第三部 日本における普通教育の歴史
 
 第一章 はじめに「普通教育」ありき
  
  第一節 「普通学」と「普通教育」
 これまでの教育史研究は必ずしも明らかにしてきませんでしたが、明治前期は普通教育の時代と言っても過言ではありません。
 前島密は一八六七(慶応二)年、「漢字御廃止之議」を上奏し、そのなかで「普通教育」という言葉を多用し「少年の時間こそ事物の道理を講明するの最好時節」と説いています。現時点では「普通教育」という言葉が用いられたわが国最初の文献と言えます。また、木戸孝允は一八六九年、「普通教育の振興を急務とすべき建言書案」を提出しています。した。福沢諭吉も同年、松山棟庵宛の書簡で「コンモン・エジュケーション」という言葉を用いています。
 一方、「普通学」という言葉も用いられていました。一八六九年、大学校は「急務件々」において「小学」の目的を「普通学ヲ修メ」としています。。
 一八七〇年の「中小学規則」でも小学は「普通学ヲ修メ」とされています。この時期の「普通学」という言葉は「セケンツウレイノガクモン」という意味の他、「専門学」の対としての意味、さらには「普通教育」という意味でも用いられていました。
 このように「普通教育」と「普通学」という語句は未分化なまま混用されていた面もありますが、大筋において普通学は大学における専門学との対概念として、またその基礎を意味する語句として用いられており、「普通教育」という概念はいわば初等教育に対応した語句として用いられていました。その後、普通学(あるいは「高等普通教育」)と普通教育との二重構造が構築されていくことになります。

  第二節 「学制」以後における普通教育概念のひろがり
 普通教育という語句が当時どのように用いられていたのかを中心に事実関係を列挙しておきたいと思います。
 一八七二年に頒布された「学制」は中学校の教育目的を「普通ノ学科」、小学校の教育目的を「教育ノ初級」としています。
 学制起草者の一人である西潟訥中督学は「小学ノ教育」を「普通学ト称スル」とした上で、その内容を「人ノ人タル知識ヲ具へ人ノ人タル務ヲ成ニ至ル迄ノ業」(傍点引用者)と説明しています。社会的義務を果たす人間としての自立を「普通学」の目的と受けとめる認識をそこに見ることができます。
 太政官政府は一八七五年の「文部省職制及事務章程」において「普通教育須要ノ学科ヲ改正スル事」を掲げています。公文書に「普通教育」という言葉が登場した最初の文献と思われます。
 この時期、『文部省雑誌』は欧米の教育事情等を紹介する中で「普通教育」という言葉を多用しています。
 『新選中地理書』の著者であり、のち師範学校条例取調委員などを務めた山田行元は一八七七年、「強迫就学法」という呼称を「普通教育法」と改めるべきであると主張
しています。
 西南戦争等による財政逼迫のもとで、行政改革を余儀なくされた太政官政府は「学制」が掲げた五三、七六〇校の小学校設置目標の未達成部分三二、〇三三校の困難などに直面し「学制」自体の改廃が課題となっていきました。文部省は大書記官等を全国に派遣し、「普通教育」の現状調査に乗り出しています。
 西村茂樹大書記官は一八七七年の「巡視功程附録」のなかで当時の地方学事の状況を「普通教育ノ病」と特徴づけ、①「専ラ外面ノ修飾ヲ務メテ教育ノ本旨ヲ後ニスルニ在リ」、②「教育ノ為ニ人民ノ金卜時ヲ費スコト多キニ過クルニ在り」、③「小学ノ教則中迂遠ニシテ実用ニ切ナラサル者アリ」、④「一定ノ教則ヲ以テ之ヲ全国ニ施サントスルニ在り」などを掲げています。
 九鬼隆一大書記官も同年の「巡視功程附録」において、「今ノ普通教育」の現状と課題を述べ、そのなかで「(普通)教育」とは「心性発達ノ自然ニ一致シ其発達ノ順序ヲ察シテ知識ヲ給スルコト」と述べています。
 自由民権家植木枝盛は一八七七年に「普通教育論」を執筆し、「学制」における「教育ノ初級」を「一般普通ノ科」ととらえ直した上で、「人間」の「本質ヲ開発伸展」させることの重要性を主張しています。
 東京府学務課吏員であった庵地保は一八八〇年に『民間教育論』を、一八八五年に『通俗教育論』をそれぞれ著し、わが国において初めて普通教育論を本格的に論じています。


《コラム》 庵地保と普通教育
   庵地  保(いおぢ たもつ 一八五三〜一九三〇年)は「普通教育論を説いた初期の文献」と言われる『民間教育論』の著者として知られています。庵地は沼津藩に生まれ二十四歳で東京府職員として学務課に配属されました。時あたかも文部省内において「学制」に代わる教育令原案を起草する委員会が設置された年に当たり、この動きに庵地は積極的に関わっていったと思われます。「学制」から教育令への転換は「普通教育」のあり方をどうするかが重要な論点の一つでした。第一次教育令が改正されたのは一八八〇(明治十三)年十二月ですが、『民間教育論』が発行されたのはその直前です。
 『民間教育論』はその冒頭に「此編ヤ専ハラ普通教育ノ要領ヲ摘シ」と述べているように普通教育の重要性をひろく民間に訴えることを意図して執筆されたもので、一八八五(明治十八)年にはその続編『通俗教育論』を出版しています。
 その後秋田尋常師範学校長等を歴任した庵地は金港堂に入社し定期刊行教育誌『国之教育』を刊行していますが、政府の教育政策をめぐって『教育報知』との間に論争が生じています。この論争は結局は噛み合わないまま『教育報知』側が一方的に「アバヨ」という言葉を残して論争を打ち切っています。『国之教育』も第六十八号を最後に廃刊に追い込まれています。
 庵地はその後住友家に入社し、日本製銅株式会社の整理監督を経て、翌年現住友電工の前身である住友伸銅所の支配人さらに場長として十三年間活躍することになります。五十八歳で退職した庵地はその年九月に『商人道』(東京・大野書店)を著わし健全なブルジョワ企業家倫理を明快に説いています。一九三〇(昭和五)年、七十七歳で没しています。

 赤松常次郎は一八八〇年、『教育新誌』上に論説を寄せ「人ノ子女タルモノ普通ノ教育ヲ受ケンコトヲ要求スルハ其ノ固有ノ権理」であり、父母は子女に「普通ノ教育」を与える義務を負っている、と述べています。
 一八八二年に創設された大日本教育会は「普通教育の改良進歩」を目的に掲げています。
  第三節 教育令期と普通教育
 一八七九(明治十二)年に制定された第一次教育令は小学校の教育目的を「普通教育」と規定しました。この語句の文部省原案は「人間普通欠ク可ラサルノ学科」でした。
 このころ、基本教科を充たす教育課程を「普通教育の正格」とし、要件を欠いた場合「変則小(中)学校」と呼称するなど、普通教育の理念から導かれる教育課程の基準も制度化されていきました。
 教育令改正は主として文部省内で普通教育政策を推進する自由民権派を追放するという政治的意図と結びついていました。
 自由民権派に立つ島田三郎権大書記官は「普通教育」について「人生日常欠ク可サルノ智識ヲ養育」 し、「人民ヲシテ通常ノ智識ヲ有セシメ社会ノ程度ニ相応スル人タラシムル」ものと述べています。
 一八八一年、教育令改正の趣旨を体現して「小学校教員心得」が出されますが、そこには「小学校教員ノ良否ハ普通教育ノ弛張ニ関シ普通教育ノ弛張ハ国家ノ隆替ニ係ル」と述べられていました。
 一八八二年、文部省は全国の学務課長等を招集した学事諮問会において「普通教育ノ修業年限ハ小中学ヲ通シテ率ネ十二年トス」などの方針を提示しました。
 一八八五年に改正された第三次教育令および一八八六年に制定された第一次小学校令においても小学校の教育目的は「普通教育」と規定されていました。一八八六年制定の中学校令は中学校の教育目的を「高等普通教育」としていました。
 一八八五年、初代文部大臣森有礼は埼玉県尋常師範学校において演説を行い「普通教育」について多く言及していますが、その場合の「普通教育」とは師範学校を「本源」とするものでした。それ以後、森文部大臣の発言等には普通教育という言葉は用いられなくなります。
 
 第二章 国民教育の時代へ
  
  第一節 「普通教育」から「国民教育」へ
 小学校条例取調委員であった大窪実は一八八七(明治二十)年、「各人自己ノ為の教育」と「国民タルニ適当ナラシムル為」の教育、という二つの「要点」を有する「普通教育」を「国民教育」と呼ぶ、と演説しました。この二者を併記し、結果として「各人自己ノ為の教育」(普通教育)を否定するという「国民教育」論の主張と言えますが、普通教育の時代から国民教育の時代への転換を象徴する演説と言えます。
 
  第二節 大日本帝国憲法、教育勅語と普通教育
 一八八九年、大日本帝国憲法が制定されましたが、その過程で教育条項を置くかどうかが争点となり、教育に対する天皇の独立命令権を確保するという見地から除外されることになりました。
 一八九〇年、地方長官会議は「普通教育の件」を審議した結果、「徳義涵養ノ件ニ関スル建議」としてまとめられましたが、これが最終的に「教育ニ関スル勅語」を生み出すことになりました。
 大日本帝国憲法、教育勅語体制への転換を受けて一八九〇年、小学校令が改定されましたが、これまで教育目的とされていた「普通教育」は削除され、「国民教育」に換えられることになりました。この語句の文部省原案は「帝国臣民ニ欠ク可ラサルノ普通教育」というものでした。
 一八九一年、江木千之普通学務局長は「帝国小学教育ノ本旨」と題する演説において「国民教育」を 「国家ノ特性」に対応する教育と説明し、その教育を全国に普及するのが「普通教育」であると述べています。
 『教育報知』は一八八七(明治二十)年から一八九〇(明治二十三)年にかけて三回にわたって「普通教育」と「国民教育」との関係について社説を掲げていますが、そこには「普通教育」から「国民教育」への変節が見事に表明されています。この過程は大日本帝国憲法・教育勅語の制定過程と重なっていました。
 第一段階(明治二十年)では、小学校・中学校を通じ「普通教育ハ・・(理性アル人間ノ)能力ヲ発達調和セシメ社会ノ一個人タルニ欠ク可ラサル要状ヲ具備セシメントノ目的ヲ以テスルモノ」であり、そこでの教育は「如何ナル特別ノ事情アリトモ」「普通教育ハ教育ノ基本タリ根底タリ之ナケレバ他ノ教育ハ一モ成立ス可ラザルノ位地ニ立ツモノナリ」(傍点引用者)とのべ、普通教育について正確な認識を示し、国民教育に対する普通教育の第一義性を強調しています。
 第二段階(明治二十一年)では、「国民教育」をさらに「国家教育」に昇格させた上で「或ハ普通教育ト云ヒ或ハ国家教育ト云ヒ或ハ専門教育ト云フモ皆是レ其ノ特性ヲ標準トシテ名ヲ分チ業ヲ異ニセルモノナリ」とのべ、それまでの︿基本・根定﹀論から︿特性・分業﹀論へと変質させているのです。
 さらに、第三段階(明治二三年)では、「日本教育」なる言葉をも使いながら「故ニ国家教育ハ普通教育ニシテ」と述べ、「普通教育」を「国家教育」に包摂させています。
  
