渡辺先生・オウエンそして私

                           武 田 晃 二

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 訃報は同僚の葬儀の会場において鈴木剛君から知らされました。

 その年の春、十月には松本で会議があるのでお会いできますというご連絡をさしあげていたのです。十月二十四日、「偲ぶ会」が行われる日の午前中、私は家内を伴い約束通り島内のご自宅をお訪ねしました。

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 1971年、北海道大学大学院教育学研究科の院生であった私は先生の訳書『社会変革と教育 ロバート・オーエン』(明治図書、1963年)のとくに「解説」に感動し、ご指導を受けたい一念で失礼をも顧みず奥付に記載されている住所にお手紙を差し上げたのです。思いもかけず先生からは「さきころは、めずらしい手紙を拝見いたしました」という書き出しではじまる長文のお手紙をいただくことができました。以来、今日まで27年間、先生は私にとって文字どおり師でありました。

 その間、先生には私が勤務することになりました岩手大学教育学部で集中講義をお願いしました。私も計5回島内のお宅をお訪ねしました。浅間温泉で数時間もの間、お湯に浸かりながらお話を伺ったこともあります。私の手元には先生からの二十大通のお手紙があります。また、1976年には『教育の哲学」(法規文化出版社)第五集に「縦の統一戦線」という文章も書かせていただきました。

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 先生の哲学・思想研究は資本主義黎明期から産業資本主義段階へと移られていきました。その過程で着目されたのが空想的社会主義、とくにロバート・オウエンの思想だったのではないかと推察しています。さらにその過程は同時に高度に発達した資本主義社会における現実社会の哲学・思想研究へのその後の進展を準備するものでもありました。地域住民大学等のお仕事は先生の研究活動の一環だったのではないでしょうか。

 先生の空想的社会主義、特にオウエン研究はオウエンの思想をブルジョア思想と見る潮流との闘争でもありました。先生によって特徴づけられたオウエン=ブルジョア説の論点を私は「縦の統一戦線」において次の七点にまとめてみました。①オウエンは成功した産業資本家である、②いずれにせよオウエンはブルジョアであつた、③オウエンは労働者を機械と見なしていた、④オウエンは労働者階級の歴史的役割を理解せず直接人類の解放をめざした、⑤オウエンの思想は功利主義者のそれと同じである、⑥オウエンはかれのプランの実現を政府や資本家に期待した、⑦オウエンの社会観は家父長的、封建的性格をもった共同体思想を基礎としている、以上です。

 これらに対して先生は徹底的に批判されました。私も微力ながら側面援助をいたしました。以上のことは「縦の統一戦線」で書いたことですからここでは繰返しません。先生のオウエン論を一言で言うならば「こんにちの科学的社会主義の先輩であるととらえる以外にかれ(オウエン―筆者)を生かす道はない」というものでした。

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 19931214日、ボンネットバスが峠を越えたところで私はおもわず声をあげました。院生の頃何度も写真で目にしていたニューラナークの全景がそのまま眼下にひろがっているではありませんか。あれがオウエンの家、あれが性格形成学院、と子どものようにはしゃぎながら妻に説明していました。

 店舗の近くの広場でバスからおりました。この店から生活協同組合が生まれていったのです。現在もショップになっています。「ニウ・ラナアックはオウエンのあれはてた事業の生ける屍だ」と1971年に訪ねたオウエン研究家五島茂氏が書いていましたからそのように想像していたのですが、周囲を見るとまったく様子がちがうのです。さっそく「性格形成学院」のあった建物にいくと、内部はすっかり改装されて観光案内所となっており、二階は広くて明るい講堂で、そこでニユーラナアクの歴史と現在のビデオを自由に鑑賞できるようになっていました。あとで知ったことですが、このクライド渓谷全体が最近はイギリス有数の観光地となり脚光を浴びているとのことでした。隣接する工場のあつた棟にいくと、そこは立派な博物館となっておりゴンドラに乗ると産業革命期のニューラナークを見学できるようになっています。展示室では当時の紡繚機が実際に製品を作っているのを見学することができます。さらに別棟にはレストランと広いショッピングセンターがあります。オウエンにちなんだ各種のグッズも販売しており、渡辺先生にもと、先のビデオテープやテーブルマットなどを買い求めました。

