むすび
 
 学校教育法改正法案を審議する国会で伊吹文部科学大臣は「自分のわがままを言えば自分の乗っている船が沈むんだという観点は常に持っていなければならない」(二〇〇七年四月二〇日)と発言しています。日本国憲法が施行されて六〇年以上も経つというのに、しかも教育行政の責任者がこのような発言をしていることに唖然としました。   私たちが乗っている船は「日本丸」でも「靖国丸」でもなく、「憲法丸」「国民主権丸」と言うべきではないでしょうか。教育についてはさまざまな考え方があり得ます。それぞれの意見を主張するのは「わがまま」ではなく憲法に保障された基本的人権そのものではないでしょうか。それぞれの意見をたたかわせることによって船は順調に力強く進むのであって、「わがまま」もいえずひたすら船長の意向にしたがっていれば船はとんでもないところへいってしまうか、燃料切れでそれこそ沈没してしまうのではないでしょうか。
 普通教育というのは、子どもの頃から子どもたちがお互いに話し合い学びあう中でしっかりとした判断力の習得を促す社会的営みであって、このことが全般的に充実していればその国の将来がどういう方向に進むべきかについては確かな見通しをもつことができるのです。このことをないがしろにすればするほど日本は国際社会から孤立し見放されてしまうのです。
 ところで、政府は教育再生などというし、教育産業は大手を振っているし、マスメディアも教育問題をさかんにとりあげています。今日本は教育のことで沸き返っているような感じさえします。しかし、何か物足りなさを感じることはないでしょうか。さかんに論じられている割にはこれからの教育について見通しがみえてこない、教育荒廃の現状についてはだれでもが取り上げているが、その原因はさっぱり解明されていない、荒廃の責任を文部省だ、学校だ、教職員だ、家庭だなどとお互いになすりつけているだけで自分の問題として真剣に考えようとしない、などこんなイラダチを感じている人が多いのではないでしょうか。結局は百家争鳴で何も変わらないのではないかと諦めている人も多いのではないでしょうか。その結果として多くの子どもたちが苦しみ、お互いに傷つけあい、学校がこわい、勉強はいやだ、友だちができない、何に対しても意欲がでてこない、と感じています。このような状況はますますひろがり深刻の度を増しているのです。なぜ、このような状況になっているのでしょうか、どうすればこのような状況を確実に一歩打開していけるのでしょうか。
 私が本書で問いかけたかったのはこのことです。そして私の結論はこのような状況をとりあえずは誰か他人の責任にしてもいいけれど、結局は自分自身がそれぞれのおかれた地点でそのことについてどう考え、どのようにしたいのか、何をしようとしているのかをもっともっと真剣に考えなければならないのではないかということでした。そして私自身もその一人として、また教育学研究者としてその責任を果たさなければならないと今まで以上に強く感じるようになりました。その思いが本書を書こうとするエネルギーになりました。
 私は普通教育についておおよそ三〇年間研究してきました。この三十年間というのは私にとっては平坦ではありませんでした。最初は恐る恐るだれにも気づかれないようにひそかにテーマを暖めていました。そのうちに「鉱脈をあてたな」などと励まされるようになりました。普通教育を研究してますと公言できるようになったのは研究し始めて二十年位くらい経ってからのような気がします。
 最近、現職の教職員を対象とした「普通教育の思想」という私の講義のなかで次のような感想が出されました。三十年間考え続けてきたことがけっして無駄ではなかったんだ、現場の先生方を励ますことが出来るんだという思いを強くしました。「普通教育。初めて耳にするこの言葉にこんなにも深い意味があったのだと目からウロコが落ちました。いじめのみならず今日抱えるさまざまな問題はすべて普通教育の理念に基づいて考えていけば解決できるのだと感じました」、「私がまず恥ずかしく感じたことは普通教育という言葉が存在していたこと、それすらも忘れていた、もしくは知らなかったのかもしれないということである。言われてみれば、憲法や教育基本法にも学校教育法にも謳われている。自分のあまりの無知さ加減に滅入ってしまった」、「教育者や、教育に関する職員は、普通教育とは何かと問われ絶句するのではないかと思われる。事実、私自身も普通教育の理念、概念を知らずに来た」、「様々な議論や考え方が飛び交う中で普通教育というのは教育の根本であり変わらないものではないかと思うようになりました」、「とっても勇気が湧いてきました」、「学校種のちがいにかかわらず普通教育の理念を実践していかなくてはならないと思いました。我々もますます頑張りたいと思います」
 現場の教職員は普通教育について「知らなかった」ことを恥じているが、しかしそれはかれらの責任ではない。知らされてこなかったのです。「教育学は『普通教育とは何か』を本格的に問うてこなかった」(竹内常一、二〇〇二年)という教育学研究者の述懐もあるくらいです。
 近年は「教育学の危機」だとか「自省する『戦後教育学』」などという言辞も新聞・雑誌等に目立ってきましたが、そこには「普通教育」についての関心は依然としてみられません。もちろん普通教育といってもさまざまな理解があります。それはそれで検討していかなければなりませんが、教育学研究にとって普通教育という概念はもっとも基本的な概念であること、普通教育という概念を基本に教育問題を検討していく必要があること、などが教育学研究内部から自覚され始めてきたことはこれまでなかったことと言えます。普通教育という概念に生命力を蘇らせ、現実の教育問題を打開していく生きた指針としていく必要があるのではないか、これが本書を貫く私の想いです。
 このような状況の中で普通教育を主題とする書物を公にすることはいささか勇気がいるものです。私の独りよがりではないか、いやきっと受け入れてくれるはずだ、そんな
気持ちはいまでもあります。
 しかし、この不安にはいささか根拠があるように思います。普通教育を本格的に論じるためには教育課程、教育内容、教科書、教育指導法等について普通教育の見地からもっともっと解明しなければならない課題が残されているからです。もっとも肝心な問題が未着手ではないかという声が聞こえてくるのです。このことはいつも頭から離れません。しかし、やはり今の段階でもやはり世に問うべきことはあるのではないかと思い直したりします。
 普通教育をめぐるこのような状況と前述した受講生たちの感想などに後押しされながら、普通教育についての基本的枠組を現時点で何らかの形で世に問うておきたいというのが本書を執筆する動機となりました。このシリーズ「子どもと教育基本法」は普通教育の理念を広めるという趣旨から構想されました。本書もその第五集として出すものです。ひきつづき地歴社の塚原義暁氏に多大のご協力を得ることが出来ました。あらためて感謝を申し上げます。読者の皆さまからのきびしいご意見・ご批判をいただければ幸いです。

