第二部 普通教育のこれまで
 
 第一章 なぜ十八世紀西欧において生成したのか
  
  第一節 パラダイム転換
 ルソー(Rousseau,Jean-Jacques 一七一二〜一七七八)は『エミール』で「この点にわたしはもっとも心をもちいた」として次のように述べています。
  「このうえなく賢明な人々でさえ、大人が知らなければならないことに熱中して、   子どもにはなにが学べるかを考えない。かれらは子どものうちに大人をもとめ、大  人になるまでに子どもがどういうものであるかを考えない」(上巻、十八ページ)
 「大人が知らなければならないこと」から教育論を導き出す。これは今日なお展開されている一般的かつ支配的な教育観と言えますが、このような教育論にたいして、ルソーは根源的な批判を加え、その上で自らの教育論を提示したのです。まさにパラダイム転換とも言える問題提起でした。
 ルソーはその時代を「危機と革命の時代」と特徴づけましたが、まさにルソーの教育論はこのような十八世紀西欧の歴史的転換期のなかから生まれたものと言えます。
 ルソーがホッブスやロックの教育論を批判していますが、かれらも資本主義社会のイデオローグとして進歩的見解を表明していましたが、ルソーにとってはそのような見解が、一方で教育の世界を彼らの社会制度実現のための手段として見なしていることを根本的に問題にしたのです。ルソーは子どもが持って生まれた諸能力を合理的に育成することによって獲得される人間的理性に「不確実な未来」を託すべきであると考えたのです。『エミール』と同じ年に出版された『社会契約論』で説いた民主政治を主体的に担う市民の政治的判断力はルソーが主張する教育の結果として得られる理性と本質的に一致すると考えられていました。
  
  第二節 ルソーの普通教育論の骨格
 ルソー自身は普通教育という言葉を用いていませんが、事実上普通教育論を展開しています。ルソーの普通教育論を簡潔に特徴づけておきます。
 第一に、ルソーは理性を「大人の理性(人間の理性、知的理性)」と「子どもの理性(感覚的理性、物理的理性)を区別し、「子どもの理性」を「人間の理性」へと育成することが教育であるとしました。その意味で「人間は教育によってつくられる」と主張しました。この理性は、身分・階級や社会の変化等にとらわれない、いかなる変化にも耐えられるものとされました。
 第二に、ルソーは「人生のそれぞれの時期、それぞれの状態にはそれ相応の完成というものがあり、それに固有の成熟というものがある」と述べ、つぎの五段階を示し、それぞれにふさわしい教育があると主張しました。この五段階は『エミール』の五編構成に対応しています。 
  ①幼年期(感覚から言語が生まれていく段階)
  ②子ども時代(前期ー自己の観念が生まれていく段階)
  ③子ども時代(後期ー単純観念から複合観念の習得)
  ④思春期(人間関係についての観念の修得)
  ⑤青年期(社会関係および道徳的観念の修得、人間としての理性の獲得の段階)
 ルソーがこのような教育論を表明することができたのは、「はたらきかけるべき主体については、わたしは十分に観察したつもりだ。とにかく、まずなによりもあなたがたの生徒をもっとよく研究することだ。あなたがたが生徒を知らないということは、まったく確実なのだから」という研究方法上の独創性あるいは科学性にあります。子ども自身もそうですが、子どもたちがその時代その時代にどのような生活、学習、教育環境におかれているかは、その都度解明されなければなりません。古典から、あるいは主義主張から現在の子どもを論ずるというのはルソーがもっとも戒めたことなのです。
  
  第三節 ルソーの教育論に関する若干の補足ー個人と人間性の関係をめぐってー
 ルソーの『エミール』はエミールという名を与えられた一人の子どもを登場させていますが、一人の教師と一人の生徒という関係で現実の教育が存在しているわけではありませんし、そのような設定自体当時のコンディヤックなどにみられる機械論的感覚論の制約を受けており、普通教育論を発展させるうえでの論点になると思われます。
 子どもたちは感覚で受けとめた事象を知覚として再構成していきますが、感覚自体、あるいは感覚を知覚化する過程は当然のことながら個性的な性質を帯びざることになります。知覚はさらに単純観念、複雑観念に発展していきますが、その過程もまたより複雑な個性的な性質を帯びることになります。このような個性的な過程をそのままにしては理性への発展は困難となります。人間の育成は難しくなります。ここに教育が登場することになります。教師は個性的な(観念的な主観的な特殊個別的な)性質を帯びた感覚、知覚、観念等を訓練、規制することによって、より客観的なより普遍的な観念に発展していくように方向づけていかなければなりません。そこでルソーは『エミール』第二編の末尾で、「共通感覚」の問題を提起することになります。