  第三節 普通教育学の進展
 法令用語からは「普通教育」は消滅しましたが、一九〇〇年以降、『普通教育学』など師範学校生を主な対象とする教育学文献や「普通教育」、「普通教育新聞」などをタイトルとする教育誌や新聞、さらには「普通教育研究会」などが刊行、発行あるいは組織されていきました。戦前期における状況を概観しておきます。
 沢柳政太郎は一九〇九年、『実際的教育学』において「教育学がその研究対象とする教育の範囲は学校 教育中の普通教育に限定したい」と主張しました。教育学研究にたいする沢柳の見識を示すものといえますが、同時に沢柳の場合の「普通教育」とは「成るべく長く小国民(陛下の赤子一引用者)が共通同一の教育を受けることは国民精神の統一上望ましい」という見地からのものでした。
 帝国教育会は一九〇九年、『普通教育制度年表(増補改訂版)』を発行しています。
 一九三二年年、大日本学術協会編『日本教育行政法論』(『教育学術界』収録)は、第五章を「初等普通教育論」、第六章を「高等普通教育論」に充てています。
 一九三九年、岩波書店『教育学辞典』に石川謙・船越源一署名の「普通教育」の項目が収録されています。「普通教育」の「意義」、「分類」、「教科目とその沿革」および「外国における普通教育の教科目」からなる学術的な内容のものでした。そこでは「普通教育について次のように定義されています。
  「一義的に説明することは困難であるが、最も重要なる基底に於て、この語は、一 般陶冶の観念に関連する。人たる誰にも共通に且つ先天的に具有するものであり、  又、これ有るが故に人が人たることを得る筈の本質たる所の、精神的身体的な諸機能 を充分に且つ調和的に発達せしめる目的の教育を、一般陶冶と呼ぶのである。かかる 意味での一般陶冶を目的とする、如何なる身分、如何なる職業に就くものにも共通に 必要であるから、名づけて普通教育と唱えるのである。それ故に普通教育は、特定の 技術・学芸を習得させて特定の業務に適能ならしめることを目標とする特殊教育・専 門教育乃至は職業教育とその選を異にする。この意味に於て、又人たる凡てに共通  に必要な教育であり、人たる誰もが一様に享受し得る筈の教育である」(当用漢字に 改めたー引用者)
  傍線部分は戦後文部省が憲法・教育基本法に導入された「普通教育」という語句の定義として採用しており、「普通教育」についての行政解釈として判例上でも用いられています。
  
  第四節 普通教育制度の進展
 一八九三(明治二十六)年、『教育時論』は「実業教育を以て普通教育を害すること勿れ」という論説を掲げています。石川県では明治十七・十八年頃から各小学校に農事・養蚕・陶器等の科を置いて、父兄も子どもたちも受け入れたが、数年にして「事実の利益少なきを認め校舎は月に衰え生徒は歳に減じ今や一校を存するのみ」という事態に陥りました。論説はその主な原因を「普通教育の範囲内に強いて実業なる専門科を加え両者の間に避くべからざる衝突を来した」(傍点引用者)と断じています。。なお、この事実は一八八五年の第三次教育令制定の際に構想された「小学校及小学教場教則綱領」が小学校(科)を第一種普通小学校、第二種普通小学校、農業小学校、工業小学校、商業小学校および男児高等小学校・女児高等小学校の七種に再編しようとしていたことに見るように、当時の職業教育重視政策を背景としたものと言えます。
 一九〇七(明治四十)年の小学校令改正で小学校の義務教育年限は六年、高等小学校は二〜三年とされました。その際、牧野文相は「高等小学校」の教育目的を中学校・高等女学校のそれと区別して「一層精深適切ナル普通教育」と説明しています。このことは法令上から「普通教育」という語句が削除されたにもかかわらず文部省周辺に小学校の教育目的を「普通教育」と認識する状況があったことをも意味しています。その後、高等小学校の教育目的は「更ニ進ミタル普通教育」と規定されていきます。
 その後、義務教育としての普通教育(小学校)を拡充していくべきなのか、義務教育ではない高等普通教育(中学校)を拡充するべきなのかが重要な政策課題となっていきます。
 一九二三(大正十二)年に制定された盲学校及聾唖学校令はその目的を「盲人・聾唖者ニ普通教育ヲ施シ其ノ生活ニ須要ナル特殊ノ知識技能ヲ授クルヲ目的トシ」と定め、盲学校および聾唖学校においては「普通教育ヲ施ス」ことを第一義的目的としています。
 一九二七(昭和二)年、沢柳政太郎は「小学校教育即ち初等普通教育は国民一般の教育」とした上で、 「中産階級の勢力は偉大なものであるから、之が教育の重要なことは云ふまでもない」としてその教育を「中等普通教育」と呼んでいます。「初等普通教育」という言葉はこの時点では法令用語ではありませんが、沢柳が小学校の教育目的を「初等普通教育」と認識していること、また「中等」という言葉の意味は、発達段階的な意味というよりも「中産階級」に対応するという意味で用いられていることなどに留意する必要があります。
  
  第五節 高等普通教育について
 一八七二年の「学制」において中学校の教育目的は「普通ノ学科」とされていましたが、一八七九年制定の教育令では「高等ナル普通学科」とされています。「普通ノ学科」にせよ「高等ナル普通学科」にせよ、あるいは後に用いられる「高等普通教育」にせよ「普通教育」とは区別されていることに留意していただきたいと思います。すでに述べましたが、明治期、いわゆる初等教育に対応する「普通教育」の体系と中等教育以上の「普通学」もしくは「高等普通教育」の体系とは明確に区別され二重構造をなしていたのです。一般民衆の子どもたちはどこまで行っても普通教育の枠内でしか教育を受けることが出来なかったのに対し、一部の子どもたちはさらに中学校以上の学校で教育を受けることが出来たのです。このような構造を複線型とも言われています。
 一八八六年の中学校令では尋常中学校・高等中学校の教育目的は「実業ニ就カント欲シ又ハ高等ノ学校ニ入ラント欲スルモノニ須要ナル教育」とされました。一八九〇年の高等中学校官制は高等中学校の教育目的を「高等ノ普通教育」とし、一方、一八九一年の中学校令改正で尋常中学校および高等女学校の教育目的は「高等普通教育」とされた。以後、中学校、高等中学校および高等学校の教育目的はいずれも「高等普通教育」という用語を用いていますが、高等学校の方は「更ニ精深ナル程度ニ於テ高等普通教育」などと規定されることとなった。「更ニ精深ナル程度ニ於テ」というような法令用語には似つかわしくない言葉を敢えて用いなければならないのは、大学において「専門学」と対になる「普通学」があり、大学以下の学校の教育目的を「普通ノ学科」もしくは「高等普通教育」と呼称してきた関係上、中学校と高等学校が分化したことで高等普通教育に差異を設けなければならなくなったからです。
 なお、高等小学校についても「一層精深適切ナル普通教育」という目的規定がなされますが、この場合も尋常中学校との普通教育上の差異を表現する必要があったからです。
  第六節 初等普通教育の法令用語化
 一九四一(昭和十六)年に制定された国民学校令は国民学校の教育目的を「皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ、国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」(第一条)とし「初等普通教育」という文言を初めて法令用語として用いました。
 この時点で「初等普通教育」という言葉が採用されたのは、「中等普通教育」という概念を法令用語としても用いざるを得ない状況になってきたこと、高等普通教育と中等普通教育という語句に合わせて新設の「国民学校」の教育目的を構想する必要が意識されたこと、などが考えられます。なお、「初等普通教育」という言葉自体は一八八四(明治十七)年以来文献等で断続的に用いられていました。
  
  第七節 戦前日本における普通教育という語句の性格
 これまで見てきたように、戦前全体を通して普通教育という語句は教育論、教育学上の概念として、また法令あるいは行政・教育政策上の概念としてもさまざまに用いられてきました。戦後、日本国憲法等に「普通教育」という語句が導入されることになりますが、この概念が戦前においてすでにさまざまな意味合いにおいて用いられていたことに留意していただきたいと思います。以下、普通教育という語句が他のどのような語句と結びついてあるいはどのような文脈のもとに用いられてきたかを列挙しておきます 
 ①普通教育という語句は独立、民主主義、平和、平安、幸福、文明、文化、真理、自  由、個人、人間性、国民、国会開設、主権、参政権、生産力、社会の進歩、品位、  理性、政治的判断力、自治自立、基本的人権、人間としての義務、等の問題と密接  にむすびついていた。
 ②普通教育制度は社会の基礎的な部分を構成するということ、同時に社会の維持・存  続にとって普通教育のあり方はつねに政治上の基本問題として意識された。
 ③普通教育制度は理念・目的・内容・行政等におよぶ包括的な制度である。
 ④普通教育は本質的には人間の育成を第一義的に求めるものであり、その中に国民の  育成を包含するものである。
 ⑤子どもの養育は基本的には父母の責任・義務のもとで行われなければならないが、  普通教育は社会の共同事務であり、社会の共同事務としての実質化を求めるもので  ある。その成熟の度合がその時々の普通教育制度のあり方を規定するということが  意識された。
 ⑥人間的諸能力全体の成長・発達の過程には一定の法則があり、普通教育はそれに即  したものでなければならない。
 ⑦普通教育を受けることは子どもの権利であり、それを保障することは父母の義務で  ある。
 ⑧義務制、男女共学制、無償制の問題は普通教育と不可分である。
 ⑨理念としては普通教育の修業年限は十二年である。
 ⑩普通教育は基本的には高等教育や専門教育と対をなすというよりも、普通教育自体  の存在理由がある。
 戦後、文部省(文部科学省)はこの「普通教育」という語句を用いることを忌避し、二〇〇六年の改正教育基本法では「義務教育として行われる普通教育」および「高度な普通教育」という語句を創出することによって、戦前と同様、わが国の普通教育制度を「普通教育」の体系と「高度の普通教育」の体系という二重構造に再編し、さらに普通教育を「義務教育」の下位概念に位置づけてしまいました。
 とはいえ、日本国憲法第二十六条第二項はすべて国民は子どもたちに普通教育を受けさせる義務を負うと定めています。普通教育概念が戦前においてもさまざまな積極的意味合いで用いられていたことに留意し、今後の普通教育制度の拡充を図ることはまさに国民全体の責務といえます。

