1 わが国における「普通教育」をめぐる状況

 

(1)200612月、教育基本法が「改正」された。その「改正案」策定過程において教育基本法(第4条)に用いられている「普通教育」という語句 を「教育」とする案が出されていた。それは日本国憲法(第26条第2項)に矛盾することから最終的には「普通教育」という語句が残ることになった(第5条第1項)。しかし、その第5条第2項には「義務教育として行われる普通教育」という概念とその目的が新たに定められることになった。

 「義務教育として行われる普通教育」の目的は「各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるもの」とされている。このような二元論的規定は戦前においては「国民教育」と理解されており、戦後『教育基本法の解説』(文部省・教育法令研究会著、1947年)に示された「普通教育」の定義と本質的に異なるものである。

 また、学校教育法改正法案においてはこれまでの小学校、中学校、高等学校の教育目的として定められていた「初等普通教育」「中等普通教育」「高等普通教育及び専門教育」という文言が「義務教育として行われる普通教育のうち基礎的な部分」、「義務教育として行われる普通教育」さらに「高度な普通教育及び専門教育」という文言に代えられた。この改変は普通教育の憲法上の理念に反し、普通教育に異質な区分を設けることによって小学校、中学校及び高等学校をそれぞれ独自な目的を有するものとする意図が読み取れる。

(2)教育基本法が「改正」された今日、「憲法に基づく教育を」という要求や運動が広がっている。日本国憲法は、国民はすべての子どもに普通教育を受けさせる義務を負うと定めていることから、普通教育とは何かがあらためて問われている。

(3)普通教育の定義については研究者の間でも「明確でない」という認識があることから、普通教育を今日の教育状況のもとに積極的に位置づけるという動きは鈍いように思われるが、一方で「教育学は『普通教育とは何か』を本格的に問うてこなかった」(竹内、2003年)という反省も研究者の間で出始めている。

4)今日、障害児教育、不登校、職業教育、ホームスクーリングなどの分野から普通教育への関心が広がっている。そこには人間としての当たり前の考え方・生き方あるいは人間らしい生活を実現することと普通教育とは深く結びついているのではないかという期待と要求が込められているように思われる。

5)今日、わが国における子どもや教育の現状について「危機的」という言葉が充てられている。このような状況を根本的に打開する上で普通教育制度を構築していくことは緊急の課題となっている。

6)カントは「われわれは理性認識を子どもの中に持ち込むのではなく、むしろこれを子どもから取り出す(herausholen)ようにしなけばならない」(『教育学』)と述べている。どのように取り出すかについてカントはプラトンやソクラテスの対話や問答法を想起している。そこにはカントの人間性についての認識が踏まえられている。教師を交えた子どもたちの間での日常的な交流・学びあいを通じてお互いに内在させている人間性を自覚しあい、それと結びつけて学習内容・教育内容を習得していくことは今日の状況のなかできわめて重要な課題といえる。そのような課題に応えていくことこそが今日における普通教育の課題である。なお、近年着目されているフィンランドの教育もこのことの重要性を示唆しているといえよう。

7)国連が1989年に採択した「子どもの権利条約」は「教育の目的」(第29条)として「子どもの人格、才能および身体的能力を最大限可能なまで発達させること」と定めている。このような目的規定は日本国憲法が掲げる普通教育の理念につながるものである。

 また、国連が2000年に採択した「国連ミレニアム宣言」ではuniversal primary educationという語句を用いて「2015年までに、少年も少女も、世界各地の子どもが小学校を修了できるようにすることとともに、少年と少女があらゆるレベルの教育に平等にアクセスできるようにすること」を決議していることも普通教育をめぐる世界的課題である。