  「共通感覚とは、すべてのひとに共通のものだからというよりも、ほかの感官の十 分によく規制された使用から生じ、あらゆるあらわれの綜合によって事物の性質をわ たしたちに教えてくれる」
 しかし、共通感覚の習得は一対一の教育関係では困難と言わざるを得ません。どんなにすぐれた教師であろうと、子どもの感覚・知覚・観念等を合理的に規制するということは現実においては不可能なことです。この問題を検討することは普通教育論の発展にとって決定的な問題と言えます。
 子どもたちはさまざまな体験・経験あるいは学習を通して個々独特の感覚、知覚、観念を習得していきますが、同時に自らの感覚・知覚・観念等を他者とのさまざまな交流関係を通して比較し、〈どうして僕はあのように感じたのだろうか〉、〈なぜみんなはわたしのように感じないのかしら〉、〈やっぱり僕の感じた通りでよかったんだ〉などと反省したり自信を持ったりします。子どもたちはこの過程をもっぱら日常生活の中で無意識に近い形で経験しているのですが、この過程に教師が介在して教育的な過程にすることによって、子どもたちはよりいっそう合理的な知覚・観念を習得することが可能になるのです。人間性への意識・自覚、人間ならばだれだってそう感じるものだ、人間は個性的な感じ方だけではなくより普遍的な感じ方、判断の仕方というものがあるのであって、それを習得していくことが大切なんだと言う判断が育成されていくことになるのです。このような教育課程を経なければ人間性や理性的な判断力の習得というのは不可能なのです。
 個性と人間性との関係はおおよそそのような関係にあるのであって、人間性というのは外から学習されるものではなく、このような教育過程のなかでこそ育成されるものなのです。普通教育の存在意義はまさにここにあると言えるのではないでしょうか。そのような意味において普通教育において教師の果たすべき役割はきわめて重要だということになるのです。
 なお、ルソーは思春期を論じた『エミール』第四編において「仲間」について次のように考察しています。「仲間」とは①「知らない人ではない」、②「自分に関係のある人たち」、③「習慣によって親しいものになっているか、必要で親しくなっている人たち、④「明らかに自分と共通の考え方、感じ方をしていると思われる人たち、⑤「一言でいえば、本性の同一性がほかのものよりもいっそうはっきりとあらわれていて、たがいに愛し合おうととする気持ちを、ほかのものよりもいっそう強く感じさせる人たち」と分析されています。
 思春期にある子どもを理解するうえで「仲間」という要素に留意することは重要なことです。しかし、このような「仲間」がかれらの感覚、知覚、観念等を合理的に発展させていく保障になるわけではありません。教育にとって大切なことは不特定な学習集団
のなかでかれらのさまざまな感覚・知覚・観念等を交流させ、それらを教育的に組織していく教育過程こそが重要なのです。そこで子どもたちは緊張の中で想像力を働かせ、お互いに他者理解を深めることによって、自らの観念等をより客観的・普遍的に高めていくことができるのです。
 『エミール』の世界はさらに社会的・道徳的な関係のなかでの理性の育成へと進んでいきますが、この過程でも子どもたちは自らの観念をより広い社会的・道徳的もしくは政治的事象へ広げ、そうすることによって現実の政治社会のなかで主体的・理性的に判断できる個人として登場することが可能になるのです。

 第二章 普通教育の思想はどのように展開していったか
  
  第一節 「市民」の育成ーコンドルセの「普通教育」論
 一七八九年のフランス革命で「人間および市民に関する権利宣言」を勝ち取った市民は国民議会のもとにコンドルセ(一七四三〜九四、Condorcet,Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat)を委員長とする公教育委員会が組織されました。
 コンドルセは公教育に関する五つの覚書を提案しますが、そのなかに「青少年の普通教育について( De  l`instruction  commune  pour  les  enfants  )」および「成人の普通教育について( De  l`instruction  commune  pour  les  hommes )  」が含まれています。「普通教育」が青少年のためのものと成人のためのものに分けられているところにコンドルセの普通教育論の特質の一つがあります。
