能力を引き出すという教育的営みはあります。
 学校についても同様のことが言えます。学校は大人の世界にも子どもの世界にもありますが、今日の日本では高等学校までの学校は普通教育機関としての学校です。大人の社会における学校は、大学もその中に入りますが、これは普通教育機関ではありません。
 普通教育の世界はそれに対応する法律、制度、義務年限、教育課程等が対応することになります。私たちは一般には教育と普通教育とを区別することなく、学校教育とか義務教育という言葉を用いながら無意識に普通教育の世界のことを論じているのですが、厳密に考えれば学校教育も義務教育も普通教育以外の世界でも用いられる言葉です。教育と普通教育とは明確に区別する必要があるのです。これらのことについては第一部第二章第十三節を参照してください。

【コラム】 educationとpedagogy
 教育の英語表記として一般的にeducationという言葉が使われていますが、教育学についてはpedagogyとなっています。語義上、educationは「能力を引き出す」という意味ですから、子どもが大人の能力を引き出す場合もeducationという言葉が妥当します。pedagogyについては「子どもを導く」という意味ですから、もっとも広い意味で大人が子どもを導くということになります。教育と普通教育との関係で言えば、教育にはeducationが対応しますが、子どもを人間として育成する普通教育にはpedagogyが対応するといえそうです。しかし、普通教育の英語表記はgeneral education あるいはcommon educationなどの言葉となっています。

  第二節 普通教育の定義
 普通教育とは子どもの世界にあって子どもを人間として育成する社会的営みだと述べましたが、それはただそういう社会的営みの空間あるいは領域を意味するだけではありません。明確な理念をもった概念なのです。
 文部省も普通教育について次のように定義しています。「普通教育とは、人たる者にはだれにも共通に且つ先天的に備えており、又これある故に人が人たることを得る精神的、肉体的諸機能を十分に、且つ調和的に発達せしめる目的の教育をいう」(傍点引用者) この定義は一九三九(昭和十四)年に発行された『教育学辞典』(岩波書店)における定義に依拠したものですが、そこではコメニウス、ルソー、ペスタロッチの思想に由来することなどが説明されています。
 ここで重要なことは「人が人たることを得る」ということです。人間の人間たる所以は理性を有することだとは言われていますが、それはその理性は生まれたときから存在しているものではありません。将来理性として結実していくであろう可能性に満ちた諸能力を自立した理性的存在にまで育て上げていく、このような教育によってはじめて人間は人間となることが出来る、こういう思想、理念が普通教育という概念を生み出したのです。
 文部省は戦後まもなく『新教育指針』(一九四六年)という文書を全国に配付しますが、そこには「教育は人間を人間らしく育てあげることを目的とする」と述べています。これはまさに普通教育の理念を言い当てたものと言えます。文部省は戦後当初、教育学的見地に立って普通教育の理念を説明していましたが、その後その見地を大きく変更し、普通教育の実質を形骸化させる政策を一貫して推進してきました。その結果としてさまざまな教育のゆがみや荒廃が生ずるようになったのです。人間を人間として育てない、「人材」とか「個」などのように商品生産、政治支配の道具としてしか子どもたちを見ないわけですから荒廃するのは当たり前なのです。  
  
  第三節 さまざまな普通教育観
 普通教育を「人間を人間らしく育てあげる教育」として思想のうえで深く解明したのはルソー(一七一二〜八二)ですが、ルソーのような普通教育観がすべてではありません。
 コンドルセ(一七四三〜一七九四)の場合は「市民の育成」を目的とする教育を「普通教育」とし、青少年だけではなく成人にまで広げた普通教育制度を構想しました。  普通教育をめぐっては古代ギリシャの自由学芸の思想などにその源流を求める見解もありますが、子どもにおける理性の育成を明確に自覚した普通教育観は十八世紀後半、とくにルソーによって明確に自覚されたというべきでしょう。
 わが国においてもとくに明治前期、さまざまな普通教育論が主張されましたが、これらについては、第二部、第三部あるいは第四部補論などを参照してください。
  
  第四節 なぜ普通教育の理念は広がらないのか
 普通教育の二百数十年の歴史は決して平坦なものではありませんでした。結論から言えば、資本主義社会に基礎をおく現実の政治社会のなかで普通教育の理念を実現することの困難性に起因していると言えます。しかし、普通教育の理念は普遍性を有するものですから、現実の教育制度の広がりの過程とも結びつきながら徐々に浸透してきているといえます。最初は個人の思想として表明され、さらに継承発展され、今日わが国では憲法にすら位置づけられているのですから、長い目で見れば大きく発展してきたと言うこともできます。
 わが国の場合、「文明開化」策を背景に明治前期はむしろ普通教育の時代とも言える時代が現出しました。しかし、帝国憲法・教育勅語の制定を前後して「普通教育」から「国民教育」への転換が強行されました。「国民教育」政策は時代の進展とともにエスカレートし、戦前日本の教育を支配していきました。
 戦後日本においては、日本国憲法や教育基本法に普通教育という語句が採用されるなど「国民教育」の反省の上に「普通教育の時代」が到来すると思われましたが、それもつかの間、まもなく「普通教育偏重」が言われ、普通教育の理念は換骨奪胎され、普通教育という言葉だけは残りましたが、内実においては「国民の育成」、「日本人の育成」政策が推進されていきました。
 一九八五年、臨時教育審議会が掲げた「個性重視の原則」は教育基本法の明文改悪を意図したものでした。これを大きな踏み石として二〇〇六年十二月、「国民の育成」を目的とする教育基本法「改正」が実現することになったのです。
 教育学研究や教育運動の面でも普通教育という概念が忘れられていきました。一九六〇年代、安保条約改定という政治状況の中で、真の独立を求める政治主体の育成、真の主権者国民を育成するという見地から「国民教育運動」が展開されるようになりました。主権者である国民の政治的成長、政治的判断の高まりを求める国民運動の提唱自体は積極的な意義を有するものですが、その観点が強調されるあまり、「人間の育成」を理念とする普通教育を事実上過小評価するという問題を孕むものでした。
 本書冒頭で養老孟司の見解を紹介しましたが、その中で養老氏は「『人間であればこうだろう』ということは、非常に簡単なようで、ある意味でわかりにくい」とも述べています。それはさまざまな人間観があるなかで、人間についての分析力、想像力、洞察力を必要とすることと関係があると思います。
 普通教育についても同じようなことが言えます。子どもたちが教師に導かれながら互いに学びあう中でさまざまな学習内容を人間性と結びつけながら習得させていくということはけっして簡単なことではありません。今日のように教職員が多忙な状況のもとではきわめて困難な事業とも言えます。だからこそ、普通教育の理念を明確にし教育実践のレベルで実現できる環境をひろげていくことが求められるのです。

 第二章 普通教育の原理
  
  第一節 普通教育における人間の育成
 重要なことは普通教育において「人間の育成」とは何かを明らかにすることです。一般的に「人間の育成」という場合、さまざまな人間像・人間観を掲げてそれらの育成を論じたり、それぞれの学問領域から見た人間観に即して論ずることが多いのですが、それらと普通教育における「人間の育成」とは根本的に異なるのです。ルソーが「人間は教育によってつくられる」と述べ、カントが「人間は、教育によってだけ人間になることができる」と言う場合、かれらは普通教育という言葉こそ用いていませんが、事実上普通教育における「人間の育成」を問題にしているのです。
 では、普通教育における「人間の育成」とは何を意味するのでしょうか。 
 どんな子どもも理性的判断力として将来結実していくであろうさまざまな能力をもって生まれてくるという事実を根拠に、それらの能力を理性的判断力にまで育てていくのが普通教育だということです。
 ではどのような能力があり、どうすればそれらは理性として結実していくのでしょうか。このことは次節以下で順次述べていくことにしますが、この世界こそ普通教育の世界なのです。それはいわば宇宙にも似て広くて深くてさまざまな専門的力量やさまざまな制度を要する大変な世界なのです。すべての国民は当然のこと、非常に多くの関係者が深く関わる世界なのです。この世界を全体として歪めてしまうと子どもたちは、平気で人を傷つけたり殺したり、暴力や戦争に加担したり、自分中心になったりなどきわめて非合理的な人間として育成されることになるのです。反対に、この世界を社会全体として合理的に組織できれば、子どもたちは現実や未来を見定め、自分をはじめ仲間や社会を大切にしながら社会そして世界のさまざまな進歩に貢献できる人間として育成されることになるでしょう。
  
  第二節 普通教育において求められる能力=学力
 人間が生まれながらにしてもっている能力はさまざまな条件・環境のもとで発現していきます。なんらかの動機や外的誘導によってある種の能力が異常に肥大化したり、逆に何らかの環境によってある種の能力が死滅したりもします。これらの能力は一定の条件と環境のもとではそれ自身の生命力に基づいて成長・発達していきます。水や空気がなければ一瞬たりとも生命を維持することはできないのです。
 人間として成長できる環境のもとでは、一方では理性的判断力が形成されていきますが、他方ではその個々人の天分や欲求や必要性に応じてさまざまな能力として結実させていきます。生涯にわたってスポーツや芸術や趣味を貫く能力としても発展していきます。
 子どもたちの能力はそれ自体不可分な総体としてつねに存在しており、したがってまた、あの子は足が速いね、とか字を書くのが上手だねという具合に、外的にもさまざまに表出されます。それらを能力としても学力としても観察し把握する機会・場所もまた広範に存在します。一人の子どもを眺めながら、教師が見る目と保護者が見る目とスポーツ指導者が見る目とではそれぞれ違うのです。
 理性的判断力の育成という側面から能力を捉えた場合、その能力を学力ということができます。
 家庭においてであろうと学校であろうと遊びやレクリエーションの機会であろうと子どもたちの能力を学力として観察し学力として育成を促すことは可能なことです。もちろん、その場合、学力として観察し学力として促すことができる特別な能力がそこには求められます。このような特別の能力・専門性を習得した人が広い意味での教師ということが出来るのです。その意味では父親も母親もお年よりも青年も教師となる可能性を有しているといえますが、それはあくまでも瞬間的・一時的な可能性にとどまるでしょう。理性的判断能力とはどのようなものか、それはどのようにして育成可能なのか等について理論的・実践的専門性を有する教師が求められる所以です。
 「普通教育において求められる能力」を私は学力と言いましたが、一般的には学力は「学校における学習で獲得した能力」とされています。普通教育の理念を明確にした場合、「学校における学習で獲得した能力」では学力の理念が不明確になると思います。この不明確さに起因してさまざまな学力観が主張されたり学力概念が定義されてきました。また、「学力論争」、「学力テスト」、「学力低下」、「学力向上」などそれぞれ異なる意味合いで学力という言葉が用いられているのが現状ですが、「普通教育において求められる能力」との関係でそれらの語句がどのように関連づけられるのか、今後の解明が求められます。
 