 ほぼ9ケ月のロシア留学につづいてのニューラナーク訪問でしたから、感慨もひとしおでした。ニューラナークとかソ連邦とはいったい何だったのかを考えざるをえませんでした。オウエンは産業資本主義の初期に「共同社会」を建設し、ロシア革命はロシアにおける帝国主義段階の初期にソビエト制度を基礎とする政治社会を実現しました。しかし、ともに失敗あるいは崩壊し博物館のなかに陳列され、あるいは陳列されようとしています。オウエンの子ども時代については「感じやすい早熟なしかし明敏な少年の心の底に、すでに一切の真剣な行動を蔵した萌芽が芽生えていた」(五島『ロバアト・オウエン』)という記述がありますが、その人間的特質が産業革命期に遭遇してオウエン独自の「共同社会」構想を育んでいったと思われます。「共同社会」構想はまさに「天才」という頭脳の産物であったがゆえ、別な言い方をすれば、あらゆる能力や条件や努力がそろっていても「共同社会」を現実社会の中に実現する科学が欠落していた、あるいは発見されていなかったがゆえに、その試みは失敗せざるを得なかったのです。オウエンの「天才」が生んだ構想の実現を自らの政治的意思として自覚する多数の国民は形成されていませんでした。

 ロシア革命について言えば、社会主義を実現する現実的諸条件が当時のロシアに成熟していたかにみえる状況がありました。ソビエト制度は労働者・農民の階級的意思を結集するかぎりで民主主義的な制度でありましたが、これもまたそこでの綱領や方針を自らの政治的意思として自覚する多数の国民を結集する制度ではありませんでした。その後の変質も加わって崩壊はいわば必然的でした。

 「共同社会」の真の実現はそのことを国民の大多数の意思として相互に確認されたときにはじめて成功する、これがオウエンの失敗とソ連の崩壊から私が学んだことです。

 この問題について先生とぜひゆっくりとお話したかったのです。先生は私が留学先をロシアにしたことを「見識」だと評してくれました。先進から学ぶこともできますが、失敗や崩壊からも学ぶこともできます。私が院生の頃、研究テーマをオウエンにしたことで元気のいい仲間からのいわば冷たい視線を感じていました。留学先を崩壊後のロシアにしたことで〈なんで落ち目のロシアなのか〉というアドバイスを受けました。失敗や崩壊に目を向けようとしない姿勢に私はある種の危うさをいつも感じていました。渡辺先生はこのような私の感じかたにいつも理解をしめしてくれましたし激励もしてくれました。渡辺先生ご自身もそのような姿勢を人一倍大切にされてきたと思います。

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 「縦の統一戦線」を書いてから23年の歳月が流れました。その末尾に私は「とくに教育論についてふれてみたかった。しかしそれらはひきつづき先生との楽しい文通の中の話題として残しておきたい」と書いています。このことはその後いくらかは実現しましたが、私自身の勉強不足から適切な話題提供ができず先生の教育についてのまとまったお考えはついにうかがえないままになってしまいました。ほんとうに残念なことです。

 ところで、先生にお会いできたらぜひご意見をうかがいたいと思っていたことがあります。それはルソーの人間観についてです。先生にもルソーを「空想的社会主義の先駆」とみる、などのルソー研究があります。

 ルソーは『エミール』第二編で「共通感覚」について述べ、その習得について語るのが第三編以降の課題であるとしています。ルソーによれば「共通感覚(sensus communis)」とは「ほかの感官の十分によく規制された使用から生じ、あらゆるわれわれの綜合によって事物の性質を私たちに教えてくれる」ものです。ところがルソーはせっかく「共通感覚」に到達しながら、それは「知覚、あるいは観念と呼ばれる」と言い換えて、その後の展開を単純観念から複合観念への発展過程にあてているのです。私は中村雄二郎氏とはまったく別の意味でルソーは「共通感覚」にもっとこだわるべきではなかったのかと思うのです。

 たとえば、ある子どもが〈これはきれい〉と感じたとします。この段階ではなぜそれが〈きれい〉と感じたかはその子にも他のだれにもわかりません。その子どもが他の誰かに「これはきれいだね」と話しかけその人が「そうだね、ほんとうにきれいだね」と応答したときに、それは(他のひとにとってもきれいなもの)なんだという認識に近づきます。そのことは自分がきれいだと感じたものは誰にとつてもきれいと感じるものなんだという認識の出発点になります。反対に「そんなものはきれいじゃないよ」と言われたとき、その子どもにとって自分が〈きれい〉と感じたものが本当にきれいなものなのかどうか、あるいは〈きれいとはどういうものか〉について考えるきっかけとなります。こうして自分が認識したものが人間にとつてどのような意味を持つのかについて判断する能力を子どもたちは獲得していくのです。〈話す能力〉や〈聞く能力〉をしっかり育てることが根本的に重要なのは子どもたちが理性的判断力を獲得するための土台となるからなのです。

 communicationcommonを内包していることにも留意したいと思います。

 ルソー自身、このことには触れていないように思います。『エミール』と『社会契約論』はルソーにおいて一体のものと位置づけられていますが、大多数がエミールのような理性的な人間になっても真の民主主義社会は実現しないでしょう。個人のなかで感官がどんなによく規制され綜合され「事物の性質」が誰識されても、その認識が人間にとってどのような意味をもつのかを教えてくれなかったとしたらどうなるでしょうか。「共同社会」実現計画がどんなに理性的であってもそれが真に人間的であるかどうかを大多数の人間の意思によって確認されなければなりません。

