6 戦後における普通教育

1)日本国憲法に「普通教育」概念が導入された経過

 日本国憲法に国民主権原理のもとに教育条項が位置づけられたことは大日本帝国憲法との関連から言って画期的なことであったが、さらに「普通教育」概念が導入されたこと自体、世界史的な意義を有することであった。

 1946123日、憲法問題調査委員会(内閣直属)第14回小委員会において入江俊郎委員は憲法改正案(甲案)の「日本国民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ教育ヲ受クルノ権利及義務ヲ有ス」(第30条ノ2)について「(中略)なお、厳密に考えれば、教育を受ける義務は、保護者が子女に教育を受けしめる義務というように表現すべきではないか」と発言している。この発言は戦前の義務教育への根本的反省を促すと同時に、保護者が子女に受けさせる教育とはどのような教育なのかという議論を求めることとなった。

 同年212日に出されたGHQ(総司令部)案第24条第1項は「無償の普通義務教育を設けなければならない」というものであった。これを受けて、政府は32日に案を示したが、その第23条は「凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依り其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クルノ権利ヲ有ス」、「凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依り其ノ保護スル児童ヲシテ普通教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フ」、「其ノ教育ハ無償トス」という3項構成であった。「其ノ教育」とは「普通教育」であった。

 36日、政府は「憲法改正草案要綱」を提出するが、その第24条は「国民ハ凡テ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クルノ権利ヲ有スルコト」、「国民ハ凡テ其ノ保護ニ係ル児童ヲシテ初等教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フモノトシ」、「其ノ教育ハ無償トス」とされ、「其ノ教育」は「初等教育」とされた。この時点でなぜ「普通教育」が「初等教育」とされたのかは解明されていない。

 417日、政府は「帝国憲法改正案」(政府原案)を発表したが、その第24条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」、「すべて国民は、その保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ」、「初等教育は、これを無償とする」とする3項構成であった。

 政府案が国会で審議されることになったが、723日の第20回帝国憲法改正案委員会において新政会が「すべて国民は、その保護する青少年に法律の定める年齢まで義務教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする」という提案を行った。この提案を受けて、「普通教育」とするか「初等教育」とするかが争点となり、この間題は小委員会に付託されることになった。

 小委員会における審議ではさらに「教育」、「国民教育」などの案も出されたが、81日の第7回小委員会において、芦田委員長は「普通教育ト言ッテハドウカ」と提案し、「普通教育」は「中等教育」を含むように理解されているが、保護者が負うべき義務の範囲は法律で決めるのだから普通教育でも差支えがないのではないか、と説明した。

 佐藤達夫政府委員は、法令上、国民学校は初等普通教育、中等学校は高等普通教育となっており、「国民学校ノ分ガ入ッテ居ルコトハ是ハ今マデノ制度カラ申シマシテ明瞭デゴザイマス」とした上で、「憲法ノ指導精神」を出すためには単なる「教育」ではなく「普通教育」ということにした、と説明し、修正問題は決着がはかられることになった。

 共同修正案第26条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」というものであったが、無償となるのは「義務教育」であって、当初政府原案にあったような「普通教育」にはならなかった。この共同修正案が衆議院、貴族院において可決され確定することになった。

2)教育基本法制定と普通教育

 日本国憲法の確定と前後して教育刷新委員会が組織され教育基本法の制定が審議されていくことになった。日本国憲法第26条の2項、すなわち広義の教育と普通教育について統一的に規定したのが教育基本法であり、したがって教育基本法前文および11条からなる全条が普通教育のあり方を規定している。すなわち、普通教育の理念、目的、方針、機会均等、義務年限、学校教育、男女共学、社会教育、政治教育、宗教教育、教育行政が教育基本法に示されていると言える。とくに前文において「人間の育成」を理念と掲げ、第1条において「人格の完成」を掲げていることは、普通教育の理念・目的と基本的に合致する。

 なお、改正前の教育基本法に「9年の普通教育」(第4条)という文言があるが、その部分は制定直前の19471月の「教育基本法要綱案」では「12年の普通教育」となっていた。これは憲法理念の具体化といえるが、その直後に大蔵省方面からクレームがつき、最終的に「9年」とされた。 

 2006年に改正された教育基本法では「9年」という語句は削除され、義務年限は下位法に委ねられることになった。

3)学校教育法と普通教育

 教育基本法の審議とほぼ並行して教育刷新委員会で学校教育法の制定が審議された。普通教育との関係で重要なことは、小学校、中学校、高等学校の目的がそれぞれ「初等普通教育」、「中等普通教育」および「高等普通教育及び専門教育」と規定され、それぞれにより具体的な教育目標が定められたことである。このこともまた外国には例がない画期的なものであった。また、明示的ではないが幼稚園、特殊教育についても普通教育を基本とするとされた。