  第三節 普通教育の目標
 教育って結局「読み書き算そろばん」のことじゃないかという言い方は今日でもしばしば目や耳にします。あるいは「知育・徳育・体育」のことだと考えている人もいます。教育の内容としてはこの他にもさまざまな言い方がされてきました。具体的な教科とその編成については時代や状況によってさまざまですが、それらの根拠となる教育の目標についてはわが国では戦前から「教則綱領」、「教則大綱」あるいは「学科及其程度」などが策定され、あるいは小学校令施行規則によって定められてきました。
 戦後は学校教育法において「初等普通教育」の目標として八項目が掲げられました。この法定化された教育目標は概ね私たちが共有できる歴史的到達点と言うことができるでしょう。

 一 学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養う  こと。
 二 郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。
 三 日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。
 四 日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。
 五 日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。 
 六 日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。
 七 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。
 八 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。

 
 ここに掲げられた「目標」について過不足を指摘したり学術的に検討することは容易ですが、普通教育の法制上の歴史から言えば、世界にも類のないすぐれた到達点と言えると思います。
 二〇〇七年に改正された学校教育法は「義務教育として行われる普通教育」という語句のもとに十項目の目標を掲げています、それは改正教育基本法第二条に掲げる「教育の目的」に対応させたものですが、右に掲げた改正前の八項目とはまったく性格を異にするものです。このことについては第四部第二章第一節で検討することにします。
  
  第四節 個性と人間性
 普通教育において個性と人間性の関係をどう見るかは根本的な問題です。
 どんな人も個人として客観的には個性と人間性の両面から捉えることができます。個性的であればあるほど人間的であるとも言えます。学力、すなわち普通教育において求められる能力、も個性と人間性との両面から考察する必要があります。この問題ではわが国の戦後教育において注目すべき展開がありました。
 一つは、戦後文部省が配布した『新教育指針』が掲げた「個性尊重の教育」という方針が一九八五年に臨時教育審議会が打ち出した教育改革の基本原則である「個性重視の原則」に転換されたということです。もう一つは、改正前の教育基本法前文に掲げられた「普遍的にして個性豊かな」という語句が一貫して政府文部省が出す政策文書から消去され、かつ改正教育基本法には継承されなかったということです。これらのことからも分かるように、個性と人間性との関係は普通教育の理念にとって根本的に重要な論点であると言えます。この二つのことについては後に詳しく述べることして、ここでは普通教育における個性と人間性との原理的な関係について述べておきたいと思います。
 あの子は文章を読むのが早いし辞典的な意味では理解しているがそれが生きていくうえであるいは人間にとってどのような意味があるかはまったく理解していないという場合があります。わが国の現在の学力の特質についてよく言われている問題でもあります。学力において個性と人間性が分離している、真の学力は両面を統一したものでなければならないのではないか、という問題があるわけです。
 どんな子どもも「これおもしろいよ」など他者との関係を契機に何らかの学習を始めますが、その後の学習がまったく本人個人に委ねられたり放置されたら、すぐ飽きたり長続きしません。また、その学習成果もあがりません。しかし、褒められたり評価されたりすると、つまり他者との関係の中で意味づけられると、たとえその学習が努力を要したり困難であっても学習は持続し成果を挙げるものです。その場合でも、学習する内容等が真に納得できなかったり意義をつかめなければやはり意欲は減退しあるいは喪失することになります。学習する過程がわくわく感動を覚えるものである場合、その感動個性的である場合もありますが、その後学力に定着していく場合には人間的感動といえるでしょう。
 学習内容が人々にとって、社会にとって、人類にとってどんな意味があるかが分かればわかるほど充実感が湧いてくるとすれば、その充実感は人間性に由来するものと言えます。
 この両面から子どもの学力を育成したり評価できるのはそのことについて専門的能力を有している教師、しかも基本的には直接その子を指導している教師にしかできません。
  
  第五節 経験と体験
 一般に経験とは感覚や知覚によって直接的に与えられる認識であるとされています。経験は学習や思考とむすびついてより客観的な認識へと発展していきますが、その過程でそれらに対応する諸能力が育成されていきます。これらの能力を学力として育成していくのが普通教育と言えます。ここで経験は感覚や知覚がおよぶ意識的・無意識的世界にひろがっています。
 一方、認識は行動を起源と見るプラグマティズムの立場からは、経験は行動にともなっておこなわれる思考や学習によって新たな行動をひきおこす能動的活動の過程として理解されます。この場合、経験は行動する主体によって規定されますから、教育はこの経験を改造することとされます。人々の行動によって生起する諸問題を解決するための学習を組織することが教育ということになります。この教育は人間を人間として育成する普通教育とは異なり、より哲学的な見地から教育論を導き出しているといえます。一般に経験主義的教育論と言われています。
 この経験主義的教育論に対する批判として「科学的認識の形成という面での不徹底」という面もありますが、理性的判断力を育成することに結びつかない点で普通教育の見地からも問題があると言えます。
 また、生の哲学の流れを受けて、経験よりも体験を重視する教育論も主張されてきました。戦前の日本でも「体験教育」という名のもとに非合理主義教育が主張されていました。
 近年わが国では、とくに学習指導要領上、「生活科」とか「総合的な学習の時間」の目標として「体験」とか「体験活動」という言葉が盛んに用いられていますが、そこでは「経験」という語句は見当たりません。
 子どもたちがさまざまな機会に体験したり経験したものすべてが教育の対象となるわけではありません。また、子どもたちにとって教師が提示する学習内容がすべて直接体験・経験し得るものとは限りません。だからこそ可能な限り教科指導と結びつけて体験や経験を位置づけることが重要な課題となるのです。教科学習と学校内外での観察や見学等を効果的に結びつけるならば学習効果は大きなものとなるでしょう。しかしながら、両者を切り離して、教科指導と体験・経験を分離するならば、教科指導も体験・経験の方もそれぞれ子どもたちにとっては縁遠い存在となり学習意欲は低下することになります。
 子どもたちは家庭や地域の中でもさまざまに体験し、経験しています。それらが子どもたちの人格形成にさまざまな影響を及ぼしています。そのようなある意味で膨大とも言える体験、経験と普通教育とはどのように関係するのでしょうか。
 家庭の中であるいは街角でかれの人格形成に影響を及ぼすような体験・経験をした子どもに対して、学力(普通教育としての能力)の面から関わる問題があるならばそれはやはり普通教育として向かい合わなければなりません。例えば、街角での遊びを通して言葉遣いが乱暴になれば、言語教育という観点から向かいあうことになるでしょう。街角での仲間遊び自体をどう見るか、どう対処するかについては家庭や地域の人々の問題ですが、その場合であっても状況によっては普通教育の見地からもまったく関係がないわけではありません。その子どもの人格形成全体に普通教育は責任を有するのですから。

【コラム】「体験」とは
 哲学辞典等では個々の主観のなかに直接的に見いだされる意識内容、意識過程を意味し、経験とくらべて、個々の主観に属するものとして特殊的、人格的であり、また具体的、情意的であるとされています。
 体験は知性により経験的認識さらには科学的認識へと発展していくその土台ともなり得るものですが、わが国の教育政策のもとでは「体験」重視は経験に先だってそれを重視するというよりも、経験化を求めないという意味において重視されているように思われます。
 なお、この語Erlebnisはドイツ語特有のもので、他のヨーロッパ語では経験(experience)に特定の説明を加えて、体験という意味を示しています。日本語においても、生の哲学の用語法の影響から造語されたものとも説明されています。
  
  第六節 学習と教育
 近年ではユネスコ等でのイニシアティヴもあって学習権が基本的人権であるという認識が大きく広がってきました。一九八五年の「学習権宣言」は国際成人教育会議で採択されたものですが、その精神はもちろん子どもにおいても適用されるものです。そこでは「読み書きの権利」をはじめ「問い続け、深く考える権利」「個人的・集団的力量を発達させる権利」など大別しても六項目の学習権が掲げられています。
 このような学習権は基本的人権であることからいっても、生活のあらゆる場面において保障されるべきものです。
 普通教育は学習をどのように考えるのでしょうか。
 人間を人間として育成するというのが普通教育の理念ですから、子どもたちは授業における学習をとおして人間的な感情に共感しあうなかで人間的な判断力を習得していかなければなりません。
 どんな教材であれ、それを学習活動の中に位置づけた場合、その教材がもっている社会的意味、人間にとっての意義を理解することが求められます。と同時にその教材について仲間同士がどのように意味付けているかを相互に交流することを通じて、各自が共有できる理解の仕方があるということを自覚していくことが求められます。このような学習の蓄積の上に人間的な判断力を育成していくことが教育なのだということを教師は
自覚しなければなりません。
 学習が子どもたち個々人の努力や訓練にとどまったり、狭い意味での「経験」や「体験」の枠内に組織されたり、相手と競い合うことを助長するような学習からは人間的な感情や人間的判断力は育成できません。
  
  第七節 発達と段階
 子どもたちが現実社会において理性的に判断し責任ある行動が出来るようになるまでに十八年という長期間を要しますが、その間に子どもたちの学力(普通教育としての能力)は一定の法則に沿って段階を追って発達します。モーリス・ドベスは「発達心理学」とは区別して「発達的教育学」という語句を用いてこのことを説明していますが、その内容は普通教育の理念と基本的には合致するものです。
 ドベスは心理学をはじめとする諸科学が教育に対してさまざまな知見を提供してくれることを認めつつも、それらには還元できない「教育を動かし、方向づけ、目的に向かわせる価値の世界が存在する」として「発達的教育」という概念を教育学の基本に据えているのです。この「世界」についてドベスは「われわれの対象は、誕生あるいはその少し前から、二十歳前後に至るまでの人間」としていることからも、本書に言う「普通教育」の世界とほぼ重なるといっていいでしょう。近年、教育問題、学校におけるさまざまな問題の対処に心理学的知見が適用されている場合が多くなっていますが、ドベスはこのような傾向に対して教育固有の見地からの対応の必要性を主張したものといえます。
 ドベスは「発達的教育」において「鍵となる主題」は「段階」ということであって「段階を本質的なものととらえ、その概念の上に教育の全体系を立脚させる」と強調しています。
 これまでの学校教育法は普通教育を三段階(初等、中等、高等)に区分していますが、これに乳児、幼児の段階を加えれば五段階となります。この区分はある意味でわが国の戦前からの学校系統と深く結びついたもので、教育論的な見地からの段階区分とは言えませんが、わが国の法制度においても概ね五段階になっていることは興味ある事実と言えます。しかし、二〇〇七年に改正された学校教育法は普通教育を三段階に分けるという従来の見地を改変し、それとはまったく別種の区分論に立っています。これについては第四部第二章第一節であらためて述べることにします。