 二〇〇八年一月

 

参考文献
ルソー『エミール』、一七六二年、岩波文庫(今野一雄訳)他。
コンドルセ「成人の普通教育」、「青少年の普通教育」、一七九二年、『公教育の原理』、明 治図書『世界教 育学選集』二十三、所収。
カント「教育学」、1803年、理想社『カント全集』第十六巻、所収。
エンゲルス「エルバーフェルトにおける二つの演説」、一八四五年、『マルクス・エンゲル ス全集』第二巻、大月書店、所収。
マルクス「現代社会における普通教育についてのマルクスの二つの演説の記録」、1869年、『マルク ス・エンゲルス全集』第十六巻、大月書店、所収。
庵地保『民間教育論』、庵地氏蔵版、一八八〇年。
庵地保『通俗教育論』、金港堂、一八八五年。
沢柳政太郎『実際的教育学』、同文館、一九〇九年。
『教育学辞典』、岩波書店、一九三九年。
文部省「新教育指針」、一九四六年。
教育法令研究会『教育基本法の解説』、国立書院、一九四七年、『教育基本法文献選集1』、 学陽書房、一九七七年、所収。
上原専禄「国民形成の教育」、一九六四年、新評論、岩波講座『現代教育学』第四巻、所 収。
堀尾輝久『現代教育の思想と構造』、岩波書店、一九七一年。
中内敏夫『教材と教具の理論』、有斐閣、一九七八年。
佐藤学「学びの文化的領域」、佐伯胖他編『学びへの誘い』、東大出版会、一九九五年、所 収。
竹内常一『教育を変える』、桜井書店、二〇〇〇年。
武田晃二「普通教育論史研究ノート」、日本科学者会議機関誌『日本の科学者』、一九九四 年一〇月号、所収。
武田晃二「日本国憲法への『普通教育』概念の導入とその意義」、岩手大学教育学部研究 年報第五十六巻、一九九六年。
武田晃二「教育基本法はなぜ大切か」、『子どもと教育基本法』第一集、地歴社、二〇〇二 年、所収。
武田晃二「教育基本法「改正」論を問う」、『子どもと教育基本法』第三集、地歴社、二〇 〇四年、所収。
武田晃二『教育基本法「改正」案と国会審議-憲法第二十六条(普通教育)に照らして』、 『子どもと教育基本法』第四集、地歴社、二〇〇六年。