 新しい国づくりの実現が〈成功〉するためにはその構想が国民大多数の合意となることが不可欠であります。この合意は〈国民としての合意〉にとどまることなく〈人間として意味のある合意〉でなければなりません。人間として意味のある国づくりはその意味で大変な事業であり、大多数の国民の人間としての絶えざる努力を必要とする事業なのだと思います。

 私はこのように考えてみたのですが先生はどのようにお考えでしょうか。

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 私は教育学を専攻しているのですが、研究テーマは普通教育論です。このことについても私は率直に先生にご相談いたしました。先生からは多くの有益な示唆が示されました。

 エンゲルスは『家族、私有財産および国家の起源』(1884年)の末尾にモルガンの著作から引用して「行政における民主主義、社会における友愛、同権、普通教育は、経験と理性と科学がつねにめざしているつぎのよ高い社会段階をひらくであろう」(傍点はエンゲルス)と結んでいますが、私が「普通教育」に着目した直接の契機はこの書物によってでした。エンゲルスはすでに1845年に「例外なくすべての児童にたいして、国家の費用で普通教育をほどこすことである。この教育は、すべての児童にたいして平等であって、各個人が社会の自主的な成員として行動する能力をもつようになるまでつづけられる」(「エルバーフェルトにおける二つの演説」)とも述べられています。

 普通教育の思想は近代民主主義思想とともに生まれました。日本の場合、明治前期はもっぱら普通教育という言葉をもちいて教育が論じられ、教育行政が展開されておりました。しかし、大日本帝国憲法や教育勅語の出現と前後して「人間普通欠ク可ラサルノ学科」(第一次教育令文部省原案、1878年)としての普通教育は「帝国臣民ニ欠ク可ラザル普通教育」(小学校令改正文部省原案、1890年)としての「国民教育」に転換されていきます。

 戦後の日本国憲法は主権が国民に存することを人類普遍の原理としたうえで、教育権は主権者たる国民に存すること、そして、「すべての国民は子どもたちに普通教育を受けさせる義務を負う」と明記しています。

 日本について見るかぎり、近代教育史は「人間の育成」を主軸とするのか「国民の育成」を主軸とするのかを対抗軸として展開されてきたと言えます。臨時教育審議会答申が打ち出した「個性重視の原則」や「生涯学習体系への移行」 は普通教育の理念と対立する国民教育体制を志向していると言わざるを得ません。

 「共通感覚」の育成を基礎とする普通教育は、子どもたちが獲得する知識内容が人間にとってどのような意味を有するのかの確認をもとめる教育です。そのためには今日の学習指導要領中心の教育課程政策は抜本的に転換されなければなりません。〈いじめ〉、〈登校拒否〉、〈むかつく〉、あるいは〈学級崩壊〉という言葉に象徴される現代日本の学校教育は知識内容の人間的意味を獲得する機会や能力を子どもたちから全面的に奪い取っているといえるでしょう。現代社会に生きる子どもたちが日々学習し、また教育によって習得していく知識が基本的に自分自身のなかで人間としての意味を実感できるようになれば、その子どもたちが選びとっていく社会は本当に人間にとって意味のある社会となっていくことでしょう。社会変革と普通教育とは真の意味で統一される必要があ

ります。

 おおすじこのようなことを先生にご理解いただいたうえでいろいろアドバイスをいただきました。激励も受けました。

 先生は私へのお便りのなかで激しく自問しながらも教育学者や教育・保育実践者についてあれこれきびしい注文をつけておられます。科学的とか法則的とかいっても教育や保育そのものの目的や理念がはっきりしていなければ日和見主義に堕するとも書いておられました。そのつど、幼児教育も障害児教育もしっかりとした普通教育にささえられなければならないと自覚させられました。

 先生、ほんとうに長い間ご指導いただきありがとうございました。

                     (1999515日記)

                (盛岡市・岩手大学教育学部教授(教育学))

―『しまなみを越えて 渡辺義晴先生追悼遺稿集』2000年、法規文化出版社)所収