 コンドルセにとって「普通教育」はルソーが考えたように子どもを理性ある人間に育成するということではなく、市民階級が第三身分とされていた政治的不平等を是正するための手段として構想されていたと言えます。ですから、子どもにとっても大人にとっても、平等を実現するために普通教育が必要だったのです。
 コンドルセは先にあげた五つの覚書の第一論文で「法律によってすべての人々が平等とされたとき、かれらをいくつもの階級に分ける唯一の区別は、かれらの教育から生じるそれである」、したがって「社会は、人間として、家庭の父として、また国民として、共通の職分をはたし、それに関する義務を感知し、認識するために必要な教育を、各人に得させることをその義務としなければならない」と述べ、そのような教育こそが公教育であるとしています。コンドルセの「普通教育」観はこのような「公教育」観から導かれているということもできます。
 コンドルセによれば、公教育には普通教育、職業教育および科学教育の三種があり、それぞれが子どものための公教育と成人のための公教育に区分されていました。別言すれば、子どもは子どもとして公教育、すなわち普通教育、職業教育および科学教育を受けるべきであり、成人は成人として必要な公教育、すなわち普通教育、職業教育および科学教育を受けるべきであるとされました。これは啓蒙主義の見地にたつ壮大な公教育計画とも言うべきものです。
 なお、フランス革命下において制定もしくは提案されたいわゆる「人権宣言」と総称されているいくつかの文書のタイトルに注目しておきたいと思います。それらにはそれぞれの政治的性格が反映した表現になっていますが、そこでは人間(homme)の権利か、市民(citoyen)の権利か、が重要な論点になっていることがわかります。そのことがまたそれぞれの基本文書に対応した公教育論、普通教育論をも規定していたといえます。
  
  第二節 近代学校の制度化と普通教育
 産業革命の進展の中でイギリスでは、数名のモニターを配置して大量の児童に一斉に授業を行うモニトリアル・システムと呼ばれる学校が開設されました。また、オウエン(Owen,Robert ,一七七一〜一八五八)は工場を核とする共同社会の実現を構想するなかで一八〇〇年、ニューラナークに「性格形成学院」を開設し、当時紡績工場等で酷使されていた児童を受け入れました。主著『新社会観』(一八一三ー四年)を著しました。また、オウエンは一八一五年の「工場法」制定にも大きく貢献しました。
 スイスでは「人間」に着目したペスタロッチ(Pestalozzi,Johann Heinrich一七四六〜一八二七)が一八〇一年に著した『ゲルトルート児童教育法』などで展開した教育思想に基づいて実験学校を開設しました。ドイツではフレーベル(Frobel,Wilhelm 一七八二〜一八五二)がカイルハウなどの実験学校で教育活動に従事し、『人間の教育』(一八二六年)を著しました。
 彼らの情熱的な教育活動を通して学校の必要性が自覚されていきましたが、とくに幼児教育や幼稚園についての認識が拡がったと言えます。
 また、イギリスではチャーティスト運動が組織されるなど労働者階級としての自覚が進展していきました。かれらは教育要求をも掲げますが、一八三三年、「われわれは普通教育制度を熱望する」と主張しました。
 このように十九世紀前半は個人的にも集団的にも教育問題が自覚され、さまざまな学校が開設され、その後の資本主義の進展の中で、資本主義の論理とも重なりながら学校や教育が制度化されていきます。「普通教育」という言葉を用いたかどうかは別としても、この時期に幼児期からの人間の育成こそが社会発展の基本であるという認識が世界的規模で拡大していったと言うことができます。その意味では普通教育の進展を準備したと言うことができます。
 十九世紀後半以降、資本主義生産様式が産業資本主義段階へ発展していく中で、労働者階級を学校制度の中に取り込んでいく初等教育制度が義務制と結びつきながら展開していきます。それは一面では教育制度を一気に社会化したと言えますが、同時に教育に対する国民的要求を顕在化させていきました。以下に述べるように国際労働者協会などの国際機関も普通教育という言葉を用いながら教育要求を掲げていきました。 

  第三節 マルクス、エンゲルスの普通教育論
 イギリス、フランス等における産業資本主義の進展は一方で資本家階級を中心とした反動政治と他方では労働者階級の悲惨な生活状態を顕在化させていきました。「普遍的な無秩序と搾取し合いが、今日のブルジョア社会の本質である」、若きエンゲルス(Engels,Friedrich 一八二〇〜一八九五)はエルバーフェルトの集会でこのように述べ、「各人が自己の人間的本性を自由に発展させ、隣人たちと人間的な関係をたもって生活できるような」社会の実現をめざそうと訴え、そのための当面の最重要な方策の第一に普通教育( allgemeine  Erziehung )の実現を掲げました。