  第八節 指導と支援
 ルソーは「ほんとうの教育とは、教訓をあたえることではなく、訓練させることである」あるいは「指導すること(中略)これこそ成功に導く唯一の技術なのだ」と述べています。もちろん、ここでの訓練とは鍛練とか錬成あるいは機械的な訓練とは無縁です。
 子どもたちが生活の中でさまざまに経験し学習するなかで習得してきた能力を学力として受けとめ、その学力を育成していくためには訓練・指導が根本的に重要であること、それが教育であり、普通教育だと言うのです。これは教師の専門性を考える根拠ともなるものです。
 この場合、重要なことは子どもたちが友達や仲間などとの関係の中で自分の考え方や理解の仕方を確かめあいながら学習している際、教師はそこでなにが学習されているか、そこにどのような学習課題があるかを的確に判断し、適切に指導できなければなりません。そのような場面での訓練のあり方、指導のあり方について教師は習熟していかなければならないということです。
 窪島務氏は「子どもたちはいま(中略)教師の高い指導性を必要としている」と述べ、この「指導」概念を「支援」という言葉に置き換えようとする政府・文部省の教育政策を批判しています。
 「支援」という言葉は臨教審が打ち出した「個性重視の原則」と結びついた「新学力観」から導かれてくるものです。「教師の一方的な指導を避け、子どもの思いや願い、ものの考え方や発想を肯定的にとらえ、その方向で実現できるように援助してやること」(教育出版『学校教育辞典』二〇〇三年)と説明されています。しかし、教育学上のの指導概念を「教師の一方的な指導」と一面的に解釈し、それに「支援」という語句を対置するのは適切ではありません。教育学上の概念としての「指導」も教育実践の場面ではさまざまな要素を含むものであって、「思い」、「願い」、「考え方」あるいは「発想」を無視した指導はあり得ません。
 「個性重視の原則」あるいは「新学力観」が「支援」を重視するのは、すべての子どもたちに普通教育が求める学力を習得させる指導観を放棄して、「個に応じた指導」の名のもとに子どもたちの世界を能力別に再編するためなのです。
 今日、多くの子どもたちは勉強したい、もっといろいろなことを知りたい、と思っているのに、自分が頭が悪いからと学習する意欲を喪失しています。もう勉強はイヤだと思っている子どもたちにたいしてその「思い」を肯定的にとらえ、その方向を実現する「支援」にどういう意味があるのでしょうか。意欲を失ってはダメだ、きっとどこか分かるところがあるはずだ、そこから勉強し直していこう、わかってくれば勉強って面白いんだぞ、と力強く励ましていく指導こそが求められているのではないでしょうか。
 なお、二〇〇六年の学校教育法改正によって二〇〇七年度からこれまでの「特殊教育」が「特別支援教育」に変更されています。

  第九節 教育方法
 普通教育の理念は人間を人間として育成すると言うことです。しかし、どうすれば人間を人間として育成していくことができるのでしょうか。ここに教育方法の在り方が問題となってきます。
 カントは「われわれは理性認識を子どもの中に持ち込むのではなく、むしろこれを子どもから取り出す(herausholen)ようにしなけばならない」と述べ、その方法としてプラトンやソクラテスの対話法や問答法を想起しています。理性的認識の萠芽は子どもたち自身の内部に存在しているのであって、それを対話や問答という方法によって意識化させていくというのです。ここには普通教育の理念から導かれる教育方法の原理を読み取ることができます。
 教師に導かれた子どもたち同士の学習交流を通して、教材に内在する本質的な意味をつかむこと、仲間あるいは他者との間に人間として共通の感じ方や価値観というものが存在しているんだという意識を共有すること、が可能となるのです。
 一斉授業や機械的な個別指導や集団指導ではなく、教師に導かれた小規模な学びあう相互学習方法こそが普通教育の理念にもとづく教育方法と言えるでしょう。
 本書第二部第一章第三節でも述べましたが、ルソーは「共通感覚」について論じています。子どもは教師の指導・訓練のもとで自らの感覚を知覚へと転換し、さらには単純観念から複合観念へ転換しその結果として理性的判断力が育成されると構想されていました。この議論は個人主義的・心理主義的な解釈にとどめるべきではなく、子ども同士の相互交流・相互学習あるいは教師の指導と結びついた学びあう学習環境のもとで効果を発揮していくと考えるべきでしょう。
 なお、近年着目されているフィンランドの教育もこのような教育方法を示唆しています。

  第十節 家庭・地域と普通教育
(1)家庭や地域に教育力というものがあるのでしょうか。教育という言葉自体が多義的ですから、富士山などの自然や新興宗教団体や暴力組織や軍隊にも、さらに言えば宇宙などありとあらゆるものに教育力があることになります。それらにおける教育と教育学概念としての教育とはどういう関係にあるのでしょうか。そのなかでも「家庭の教育力」、「地域の教育力」がとくにいわれるのはなぜなのでしょうか。そこでの教育に「人間を人間として育成する」教育力があるのでしょうか。
 近代以降、西欧諸国では概して家族における子育て機能の弊害が顕著になり、子どもを家族から切り離して幼児教育施設が制度化されていきました。
 わが国では明治国家体制の確立とともに「家族国家」論というイデオロギーが強化され、国家倫理を説く基本単位としての家族の役割が強調されていきました。家風や家訓が重視され、父親の権威が強調されました。父親の権威の淵源は教育勅語でした。子どもたちは両親に励まされて天皇に忠誠を誓う軍人として育成されていきました。家庭はまさに教育の原点でした。
 戦後、日本国憲法や教育基本法は「個人の尊重」あるいは「個人の尊厳」を原理としましたから、その意味では法制上「家庭の教育力」の淵源を失うことになりました。教育の原点は家庭ではなくなったのです。個人の尊重を前提として人間を人間として育成する普通教育を子どもたちに受けさせることが国民の義務となったのです。
 しかし、これでは国家理性、公共の精神は育成されない、国家は沈没するという危機感が保守層に広がりました。そこであらためて登場してきたのが「家庭の教育力の低下」であり「家庭は教育の原点」というイデオロギーなのです。二〇〇六年の教育基本法「改正」で「家庭教育」という条文が新設されました。
 ところで、臨時教育審議会が打ち出した「個性重視の原則」において、家庭にも個性がある、と述べています。家庭を家庭たらしめている要素にはさまざまなものが考えられます。家族構成、両親の職業、住居の所在地等きりがありません。その中で個性を決定する要因はなんでしょうか。それはだれが決めるのでしょうか。家族の構成員が家族会議を開いて民主的に個性を決定するのでしょうか。個性というのはそのように決定されるものなのでしょうか。
 やはり家族のトップ、父親ということが期待されているのです。父親の教育力の向上が期待されているのです。ではその父親の教育力の原動力は父親自身にあるのでしょうか。戦前のような教育勅語に代わるものが用意されるのでしょうか。先に述べた改正教育基本法の「家庭教育」条項が活用されて、政府は家庭の教育力を向上させる指針を作成することになるでしょう。父親はそれを熟読玩味して子どもたち、家族全員に徹底することが事実上義務づけられるでしょう。そうすることによって、家庭の教育力は回復し、国家社会は安定し、義勇心を国家に捧げる体制を構築することが期待されているのです。
 急いで述べて来ましたが、「家庭の教育力」という言葉が喧伝される政治的意図とはこのようなものなのです。
 臨時教育審議会以後、中央教育審議会(一九九八年)や生涯学習審議会(二〇〇〇年)等はそろってこのような「家庭の教育力」を強化する方策を積み上げてきています。
 普通教育の理念から見て、家庭はどのような存在なのでしょうか。人間を人間として育成していくことが普通教育の目的なのですから、それを保障する教育機会として、高い専門性を有する教師に指導されることが基本といえます。それは現実的には普通教育を行う学校ということになりますが、家庭や地域社会がなんらかの形で協力するということは十分あり得ることです。その場合、普通教育とは何なのかについて家庭や地域社会の人々が十分な理解をもつことが求められます。そのための努力や条件整備が必要になってきます。その拠り所となるのが日本国憲法およびその第二十六条ということになります。そのような認識をひろげる上でも普通教育の拡充が重要な課題となってきます。
(2)「地域の教育力」についてもほぼ同様のことが言えます。
 戦前にあっては戦争政策・皇国民錬成のために地域社会が再編され「地域の教育力」が威力を発揮したのです。
 今日、「地域の教育力」が強調されているのは、教育再生会議のスローガンにみられるように「社会総がかりで」美しい国づくりのための教育包囲網を地域にも家庭にも張りめぐらそうということなのです。
 ルソーが「垣根をはりめぐらしなさい」と主張したのは、学校権力による子どもたちの「囲い込み」を主張したのではなく、さまざまな外圧から普通教育の独自な世界を確保しようとしたからにほかならないのです。
 普通教育にとっても地域社会との関係は重要です。地域社会にも子どもたちを人間として健やかな成長して欲しいと願う住民やさまざまな団体、組織、文化や伝統があります。これらの力と学校とが連帯することによって、地域社会は普通教育を支えるすばらしい教育力を発揮することができるのです。
  
  第十一節 生涯学習と普通教育
 学習を基本的人権ととらえるか国民の義務ととらえるかで生涯学習もその意味も大きく変わります。
 一般には「いつでもどこでも」という言い方で学習機会の多様化と広がりが話題にされますが、一九六〇年代以降のユネスコの提唱やわが国の政府・文部科学省が推進しているのは「教育改革の原理」としての生涯学習論と言えます。ユネスコの場合は人間性の自覚化や自己実現という観点から社会の変化に適応できなくなった伝統的、権威的、形式的な教育組織全般の改革を要求するものですが、わが国の「生涯学習体系への移行」政策はもっぱら政府・行政主導の生涯学習システムの構築を教育組織全般に張り巡らせようとするものです。
 「教育改革の原理」として見た場合、普通教育も生涯学習と密接な関係にあります。学習を基本的人権とみなす立場からは学校や授業のあり方は抜本的に改革されなければなりません。
 一方、学習を国民の義務とする立場からは、たとえば政府が求める愛国心などが幼児教育・小学校教育段階から強調され、そこでの学習が生涯にわたって影響を及ぼすことなどが求められることになります。このことを明確にしたのが二〇〇七年に改正された学校教育法です。
 改正学校教育法第三十条二項は「義務教育として行われる普通教育」に掲げられた諸目標について「生涯にわたり学習する基盤が培われるよう(中略)主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない」ことが特に強調されています。たとえば、「我が国と郷土を愛する態度を養う」という目標を「生涯にわたり学習する基盤」を培うためにとくに小学校の教育が意を用いなければならないということです。小学校に規定したということは愛国心教育等を早いうちに基礎固めしておくという伝統的・国家主義的道徳教育の手法をそこに見ることができます。このようなことが「生涯学習体系へに移行」政策の一環として具体化されているのです。
  