 第三章 戦後教育改革と普通教育
  
  第一節 日本国憲法に「普通教育」概念が導入された経過
 普通教育という語句が日本国憲法に位置づけられていること自体余り知られていません。憲法学や教育学の研究者ですら第二十六条第二項の「普通教育を受けさせる」という文言を「教育を受けさせる」と置き換えて論じるということがしばしば見受けられます。日本国憲法における両者の区別あるいは普通教育という語句にあまりにも無関心という状況が続いてきたように思います。
 日本国憲法に教育条項が位置づけられたこと自体、大日本帝国憲法との関連から言って画期的なことと言えますが、さらに「普通教育」概念が導入されたことは世界史的な意義を有することだと思います。
 一九四六年一月二十三日、憲法問題調査委員会(内閣直属)第十四回小委員会において入江俊郎委員は憲法改正案(甲案)の「日本国民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ教育ヲ受クルノ権利及義務ヲ有ス」(第三十条ノ二、傍点引用者)について「(中略)なお、厳密に考えれば、教育を受ける義務は、保護者が子女に教育を受けしめる義務というように表現すべきではないか」と発言しています。 教育を受ける義務を「国民の義務」とすると戦前的な義務教育に対する反省にならない、国民はあくまでも主権者として、かつ教育を受ける権利主体でなければならない、という認識がそこに反映されていたのではないかと推察されます。と同時に教育を受ける子どもと国民もしくは保護者との関係をどのように憲法上規定するかを考えたとき、国民が子どもたちに教育を受けさせる義務を負っていると解されるのではないか、その関係を明確に規定する必要があるというのが入江氏の発言の趣旨であったと思われます。その際、国民にとっての「教育」と子どもにとっての「教育」は「教育」という同一の言葉でいいのか、という問題が浮上してきたのではないでしょうか。
 同年二月十二日に出された連合国総司令部(GHQ)案第二十四条第一項は「無償の普通義務教育(free,universal and compulsory education)を設けなければならない」というものでした。
 これを受けて、政府は三月二日に案を示しましたが、その第二十三条は
 「凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クルノ権利ヲ有 ス」、
 「凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ保護スル児童ヲシテ普通教育ヲ受ケシムル ノ義務ヲ負フ」、
 「其ノ教育ハ無償トス」
という三項構成でした(傍点引用者)。 「其ノ教育」とは「普通教育」であることは明らかです。
 三月六日、政府は「憲法改正草案要綱」を提出しますが、その第二十四条は「国民ハ凡テ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クルノ権利ヲ有スルコト」、「国民ハ凡テ其ノ保護ニ係ル児童ヲシテ初等教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フモノトシ」、「其ノ教育ハ無償トス」(傍点引用者) とされ、「其ノ教育」は「初等教育」とされています。この時点でなぜ「普通教育」が「初等教育」とされたのかは解明されていません。
 四月十七日、政府は「帝国憲法改正案」(政府原案)を発表しましたが、その第二十四条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」、「すべて国民は、その保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ」、「初等教育は、これを無償とする」(傍点引用者)とする三項構成でした。
 政府案が国会で審議されることになりましたが、七月二十三日の第二十回帝国憲法改正案委員会において、新政会が「すべて国民は、その保護する青少年に法律の定める年齢まで義務教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする」という修正提案を行っています。新政会の提案は青年学校がすでに十九歳まで義務になっているのだから義務教育を「初等教育」に限定するのは逆行だと言うものでした。この提案を受けて、「普通教育」とするか「初等教育」とするか、あるいは「義務教育」とするかが争点となり、この間題は小委員会に付託されることになりました。
 小委員会における審議ではこの箇所の語句をめぐりさらに「教育」、「国民教育」などの案も出されましたが、八月一日の第七回小委員会において、芦田委員長は「普通教育ト言ッテハドウカ」と提案し、さらに「普通教育」は「中等教育」を含むように理解されているが、保護者が負うべき義務の範囲は法律で決めるのだから「普通教育」でも差支えがないのではないか、と説明しました。
 佐藤達夫政府委員は、法令上、国民学校は初等普通教育、中等学校は高等普通教育となっており、「国民学校ノ分ガ入ッテ居ルコトハ是ハ今マデノ制度カラ申シマシテ明瞭デゴザイマス」とした上で、「憲法ノ指導精神」を出すためには単なる「教育」ではなく「普通教育」ということにしたと説明し、修正問題は決着がはかられることになりました。
 共同修正案第二十六条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」というものでしたが、無償となるのは「義務教育」であって、当初政府原案にあったような「普通教育」にはなりませんでした。この共同修正案が衆議院、貴族院において可決され確定することになったのです。
 日本国憲法第二十六条第二項に位置づけられた「普通教育」という語句について、審議の過程ではその戦前的な意味や理念について特に議論されたわけではありませんが、「中等教育」をも含む概念であるという理解がなされていたこと、「憲法ノ指導精神」にふさわしいものであると認識されていたことなどは留意しておくべきことと言えます。
  
  第二節 教育基本法が生まれるまでー普通教育を中心にー 
 一九四六年八月一〇日に教育刷新委員会が発足し、九月七日に第一回総会を開催しています。すでに憲法改正案の教育条項(第二六条)は事実上確定していましたから、それをふまえて、教育基本法および学校教育法の策定に係わる基本方針の論議が、教育刷新委員会に置かれた第一特別委員会、第二特別委員会等で審議されていきました。
 十一月八日に開催された第二特別委員会第十一回会議では「教育基本法要綱案」第五項にある「九ヶ年の普通教育」について、城戸幡太郎委員が「満十八歳かそこまでを通して普通教育の完成としたい」、「選挙権を得るまでは教育をするべきだとおもう」などと主張し、憲法第二十六条第二項に対する積極的な解釈にたった発言を行っています。この主張にたいして消極論も展開されていますが、無償制の問題は事務当局に研究してもらうこととして、満十八歳までは義務とするということが多数意見であるというまとめが行われています。
 十一月二十九日に開催された第一特別委員会最終回では文部省の関口幹事が次のように発言しています。「実は第二委員会の方では、九ヶ年でなくして十二年の義務制ということが、今問題になっているようです。この十二年ということの意味は、最低限の、これはパートタイムの一年百五十時間とか、二百時間という位のものは、これを義務にしたいという強い御希望があるのです。それをしかし法律的に取扱って十二年と、ここに書いてしまえるかどうかということが問題になってしまって、どうしても、総会で二回も論議があって、決定することが出来ずにおります」と。実際、文部省調査局が十二月二十九日に作成した「教育基本法要綱案」の第四項には「九ヶ年」ではなく「十二ヶ年」となっています。その後も新しい高等学校の目的を普通教育とすることについては賛成であるが、義務制にすると無償制とならざるをえず、それは無理であるという有力な議論も主張されています。
 なお、教育刷新委員会全体の議論のなかで注目したいのは、高等学校をふくめて満十八歳までの教育は普通教育であるという認識が憲法第二十六条第二項の解釈としてもはぼ共通の認識になっていること、その上で高等学枚、中学校をそれぞれを高等普通教育にするか、中等普通教育にするかという問題が各論として議論されていること、また高等学校についても高等普通教育であることについては共通理解となっており、専門教育との関係をどうするかが文部省の方からの学校教育法案との関連で検討されていること、などです。
 このような経過を経て教育基本法が一九四七年三月三十一日公布されたのです。
 ここで、教育基本法の制定過程における普通教育をめぐる論点をまとめておきたいと思います。
 ①教育基本法は日本国憲法第二十六条全体を受けて制定されているということです。審議過程では「第二十六条二項の法律の定める所は即ち教育基本法である」とか「教育基本法として最も重大なのは義務教育であると思うのでありまして、これは特に義務教育法というものがもっと詳しく制定されなくてはならないもので、これではただ憲法の条文の焼き直しをしたというに過ぎない」という議論もありましたが、大学や高等教育等は第一項の「教育」の問題であり、「義務教育」ではなく「普通教育」とするのが憲法の趣旨であったのです。
 ②憲法上の概念としての普通教育の修業年限については十八歳までとする見解が基調であったということです。なかには「憲法上の普通教育は何も年齢で制限している訳でもない」、「普通教育は必ずしも満十八歳で止まるものではない。此方の方は無制限と考えても宜しい」というような発言も飛び出しましたが、大多数の委員は十八歳までと認識していたようです。
 城戸幡太郎委員は「普通教育というものは少なくとも公民権を得る為に必要」、「国民の教養は成人になる迄、少なくとも十八歳位迄は一般教育を与えて行くということに力を注がなければならぬ」と発言しています。この主張に対して第二特別委員会の戸田主査は「城戸君の言う普通教育という意味と、外の人の考えて居る普通教育という意味には開きがあるのです」(十二月六日開催の第二特別委員会)と述べています。つまり、主権者たる国民に必要な教養か、一般的に国民として必要な教養なのかで普通教育あるいは一般教育観が異なっていたのです。日本国憲法や教育基本法の理念から導かれる普通教育論はむしろ城戸委員の普通教育論に近いものと言えます。