 エンゲルスはこの「普通教育」について「例外なくすべての児童にたいして、国家の費用で普通教育をほどこすことである。この教育は、すべての児童にたいして平等であって各個人が社会の自主的な成員として行動する能力をもつようになるまでつづけられる」(傍点引用者)と述べています。
 ところで、「各個人が社会の自主的な成員として行動する能力」とはどのような能力を意味するのか、それは何歳位までに達成されると想定されているのか、など「普通教育」についての具体的な内容についてはその後徐々に解明されていくことになります。
 一八六六年九月、国際労働者協会はジュネーヴで第一回大会を開催することにしていました。この大会代議員にたいしてマルクスは十一項目の「指示」をおこなっていますが、そのなかでマルクス(Marx,Karl 一八一八〜一八八三)はつぎのように述べています。
 ①合理的な社会状態のもとでは、九歳以上のすべての児童は、生産的労働者とならな  ければならない。
 ②現に労働に従事している児童および年少者については、生理上の理由から、三段階  に区分して、九歳から十二歳までは、法律によってその使用を二時間に制限するこ  と、十三歳から 十五歳までは四時間に、十六歳と十七歳については六時間に制限  すること。
 ③初等学校教育は九歳に達するよりも早くから始めることが望ましい。しかし、今   日、問題とすべきは、児童と年少者の権利を守ることである。かれらは自分でそれ  を守るために行動することができない。だから、かれらに代わって行動することが  社会の義務である。
 ④労働者階級の啓蒙された部分は、自分の階級の将来、したがってまた人類の将来が  ひとえに若い労働者世代の育成にかかっていることを十分に理解している。なによ  りもまず児童と年少労働者を現  制度の破壊的影響から救ってやらなければなら  ない。
 ⑤現在の事情のもとでは、国家権力によって施行される一般的法律による以外にはこ  の救済を実現する方法はない。
 ⑥この立場からして、われわれは、労働が教育と結合されないかぎり、両親や企業家  に年少者の労働の使用を許してはならないと主張する。
 ⑦われわれは、教育ということばで三つのことを理解している。
  第一、知育
  第二、体育ー体操学校や軍事教練によっておこなわれている種類のもの。
  第三、技術教育ーあらゆる生産工程の一般原則を教え、同時に児童と少年にあらゆ   る職業の基本的な道具の実地の使用法や取扱いの手ほどきをするもの。
 ⑧九歳から十七歳までの者を夜間労働や健康に有害なあらゆる職業に使用すること   は、いっさいの法律によって厳重に禁止すること。(傍点引用者) 
 一八六九年、国際労働者協会第四回大会が開催されることになり、それに先だって総評議会会議で大会での議案が採択されました。七件の議題の四番目にあげられたのが「普通教育の問題」でした。この会議でマルクスは普通教育に関する演説を行っています。 
 この演説でマルクスは、教育問題に関するこれまでの大会での論点は、教育は国民教育であるべきか、それとも民間教育であるべきか、であったと述べたうえで、「国民教育」はすなわち「政府による教育」であるかのような見解について、アメリカのマサチューセッツでの事例をあげながら、つぎのように解明しています。①マサチューセッツでは地方団体が学校設置義務を負わされていること、②国家は多少の補助金を出しているが、地方税の八分の一が教育費に充てられていること、③教師を任命し教科書を選定する学校委員会は地方団体であること、④教育内容においてはあまりにも地方的で、その地域の一般的文化水準に左右されていること、⑤したがって、中央の監督を要求する声があがっていること、⑥学校のための税金は強制的であるが、児童の就学は強制的でないこと、⑦税金は財産に応じてかけられており、納税者はその税金が有効に使用されていることを望んでいること。
 マルクスは以上のことから「教育は国民教育あっても、政府による教育であることを要しない」と結論づけています。さらにマルクスは、政府は視学官を任命して法律の遵守を監督すればよいのであって、「教育課程そのものに干渉する権限はいっさいもたない」ことを要求しています。
 さらに、マルクスは大会において「教育は、義務教育であるべきだという決議を、躊躇なく採択してさしつかえない」と提案しています。この場合、マルクスは、児童が労働に従うことができなくなる、という論をとりあげ、義務になったからといって労働者の賃金は切り下げられないし、人々はそれに慣れるであろうと、反論しています。