(竹内常一      2
C
course of study      30
E
educationとpedagogy      4
G
GDP      37

『いま、普通に生きる』      3
『教育学辞典』(岩波書店)      4
『バカの壁』      1

愛国心      16
赤松常次郎      21,52
新しい時代の義務教育を創造する      22
新しい歴史教科書をつくる会      31
アメリカ教育使節団報告書      30

家永三郎      31
庵地保      51
一般教育      19
一般教養      19
岩波書店『教育学辞典』      54

ヴァージニア・プラン      47
植木枝盛      51
植村直巳      3

江木千之      53
エミール      39,40
エレン・ケイ      47
エンゲルス      23,43

OECD      37
オウエン(Owen,Robert ,一七七一〜一八五八)      43
大窪実      53
公の性質      35
落ちこぼれ      28
大人の理性      39

海外留学政策      36
改正学校教育法      16
改正教育基本法      36
改正教育基本法第二条      8
開放制      34
科及其程度      8
学事諮問会      23,52
学習      10
学習権      11
学習権宣言      11
学習指導要領      22,26,31
学習指導要領一般編(試案)      26,30
学制      50
学力      7
学力向上      7
学力低下      7
学力テスト      7
学力論争      7
家族、私有財産および国家の起源      46
家族国家      14
学科課程      26
学校五日制      29
学校教育      18
学校教育法      32
学校教育法施行規則      31
学校教員品行検定規則      34
家庭教育      14,18,25,33
家庭の教育力      14
体練科      26
カリキュラム      26
感覚      9,40
感覚的理性      39
漢字御廃止之議      50
カント      33

議会制民主主義      35,36
技術教育      45
基礎・基本      29
基礎教育      25
木戸孝允      50
規範意識      17
義務教育      18
義務教育として行われる普通教育      2,8,22
ギムナジウム      25
義務年限      18,23
急務件々      50
教育      3
教育委員      37
教育委員会      37
教育委員会法      37
教育公財政支出      37
教育改革の原理      16
教育課程      26
教育課程審議会      28
教育基本法      32
教育基本法前文      9
教育基本法の解説      19
教育行政      36
教育権      20
教育再生会議第二次報告      26
教育新誌      52
教育職員免許法      33,34
教育勅語      2,5,14
教育内容      31
教育ニ関スル勅語      53
教育ノ初      50
教育の目的      8
教育への権利      21
教育報知      52
教育令      51
教育を受ける権利      21,31
教員の地位に関する勧告      33,35
教員養成系大学・学部      34
教員養成制度      33
教科以外の活動の時間      27
教科過      26
教科課程      26
教科課程改正準備委員会      30
教科教育科目      34
教科書      31
教科書検定      32
教科書裁判      31
教科書制度      31
教科専門教育科目      34
教科用図書      31
教科用図書検定基準      32
教職教育科目      34
教則綱領      8
教則大綱      8
共通感覚      40
共通基礎教育      19
共通教育      19
強迫教育      22
強迫就学法      22,51

九鬼隆一      51
国之教育      52
窪島務      13
倉澤剛      36

経験      9
経験主義カリキュラム      47
経験主義的教育論      10
芸能科      26
ゲルトルート児童教育法      43
憲法の指導精神      48

ゴータ綱領      46
後期中等教育の多様化政策      25
工業小学校      55
公共の精神      14,17
高校三原則      25
工場法      43
更新講習      33
皇族就学令      23
公聴会      35
行動      10
高等小学校      55
高等中学校      56
高等ナル普通学科      56
高等ノ普通教育      56
高等普通教育      19,50,52,56
高等普通教育論      54
公民館      20
公立義務教育諸学校      31
国際連合      32,48
国際労働者協会      43
国政調査権      35
国民科      26
国民学校      26,56
国民学校令      56
国民教育      5,18,22,53
国民主権      31
国民の育成      17
国民ノ基礎的錬成      56
国民の三大義務      18
個人の尊厳      14
個人の尊重      14
個性      41
個性重視の原則      9,13,15
個性尊重の教育      9,30
古代社会      46
国家教育      54
国家理性      14
子どもの理性      39
個に応じた指導      13
コミュニティ・スクール      47
コレージュ      25
コンドルセ      5,26,42
コンモン・エジュケーション      50