  第十二節 社会の変化と普通教育

 内閣総理大臣や文部(科学)大臣はこれまで一貫して「社会の変化に対応する」ことを理由に掲げて教育改革の方向をそれぞれの諮問機関に諮問してきました。
 たとえば、一九六七年、劔木文部大臣は「今後における国家社会の進展に即応して」(傍点引用者)という言葉を用いて中央教育審議会に諮問しています。中曽根内閣総理大臣は一九八四年、「社会の急激な変化」等を理由に臨時教育審議会に教育改革の方向を諮問しています。二〇〇一年、遠山文部科学大臣は「社会の大きな変化に対応した教育が求められる」として、「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」中央教育審議会に諮問しています。教育の在り方は社会の変化に対応して改革されなければならないものなのでしょうか。 
 ルソーは「海が荒れているのに、そこにとどまっていようとするときは、碇をおろさなければならない」と言っています。これは社会の急激な変化と普通教育との関係を言い表したものといえますが、教育改革というよりも教育理念を根本にさかのぼって解明し、より普遍的な理念を提示したということができます。
 わが国においても戦争推進から敗戦という劇的変化に遭遇して、教育改革というよりも「国民の育成」から「人間の育成」への教育理念の転換を行いました。社会において急激な変化があればあるほど理念の再検討、より根源的な理念の解明が求められてきたのではないでしょうか。教育に関してはとりわけ、より根源的、より普遍的な理念であればあるほど社会のどんな変化にも対応できるということなのではないでしょうか。
 社会の急速な変化は事実として子どもたちの生活様式や生活条件に影響を及ぼさざるを得ません。むしろ子どもたちは社会の変化をそれらがなんであれ誰よりも鋭敏に感じとっているとも言えます。
 一つの例を挙げましょう。電車の中で大声で騒ぐ、席を譲らないなどという事実を挙げて、一方では、公共の精神が薄れた、だから教育の中で公共の精神を重視しなければならない、規範意識を涵養しなければならないという主張がなされます。
 他方、電車の中であろうとどこであろうとなぜ大声を出すのか、なぜ席を譲ろうとしないのかを学習課題として取り上げ、その場所にふさわしい話し方があることを理解できるように促す、また、何らかの理由で不自由な状態にある他人にたいしてあれこれ想像力を広げる教育をこれまで以上に重視する必要がある、という主張もあります。
 前者は特定の公共の精神をこれまでの教育に付加しようという主張であり、後者は普通教育をより充実していこうという主張と言えます。
 前者の主張は社会の変化や子どもたちの変化に応じて教育のあり方を変えよという結論が導かれ、後者の主張からは何らかの社会的な変化やその影響を受けた子どもたちにも適切に対処できるように普通教育のあり方を深めよう、再確認しようという結論が導かれてきます。
 子どもたちをこれまでの流儀で理解するのではなく、男とか女とか、あるいは生徒とか中学生とかという枠組からではなく、より根源的に、一人の人間として深いところで理解できれば、そこまで想像力を深めさえすれば、なぜ今日の若者がそのような風俗になっているのかを理解することができる、そういうことなのではないでしょうか。そのためにはそのような理解が出来るような教育現場、教育システムを変革しなければならない、今のような多忙な状況ではなにもできない、いまの学習指導要領のような強い拘束性のままでは限界がある、だから改革ではなく変革でなければならない、そういうことなのではないでしょうか。

  第十三節 類似・関連用語と普通教育
(1)「学校教育」との関係
 「学校教育」という特定の教育があるわけではなく、社会教育や家庭教育と区別する意味からも学校における教育を総称して学校教育という言葉が用いられています。
 小学校について言えば、そこでの教育が何であるかは、法制上、明治前期は「普通教育」、その後は「国民教育」、戦後は「初等普通教育」となり、二〇〇七年に改正された学校教育法では「義務教育として行われる普通教育のうち基礎的なもの」となるなど変遷があります。他の学校についてもそれぞれ目的が異なっています。
(2)「義務教育」との関係
 日本国憲法第二十六条第二項に「義務教育」という語句が用いられています。この場合の「義務教育」とは国民が子どもたちに受けさせる義務を負っている普通教育を意味しています。一方、改正される前の意教育基本法では義務年限を九年に限定した関係から義務年限のもとにおかれる学校における教育を「義務教育」という言葉で称されています。高等学校も幼稚園も憲法理念からは国民が子どもたちに受けさせる義務を負っている教育ということになりますが、そこでの教育は「義務教育」ではありません。
 ところが、二〇〇五年十月の中央教育審議会答申「新しい時代の義務教育を創造する」は「義務教育」の目的を提示しています。そこでは「一人一人の国民の人格形成と、国家・社会の形成者の育成の二点」としています。これを受けて二〇〇六年の改正教育基本法は「義務教育として行われる普通教育」という新しい用語を導入しています。
 戦前、納税や兵役と並んで教育を受けることが国民の三大義務とされていましたが、義務とされていたのは小学校あるいは国民学校における教育であって、その目的は「国民教育」でありあるいは「初等普通教育」でした。戦前にあっても「義務教育」という特定の教育があったわけではありません。
 戦後、戦前的な意味での義務教育観は否定され、主権者であり、教育権を有する国民が同時に子どもたちに対して義務を負うところの普通教育が義務教育の本体とされたのですが、教育政策上、「義務教育」と言う語句のもとに戦前的な意味での「義務教育」政策が推し進められてきたと言えます。
(3)専門教育・職業教育との関係
 一九四七年に発行された『教育基本法の解説』によれば「普通教育は、特定の技術、学芸を習得させて特定の業務の遂行に役立たせることを目標とする特殊教育、専門教育ないしは職業教育と区別される」と述べており、ここを根拠に普通教育は専門教育や職業教育に対置される概念であると理解されています。
 しかし、高等学校の目的は憲法上は普通教育ですが、学校教育法ではその教育目標は「高等普通教育及び専門教育を施すこと」(傍点筆者)とされており、戦後における高等学校の性格を複雑なものにしています。筆者としては、高等学校は専門教育的な機能を十分に取り込んだ普通教育機関として発展拡充して行くべきだと考えています。
 普通教育は子どもたちの発達段階の特質に応じた教育内容を有するものです。小学校や中学校においても職業教育的な性格を有する教育を普通教育の内容として発達段階に即しつつ位置づけていくことは重要な課題と言えます。
(4)特殊教育・特別支援教育との関係
 普通教育の普通という言葉から推して普通教育は特殊教育と対置されるという通念上の理解も見られますが、理念上も法令上も普通教育と特殊教育あるいは特別支援教育とは対置関係にあるわけではありません。
 理念的には、普通教育はあくまでも人間を人間として育成する教育であって、身体的知的障害があっても人間として成育することは子どもの権利であり、それを保障することは普通教育の使命と言えます。学校教育法上、「特別支援教育」とは特別支援学校において行われる教育であって、「幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施す」とされています。この場合の「準ずる教育」とは普通教育にほかなりませんから、普通教育の拡充の上に特別支援教育を位置づけることが求められています。
(5)一般教育・一般教養・共通教育との関係
 言葉の類似性などから普通教育と一般教育や一般教養、共通教育との混同も見られます。
 西欧における自由学芸に普通教育の源流を見る解釈から一般教養や高等教育における一般教育、あるいはアメリカの大学で見られるリベラルアーツを普通教育に含めるという見解もあります。また、日本の戦前において、普通学や「高等普通教育」という概念がむしろ高等教育・専門教育の対概念として存在していたという事実などから「大学における普通教育」という言い方も今日見られます。
 また、人間としての普遍的な性質とは別に、教養教育や技能訓練等において共通に習得されるべき教育内容に対して「共通教育」もしくは「共通基礎教育」という場合がありますが、これらの語句はいずれも「人間を人間として育成する」普通教育とは区別されます。
(6)生涯学習・生涯教育と普通教育
 本来、生涯教育ないしは生涯学習は普通教育と矛盾するものではありませんが、とくに臨時教育審議会が提起した「生涯学習体系への移行」政策は政府主導の生涯学習政策をすべての国民に生涯にわたって強要するもので、その意味での生涯学習と普通教育とは理念的に矛盾するといえます。
 二〇〇六年に改正された教育基本法は「生涯学習の理念」(第三条)という条項を新設しています。
(7)社会教育と普通教育
 図書館、博物館、公民館等での社会教育は普通教育とともに生涯教育の一環を構成するものですが、この社会教育についても戦前のあり方の反省に基づいて戦後は普通教育の理念と合致する方向が法制化されました(教育基本法第七条)。しかし、改正教育基本法のもとでは社会教育(第十二条)も普通教育も同様に改正教育基本法が示す「教育の目標」(第二条)のもとに位置づけられることになりました。


 第三章 普通教育と制度

  第一節 教育権と普通教育
 ここで教育権とは、教育の理念・制度等の基本的枠組を決定する権利のことですが、その教育には普通教育も含まれます。教育を受ける権利については次節で述べることにします。
 教育の理念・制度等の基本的枠組を決定する権利としての教育権は近代以前においては概ね国家社会の支配層が独占していましたが、一九世紀半ば以降、それは国民の権利だという思想がひろがってきました。
 わが国の場合、戦前はとくに帝国憲法制定以降、教育権は天皇にあるとされ、明治二十三年の教育勅語に示された理念のもとに教育が統制されてきました。戦後、日本国憲法の制定によって、国民主権への転換とともに教育権も国民に転換されたことは画期的なことと言えます。
 すべての国民が主権者として教育の理念・制度等の基本的枠組を決定することができる権利を有するということは、教育に関する法律の審議に直接的にか間接的にか参加し決定する権利を有するということを意味します。教育に関する法律には学問の自由、基本的人権、教育研究の自由、道徳的判断力さらには人間的理性の育成等にかかわる内容を含むわけですからどこまで多数決原理が支配する国会審議になじむのかという問題が生じます。この問題については諸説があるところですが、筆者としては教育に関する法案の審議に関してそれにふさわしい独自なルールが構築されるべきだと思います。
 二〇〇六年の教育基本法改正に関して、タウンミーティング問題にみられる世論操作、それぞれ重要な関連法案の一括審議、政治的思惑からの特別委員会設置、異常な委員会運営、謀略的な会期延長など異常な国会運営が常態化したわけですがあのようなことは特別な審議ルールが構築されていれば回避されていたはずです。今後の重要な課題と言えるでしょう。このことに関しては、本章第十四節でも述べることにしています。

 
  第二節 「教育を受ける権利」と普通教育
 「教育を受ける権利」もしくは「教育への権利」(right to education)の思想は十九世紀に入って表明されるようになりますが、法令上に規定されるようになるのは近年のことと言えます。この場合でも、教育と普通教育を区別して考える必要があります。
 一九四八年に国連が採択した世界人権宣言(第二十六条)は「すべて人は、教育を受ける権利を有する」としています。その場合の「教育」には「初等教育」、「技術教育」、「職業教育」および「高等教育」が包含されています。
 その二年前に制定された日本国憲法第二十六条第一項は「すべて国民は、(中略)教育を受ける権利を有する」と定めています。ここでの教育も広義に解されますが、普通教育が含まれていることは明らかです。
 この「教育を受ける権利」について、憲法論的には精神的自由権としての側面や生存権の保障における文化的側面からも説明され、また、国に対して適切な施策を求める社会権の一つであるとも説明されています。もちろん、これらの諸側面からの説明も重要ですが、それらの側面に還元されるものでもなく、教育を受ける権利、普通教育を受ける権利のそれぞれの内実を全面的に構築していくことが求められているといえます。
  