 同じ一八六九年八月の総評議会会議での演説で、マルクスは、一八六六年のジュネーブ大会決議(知育と肉体労働、体育および技術教育を結合しなければならないことを要求している)を再確認しようという提案については反対の意見はなかったと紹介しています。
 また、マルクスは技術教育に関連して、分業は徒弟たちが自分の職業についての完全な知識を獲得するのを妨げるものであり、したがって技術教育は分業にともなう欠陥を補うことを目標とするものであり、ブルジョワジーが主張する技術教育と混同してはならないと補足しています。
 つぎに、小学校で経済学についての知識を生徒に授けるべきだという提案について、マルクスはそれは子どもたちが成人から学ぶべき問題であって、学校問題に関連してそれをもちだすのは適当ではないと批判しています。
 マルクスは以上をまとめて「初等学校でも、中等学校でも、党派的または階級的解釈の余地のあるような課目は、なにひとつとりいれるわけにはいかない。学校では、自然科学、文法などのような課目だけを教えることが適当である。(中略)さまざまな結論のありえる課目は除外しなければならない」(傍点引用者)と明確に述べています。
(五)一八七五年五月、ドイツのアイゼナッハ派の党とラサール派の党がドイツ労働者党として合同する大会がゴータで開催され、そこで綱領(ゴータ綱領)が採択されました。この綱領草案には「国家の自由の基礎」として五項目、「国家の精神的・道徳的基礎」として二項目、計七項目の政治的要求が含まれていましたが、全体として非科学的で誤りを含んでいたことから、マルクスはこれをきびしく批判しました。「国家の精神的・道徳的基礎」のうちの一項目には「国家による一般的な平等な国民教育。全般的就学義務。無料教育」と書かれていました。
 マルクスは「平等な国民教育」、「全般的就学義務」、「無料教育」自体はなんら革新的要求ではないことを指摘したあと、根本的な問題として「『国家による国民教育』はまったく不適当」(傍点はマルクス)であること、一般的な法律によって国民学校の財源、教員の資格や教授課目などを規定することや国家の視学官がこれらの法規の実行を監督することは必要であるが、そのことと「国家を国民教育者に任命すること」とはまったく別のことであること、逆に政府と教会のどちらも、学校にたいしていかなる影響をも及ぼしえないようにしなければならないこと、などを強調しています。一八六九年でのマルクスの見解が基本的に繰り返されています。
 学校教育は無償制・義務制を前提とし、国家や教会からの影響をいっさい排除し、一般的な法律によって組織されなければならないという見解がより明確にされてきていることに留意したいと思います。
 なお、マルクスは「国民教育者」という言葉を用いていますが、これは教育権の主体にかかわる表現であると思います。教育権の主体は国家にあるのではなく、それは直接的には一般的法律の制定に関わる立法府であり、より根本的には主権者たるすべての国民であるということになると思います。国民全体の教育要求を労働者階級の教育要求がリードしていけるかどうかは今後の社会の進展に規定されることはマルクスも明確に認識していました。
 エンゲルスは一八八四年に執筆した『家族、私有財産および国家の起源』の末尾で「より高い社会段階を切り開くのは、行政における民主主義、社会における友愛、同権、普通教育、などである」というモーガンの『古代社会』からの一節を引用して、社会変革に果たす「普通教育」の重要性を強調しています。
 『家族、私有財産および国家の起源』は教育論や人格論を直接論じたものではありませんが、人格の問題を「ある特定の歴史的時代に、ある特定の国の人間がそのもとで生活をいとなむ社会的諸制度」との関連で解明したものとしても読むことができます。
 エンゲルスは、国家に統括された階級社会では「低劣きわまる利害—いやしい所有欲、獣的な享楽欲、共有財産の利己的略奪—」や「窃盗、暴行、奸計、裏切り」を不可避な人格的果実であるとし、他方、原始共同体社会では、すべての公務を自分自身の仕事とみる民主主義的な本能、不屈な独立精神、自由精神、人格的威厳、個人的たくましさ、勇気、耐久力、性格の強さ、率直さ、等が同じように不可避な人格的所産であることをつきとめました。