採択制度      31
沢柳政太郎      54,55
参考人質疑      35

支援      12
自虐史観      31
思考      10
私塾私学      36
自存自衛史観      31
実際的教育学      54
指導      12
児童中心主義      34
児童の世紀      47
師範型      34
師範学校教則大綱      34
島田三郎      52
社会教育      18
社会契約論      39
社会権      21
社会主義革命      48
従軍慰安婦      32
集団自決      32
修業年限      23
自由学芸      5,19
自由研究      27
自由民権派      52
生涯学習      16
生涯学習体系への移行      16
小学      50
小学区制      25
小学校及小学教場教則綱領      55
小学校教員心得      34,52
小学校令施行規則      8
商業小学校      55
商人道      52
職業教育      18,54
女児高等小学校      55
初等教育      33,36,50
初等中等教育局      36
初等普通教育      8,18,56
初等普通教育論      54
ジョン・デューイ      47
新学力観      13,29
新幹線教育      28
新教育運動      47
新教育指針      4,30
人権宣言      42
新社会観      43
尋常中学校      56
新選中地理書      51
新日本史      31
侵略戦争      32
人類普遍の原理      48

スチャアート・ミル      23

性格形成学院      43
成果主義賃金体系      33
生活科      10,28
聖職者      33
精神的自由権      21
生存権      21
西南戦争      51
生の哲学      10
世界人権宣言      21,48
専 門教育      54
全体の奉仕者      33
専門学      50
専門教育      18

総合制      25
総合的な学習の時間      10,27

第一種普通小学校      55
大学      36
大学における教員養成      34
大学における普通教育      19
大学校      50
体験      9,29
体験活動      10
体験教育      10
太政官政府      36,50
大正自由教育      47
大日本帝国憲法      53
大日本学術協会      54
大日本教育会      52
第一次教育令      26
第一次小学校令      52
第三次教育令      52,55
第二次教育令      34
第二種普通小学校      55
タウンミーティング問題      20
武田晃二      110
男児高等小学校      55
単純観念      40
男女共学      25

地域の教育力      14
知育・徳育・体育      8
知覚      9,40
知的理性      39
地方教育行政の組織及び運営に関する法律      37
地方長官会議      53
チャーティスト運動      43
中央教育審議会(教育課程部会      30
中央教育審議会      22
中学校令      52,56
中産階級      55
中小学規則      50
中等教育      25,36
中等教育機関      33
中等普通教育      55

通俗教育論      51

帝国教育会      54
帝国憲法      5

道徳の時間      27,31
特殊教育      19,54
特別活動      27
特別教育活動      27
特別支援教育      19
独立命令権      53
図書館      20
ドベス      23
外山正一      34

仲間      41
なすことによって学ぶ      27

西潟訥      50
西村茂樹      51
日本教育      54
日本教育行政法論      54
日本国憲法第二十六条      21
人間および市民に関する権利宣言      42
人間性      41
人間の育成      17
人間の教育      43
人間の理性      39
認定子ども園      25

農業小学校      55

博物館      20
発達的教育学      12
パブリック・スクール      25
パラダイム転換      39
藩学      25
藩校      25

副校長      33
複雑観念      40
福沢諭吉      50
複線型      56
複線型学校体系      25
普通学      19,50
普通学務局      36
普通教育      18,50,54
普通教育学      54
普通教育局      36
普通教育研究会      54
普通教育新聞      54
普通教育制度年表      54
普通教育としての能力      10
普通教育において求められる能力      7
普通教育の件      53
普通教育の正格      52
普通教育ノ病      51
普通教育偏重      5
普通教育法      22,51
普通ノ学科      50
物理的理性      39
普遍的にして個性豊かな      9
プラグマティズム      10
フランス革命      42
文明開化      5

ペスタロッチ      4,43

法的拘束性      27
ホッブス      39

前島密      50
牧野文相      55
松山棟庵      50
マルクス      22,36,43

民間教育論      51
民間情報教育局(CI&E)      30

無償      24
無償制      37

免許更新制      33

モーガン      46
モーリス・ドベス      12
盲学校及聾唖学校令      55
モニトリアル・システム      43
森有礼      53
文部省      36
文部省雑誌      51
文部省職制及事務章程      50

山田行元      22,51

ゆとり」政策      28
ユネスコ      11,16,33,35,48

幼少連携      25
幼稚園      43
養老孟司      1
米倉斉加年      3
読み書き算そろばん      8

理数科      26
理性的判断力      6
リベラルアーツ      19
臨時教育審議会      9,15

ルソー      5,12,23,26,33,39

歴史教科書      31
連合国総司令部      30

ロック      39

一 般陶冶      54