  第二節 教育基本法の基本理念=「人間の育成」
 日本国憲法第二十六条をうけて教育基本法があります。普通教育について直接言及した条文は第四条のみで、普通教育の義務年限および授業料不徴収について規定していますが、普通教育の理念・目的・方針をはじめ全般に関する規定は教育基本法の全条項のなかに示されています。つまり、教育基本法がかかげる理念・目的など全条項は広義の教育のみならず普通教育の理念・目的等をも規定していることに留意しておきたいと思います。
 教育基本法の前文には教育の基本理念が示されていますが、それはとくに第二段の次の文言に示されています。「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」(傍点引用者)ということです。一言で言えば「人間の育成」ということです。このことについて教育基本法制定当時の文部省側が発行した文献には「ここに人間と特にいったのは、過去においては国民ということが人間より先にいわれたが、よき国民たるには、まずよき人間でなければならず、よき人間はそのままよき国民となるとの信念に基くものである」(傍点原文)と説明しています。
 この理念は本書でこれまで述べてきたように「人間を人間として育成する社会的営み」とする普通教育の定義にそのまま通じるものと言えます。この基本理念を一八〇度転換したのが改正教育基本法であることは記憶に新しいところでしょう。すなわち、改正教育基本法は「国民の育成」を教育ならびに普通教育の理念・目的として規定しているのです。
 教育基本法の基本理念が「人間の育成」にあるということがあまり理解されていない理由の一つに第一条の規定があるように思います。第一条は「教育は、人格の完成をめざし、・・・国民の育成を期して行われなければならない」としていますが、見出しが「教育の目的」となっているところから、結局は教育基本法がめざす教育の目的は「国民の育成」なんだと受けとめてしまうのです。かなりの教職員が第一条をもって教育基本法の理念・目的と誤解しているのは教員採用試験等でここだけを暗記してきたことと関係があるのではないでしょうか。
 改正教育基本法の前文にも「人間の育成」という言葉が用いられていますが、「第一章 教育の目的及び理念」という章が新設されたうえに第一条で「国民の育成」とありますから、これからは教育基本法の基本理念・目的は「国民の理念」と言うことになるのです。しかし、いずれにしても普通教育という語句自体が「人間を人間として育成する」という理念を表現したものですから、改正教育基本法が「普通教育」という語句を残し、日本国憲法には依然として普通教育に関する条項があるわけですから普通教育の理念は今後とも生き続けていくことになります。
(2)義務年限と無償制について
 教育基本法の第四条で義務制の普通教育の修業年限が九年と特定されています。憲法の文言上から判断する限り、普通教育の修業年限は十八歳までの十二年間、就学以前も含めるとそれ以上の年限ということになりますが、なぜここで九年と制限されたのでしょうか。それは戦後の財政事情が考慮されたからにほかならないのです。
 学校教育法案の審議が大詰めを迎えようとしていた一九四七(昭和二二)年一月、それまでの案文にあった「十二年の普通教育を受けさせる義務を負う」という文言が大蔵省からクレームがついて「九年」に短縮されてしまったのです。
 以来半世紀を経へ、経済的にも、高校進学率のうえからも、世論の動向からも、状況が根本的に変化した今日、子どもの権利としての普通教育の最終段階としての高等学校の部分を義務制とすることはもはや避けられないはずです。もちろん、高校中退者が激増しているとき高等学校を義務化するなんていう声が聞こえてきそうですが、それはあまりにも現実の義務教育のありかたに縛られた発想といわざるをえません。普通教育を受けることはすべての子どもにとって権利であるという見地にたった高校教育の改革とむすびつけながら、十八歳までのすべての子どもたちに普通教育を保障することは国民の義務であり責務であるという考え方を明確にしていくことが今切実に求められているように思います。
 憲法第二十六条第二項を受けて教育基本法は「国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない」と定めています。この条文は憲法理念から言えば大きな制約ともなっています。第一に、普通教育にではなく義務教育に限定されていること、第二に、公立私立を問わずではなく、「国又は地方公共団体の設置する学校」に限定されていること、第三に無償制が「授業料不徴収」に限定されていることです。これらの限定は教育基本法の歴史的現実的制約といえるものですが、これらの制約を克服し憲法第二十六条第二項の本来の理念に近づけていくことはすべての子どもたちに普通教育を受けさせる義務を有しているすべての国民の責務といえるのではないでしょうか。
(3)各条項(第四条を除く)と普通教育
 【第一条と普通教育】
   第一条(教育の目的)「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成   者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労を責任を重んじ、自   主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」
 
 この目的規定はずいぶんよくばった目的になっています。以下、「人格の完成をめざす」、「平和的な国家及び社会の形成者」、「真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労を責任を重んじ、自主的精神に充ちた」および「国民の育成」に分けて検討してみたいと思います。
 「人格の完成」という語句については制定過程では「人間性の開発」との関係で議論されました。「人格の完成」を人間の内面的・精神的な完成というような精神主義的に解釈したり、「教育が人間個人の尊厳とかけがえのなさを育て、個人を権利の主体に発達させていく営みであることを端的に示したもの」(『現代教育学事典』、労働旬報社)というような解釈もあります。
 一般に人格とは社会的諸関係の総体とされています。ともかくも人間性を宿した個人の諸能力はその後の社会的な関係の中でさまざまな人格として形成されていくことになりますが、その過程で人間的理性を獲得できるように人格を育成していくところに普通教育の存在意義があるのです。その意味では「人間性の開発」にしろ「人格の完成」にしろ普通教育にとって重要な目的となりえると思います。
 「平和的な国家及び社会の形成者」を育成することに普通教育はどのように関わるのでしょうか。
 「平和的な国家」にせよ「平和的な社会」にせよ、それらがどのようなものであるかはひとによってさまざまと言えます。したがって、平和、国家あるいは社会とは何なのか、さらには、「平和的な国家及び社会」を形成することがなぜ大切なことなのかについて相互に話し合い、人間として判断しなければならないことは何かについて自分の頭でしっかりと判断できるような能力を育成していくことが普通教育にとって目的となるのです。
 つぎに「真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労を責任を重んじ、自主的精神に充ちた」国民を形成することについてはどうでしょうか。 真理にしても正義にしてもそれが何であるかは人それぞれで異なります。そのことを前提としてどういうことが真理といえるのか、どういう場合に真に正義といえるのかについて子どもたちがお互いに理解できる事例をもとに話しあい、判断できる能力を育成することは普通教育の重要な目的と言えます。
 最後に、「国民の育成」についてですが、このことは教育基本法の前文のところですでに触れましたから、同じことを繰り返しませんが、前文にある「人間の育成」という教育基本法の基本理念とセットのものであることを強調しておきたいと思います。
 【第二条と普通教育】
  第二条(教育の方針)「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実  現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実  際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展  に貢献するように努めなければならない」
 「あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない」としていますが、これは広義の教育については当然のことですが、普通教育についても同じことが言えます。普通教育は学校だけで行われるものではありません。登校拒否であっても普通教育拒否であるとはいえません。学校不適応であっても普通教育不適応であるとは限りません。
 また、家庭においては、広義の教育的機能とともに、普通教育にたいする理解と協力が求められます。親も息子や娘に対しては親としての養育上の責任がありますが、親であると同時に国民として自分たちの子どもにたいして普通教育を受けさせる義務を負っているのです。学校でどのような普通教育が行われているか、家庭ができることは何かなどについて考えるべき課題はいろいろあります。
 第二条はさらに「学問の自由を尊重し」と述べていますが、普通教育の目的を実現する上でそのことはとくに重要であることを強調しておきたいと思います。「学問の自由」はいうまでもなく憲法二十三条において保障されているものです。普通教育の目的は憲法および教育基本法によって定められた「学問の自由」とむすびついてはじめて実現されるものです。
 【第三条と普通教育】
  第三条(教育の機会均等)「すべて国民は、ひとしくその能力に応ずる教育を受ける  機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、  経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。国及び地方公共団体は、能力  があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を  講じなければならない」
 日本国憲法第二十六条第二項が定める普通教育に対する国民の義務、普通教育の無償制を真に実現することは普通教育にとってきわめて重要なことと言えます。とくに発達障害を根拠に教育上差別されることがあってはなりません。
 学区制の問題も機会均等の問題として考える必要があります。学校がどんなにりっぱで特色ある学校であっても、子どもの生活現実から遊離した場所や建物の中での教育では豊かな人格形成は期待できません。それぞれ個性が異なる子どもたちが自分たちの足で通える近くの学校で一緒になって充実した普通教育を受け、それぞれの個性豊かな人間として育っていくことができるということが、真の機会均等ということではないでしょうか。
 奨学制度等については返還が卒業後長きにわたって大きな負担となるなどさまざまな問題があります。
 【第五条と普通教育】
 第五条(男女共学)「男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであっ て教育上男女の共学は、認められなければならない」
 異性についての理解はとくに普通教育のなかでこそ実現されます。現実社会の中で性差別に関する情報が氾濫している状況の下でこの条文の意義は依然として重要になっています。また、女子差別撤廃条約とも関連して男女いずれかのみに必修とする教科は不必要とする認識も広がりつつあります。 
  【第六条と普通教育】
  第六条(学校教育)「法律に定める学校は、公の性質をもつものであって、国又   は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
   法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、そ   の職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重さ    れ、その待遇の適正が、期せられなければならない。」
 「法律に定める学校」というのは学校教育法第一条に定める学校を意味し、専修学校や各種学校はそれとは区別されています。その中で、普通教育を目的とする学校は、小学校、中学校、高等学校であり、一九九八年に法制化された中等教育学校も含まれます。また盲学校・聾学校・養護学校や幼稚園も普通教育機関ということができます。高等専門学校は普通教育的機能と高等教育機能を併せもつという特殊な教育機関といえます。
 この他、普通教育を受ける権利を有する子どもでありながら、在日朝鮮人の子どもたちなどは「法律に定める学校」もしくはそうではない学校(朝鮮人学校や韓国学園)に通学することを余儀なくされ不利益を受けています。
 普通教育機関としての学校がどのような意味で「公の性質」をもつといえるのでしょうか。それは法律によって定められているからとか、設置者主体が公的な性質を有しているからということではなく、より本質的には普通教育そのものが「公の性質」をもつものであることから説明されるべきでしょう。このことに関連して、たとえば一九七六年の学力テスト旭川事件最高裁判決の次のような記述が想起されます。
 「子どもの教育は、子どもが将来一人前の大人となり、共同社会の一員としてその中で生活し自己の人格を完成し、実現していく基礎となる能力を身につけるために必要不可欠な営みであり、それはまた、共同社会の存続と発展のためにも欠くことができないものである」(傍点引用者)と。
 教員については「全体の奉仕者」であるとしていますが、公務員だからということにとどまらず、教育基本法がしめす教育の理念・目的あるいは普通教育の見地に照らして「全体の奉仕者」であるということです。
 【第七条と普通教育】
  第七条(社会教育)「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、  国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。国及び地方公共団体は、  図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法に   よって教育の目的の実現に努めなければならない」
 地方自治体や博物館・児童館・図書館などの社会教育施設、文化芸術スポーツ施設あるいはさまざまな青少年団体も広義の教育におけるそれぞれの目的を有していることは言うまでもありませんが、普通教育にとっても重要な意義を有していることを強調しておく必要があります。
 【第八条と普通教育】
  第八条(政治教育)「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重  しなければならない。法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対  するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」
 子どもたちは成長とともに当然のことながら政治や経済など社会一般についても関心をもつようになります。また、普通教育を通してそれらについてより合理的に理解し、立派に判断できるようになります。それぞれの発達段階にそくした適切な教育が必要であることは言うまでもありません。
 【第九条と普通教育】
  第九条(宗教教育)「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、  教育上これを尊重しなければならない。国及び地方公共団体が設置する学校は、特  定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」
 子どもというのはある意味で大人以上に宗教的な存在であると言えます。無意識とはいえアニミズムやシヤーマニズム的な世界に生きています。お化けや幽霊や神・仏あるいはサンタクロースの存在も信じています。孤独やさまざまな不安に直面したとき、救いをなにかに求めようと必死になります。一般的には、成長するにしたがってより合理的な判断にとつて代わるようになります。そのような宗教的な存在でもある子どもたちに対してしつかりとした人間的理性を育成することは普通教育にとつても重要な課題と言えます。
 【第十条と普通教育】
  第十条(教育行政)「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接  に責任を負って行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の  目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」
 広義の教育であれ普通教育であれ、国民主権原理のもとで行われるものですから、そのあり方に対して、どんな力によるものであれ国民の総意に反する「不当な支配」があってはならないものです。
 国民の総意は議会制民主主義原理に基づくことになりますが、それ自体は多数決の原理に支配されているのが現実です。一九七六年の最高裁判例が示しているように法律に基づいた教育行政機関の行為であっても行為によっては「不当な支配」に当たる場合があるのです。
 普通教育行政が教育理念・教育目的そしてまた国民の教育要求に直接責任をもってそのための条件整備を抜本的に拡充することが今日切実に求められています。
 二〇〇六年に改正された教育基本法はこの条項を政府主導の方向に大きく改変しました。この点については第四部第一章で論じています。