  第三節 普通教育を受けさせるのは国民すべての義務
 日本国憲法において画期的なのは同じ第二十六条の第二項です。そこでは「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に、普通教育を受けさせる義務を負ふ」と規定しているのです。この条項が日本国憲法にどのような経緯で導入されたのかについては第三部第三章第一節で述べることにしますが、主権者である国民が同時に子どもたちに対して普通教育を受けさせる義務主体であるという規定は現在のところ諸外国の中でもわが国だけと思われます。
 しかし、日本では戦前すでに同様の見解が示されていたことは注目に値します。赤松常次郎が一八八〇(明治十三)年に「不良ノ教育」を放置したために「不良ノ子弟」を養成することになれば、「国家ノ衰頽」を招くという前提のうえで、「人ノ子女タルモノ普通ノ教育ヲ受ケンコトヲ要求スルハ其固有ノ権理」(傍点引用者)であり、「普通ノ教育」を与える「義務ヲ負担スベキモノハ父母ニ非ズシテ誰ゾヤ」と述べているのです。
 さて、直接の保護者であると否とにかかわらず、主権者である国民はすべて、かれらに保護されるべき関係にある子どもたちに対して普通教育を受けさせる義務を負っている、というわけですから、普通教育をどのように制度設計するかは国民自身の責務ということになります。この制度設計は基本的には法定されるわけですから、すべての国民は普通教育について一定の関心をもつことが求められます。そしてまた、政府は法定された普通教育制度を子どもたちや直接の教育関係者が真に享受できるような条件整備をする責務を負うことになるわけです。
  
  第四節 義務教育と普通教育
 わが国においても一般に学校教育もしくは義務年限のもとにある小学校・中学校での教育をさして義務教育という言葉が用いられています。しかし、義務教育固有の教育理念・目的があるわけではなく、その教育の内実は法制上は普通教育であり、行政用語としては初等教育・前期中等教育のことです。
 欧米では十九世紀中ごろから義務教育(compulsory education)という言葉が用いられています。国際労働者協会も自らの教育政策を掲げましたが、マルクスは「普通教育は義務教育であるべきだという決議を躊躇なく採択してさしつかえない」(一八六七年)などの指示を与えています。この場合の「義務教育」とは、国家を教育者にすることなく(教育権を国家に与えることなく)、すべての子どもたちに普通教育を受けさせることを国家に義務づけるという意味でした。
 わが国ではcompulsory educationは「強迫教育」という言葉にも訳されましたが、山田行元は一八七七(明治一〇)年の時点で「強迫就学法」という呼称は不適切であるから「普通教育法」にするべきであると主張していました。
 日本国憲法は第二十六条第二項で「すべて国民は・・・普通教育を受けさせる義務を負ふ」のあとに「義務教育はこれを無償とする」という文言が続きます。この場合の「義務教育」とは国民が義務を負うところの普通教育にほかなりませんから、憲法制定過程では一時はこの語句が「普通教育」とされていた段階もあったのです。ところが審議の過程で「義務教育」にすり替えられていました。この経過についての研究は今後に残されている状況ですが、何らかの政治的意図が働いたのではないかと推察されます。
 ともかくも日本国憲法に「義務教育」という用語が採用されることになりました。
 義務教育については、戦前日本において兵役・納税とともに国民の三大義務だなどとされましたが、戦前にあっても「義務教育」という語句に固有の教育理念はなく、天皇支配のもとに「国民教育」が義務づけられていたのです。
 ところが、近年、戦後、文部省はこの「義務教育」概念にあたかも独自の教育目的があるかのように描き出し、それを学習指導要領を通じて国民に押し付けるという政策を推進してきました。中央教育審議会も二〇〇五年に「新しい時代の義務教育を創造する」という答申を出し、「義務教育」の目的を提起し、「国民教育」の見地に立った「義務教育制度」の見直しを提言しています。二〇〇六年の改正教育基本法では「義務教育として行われる普通教育」という新しい用語のもとに「義務教育」という用語を法制化しました。このことについては第四部第一章第三節で述べることにします。
  
  第五節 修業年限と普通教育
 ドベスはつぎのように述べています。「スチャアート・ミルのように、教育は生涯を通じて行われるもので、環境から個人への絶え間ない影響と区別できないものだと思っている人びとの考え方に対しては距離を置き、われわれはここでは成長の期間に限定して話をすすめていきたい。すなわち、われわれの対象は、誕生あるいはその少し前から、二十歳前後に至るまでの人間としたい。もちろん、この切り取り方の人為的性格は十分承知しているが、この年齢で生徒は一人のおとなになるという理由からである。もちろん、ここで教育が終るという意味ではない。今日では成人教育は生涯教育の名の下に、一つの現実として大きな問題を提示している」と。 
 理念もしくは思想上の表明として普通教育の修業年限は概ね成人になるまでと考えられてきました。、ルソーもおよそ二〇歳までを教育の期間と考えていましたし、エンゲルスは「各個人が社会の自主的な成員として行動する能力をもつようになるまで」と述べています。
 戦前の日本でも、義務化がまだほとんど進展していない一八八二(明治十五)年の段階で、文部省は学事諮問会で「普通教育ノ修業年限ハ小中学ヲ通シテ率ネ十二年トス」という方針を打ち出しています。国家社会の品位を確保するうえで一部のエリートであれ充実した普通教育を習得させる必要があるという見地からのものでした。皇族就学令は満二十歳までの十四年間を修学年限としていました。ここで留意しておくべきことは普通教育の義務年限と修業年限とは区別しなければならないということです。
 日本国憲法においては普通教育の修業年限はどのように規定されているのでしょうか。このことについては「法律の定めるところにより」とされており特に明示されているわけではありませんが、制定過程や「すべて国民は・・・普通教育を受けさせる義務を負ふ」という規定から十八歳までの十二年間が想定されていたと言えます。
 いままで「十二年」と述べてきましたが、さきのルソーやマルクスの見解についてもとくに普通教育の開始年齢を特定しているわけではありません。というよりもルソーの場合は「教育は誕生とともに始まる」というわけですから、普通教育の修業年限は少なくとも十八年と言うべきでしょう。私たちは小学校入学から起算することに慣れているのですが、普通教育の理念から言えば十八年ということになります。乳幼児期における教育のあり方は小学校以降のそれと様相を異にしますが、どんなに様相が異なるからといっても乳幼児期にも普通教育というべき教育が貫かれるものであることはあきらかです。いうまでもなくその場合の普通教育とは乳幼児期に対応したものでなければなりません。 
  
  第六節 義務年限と普通教育
 初等教育ないしは普通教育の義務年限は相当額の財政支出を伴うことからその国のさまざまな状況によってさまざまに推移しています。
 わが国の場合は、教育令体制から「国民教育」が教育目的を示す言葉として法令用語化した学校令体制への移行が明治十九年ですが、その意味では「国民教育」の義務年限は学校令体制以降徐々に拡大していきました。六年制が確立するのは一九〇七(明治四〇)年です。戦前、八年制に延長するという方向が目指されましたが、戦争政策のために実現しませんでした。
 日本国憲法はすでに述べたように十八歳まで十二年の義務制を想定していました。憲法をうけて制定された教育基本法もその制定直前までは「十二年間の普通教育」という文言を維持していました。しかし、制定の直前になって大蔵省からの横やりで「九年」に短縮されたのです。
 諸外国では義務年限の延長が進んでいます。
 改正教育基本法は義務年限の規定をさらに下位法に譲り、二〇〇七年に改正された学校教育法は義務年限を「九年」と定めています。しかし、このことによって義務年限はさらに不安定なものとなり、今後学校体系のあり方をも含め大きく変動することが予想されます。このことについては第四部第二章第一節でも述べることにします。
  
  第七節 無償制と普通教育
 普通教育を受ける費用を無償にする、すなわち国が負担するという理念も国によってさまざまですが総じて十九世紀中期以降に制度化されていきます。エンゲルスは一八四五年に「国家の費用で普通教育をほどこすこと」を要求しています。その財源をどのように確保するかも国によってさまざまです。
 「無償」という概念は授業料の不徴収にとどまるものではありません。 教科書や学用品、交通費、給食代、修学旅行がある場合はその費用などを含む概念です。国によっては就学のために親元を離れなければならない場合は宿舎費等もまた公費で賄われている国もあります。
 「無償」概念は本来普通教育を受ける費用に対して言うのであって、学校の設置者によって変わるものではありません。
 日本国憲法は「すべて国民は・・・普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育はこれを無償とする」という解釈の余地のある定めになっていることもあって、戦後制定された教育基本法は①「義務教育」であることを根拠に高等学校を「無償」原理から外し、②「無償」を「授業料はこれを徴収しない」に限定し、さらに③無償原則がおよぶ学校を「国又はおよび地方公共団体の設置する学校」に限定しています。いずれも普通教育本来の理念を大きく制約するものであることは明白です。
 これまで現実的にはあるいは運動論的な観点から教育基本法のこれらの制約的性格については政治的争点に位置づけられてこなかったという事情もありますが、制約は制約として確認しておく必要があります。
 この点について改正教育基本法は改正前の教育基本法をそのまま踏襲しており、普通教育という見地からの改善にはなんらなっていません。
 高等学校は依然として授業料などの費用を家計が負担し、小学校と中学校は授業料以外の教育費用は家計が負担しなければならず、幼稚園については全額負担し、私立学校についてはすべての学校種にわたって家計負担等に依存しています。一定の助成・補助制度もありますが、粘り強い市民運動によって維持されているというのが現状です。


 
  第八節 学校区分と普通教育
 普通教育の理念からは普通教育を目的とする学校は発達段階を考慮しながらも同一の理念が貫くもの考えられています。「わたしの教師は一人の生徒しかもたないことになる。(中略)子どもに教える学問は一つしかない。それは人間の義務を教えることだ」とルソーは述べています。
 現実には学校区分の問題は比較的新しいものです。
 一方では、中流以上の家庭の子弟は家庭教育においていわゆる基礎教育を習得し、その後はパブリック・スクール、コレージュ、ギムナジウムあるいは藩学・藩校等に進学し、中等教育を習得しました。他方、一般大衆の子弟の教育は十九世紀までは基本的に教育機会を享受できませんでした。十九世紀後半に資本主義的生産の必要から初等教育を行う学校が制度化されていきました。複線型と言われる学校体系がひろく見られることになりますが、初等・中等を一体化する方向も進展しています。
 戦前の日本においては初等・中等という区分は一体化されず、本書第三部第二章第五節でも述べているようにいわゆる複線型学校体系として制度化されていきました。
 戦後は、日本国憲法や教育基本法のもとで、普通教育の理念を生かす見地から、戦前的な格差を是正し、高等学校も地域学校化するという方向がめざされます。高等学校については小学区制・総合制・男女共学がいわゆる高校三原則として確認されていきました。理念的にはすべての子どもたちが差別されることなく普通教育を享受することが可能になりました。
 しかし、この学校区分は戦前の学校区分の考えをその実質において継承しましたから、その後の教育政策の進展のなかで大きく変質していきました。高等学校は後期中等教育の多様化政策によって総合制や小学区制は崩されていきました。大学入試政策、高校入試政策などが高等学校の序列化を促進し、中学校における選択科目制の導入を促していきました。近年は「幼少連携」の名のもとに学習指導要領が支配する小学校の論理に幼稚園が組み込まれるという状況が生まれています。また、「認定子ども園」も中央教育審議会答申では義務教育制度改革の一環として位置づけられ、幼児期の教育が全体として国が進める学校制度の中に位置づけられてきています。二〇〇六年に改正された教育基本法に「幼児期の教育」(第十一条)という条項が新設され、幼児期の教育が「生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なもの」とされていますが、それは改正教育基本法の理念、すなわち「国民の育成」あるいは愛国心教育を前提とするものであることに留意する必要があります。
 一言で言えば、学校区分は現代資本主義の論理、新自由主義的構造改革路線によって徹底的に多様化され、ランキング化され、ピラミッド型に再編されてきています。ここには普通教育の論理は通用しないかのようです。
 二〇〇七年六月に公表された教育再生会議第二次報告は学校区分、いわゆる六・三・三制を抜本的に見直すとしています。新自由主義的構造改革路線に沿った見直しになることは確実と思われます。
 このような学校区分再編の最大の犠牲者は子どもたちであり、教職員であり、直接の保護者たちです。多くの国民、保護者はそれぞれの学校が普通教育の理念のもとに落ち着きを取り戻し、子どもたちがどこの学校で学んでも相互に学び合える充実した学校になって欲しいと願っているのです。