 エンゲルスが特徴づけているように「原生的な共同体」に対応する人格上の原生的な民主主義的な性格はそれ自体、人類の長年にわたる意識的努力の結果といえますが、しかし、その努力の一定の進展のなかでそれらを否定する契機(生産手段の私的所有化)が発生し、人類は階級社会へと必然的に移行していくことになるのです。移行後の社会制度とその諸結果についての意識的科学的な解明によって人類は再びより高い段階での民主主義を切り開くことができるという展望をエンゲルスはこの書物を通して解明しようとしたのです。
 ところで、子どもにとっての社会のあり方は、大人にとってのそれとは本質的に異なり、その時代、その国の支配的な社会的諸制度がすべて直接的に子どもの生活を規定しているわけではありません。ある意味で子ども社会は「原生的な共同体」的性格を帯びていますし、家庭や地域社会も子ども社会を強く意識した関わりをもとうとします。と同時に子ども社会が外敵に無防備であるがゆえに、その時代・その国の支配的な意思が子ども社会を直接管理しようとする衝動を誘発することが起ります。その意思が狡猾で邪悪であればあるほど、また子ども社会が無防備であればあるほど、子ども社会はアッという間にその原生的性格を失い、国家の意思に取り込まれてしまうことになります。階級社会のもとで人類は長い間そのような運命を余儀なくされてきましたが、しかし、そのような自らの運命を科学的に解明することによって、すなわち子ども社会のあり方についての知恵をきたえることによって、逆に子ども社会のあり方が現実の社会を変革していく重要な要素となり得るという展望をもつことができる・・・。エンゲルスが『家族、私有財産および国家の起源』の執筆を通して「普通教育」に期待したのはそのようなことだったのではないでしょうか。

  第四節 新教育運動以降と普通教育
 十九世紀末から第一次世界大戦後にかけて、世界的な規模で教育改革運動がおこり総称して新教育運動と呼ばれています。それまでの知識中心主義の教育に対して児童中心主義の考え方を基本とするものです。また、生徒の自治活動を尊重する自由学校共同体の運動が現れました。エレン・ケイが書いた『児童の世紀』(一九〇〇年)は世界中に大反響を呼び、新教育運動のバイブルと呼ばれています。
 アメリカでは、アメリカの民主主義を基礎に、一八九六年のジョン・デューイのシカゴ大学の実験学校をはじめ進歩主義教育運動として展開されました。この運動はヴァージニア・プランなど徹底した経験主義カリキュラムを採用する州教育計画を成立させ、コミュニティ・スクール(地域社会学校)運動を発展させていきました。
 日本でも「大正自由教育」とよばれる教育運動が展開されました。
 広い意味での新教育運動は資本主義が世界体制化してきた段階において教育の理念を再確認するという点で積極的な意義を有するものでした。しかし、ルソーに見られるように「大人の理性」が支配する政治社会体制への批判原理として「子どもの理性」を育成することによってより人間的・理性的判断が主導する共同社会を構築するという普通教育の理念を共有していたわけではありません。日本における新教育運動も天皇制教育体制自体に対する批判的視点は全体として弱く、その枠内での教育改革運動と言えます。
 一九一七年、ロシアにおいて社会主義革命が起こり、社会主義の見地から教育改革が行われ、その中で普通教育という言葉が用いられました。社会主義の特異な進展のなかで普通教育概念は次第に本来の社会主義的性格を失っていきました。
 一九八八年には教育の個性化・人間化を掲げて「普通教育」の在り方をめぐる論争が展開されましたが、そこには教育を受ける国民および子どもの権利の視点は希薄で、普通教育の理念は全面的には表明されていません。ロシア共和国連邦の成立とともに制定されたロシア連邦教育法(一九九二年)にも普通教育という語句が用いられていますが、全体として市場原理を基調としたものといえます。
 二十世紀全体としてみたとき、政治体制の民主化の進展に応じて普通教育制度の在り方も各国において一定の進歩的性格を帯びつつも、さまざまな現実的状況におかれることになります。しかし、本書第五部第二章でも述べているように、二十世紀後半、すなわち二つの世界大戦に対する世界史的な反省と結びついて、国際連合、ユネスコなどの国際機関が提起した「世界人権宣言」を源流とする教育理念の進展は普通教育の理念を実質的に前進させていると言えます。
 その点で、「世界人権宣言」にさきがけ、日本国憲法が国民主権原理を「人類普遍の原理」として宣言したこと、戦前日本の自由民権思想に支えられた普通教育の歴史をもふまえつつ「憲法の指導精神」の具体化として普通教育に関する条項(第二十六条第二項)を導入したこと、この憲法と一体のものとして「人間の育成」を基本理念とする教育基本法が制定されたことは、世界史的にも意義のあることと言えます。これらのことについては第三部で述べることにします。