  第三節 学校教育法と普通教育
(1)制定過程と普通教育
 教育刷新委員会での審議が進展していく中で学校教育法案も審議されていきますが、その輪郭が整ってくるのは一九四六年十二月以降のことです。十二月二十八日、総司令部・民間情報教育局(CI&E)から、高等学校の目的について「高等普通教育を施す」というのは適切な表現ではない、すべての子どもに「普通教育」を施すとすべきである、などとしたコメントが提示されたとされています。なお、一九四七年一月の「教育基本法要綱案」では「十二年の普通教育」となっていました。。
 年が明けたとたんに、学校教育法案、とくに普通教育の義務年限をめぐる情勢が急転します。大蔵省が一月七日、四月からの新学制を発足させるための予算案を全額削除するという方針を打ち出したのです。文部省はこれを受けてあらためて学校教育法案を一月十四日に提出していますが、それによるとその前の案にあった「高等学校の普通教育の義務制は昭和二十五年度より実施する」という部分が削除されています。大蔵省の方針を受けたものと思われます。
 二月十八日案で特筆すべきことは小学校、中学校、高等学校の目的である「初等普通教育」、「中等普通教育」、「高等普通教育及び専門教育」のそれぞれの「目標」を示す条文が新設され、それぞれ八項目、三項目、三項目が列挙されたことです。これらの「目標」規定がどのような経緯で挿入されたかは不明ですが、注目すべき規定と言えます。 教育刷新委員会総会は二月二十一日に第二十四回総会を開き「六、三義務制実施断行に関する声明」を決議していますが、そこでは「普通教育を行う小学校六年及び中学校三年の教育を義務とする」と述べるとともに「国民的基礎錬成たる普通教育の普及向上をはか」るとも述べています。普通教育観が日本国憲法の理念にそくして原理的に転換していないことを示していると思います。なお、この「声明」では「盲聾唖不具者にも等しく普通教育の普及徴(ママ)底を図る」と述べています。
 また、同じ総会で日高学校教育局長が「教育刷新委員会の決議した学制改革案概要」を説明していますが、そこでは小学校も中学校も高等学校もすべてその教育目的は「普通教育」とされ、初等・中等・高等という区別は付されていませんでした。そのような区別は適当でないとしたCI&E側の指摘を受けたものとも言えますが、しかし、その前後の学校教育法案はすべて初等・中等・高等の区別が付されていました。
 三月七日作成と推定されている学校教育法案と「二月十八日案」との異同を示すと次の通りです。
 ①小学校、中学校、高等学校の目的を規定する条文に「教育基本法の趣旨に則り」と  いう文言が挿入されたり削除されたりしていること。最終的には削除されました。
 ②小学校の目的を規定する条文に「児童心身の発達に応じて」という文言が挿入され  たこと。最終的には「心身の発達に応じて」となりました。
 ③小学校の目的をしめす用語として「初等普通教育」、「初等的な普通教育」、「初等の  普通教育」などが検討されていること。最終的には「初等普通教育」となりまし   た。
 ④中学校の目的を示す用語についても、「さらに高等な普通教育」、「中等の普通教   育」、 「中等普通教育」などが検討されていること。最終的には「中等普通教育」   となりました。
 ⑤高等学校の目的をしめす用語については「さらに高等な普通教育」、「高等の普通教  育」、「高等普通教育」などが検討されていること。また、それらに「並びに」とい  う言葉で「社会に有用な職業教育」もしくは「社会に有用な専門教育」という言葉  が結びつけられたこと。最終的には「及び専門教育」となりました。
 ⑥教科名が削除されたこと。
 以上です。学校教育法は三月三十一日に制定されました。
(2)三段階の普通教育
 学校教育法は、小学校、中学校、高等学校の教育目的を次のように規定しています。
  小学校:心身の発達に応じて、初等普通教育を施すことを目的とする。(第十七条)
  中学校:小学校における教育の基硬の上に、心身の発達に応じて、中等普通教育を   施すことを目的とする。(第三十五条)
  高等学校:中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育   及び専門教育を施すことを目的とする。(第四十一条)
 このことについて、天城勲氏は「ここに、小学校、中学校、高等学校を通ずる教育の一貫性と段階性及び普通教育の意義が明かに汲みとれるであろう」(傍点引用者)と解説していす。 この解説を高等学校にしぼって私なりに若干補足しておきたいと思います。
 高等学校の目的をなぜ「高等普通教育」だけにせず「及び専門教育」を加えているのでしょうか。
 これは戦後教育改革の中でも明確さを欠いた部分と言えると思いますが、戦前における「高等普通教育」と「普通教育」との二重構造が強く反映されていることが理由であると思います。敗戦直前の一九四三(昭和十八)年に制定された中等学校令は中学校、高等女学校、実業学校を「中等学校」と括りましたが、そのうち中学校と高等女学校の教育目的は簡潔に言えば「高等普通教育」でした。国民学校は「初等普通教育」でした。戦後、高等学校(旧中学校)までが「普通教育」とされましたから、そのなかに「実業学校」も含めることになればその部分は「専門教育」と表記され、いわゆる「中等教育」部分は「高等普通教育及び専門教育」と言うことになるのです。
 憲法上は「普通教育」なのですが学校教育法上は高等学校の教育目的は「高等普通教育及び専門教育」となって、戦前の二重構造の「痕跡」を残しているのです。しかし、この痕跡は消えゆく痕跡ではなく、そこに依拠してなりふたたび強固にしていこうとする勢力にとって重要な足がかりとなるものでした。二〇〇七年に改正された学校教育法は中学校までの教育目的を「義務教育として行われる普通教育」とし、それ以降を「高度な普通教育」として、またぞろ戦前的な二重構造の再構築を意図しています。このことに関しては第四部第二章第一節で述べています。
(3)普通教育各段階の目標
 【初等普通教育の目標】
 学校教育法第十八条は初等普通教育の目標を八項目かかげています。このように小学校あるいは初等普通教育の目標を具体的に法定するというのは世界的にも珍しいと思われます。初等普通教育の教育目標はつぎの通りです。
 ①学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、  自主及び自律の精神を養うこと。
 ②郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を  養うこと。
 ③日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。
 ④日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。
 ⑤日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。
 ⑥日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。
 ⑦健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図るこ   と。
 ⑧生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養う  こと。
 学校教育法が掲げたこれらの目標にふさわしい教育課程、教育内容あるいは教育方法を憲法・教育基本法の理念・目的にそって具体的に検討することがこれからの普通教育にとって重要な課題と言えます。
 【中等普通教育の目標】
 中等普通教育の目標についてはつぎの三項目を掲げています。
 ①小学校における教育の目標をなお充分に達成して、国家及び社会の形成者として必  要な資質を養うこと。
 ②社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に  応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。
 ③学校内外における社会的活動を促進し、その感情を正しく導き、公正な判断力を養  うこと。
 中等普通教育の目標は三項目だということではなく、初等普通教育の八項目に加えてとくに中等普通教育の独自の目標として三項目をあげたと考えるべきでしょう。
 【高等普通教育の目標】
  高等学校の教育目的のみは「高等普通教育および専門教育」とされ、その教育目標はつぎの通りです。
 ①中学校における教育の成果をさらに発展拡充させて、国家及び社会の有為な形成者  として必要な資質を養うこと。
 ②社会において果さなければならない使命の自覚に基き、個性に応じて将来の進路を  決定させ、一般的な教養を高め、専門的な技能に習熟させること。
 ③社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること。
 この三項目について留意しておくべきことは、目的は「高等普通教育及び専門教育」としながら、「及び専門教育」に対応する目標が明記されておらず、中学校の教育目標にほぼ準じた内容になっていることです。ここにも戦後の高等学校の性格上の特質が見られます。戦後、新制高等学校は総合制をめざしますが、その後六〇年代以降の「後期中等教育の多様化政策」ないしは「高校再編」の名のもとに複雑に分岐していきます。
 青年期の子どもにとってどのような学校が必要なのかという視点から、あるいは普通教育の視点にたって高校教育のあり方を抜本的に再検討することが切実に求められているといえます。
 【特殊教育の目的】
 特殊教育の目的は学校教育法第七十一条に次のように規定されています。
  「盲学校、聾学校又は養護学校は、それぞれ盲者(強度の弱視者を含む。以下同   じ。)、聾者(強度の難聴者を含む。以下同じ。)又は精神薄弱者、肢体不自由者若  しくは病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学  校又は高等学校に準ずる教育を施し、あわせてその欠陥を補うために、必要な知識  技能を授けることを目的とする」
 学校教育法がいわゆる特殊学校を「幼稚園、小学校、中学校叉は高等学校に準ずる教育を施す」として、基本的には普通教育機関として位置づけていることに留意しておきたいと思います。特殊学校の教育目的の基本は普通教育であり、あわせて欠陥もしくは障害に見合った特別の教育を行うということなのです。
 学校教育法には特殊学校の教育目標が規定されていませんが、初等普通教育、中等普通教育および高等普通教育に準ずるということなのでしょう。
 なお、特殊学校の基本的な教育目的が普通教育であるという法制上の位置づけは戦後のことではなく、一九二三(大正十二)年に制定された盲学校及聾唖学校令により明確に示されていることはすでに述べた通りです。
 【幼稚園の目標】
 幼稚園を普通教育に位置づけるかどうかが従来問われてきました。日本国憲法では、国民はすべての子どもたちに普通教育を受けさせる義務を負っているとしていますから幼稚園や保育園に通う通わないにかかわらず普通教育をうける権利を有すると解するべきでしょう。教育基本法では義務制の普通教育を九年としているのであって、幼稚園であれ高等学校であれ普通教育機関であることを否定しているわけではありません。
 学校教育法ではどうでしょうか。第七十七〜七十八条に幼稚園の目的と五項目の目標が規定されています。そこには「普通教育」という文言は見あたりません。
 学校教育法で幼稚園の目的は「幼児を保育し、適当な環境を与え、その心身の発達を助長すること」とされています。
 また、幼稚園保育の目標として掲げられているのは次の五項目です。
 ①「健康、安全で幸福な生活のために必要な日常の習慣を養い、身体諸機能の調和的  発達を図ること」
  ②「園内において、集団生活を経験させ、喜んでこれに参加する態度と協同、自主  及び自律の精神の芽生えを養うこと」
  ③「身辺の社会生活及び事象に対する正しい理解と態度の芽生えを養うこと」
  ④「言語の使い方を正しく導き、童話・絵本等に対する興味を養うこと」
  ⑤「音楽、遊戯、絵画その他の方法により、創作的表現に対する興味を養うこと」
 この目標のもとに「幼稚園保育要領(試案)」が作成され一九五六年に「幼稚園教育要領」と改められました。これらについても普通教育の見地からの検討が求められます。
 今日、「幼少連携」の名のもとに幼稚園と小学校との「連携」が言われていますが、両者が普通教育機関として一貫したものになることは必要なことです。しかし、現行の学習指導要領を前提として「連携」と言うことになるのであれば、幼稚園もまた国の統制を今以上に受けることになるでしょう。また、「認定子ども園」が開設されていますが、これについても「保育園」を学習指導要領の論理に即して幼稚園や小学校と連結させていくのではなく、それぞれの独自性を確保しながら普通教育の見地から相互関係を発展させていくことが求められています。
 【専修学校(高等課程)および各種学校】
 十八歳未満の子どもが就学する教育施設(学校教育法上の学校とは見なされていません)として専修学校(高等課程)や各種学校などがあります。
 専修学校は「職業若しくは実際生活に必要な能力を育成し、又は教養の向上を図ること」を目的としています。そこには普通教育という文言は見あたりませんが、普通教育を受ける権利を有している子どもたちが就学している教育機関であるわけですから、独自な教育目標と同時に充実した普通教育が行われるべきです。
 各種学校についても十八歳未満の子どもが就学している場合には当然普通教育を受ける権利が保障されていなければなりません。
 【中等教育学校の目的・目標】   
 一九九八年の学校教育法改正によって創設された中等教育学校の目的は「小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、中等普通教育並びに高等普通教育及び専門教育を一貫して施すことを目的とする」とされています。
 また、その目標はつぎの通りです。
 ① 「国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと」
 ②「社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の  進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な技能に習熟させること」
 ③「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること」
 高校入試をなくし中学校と高等学校を「一貫」させた形となっています。中学校と高等学校は本来普通教育機関として本来一貫性を有するものですから、すべての中学校・高等学校を中等教育学校として再編していくべきですが、一定数に限定しピラミッド型学校体系の頂点に位置づけることで、小学校段階から中等教育学校に入学できるかどうかが異常な関心事になることは避けられません。このことによって教育の矛盾と荒廃はいっそう深刻なものになるでしょう。二〇〇七年現在、国立二、公立十五および私立十、計二十七校が開設されています。