  第九節 教育課程と普通教育
(1)普通教育、すなわち人間を人間として育成するという場合、子どもたちが有する人間としての能力がそれぞれの発達段階において全体としてどのようなものであるのかに留意しつつ、基本的能力別に分化させ、それぞれを全面的に発達させつつ人間的理性としてまとめあげていくという過程が必要になってきます。その場合、能力別に設定された教育内容や指導方法の全体を教科と称し、各教科の全体構造を広く教育課程(カリキュラム)と言うことができます。
 ルソーも『エミール』全体を通して教育課程の思想を論じたと言えます。コンドルセなどは「市民の育成」の見地から「市民」にとって必要な学識を育成する観点に立って詳細な教育課程を構想していました。近代学校の制度化にともなって各国においてカリキュラムが構想され具体化されていきました。そこには児童中心主義の見地から作業を中心とする、教科を統合する、個々人の興味・関心を中心とする、あるいは国民として求められる教養、社会が必要とする教養を基礎とするとか、いろいろな方式が実践されてきました。
 わが国の戦前にあっては学科課程もしくは教科課程という語句で、小学校では読書、習字、算術、地理、歴史、修身(第一次教育令)、国民学校では国民科、理数科、体練科、芸能科などから構成されていました。
(2)わが国の戦後は、次節で述べるように学習指導要領が教育課程の基準として位置づけられることなりました。しかし、教育課程という用語は一九五一年からで、一九四七年に発行された「学習指導要領一般編(試案)」では「教科過程」という用語が用いられていました。ここには教育課程を基本的に教科をもって構成するか、教科以外の教育活動をも含む概念とするかという重要な論点があります。わが国の場合は教科以外の教育活動をも教育活動として含めるある種の必要から教科過程を教育課程に変えるという経過をたどりますが、同時に教科過程にせよ教育課程にせよそれらをさらに「学習指導要領」という文書に包摂したところに日本独特の教育課程制度の特質があります。
(3)学習指導要領と教育課程とは一体的な関係にありますが、学習指導要領という側面については次節で述べることにして、教育課程という側面に即してその後の変遷と問題点を指摘しておきたいと思います。
 戦後の教育課程は「教科過程」として、文字通り教科(「自由研究」を含む)から構成されるものとして出発しました。一九五一年の改訂で「教科以外の活動の時間」(中学校、高等学校は「特別教育活動」)という領域が加わり二領域構成になりました。この「教科以外の活動の時間」については「児童全体の集会、児童の種々な委員会・遠足・学芸会・展覧会・音楽会・自由な読書・いろいろなクラブ活動」などが事例として挙げられ、その方法として「なすことによって学ぶ」というプラグマティズムに立った原則が強調され、かつ週三時間が想定されていました。また、それは教科と同様「教育課程のうちに正当な位置を持つべきである」とされていました。教科以外の活動をも教育活動として学習指導要領に位置づけることによってその領域についても教育行政による統制が及ぶ仕組みができたと言えます。
 この部分がその後エスカレートしていくことになります。一九五一年の学習指導要領では「どのようなものを選び、どのくらいの時間をそれにあてるかは、学校長や教師や児童がその必要に応じて定めるべきことである」とされていたように、普通教育の理念から言えば、そのような活動は教育活動としては重要であるとしても個々の学校において自由に構想されるべきものです。
 一九五八年の小学校学習指導要領改訂で「道徳の時間」や「特別活動」という領域が加わり三領域となり、一九九八年の学習指導要領改訂によって領域外領域として「総合的な学習の時間」が加わることになり、教育課程は本来の教科課程からますます肥大化し、かつ教育目標上合理的根拠を持たないあるいは恣意的な性格を強めています。
(4)教科、教科外、領域外等を包含するものとして今日の学習指導要領があるのですが、それ自身政府の立場からは一九五八年以来「法的拘束性を有する」文書とされています。
 今日「特別活動」の末尾に「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」という一文があるがために多くの教職員が処分されるという事態が生じています。 
 教育課程制度は普通教育制度の中でもっとも基軸に位置づくものであり、その意味でも現実の教育課程制度については普通教育の見地から根本的な検討が求められていると思われます。
(5)今日、「ゆとり」政策を三〇年ぶりに見直してあらたな教育課程を検討していると伝えられています。三〇年ぶりというのは一九七七年の学習指導要領改訂を指しますが、その前年の教育課程審議会(現在は中央教育審議会・教育課程部会に受け継がれている)の答申に「ゆとりの時間」が導入されたことに端を発します。
 「ゆとり」政策というのはきわめて巧妙なネーミングと言えます。それは当時の学校現場においてそれまでのいわゆる「現代化」と特徴づけられる学習指導要領の結果として詰め込み教育が行われ、その結果として「新幹線教育」だとか「落ちこぼれ」だとか「教育の荒廃」だとかが社会問題となり、また教師の多忙化などが問題となり、教育現場からゆとりをもとめる悲鳴が聞こえてきたことを捉えて、それを教育課程改革のスローガンとして「利用」したと見ているからです。このネーミングに幻惑されて教師の間には「ゆとりの時間」は「教師に与えられた時間」だという声も聞こえてきました。この「ゆとり」政策の問題から教育課程の問題を考えていくことにします。
 これまでも述べてきたように、普通教育とは子どもたちを人間として育成していく社会的営みですから、学習や教育を通して子どもたちは広い人間社会のことに関心をはらいながら人間にとって真に必要な能力=学力を習得していかなければなりません。それは子どもたち自身のためであり、またそのこと自体が社会のためになることなのです。これに反して、いわゆる「社会的要請」、すなわち「現代社会の急激な変化」に国家の論理から対応することを主眼としてそこから導かれる教育内容を子どもたちに押し込んでいく、このような教育課程政策が文部省によって推進されてきたのです。その弊害が顕在化したというのでその手直しをするというのが「ゆとり」政策だったのです。しかし、その手直しは決して「社会的要請」論の根本的な反省に基づくものではありませんでした。
 授業時間を削ってできた時間を「ゆとり」の時間に当てても、逆に授業内容の密度が高くなり学習についていけなくなる子どもが増える、先生は「ゆとりの時間」の制度設計や指導方法の工夫に時間がとられかえって忙しくなる、という悪循環が現出しました。ほんとうに「ゆとり」というならば学習にかける時間を増やすべきなのです。その方向での学習指導要領の改善が必要だったのです。その場合、こっちを増やせばあっちが減る、というジレンマに陥る必要はまったくないのです。本来、教育課程は教科学習を基本に構成されるものであり、教科学習に観察・実験や相互学習等を十分に取り込んで子どもたちが真剣に学びあう空間でなければならないのです。教科以外の教育活動は子どもたちの実態に即して自主的に再編することでいいのです。あれもこれも学習指導要領に位置づけられているからということでは問題は何も解決しないのです。しかも、今日の教育改革の方向は夏季休暇までも削減しようとしています。
 一九八七年の教育課程審議会答申を受けて八九年に学習指導要領が改訂されました。それは臨時教育審議会が打ち出した改革方向を具体化するものでした。小学校低学年では社会科と理科が廃止されて「生活科」という教科が新設されました。他の教科では「基礎・基本」の徹底を重視しながら「生活科」は「自立の基礎を養う」という目標のもとに主情的な「体験」を重視するというのは教科原理として矛盾するものです。しかし、どちらも子どもたち自らの学びあいを通して学習を深め合理的な認識を育成することを求めないと言う点では両立していると言えます。この方向はいわゆる「新学力観」の提示によっていっそう明確にされていきます。
 また、この時期に学校五日制が導入されました。学校五日制は週休二日制導入に迫られた文部省が労働政策としてよりも教育政策として打ち出したものです。土曜日、子どもたちを「学校教育」から解放することによって、学習教育環境から解き放れた子どもたちと、塾・予備校等での教育に専念する子どもたちの分解がそれによって促進されました。一方、学習密度が高まる五日間のあり方については文部省は「手引き」を作成し、すべての学校種を六段階程度に差異化し、高密度化の矛盾に対処しようとしました。トップは教育水準の維持を徹底的に維持し、ボトムは学校内外でのボランティア活動などを主としてとりこむというものです。「学力」格差は政策の予期せぬ結果としてではなく、意図通りに拡大していきました。
 「生活科」の原理はその後の一九九八年改訂の学習指導要領における「総合的な学習の時間」の導入によっていっそう拡大しました。学校五日制も完全五日制に移行しました。
 以上見てきたように、「ゆとり」政策というのは学習時間の短縮、教育内容の削減などに矮小化されるべきではなく、生活科、総合的な学習の時間、学校五日制などを含めた教育課程政策全体の総称として把握されるべきです。
 現在、導入されようとしている授業時間一〇%増加、「総合的な学習の時間」の一時間削減等も夏季休暇の短縮とセットにされており、また「徳育」の新設などを含めて考えると、それは改正教育基本法や改正学校教育法のもとであらためて「社会的要請」の論理を強化した教育課程政策であり、見かけ上の「ゆとり政策見直し」であっても根本的な見直しになっていないことは明白と言えます。
 
  第十節 学習指導要領と普通教育
 学校教育法施行規則上、教育課程の基準は学習指導要領によるものとする、とされていますが、それは学校教育法施行規則上の規定であって、本来学習指導要領と教育課程とは異なるものです。教育課程の大綱についてはともかく、学習指導要領が法令用語になる必然性は理論的にはないのです。
 戦後の教育において学習指導要領と教育課程とは不可分の関係にありますが、教育課程については前節で述べましたので、ここではなぜ戦後日本において学習指導要領が教育課程の基準として位置づけられることになったのか、学習指導要領とはどのような性格の文書なのかを中心に述べることにします。
 教育課程審議会、現在は中央教育審議会(教育課程部会)での答申を受けて文部省・文部科学省が学習指導要領を作成しています。学習指導要領は一九五八年以来官報告示文書とされ、それを根拠に「法的拘束力を有する」と政府・文部省は主張しています。最近は「法律だ」という主張も聞かれます。しかし、教科書の内容を実質的に拘束し、教育指導や職務内容など学校教育の骨格を強く制約している学習指導要領を作成する権限を文部科学省が有しているのか、学習指導要領を含む教育課程のあり方は政府から独立させるべきではないかという議論がこれまで展開されてきました。
 そもそも学習指導要領とはいったい何なのか、普通教育の見地から検討しておきたいと思います。
 アメリカ教育使節団報告書が出された直後の一九四六年四月十七日、この日は帝国憲法改正政府原案が提出された日ですが、文部省内に教科課程改正準備委員会が設置されました(のちに準備という語句が外されます)。「現行学制ヲ前提トシ米国教育使節団報告書ヲ参照シテ教科課程改正ヲ協議」することが目的とされていました。一方、連合国総司令部におかれた民間情報教育局(CI&E)では戦後教育改革の基本はカリキュラム改革であるという見地から精力的にわが国の教育の現状を研究していました。
 憲法改正論議では教育条項(第二十六条)の「普通教育」という語句の妥当性等をめぐって小委員会まで組織して検討していましたが八月一日に正式に「普通教育」という語句が採用されることになり、憲法の教育理念の概要が確定されていきました。その後、教育刷新委員会が組織されそのもとで教育基本法案が審議されていきますが、その過程と併行して、先の教科課程改正委員会と民間情報教育局等との折衝の中でcourse of studyに準じた文書を作成することとなり、それが「学習指導要領一般編(試案)」という形で一九四七年三月に文部省著作物として発行されることになったのです。この段階ではこれを教科課程の基準としては位置づけられてはいませんでした。あくまでも教師の学習・教育指導のための手引書という性格のものでした。
 ところで、この間、戦後の教育理念についての輪郭が明確にされていきました。憲法は子どもたちに「普通教育を施す」と規定しました。教育基本法は「人間の育成」を基本理念に掲げました。その間に文部省が作成した教師用冊子『新教育指針』も戦後教育の理念を「個性尊重の教育」としたうえで「人間を人間らしく育てあげること」を教育の目的としています。ここまでは全体として「人間の育成」という見地に貫かれているといえます。この場合の「人間の育成」とは戦前の教育が「国民の育成」一辺倒だったことへの反省として表明されているものです。
 ところが、「学習指導要領一般編(試案)」だけはこの理念に立っていないのです。  「学習指導要領一般編(試案)」は「第一章 教育の一般目標」において「今日の社会状態に応じてこまかく考える必要がある」として「国民一般の教育について具体的な教育の目標」を列挙しています。その上で「児童の現実の生活を知り、その動き方を知って、教育の出発点やその方法を考えていかなければならない」とも述べていますが、それも基本的には「一般目標」の枠内に位置づけられるものです。
 「学習指導要領一般編(試案)」教育の理念・目的観だけがなぜ戦後教育理念と異なるのか。結論から言えば、憲法・教育基本法の策定過程での論議がこと教育課程領域にまで及ばなかった、あるいは戦前からその領域の問題は文部行政当局に委ねていたという慣行を転換できなかったところにあるといえます。
 一九四七年に制定された学校教育法施行規則ははやくも「学習指導要領」 を教科課程、教科内容及びその取扱い」の「基準」として位置づけています。「学習指導要領一般編(試案)」は「教育の一般目標」の他に「児童の生活」、「教科過程」、「学習指導法の一般」および「学習結果の考査」の五章から構成されていますから、文部省は戦前には考えられなかったような広い領域にわたる教育課程について統制することができるようになったのです。さらに十一年後の一九五八年には学習指導要領は「試案」から官報に告示されることになり、それが「法的拘束性を有する」論拠とされ今日に至っているのです。学習指導要領のその後の変遷については前節および第三部第四章各節でも述べています。
   
  第十一節 教科書制度・教育内容と普通教育
(1)教科書の内容や制度にも普通教育の理念が貫かれなければなりません。
 近代学校の制度化にともなって教科書編集ガイドライン、作成、検定、採択などの制度が各国において発展してきました。
 日本における教科書制度は戦前は全体として国家主義、「国民教育」理念のもとに一連の変遷がありましたが、戦後は憲法・教育基本法のもとで国民主権、教育を受ける権利の立場あるいはすべての子どもに普通教育を受けさせるという見地からの教科書制度を構築することが期待されました。しかし、前節でも述べましたが、学習指導要領政策の枠組みのもとで教科書制度は早くから政府・文部科学省主導のもとにおかれ、教科書裁判等に見られるようなさまざまな問題を引き起こしてきました。
 現在、教科書(教科用図書)は学習指導要領に基づいて民間企業によって編集・作成され文部省の検定を受け、公立義務教育諸学校については法律に基づく採択制度に基づいて都道府県もしくは市町村の教育委員会が採択を決定しています。
(2)第九節で述べた「教育課程」の領域のなかで教科書があるのは教科領域のみで他の領域(例えば「道徳の時間」)には教科書はありません。
 教科書のことでとくに問題が生ずるのは歴史教育分野です。家永三郎東京教育大学教授が自ら執筆した教科書『新日本史』が検定不合格になったことで訴訟を起こし三〇年近くにわたり教科書裁判が展開されました。
 今日では、「新しい歴史教科書をつくる会」がこれまでの歴史教科書は「自虐史観」に立っているとして、いわば「自存自衛史観」の立場にたった歴史教科書を発行し一部の学校で使用されているという現実があります。また、教科書検定との関係で従軍慰安婦の問題、沖縄における集団自決と日本軍との関係をめぐる問題、など政治的問題に発展する場合が少なくありません。検定制度が政治的に左右されることなく学問的な見地から、さらには普通教育の見地から運用されるようにすべきです。
(3)一九五八年改訂の中学校学習指導要領・社会科の「目標」には、今日の学習指導要領にはありえない、次のような記述もありました。「人間生活と自然との関係、地域相互の関係を考えさせ、その底には共通な人間性が流れていることを理解させ、広い視野に立って、郷土や国土に対する愛情を育てる」(傍点引用者)と。
 例えば、侵略戦争について子どもたちが学習する場合、暴力によって相手のものを盗むという問題にいったん置き換え、盗む側にとってなぜそのような行為が必要だったのか、盗む側にとってそれはどのような問題なのか、盗まないようにするにはどうしたらよかったのか、なぜそれができなかったのか、盗まれた場合にどうしたらいいのか、盗んだ相手に何をしなければならないのか、周囲の人々には何ができたのか、何がどうしてできなかったのか、などを可能な限り身近な例を挙げながらあらゆる角度から話し合いを深めることは教育活動として可能なことです。そのことを積み重ねていく中で、上級学年で、より複雑な要因を絡ませながら侵略戦争についての討論を発展させていったとき、子どもたちは侵略戦争についての理性的判断(科学的知識というよりも)を習得していくことが可能になるのではないでしょうか。また、なぜそれは国際的に非難されるべきことなのか、なぜ国際連合が設置されたのか、などに発展させていくことは十分可能なことです。「その底には共通な人間性が流れていることを理解させ」る教育というのはそのようなことを意味するのではないでしょうか。
 社会的諸関係の基底に共通の人間性が貫かれていることを子どもたちが授業を通して認識を深める授業実践に本格的に取り組むとすれば、一方的に「理解させる」のではなく、ある身近な事例についてその事実関係について幅広く学習しあいながら、子どもたち自身が話しあうなかでそのことを確認できるようにしなければなりません。普通教育はこのような見地に立つことを求めているのです。
(4)「教科用図書検定基準」は「教育基本法に定める教育の目的、方針など並びに学校教育法に定めるその学校の目的及び教育の目標に基づき」と定めていますが、教育基本法・学校教育法とも改正された今日、検定基準は改正法に基づくことになります。「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことなどが「義務教育として行われる普通教育」の目標に掲げられた今日、人間を人間として育成する見地からの歴史認識教育、社会認識教育の可能性はいっそう困難になります。であればあるほどより根本的なテーマと事例をを用いて子どもが真に理解できる教育ができるよう精通していくことが求められます。
  
  第十二節 教師の仕事と普通教育
 普通教育にとって教師の仕事が決定的に重要であることはこれまで述べてきたことからもご理解いただけると思います。ルソーやカントが「人間は教育によってつくられる」と言うとき、そこにはかならず教師がいるのです。教師なくして教育はあり得ないのです。
 しかし、教育を国益や利潤追求の手段として考える立場などからは教師を奴隷視するという教師観が生まれてきます。古代ローマやギリシャでも教師は奴隷視されていました。十九世紀になっても民衆の子どもたちの教育は字の読めない老人によって担われていた事実もあります。近代学校の進展にともなって教員の在り方は大きく前進しました。国家主義的な見地からは、日本の戦前に見られるように「聖職者」ないしは官吏と見なされました。一方、子どもの立場に立った専門性豊かな教職の専門家としての社会的地位も社会的に認知されるようになってきました。
 戦後、教育基本法によって、教員は「全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期せられなければならない」と定められました。
 しかし、現在、多くの教員は経営体としての学校において自主性を奪われ、成果主義賃金体系を強要され、極端な多忙状況に置かれています。
 二〇〇六年の改正教育基本法は「教員」という条項を新設したうえでさらに「養成と研修の充実が図られなければならない」と定めています。改正教育基本法を受けた学校教育法改正では校長の命を受ける「副校長」などが新設されるとともに、教育職員免許法の改正では教員免許の有効期限が「十年」とされ、更新講習をクリアしなければ免許を更新することができなくなりました。
 ルソーは「同一の人間は一度だけしか教育にたずさわることができない」と述べています。それは最初に教職についた段階で教師としての基本的な資格を習得しておかなければならない、それさえあればその後のさまざまな変化があっても切磋琢磨しながら自己成長していけるということを述べたものと言えます。改正案に関する国会審議で伊吹文科相は更新制の必要性を「その時代その時代に必要とされる新たな知識をもう一度確認するため」などと説明していますが、そのようなことは一九六六年にユネスコが採択した「教員の地位に関する勧告」においても「継続教育」として重視しているものであり、免許更新制導入の根拠になるものではありません。
  