 第四章 戦後教育の展開ー普通教育の見地からー
 本章では普通教育の見地から重要と思われる論点を中心に戦後教育を概観しておきたいと思います。
  
  第一節 新日本教育の重点=「個性尊重の教育」
 戦後まもなく、文部省は憲法案、教育基本法案の国家審議と併行して冊子『新教育指針』を一九四六年五月から翌年二月にかけて五分冊発行し全国の学校に配布しました。その第二部は「新日本教育の重点」を「個性尊重の教育」として論じていますが、その内容は普通教育という言葉が用いられていないものの事実上普通教育の理念に通じるものがあり、また憲法や教育基本法の基本理念と重なる内容となっています。
 「第一章 個性尊重の教育」の冒頭は「教育は、人間を人間らしく育てあげることを目的とする」とまさに普通教育の理念と合致する見解を明快に述べています。
 そこでは、「人間は人間であるという点ではみんな同じであって、だれでも人間性をそなえているのであるが、その人間性のあらわれ方は、各人においてそれぞれちがっている。そこに個性が成り立つ。したがって人間性をのばすといっても、実際には一人々々の個性を完成することのほかにはあり得ない」と述べられています。
 憲法、教育基本法そして文部省の冊子『新教育指針』も総じて「普通教育」、「人間の育成」という理念を表明していることは留意しておくべきことと言えます。この理念を百八十度転換させたのが一九八五年に臨時教育審議会答申が打ち出した「個性重視の原則」です。これについては第四節で述べることにします。
  
  第二節 普通教育偏重是正政策
 サンフランシスコ単独講和条約締結に伴い首相の私的諮問機関である政令改正諮問委員会は一九五一年十一月、「教育制度の改革に関する答申」を出しています。この答申は「国情」に合わせるという見地から「普通教育を偏重する従来の制度を改める」という方向を打ち出し、早くも憲法・教育基本法に示された教育理念を後退させる方向を明確にしました。政府・文部省の教育政策はその後この方向を一貫して推進していくことになります。その半世紀後の到達点が二〇〇六年の教育基本法「改正」ということができます。
 一九五二年十月、日本経営者団体連盟も「新教育制度について産業人の立場よりこれをみるに社会人としての普通教育を強調する余りこれと並び行われる職業乃至産業教育の面が著しく等閑に付されて」いると提言しています。具体的には小学校のみを「初等普通教育」とし、中学校については「普通教育に重点をおくもの」と「職業教育に重点をおくもの」とに分け、さらに中学校と高等学校を併せた六年制の農工商等の職業教育に重点をおく「高等学校」の設置を提起しています。
 中央教育審議会は一九五三年、最初の答申「義務教育に関する答申」を出しています。この答申は高等学校までの十二年の普通教育機関を分断し、義務年限のもとに置かれる小学校と中学校の教育を「義務教育」とし、その「義務教育」に固有の理念・目標があるかのように描き出すことで普通教育の理念に代えようとするものでした。以後、義務教育という概念があらためて普及することになります。半世紀後の二〇〇五年、中央教育審議会は「新しい時代の義務教育を創造する」という答申を出し「義務教育」独自の目的を提起するに至っています。このことについては本章第七節で述べることにします。
 一九五八年の学習指導要領改訂に際し、学習指導要領はこれまでの文部省著作物から官報告示文書にされました。それ以来文部省は学習指導要領をが「法的な拘束性を有する」ものと強弁しています。
 また、その際、導入された「道徳の時間」の「目標」には教育基本法前文の「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」という文言のうち「個性豊かな文化」だけが引用されています。それは教育基本法の基本理念の否定を意味しており、したがってまた、それは普通教育の理念・性格を変質させる意図の現れとも言えます。特設「道徳の時間」は教育基本法の理念に反する性格を帯びて誕生することになったのです。

  第三節 国民教育運動と普通教育
 普通教育は一九六〇年前後から高揚していく国民教育運動の中でも形骸化されていきました。 
 一九五〇年代終わりから六十年代にかけて、安保条約の改定と結びついた教育政策の反動化が進む中で 「国民教育の危機」が自覚されていきました。
 このなかで歴史学者である上原専禄氏は「『人間づくり』の教育ではなく、『国民づくり』の教育があらためて問題にならざるをえない」という提起をおこなっています。このことを契機に「国民教育」という言葉が教育運動のレベルでも教育学研究のレベルでも強調されるようになっていきました。この提起は主権者である国民の側に立った自主的・民主的教育運動をすすめるという意味で積極的な意義を有するものでしたが、その経過の中で結果として「普通教育」への関心が後退していきました。
 民族の独立という政治課題がどんなに緊迫していようとそのことで普通教育の世界を政治化してはならないのであって、ルソー流に言えば、そうであればあるほど人間の育成という理念に徹するべきなのです。この時期の国民教育運動についてはこのような観点から総括していく必要があると言えます。
  