  第十三節 教員養成と普通教育
 教員養成の歴史も身分制・階級制を反映した教育形態と密接に関連して発展してきました。現実的には家庭教育⇨中等教育機関といういわゆる中等教育制度と結びついて発展してきた教員養成制度といわゆる初等教育に対応する大衆的な近代学校制度が必要とする教員養成制度の二重構造が一般的に見られます。この中で普通教育の理念に基づいた教員養成論も主張されるようになります。
 戦前日本において、とくに一八八一(明治十四)年に文部省が出した「小学校教員心得」は「小学校教員ノ良否ハ普通教育ノ弛張ニ関シ普通教育ノ弛張ハ国家隆替ニ係ル」という見地から教員論、教員養成論を指示したもので、それは同年の「学校教員品行検定規則」および「師範学校教則大綱」などとして具体化されています。ここで「普通教育」という語句が用いられていますが、それは前年(明治十三)の第二次教育令の方向を反映した国家主義的な性格のもとに用いられているものです。
 「小学校教員心得」の見地はその後帝国憲法・教育勅語体制のもとでエスカレートして、いわゆる「師範型」とも言われる教員像が確立していくことになります。
 一方、「小学校教員心得」の翌々年、東京大学文学部長の外山正一は「小学及び中学教員心得」と題して演説を行い、子どもの立場に立って教科内容や教育・心理に関する学問的教養の習得の重要性を主張しています。また、大正期には児童中心主義の見地からも教員養成論が表明されています。
 戦後、日本国憲法・教育基本法制のもとで、戦前の国家主義的な教員養成制度が転換され、「大学における教員養成」と「開放制」を原則とする教員養成制度がスタートしました。また、それに対応した「教育職員免許法」が制定されました。
 しかし、教育全般がそうであるように教員養成制度も次第に国家統制が強化されていきました。
 教員養成は今日、教員養成系大学・学部を中心に行われています。そこでの教員スタッフはそれぞれの学問分野をベースとしたうえで教員養成系大学・学部で教員養成上必要とされる授業科目を担当していますが、全員が必ずしも教員養成系大学・学部の教員スタッフとして養成されているわけではありません。しかし、、それぞれが教科専門教育科目、教科教育科目、教職教育科目を担当し、そこで教員養成の一点で相互交流を深め教職経験を積みながら教員養成系大学・学部のスタッフとしての自覚を深めています。
 したがって、そこにはさまざまな問題があり、教員養成系大学・学部の固有の質を規定しています。この現状を政府主導の教員養成政策の方向で打開するのか、学校現場や学生の学習要求に即して自主的な方向で打開するかは、各大学・学部で問われている基本的な課題と言えます。
 学生の側の問題としては、必ずしも教員志望で教員養成系大学・学部に入学したわけではない学生も多数入学している中で、しかも限られた教員採用状況の下で、いかに教員として求められる専門的な力量を習得できるかが重要な課題となっています。この問題でも、学問的批判的精神をもって教育をはじめ広い学問的見識の習得を促すのか、現今の教員に求められる資質の習得に無批判的に専念する学生像を期待するのか、が教員養成政策とも関わって教員養成系大学・学部の課題となっています。
 教員養成についてはユネスコは一九六六年に「教員の地位に関する勧告」を採択しています。ここには事実上普通教育の見地に立った教員養成制度が提起されています。第四部第四章第四節で参照してください。

  第十四節 議会制民主主義と普通教育
(1)民主主義は暴力だという議論もありますが、そこにはそうあってはならないはずだという諦観と願望が入り交じっているようにおもわれます。
 教育基本法「改正」法案を審議した議会議事録を通読して感じることは、ひどい議論だなと思う場合が多いのですが、教育の素人である政治家がともかくも教育基本法とは何であるべきかについて激しく議論するシステムというのは重要だとということです。もちろん一般の法律とは異なる審議ルール、例えば強行採決は禁止する、国政調査権等を十分に活用する、公聴会・参考人質疑等を十分に活用する、など教育法制にふさわしい審議ルールを構築するなどは緊急の課題と言えます。改正教育基本法にも「法律に定める学校は、公の性質を有する」という規定(第六条)がありますが、いろいろ不十分な面がありますが、「公の性質」を担保するのが議会制民主主義なのではないでしょうか。
(2)教育基本法改正法案審議のなかで、小泉首相は次のように発言しています。
 「私は、まず、学校に初めて行く生徒にとって大事なことは、先生が子供たちをしっかりと受けとめて認めるということ、学校に来るのが楽しい、そういう雰囲気を先生がつくること、そして、学ぶことの楽しさを理解してもらうこと、生徒にとって。その前にもっと大事なことは、子供が、親から、周りから、自分は愛されているな、受けとめられているな、認められているなということを持つことが一番大事だと思っています。(中略)それを、本来、子供は愛されるべき存在でありながら、最近、親の一部の中には、虐待するという、もう人間にあるまじき行為をする大人、親が出てきたというのは憂うべき事態でありますけれども、まず大事なことは、この世に生まれてきて、ああ、自分は周りから愛されているんだな、そういう心持ちをしっかり持ってもらうような周りの大人たちの環境、学校に行ったら、学校は楽しい、学ぶことは楽しい、それが教育の大前提だと私は思っております」(傍点引用者)。
 あまりにも素朴といえば素朴ですが、このような教育観を否定する人はいないでしょう。しかし、このような教育観と教育基本法「改正」論とはどのように結びつくのでしょうか。このような教育観を共有しながらなぜ現行基本法を守る、変えるという対立する見解が生れてくるのでしょうか。
 大部分の教師は「子どもたちをしっかりと受けとめ認めてあげたい」、「学校に来るのが楽しい、という雰囲気をつくりたい」と日々の実践に取組んでいるのです。保護者たちも例外なく「自分は周りから愛されているんだ」と思われるような子育てをしたい、と願っているのです。ここまでは小泉首相も子どもたちも大人たちも同じ考えなのです。問題はこのような思いや願いをどのように意味付け、どのように法制度上に位置付け、どのように具体的に実現していくのか、なのです。
 だれしもが共有しあえる教育要求というのは国民の総意と言うことができます。この国民の総意を基本とし、それに責任をもつと言うのが憲法・教育基本法の理念から導かれる立法・行政上の責務なのではないでしょうか。一見国民だれしもが共有しあえる見解を表明しながら、そのような見解表明を利用してその見解とまったく矛盾する法案を多数決原理でもって強行しようというのはまさに国民を裏切る行為であって、議会制民主主義を暴力の場にするものです。
(3)第二部第三章第三節でも述べましたが、マルクスは「現在の事情のもとでは、国家権力によって施行される一般的法律による以外にはこの救済を実現する方法はない」と述べています。普通教育の理念・目的も含めてそのより徹底した制度を法律によって
確立していくことは主権者たる国民の、そしてすべての子どもに普通教育を受けさせる義務を負っている国民の、まさに重要な課題といえます。

  第十五節 教育行政と普通教育
 倉澤剛氏は明治初年段階における教育政策が大学政策、小学校政策、藩の教育政策、私塾私学政策および海外留学政策から構成されており、「大学は一方では最高の教育機関であるとともに、他方では全国の学政を企画し統括する中央教育行政官庁の役割を担った」と指摘しています。
 一八七一(明治四)年、この大学から教育行政機能が分化して文部省が設置されます。太政官政府のもとで文部省は一行政機関として位置づけられることになりますが、教育行政は本来大学という学術機関の機能の一つであって、政治上の行政機関とは相対的に独立していたことは留意しておきたいと思います。
 戦前の文部省には「普通教育ニ関スル事務ヲ掌理」する部局として「普通学務局」がありましたが、戦後は「初等中等教育局」とされました。憲法や教育法制から言えば「普通教育局」がより適切のように思われます。「初等教育」「中等教育」という語句は法律用語にはありません。
 教育基本法は教育行政について、普通教育を含む教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである、という自覚のもとに、教育諸条件の整備確立を行うものと定めています(第十条)。これは画期的な規定であり、戦後推進されてきた普通教育に対する政治支配に対する防波堤の役割を果たしてきました。
 しかし、二〇〇六年の改正教育基本法で「教育は、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである」(第十六条)と改変されてしまいました。国会審議においては普通教育の理念にふさわしい特別の審議ルールを構築することが望まれます。
 地方行政組織としては戦後、教育基本法第十条の理念のもとに教育委員会法が制定され教育委員会制度が発足しますが、一九五六年には教育委員を公選する教育委員会法は廃止され、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」のもとに地方教育行政が行われ、地方公共団体の長が任命する教育委員によって教育委員会が構成されています。
 今日、教育委員会制度の存廃をめぐる議論が出ていますが、二〇〇七年の地方教育行政法改正によって教育委員会に対する政府の関与が強化されることになりました。
 また、二〇〇六年の改正教育基本法によって教育行政は「国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力」のもとに行われなければならないとされました。これはいわゆる地方分権の具体化というよりも、むしろ政府主導の教育行政を維持したままで財政面等その一定部分を地方に押しつけるものと言えます。

  第十六節 教育財政と普通教育
(1)無償制の普通教育が根本
 すでに述べたように、憲法第二十六条第二項は、国民が子どもたちに受けさせる義務を負っている普通教育は無償であると定めています。憲法上は①幼稚園から高等学校までのすべての校種を含み、②設置者の国公私立の別なく、③授業料に限定しない、を原則とするものです。この理念が教育財政制度の戦後理念と言えます。
 しかしながら、一九四七年制定の教育基本法は無償制について「授業料の不徴収」に限定した上でさらに、中学校までの九年間および国公立の学校に限定し、したがって高等学校、幼稚園あるいは私立学校には適用しないという二重の制約を設けています。
 義務制の普通教育に関しては教育費国庫負担制度が構築されてきましたが、近年は教材費、児童手当等が国庫負担から外されるなどその縮減と地方へのしわ寄せが進められています。
 二〇〇六年の改正教育基本法は「国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない」と定め、国庫負担の原則を改変しています。
(2)教育貧困国
 教育基本法改正法案の国会審議では政府予算における教育費が占める割合について「五十年間でどんどんどんどん減らしてきた歴史というのが、大変大きな問題だ、(中略)ここできちっと方向を変えるべきだ」という議論がありましたが、政府側は、教育機会の均等原理、普通教育制度を支える財政基盤ともにその根幹を掘り崩す答弁に終始していました。
 諸外国との関係で見ても、GDPに対する教育公財政支出(国・地方公共団体・個人負担合計)の割合はOECD平均を下回っており、教育貧困国になっています。
 教育基本法改正案を審議する国会審議でも自民党の町村委員は「日本は教育大国、今まで私どもはそう思っておりましたけれども、OECDの資料を見ると、残念ながら日本は教育小国なんですね。伝統的には教育には熱心だ。しかし、現実の公財政(中略)は日本はぬきんでて低い」と発言しています。しかし、これは国庫負担の拡充を求めるというよりも地方への負担増を求める見地からのものと言えます。

  第十七節 普通教育の理念が実現したら(日本の場合)
 第一部(とくに第三章)で述べてきたように、日本国憲法のもとで普通教育の理念が基本的に実現したら次のような事項について大きく前進することになります。
 ①国会における教育法制に関する審議ルールが民主化されます。
 ②教育行政機関(文部科学省から教育委員会まで)が政府あるいは一般行政から相対  的に独立し、国民全体に直接責任を負うより専門的な行政機関となります。
 ③幼児段階から高校段階までの教育が国公私立の別なく無償の普通教育機関として   抜本的に整備されます。
 ④学習指導要領の位置づけを含む教育課程制度の基本的な枠組みが政府から独立し   た機関によって計画立案され、教育現場における教育課程編成上の自主性が抜本的  に拡がります。
 ⑤学校の教職員がすべて自立した高度な教職の専門性を発揮して、総力を発揮して教  育活動に専念出来るようになります。
 ⑥すべての子どもたちが人間としての感情にあふれかつすぐれた理性的な判断力およ  び学力を持つことが出来るようになります。
 ⑦特別支援教育の在り方が普通教育の見地から基本的に改革されます。
 ⑧教師の自主的な研修権が大幅に拡充され、多忙化が解消します。
 ⑨地域社会・家庭と学校との民主的な関係が確立します。
 ⑩普通教育の充実により子どもたちの犯罪等が基本的に消滅します。
 ⑪教員養成系大学学部をはじめ大学と普通教育機関との相互関係が発展します。
 ⑫生涯にわたり学習権が保障されます。
 ⑬普通教育の充実が政治、経済、社会、文化、芸術等全般の発展を促します。