  第四節 「個性重視の原則」と普通教育
 一九八四年に設置された臨時教育審議会は「個性重視の原則」を教育改革の基本原則としました。これは一九四六年に文部省が出した『新教育指針』の「個性尊重の教育」の理念を一八〇度転換させるものでした。
 この場合の「個性重視」とは人間性よりも個性を重視するというものです。
 臨時教育審議会答申は「改革の基本的考え方」として「教育基本法の精神にのっとって」、「個人の尊厳を重んじ、個性豊かな文化の創造を目指す教育を現実の教育の営みのなかで実現することを願い、また、伝統文化を継承し、日本人としての自覚に立って国際社会に貢献し得る国民の育成を図ることを目標とした」と述べています。教育基本法前文も文言を借用しながら「普遍的にして」や「人間の育成」と言う教育基本法の基本理念を象徴する語句をはずし、「日本人の自覚」「伝統文化」さらには「国民の育成」という語句を取り込んだ「考え方」がどうして教育基本法の精神にのっとることになるのでしょうか。
 また、第一次答申は「個性とは」として「個人の個性のみならず、家庭、学校、地域、企業、国家、文化、時代の個性をも意味している」と述べています。
 個人にしても家庭にしてもそれらの個性を個性たらしめている要素はある意味で無限と言うべきであって、それぞれの現実から結果として生み出されてくるものです。したがって、個性を重視するといってもそのなかのどの部分を重視するかは当事者であってもなかなか判断できないものです。答申はこのことにはいっさい触れていませんが、実は答申全体を検討するとそのことに明確に触れているのです。結論から先に言いますと、諸要素のなかからどの要素をとり出すかはそれぞれの長がトップダウンで決めるべきだというのです。家庭の場合は家長、学校の場合は学校長そして文化については「伝統文化」という具合です。家風、社風、国風という「個性」は結果として生まれてくるものではなく、トップの意図にもとづいて決定されるというのが「個性重視の原則」なのです。国家の個性も同様と言えます。
 ここには個性間に潜んでいる人間性や普遍性は無視されることになります。したがって「普遍的にして」も「人間の育成」も外されるのです。日本文化に内在する普遍性もあるいは探求可能ですが、答申はそのような探求すら求めず、あえて「不易」という語句を用いているのです。戦前、「国体」は万古不易とされていました。
 「個性重視の原則」は学校現場にも持ち込まれます。子どもたちの個性は学力テストでの成績や日頃の成績で子どもたちの自主的な探求とは無関係に学校サイドから一方的に判断されます。ですから、「子ども一人ひとりの個性を尊重しつつ」という美しい言葉も、国家社会が期待する図面に従って子どもたちを振り分ける手段として用いられているのです。 ここには人間的な諸能力を育成する普通教育の結果として、子どもたちがそれぞれ自主的に自らの個性を自覚していくという見地はまったく見られません。
この『個性重視の原則」が今日に至るまで、わが国の教育のみならず社会全体を規定しているのです。

  第五節「生涯学習体系への移行」と普通教育
 臨時教育審議会がすすめる教育改革の第二の柱が「生涯学習体系への移行」です。普通教育の理念との関連を中心に検討しておきます。
 第一次答申では「社会の活力の維持・向上」、「個性的かつ多様な生き方」などを掲げていますが、第二次答申では「学校中心の考え方からの脱却」を掲げ、具体的には「家庭の教育力の回復」、学校に「生涯学習のための機関としての役割」を果たさせる、などを掲げています。
 「学校中心の考え方からの脱却」という文言には政府文書特有の政策的意味合いが込められています。今日、学校は憲法や教育基本法の理念に基づいて「人間の育成」を目的とする普通教育機関として位置づけられています。このような「学校」観に基づいた「考え方」から脱却し、臨教審が主導する「国民の育成」もしくは「日本人の育成」を理念とする学校観へ転換する、というのが「学校中心の考え方からの脱却」の意味です。
 「家庭の教育力の回復」についても同様のことが言えます。家庭には何らかの人格形成的な機能があることは事実です。しかし、それは養育とかしつけとか学習上の支援とかというものであって、学校における教育と同一視できるようなものではありません。 さまざまな教育的機能を包含する「家庭の教育力」が「低下」したかどうかを証明することは難しいと思いますが、にもかかわらずなぜ「回復」というのでしょうか。「低下」する以前の「教育力」とはいったいどんな「教育力」だったのでしょうか。
 それは臨教審の教育改革原理である「個性重視の原則」から説明されなければなりません。戦前、政治的イデオロギーとして家族国家論というのが主張されました。家族には天皇制国家を支える基本単位として「夫婦相和シ」「兄弟友ニ」という教育勅語に示された規範が求められ、その成果が発揮されたとき政治的社会的に賞讃されました。
 家族にあっては無条件にその長を敬わなければならず、そのような規範倫理は会社にあっても組織や団体にあっても国家にあっても貫かなければならなかったのです。こうすることによって、それぞれの家庭、組織、団体、国家等は「個性」を発揮することができるのです。臨教審答申はこのような意味での「家庭の教育力の回復」を「生涯学習体系への移行」としているのです。
 学校に「生涯学習のための機関としての役割」を果たさせる、とはどういうことでしょうか。「学校の教育力」とは学校の規範倫理の体現者としての校長主導の規範倫理を意味するのです。そのような意味で学校もまた「家庭」と同様に生涯学習のための組織となりうるのです。政府が主導する規範倫理を家庭ともども学校も発揮することが「生涯学習のための機関としての役割」を果たすことになるのです。
 ユネスコ等で強調されている生涯教育や「学習権宣言」の流れとは百八十度異なるといえる「生涯学習社会への移行」政策が政府主導で構築されつつあるのです。
 二〇〇七年に改正された学校教育法は、とくに小学校について、学校教育法が掲げる教育目標を達成するにあたっては「生涯にわたり学習する基盤が培われるよう(中略)特に意を用いなければならない」(第三十条)と定めています。ここにも学校に「生涯学習のための機関としての役割」を果たさせるための具体的方策が表れています。このことについては第四部第二章第一節で述べています。


  第六節 「ゆとり」政策と普通教育
 時代は少し戻りますが、一九六七(昭和四十二)年の教育課程審議会答申は「社会情勢の進展にはめざましいものがある」、「このような事態に対処する」としていわゆる「教育の現代化」を提起しました。この結果として詰め込み教育が猛威を振るうことになり、一九七〇年代には「落ちこぼれ」とか「新幹線教育」などという言葉に象徴されるような教育の荒廃が生じ学校現場から言葉の真の意味でゆとりが奪われ教職員からはゆとりを!いう叫びが表明されるようになりました。
 このような深刻の事態を背景に一九七六年、教育課程審議会答申は「自ら考え正しく判断できる力をもつ児童生徒の育成」(傍点引用者)という方針のもとに「ゆとりのあるしかも充実した学校生活が送れるようにすること」を掲げ、いわゆる「ゆとり」政策を導入しました。
 「自ら考え」とは子どもたちが自分たちで考え合っていくということではなく、各自自分で、自分の責任でということであって、事実上個性主義・能力主義を言い表す言葉ですが、この語句は臨時教育審議会の「個性重視の原則」に受け継がれていきます。
 さて、現場の教職員の叫びを巧みに取り込んだ「ゆとり」政策は、以来今日までいっそうエスカレートしていきますが、その過程を概観しておきましょう。
 【一九七六年教育課程審議会答申以降】
 一九七六年の教育課程審議会答申が言う「ゆとりのあるしかも充実した学校生活が送れるように」とは年間授業時数の一部を、新設する「学校が創意を生かした教育活動をを行う時間」に充てるというものです。この時間については国が「基準を設けない」としつつも「体力増進のための活動」、「地域の自然や文化に親しむ体験的な活動」、「教育相談に関する活動」、「集団行動の訓練的な活動」などが例示され、教育現場は事実上その方向で指導計画を立て授業を行うことが余儀なくされ、「ゆとり」どころかますます多忙化に拍車がかけられることになりました。
 子どもたちはこれまでよりも短時間でこれまでと同様の教育水準の確保が求められましたから、「学習負担の実態を考慮」という言葉のもとで学習についていける子どもとついていけない子どもとの分化が促進されることになりました。また、教科時数の「削減」は単に量的な削減にとどまらず、国家社会として必要な「基礎・基本」に特化していく方向での質的削減であることを指摘しておきたいと思います。
 「ゆとり」政策はこのような政策の総体として理解する必要があります。
 【一九八七年教育課程審議会答申以降】
 臨時教育審議会答申(一九八五年)が掲げた「個性重視の原則」にバックアップされて「ゆとり」政策はあらたな展開を見せることになります。
 一九八七年の教育課程審議会答申は「二十一世紀に向かって、国際社会に生きる日本人を育成する」(傍点引用者)という観点から「国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視し、個性を生かす教育の充実を図るとともに、自ら学ぶ意欲をもち社会の変化に主体的に対応できる、豊かな心をもちたくましく生きる人間の育成を図る」ことを重視するとしています。
 教育課程、教科編成については、幼稚園から高等学校までを一貫したものととらえる、小学校では「生活科」を新設する、中学校高学年の段階から選択履修の幅を拡大する、社会科を廃止し「公民科」と「地歴科」という二つの教科を新設する、という方向を打ち出しました。授業時数については学校五日制への移行にも配慮する、などを掲げました。
 「学校五日制」については、①教育水準の維持、②学習負担、③家庭や地域社会における児童・生徒の生活環境や生活行動、④授業時間数の弾力的運用、などを考慮して漸進的に導入するとしています。
 幼稚園から高等学校までを「一貫」させるというのは、一面では日本国憲法が掲げる普通教育の理念も人間の誕生から高等学校までの一貫性を要求しますが、「答申」が言う「一貫」とは「国民の育成」「日本人の育成」、一言で言えば国民教育としての一貫性に他なりません。
 この答申は「ゆとりの時間」を継承していますが、さらに「ゆとり」政策の拡大として「生活科」が新設されています。

 【コラム】 「新学力観」
 臨時教育審議会答申が打ち出した「個性重視の原則」を受けた教育課程審議会は一九八七年の答申において「知識理解面の評価に偏ることなく、児童生徒の興味・関心等の側面を一層重視する」(傍点引用者)ことを強調しています。この答申を受けて小学校等の学習指導要領が一九八九年に改訂されましたが、その直後の一九九一年、文部省に設置された「指導要録の改善に関する調査研究協力者会議」は「新学習指導要領が目指す学力観に立った教育の実践に役立つようにする」(傍点引用者)という基本方針を掲げて指導要録を改訂しています。この「新学習指導要領が目指す学力観」を一般に「新学力観」と言われています。
 学力(「普通教育が求める能力」)を考える場合、関心・意欲・態度等も重要な要素といえますが、それは「知識理解」と切り離せるものではなく、また「個性」をいっそう特徴づけるためにあるのではなく、仲間とともに学びあう中でそれぞれの興味・関心にも留意しながら人間にとって意味のある知識理解を習得していくことが必要なのではないでしょうか。
 
 【コラム】「学校五日制」
 一九八六年の臨時教育審議会答申の「生涯学習体系への移行」のなかで「学校五日制」が提言されています。そこでは「週休二日制に向かう社会のすう勢を考慮しつつ、子どもの立場を中心に家庭、学校、地域の役割を整理し見直す視点から、学校の負担の軽減や学校の週五日制への移行について検討する」とされています。これを受けた一九八七年の教育課程審議会答申は「学校五日制」について、①現行程度の教育水準を維持すること、②児童生徒の学習負担が過重にならないように教育活動をいっそう充実させること、③学校外における幼児児童生徒の生活の充実と活性化を図るため、地域社会の受け入れ体制の整備充実と学校開放に努めること、④年間授業日数と年間授業時数の取り扱いを弾力化すること、を求めています。
 週休二日制に移行するだけなら、教職員の多忙状況を抜本的に改善し、平日半日勤務制度を導入したり、学習指導要領の押し付けをやめ真にゆとりのある学習・教育環境を確保する方向での対応も可能だったはずです。しかし、学習指導要領の統制的性格は変えない、教科学習以外のさまざまな「教育活動」(体験活動、奉仕活動等)を導入する、行政主導になりがちな地域社会の論理に子どもたちの生活を取り込む、ことなどが当初から企図されていました。
 文部省は一九九二年に『学校週五日制の解説と事例』という冊子を発行していますが、そこでは諸学校が学力重視型から体験重視型まで五〜六種類に類型化されています。学校の序列化が「学校五日制」をテコに推進されているのです。
 「学校五日制」に対する教職員の肯定率と子どもや保護者達の肯定率にギャップがあることが少なからぬ調査でも明らかにされています。
 一九九二年に月一度、九五年に月二度、二〇〇二年に完全学校五日制が実施されています。

 【一九九八年教育課程審議会答申以降】
 この答申から幼稚園から高等学校まで、盲学校、聾学校、養護学校を含む包括的な答申となっています。また、この間に提出された中央教育審議会の第一次答申(一九九六年)、第二次答申(一九九七年)、「新しい時代を拓く心を育てるためにー次世代を育てる心を失う危機」(一九九八年)および「今後の地方教育行政の在り方について」(一九九八年)などに留意するとして、教育課程の基準の改善にあたっての「基本的な考え方」として「(教育は)学校のみが担うものではなく、学校、家庭、地域社会が連携を図り、それぞれがその教育機能を十分発揮してはじめて子どもたちのよりよい発達が促されるものである」と述べています。
 本書第一部でも述べましたように、子どもに内在する人間としての基本的な諸能力をその成長発達に則して合理的に育成する普通教育の営みは教職に関する専門的な知見を有する教師を中心に普通教育機関たる学校においてこそ可能なものです。家庭や地域社会は学校の相対的に独自な意義を理解し、普通教育が本来の目的を実現できるように相互に理解しあい共同・連帯することはきわめて重要なことです。
 しかし、「答申」が述べていることは、普通教育であるべき「教育」を広義の教育もしくは教化・養育等と意識的に同質化し、そこでも「社会体験や自然体験などの様々な活動を体験し、それらと、学校における教育活動とを更に有機的に関連付けることによって一層教育的効果を高めることができる」と述べています。 
 その上で改善の基準としてつぎの四点を掲げています。
 ①「豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚を育成すること」
 ②「自ら学び、自ら考える力を養うこと」
 ③「ゆとりのある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性を  生かす教育を充実すること」
 ④「各学校が創意工夫を生かし特色ある教育、特色ある学校づくりを進めること」
 とくに①については子どもに内在する「人間性」や「社会性」に着目しそれらの意識化を図るのではなく、さまざまな「心」や「態度」、倫理観、規範意識、公徳心、正義感、強靭な意思と実践力、自己責任の自覚、我が国や郷土の歴史や文化・伝統を愛する心などが教化の内容として重視されています。これらの多くは二〇〇六年の改正教育基本法に法律用語として位置づけられることになります。
 さて、③に挙げられているように、この「答申」も「ゆとり」政策の延長上にあります。しかも、「総合的な学習の時間」の新設や家庭、地域社会との「連携」によって、「ゆとり」政策が適用される範囲が拡がったという意味では「ゆとり」政策は格段にエスカレートしたと言えます。
 この頃から「学校の教育力」「家庭の教育力」あるいは「地域の教育力」という言葉が「低下」という言葉とともに喧伝されてきましたが、普通教育における教育とは異質の教育機能を「教育力」を同質化したうえでそれらが「連携」して相互の「向上」を図るというのは、結局は教育を教化に変質させるものと言わざるを得ません。「国民の育成」あるいは「日本人の育成」という「国民教育」の理念はその内実においては教育の理念というよりも教化の理念とならざるを得ないと言えます。
 この答申を受けて一九九八年改訂の学習指導要領によって、これまでの三領域(教科、道徳、特別活動)とは別に「領域外の時間」として小学校第三学年以上に「総合的な学習の時間」が導入されることになりました。一方で厳選された「基礎基本」の習得が徹底され、他方では「自然体験」、「社会体験」等が重視され、子どもたちの人間としての基本的諸能力の合理的発達に重大な障害が持ち込まれることになっていきました。
 しかし、 三十年にわたって強化・拡大されてきた「ゆとり」政策は子どもたちが本来もっている人間性、社会性を打ち砕き、個々ばらばらな生活・学習環境のなかで競争原理・能力主義を強いるものですから、学校を中心とする学習・教育環境は荒廃し、子どもたちのストレスを広げ、結果として子どもたちを反社会的行動に追いやっています。
 これらのことについては「答申」も中央教育審議会第一次答申が「子どもたちはゆとりのない忙しい生活を送っていること、社会性が不足し、規範意識が低下していること、自立が遅くなっていること、体力・運動能力の低下傾向が見られる」と指摘したことを追認せざるをえませんでした。しかし、これらがなぜ現象しているのかについての原因究明は行われることなく、すなわち「個性重視の原則」や「ゆとり」政策と結びつけて解明する姿勢に立つことなく、いっそう国家主義的な方向を推し進めようとしています。
  
  第七節 教育基本法「改正」への環境づくり
    —日本国憲法の教育条項(普通教育)との矛盾の深化—
(1)急速にたかまる教育基本法「改正」論
 二十一世紀に入って、教育危機の深刻化に歯止めがかからず「個性重視の原則」にもとづく改革路線の破綻が明白になるなかで、教育基本法の解釈改悪という手法の限界を打ち破り明文改悪にのりださなければならないという機運が政財界周辺に急速に高まってきました。
 二〇〇〇年三月に小渕首相の私的諮問機関として設置された教育改革国民会議はその十二月に「教育を変える十七の提案」なる「報告」をまとめ「新しい時代にふさわしい教育基本法を」という提案を含む最終報告をまとめています。同年、九月、西澤潤一氏を会長とする「新しい教育基本法を求める会」が教育基本法改正をもとめる要望書を森首相に提出しています。二〇〇一年、PHP綜合研究所・新教育基本法検討プロジェクトは「新・教育基本法私案」を公表しています。
 このような動きを背景に、遠山文部科学大臣は二〇〇一年十一月、中央教育審議会に対し「教育振興基本計画の策定について」および「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」という諮問を行い、中央教育審議会は二〇〇三年三月に答申を提出しました。政府与党はただちに「与党教育基本法に関する協議会」を組織し、その内部に保利耕輔氏を座長とする「検討会」を組織し「改正案」づくりに着手し同年五月に「中間報告」を発表しています。
 「中間報告」の方針には「教育基本法は、教育の基本的な理念を示すものであって、具体的な内容は他の法令に委ねる」(傍点引用者)とされていますが、この「中間報告」には普通教育にとって重要な内容を含むものでした。すなわち、検討している「改正案」の「義務教育」の項目(現行基本法第四条に対応)の内容が「・・・国民は子に、(中略)教育を受けさせる義務を負うこと」(傍点引用者)とされ、普通教育となるべき語句が「教育」に改変されているのです。政府・文部科学省の本音が出たという言うべきでしょう。
 しかし、最終案の段階では「普通教育」という語句は残ることになりました。 政府・文部省は戦後一貫して法令用語・行政用語としては「普通教育」という語句を排除する政策を進めてきました。教育基本法「改正」を千載一遇のチャンスとして抹殺したいと飛びついたのでしょうが、日本国憲法の壁があってその意図は実現できなかったのです。しかし、残された「普通教育」はただちに「義務教育として行われる普通教育」という語句に置き換えられ、「義務教育」に従属する概念に格下げされています。このこと自体、憲法が示す普通教育概念の理念と深刻な矛盾を惹起させるものです。
(2)「義務教育」概念の改変
 教育基本法「改正」論が高まる中で「義務教育」概念の性格を改変する動きが強まってきました。
 二〇〇一年一月、小渕首相の私的機関である「二十一世紀日本の構想懇談会」は報告書をまとめていますが、その中で「義務教育」を「国家の統治行為」とする見解が表明されています。これは小学校を国税事務所や自衛隊の施設と同等に扱うようなものできわめて乱暴な議論と言わざるを得ません。
 二〇〇五年、 中央教育審議会答申は「新しい時代の義務教育を創造する」と題する答申を提出しました。そこでは「義務教育の目的・理念」を「一人一人の国民の人格形成と、国家・社会の形成者の育成の二点」であると定義されています。この二面規定は普通教育の理念・目的を逆立ちさせ、事実上「国民の育成」に一面化するものです。それは第三部第二章第一節でも述べたように、明治二〇年代において「普通教育」から「国民教育」へ転換したときの論理を想起させるものです。
 「義務教育」を「国家の統治行為」とし、その理念を「国民の育成」とする見解はそのまま教育基本法「改正」の理念として位置づけられていくことになります。
 教育基本法「改正」案はこのような経過を背景に二〇〇六年四月、国会に上程され、異常な国会運営のもとで同年十二月に成立しました。