・初等普通教育の教育目標はつぎの通りである。

 ①学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。

 ②郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。

 ③日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。

 ④日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。

 ⑤日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。

 ⑥日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。

 ⑦健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。

 ⑧生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。

・中等普通教育の教育目標はつぎの通りである。

 ①小学校における教育の目標をなお充分に達成して、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。

 ②社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。

 ③学校内外における社会的活動を促進し、その感情を正しく導き、公正な判断力を養うこと。

・高等普通教育及び専門教育の教育目標はつぎの通りである。

 ①中学校における教育の成果をさらに発展拡充させて、国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと。

 ②社会において果さなければならない使命の自覚に基き、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な技能に習熟させること。

 ③社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること。

 とくに、高等学校の教育目標の「高等普通教育及び専門教育」については 文言上は戦前の中等学校令の教育目的「高等普通教育と実業教育」を引き継いでいるが、内容的には中学校の教育目標とほぼ同じ趣旨から規定されていることに留意されるべきである。戦後の高等学校の目的規定は基本的には日本国憲法、教育基本法が示す普通教育を基本理念としていると言うべきである。

4)文部省『新教育指針』と普通教育

 戦後、憲法制定過程と並行して、文部省は戦後教育の理念を提示するために「新教育指針」を作成した。そこには「教育とは人間を人間らしく育てあげること」という基本理念が簡潔に示されている。この場合の教育理念は普通教育の理念とほぼ重なると言えよう。この理念は同時に「個性尊重の教育」として位置づけられ、教育における個性と人間性の関係が教育学的見地から記述されている。

5)学習指導要領の作成と普通教育

 戦後教育改革にあたって特徴的なことの一つは、アメリカ教育使節団やCIE(民間情報教育局)はカリキュラムの根本的改革を重視したのに対し、日本政府は教育基本法、学校教育法の制定を重視し、教育課程のあり方については戦前と同様、文部省の施策に委ねるという姿勢をとった。ここにはわが国の戦前戦後を通じる重要な特質が現れている。教育法制の構築と教育課程制度の構築が十分な関連もなく並行して進行した。

 戦後、文部省内に学科過程改正委員会が組織されたが、その後CIE(民間情報教育局)からの示唆を受け course of study を参考に学習指導要領を作成することになり、19473月、『学習指導要領一般編(試案)』が文部省の著作物として発行された。それは「序論」、「教育の一般目標」、「教科過程」、「学習指導法の一般」および「学習結果の考査」という構成に見られるように全般的なものであった。「教育の目標」に関しては、「国民一般の教育」と「児童の生活」からいわば二元論的に規定され、憲法、教育基本法および学校教育法が定める教育理念・目的・目標との関連が希薄であった。

 戦前の「学科程度」等と比べてはるかに広い分野にわたり、しかも文部省の意向を直接に反映させることができる「学習指導要領」はその後学校教育法施行規則において「教育課程の基準」として法制的に位置づけることになり、戦後教育課程政策の根幹が確立されることになった。戦後教育理念と「学習指導要領」が志向する理念との二重構造ができあがり、事実上現実の教育課程は学習指導要領によって統制されていくことになる。この事実をどのように評価するかは今日のわが国の教育現実を見る上で重要な論点となるものである。

6)普通教育偏向是正政策

 サンフランシスコ単独講和条約締結に伴い首相の私的諮問機関である政令改正諮問委員会は195111月、「教育制度の改革に関する答申」を出した。この答申は「国情」に合わせるという見地から「普通教育を偏重する従来の制度を改める」という方向を打ち出し、早くも憲法・教育基本法に示された教育理念を後退させる方向を明確にした。

 195210月、日本経営者団体連盟も「新教育制度について産業人の立場よりこれをみるに社会人としての普通教育を強調する余りこれと並び行われる職業力至産業教育の面が著しく等閑に付されて」いると提言している。具体的には小学校のみを「初等普通教育」とし、中学校については「普通教育に重点をおくもの」と「職業教育に重点をおくもの」とに分け、さらに中学校と高等学校を併せた6年制の農工商等の職業教育に重点をおく「高等学校」の設置を提起している。

7)「義務教育」シフト=普通教育死語化へ

 中央教育審議会は1953年、最初の答申「義務教育に関する答申」を出した。この答申は義務年限のもとに置かれる普通教育をもっぱら「義務教育」とし、その「義務教育」に固有の理念・目標があるかのように描き出すことで普通教育の理念に代え、普通教育という用語を事実上死語化させた。この見地はその後の文部省の教育政策の根幹を規定することになる。

8)学習指導要領の告示化と普通教育

 1958年の改訂以降、学習指導要領は従来の文部省著作物から「法的な拘束性を有する」官報告示文書となった。また、この改訂で導入された「道徳の時間」の「目標」には教育基本法前文の「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」という文言のうち「個性豊かな文化」だけが用いられている。それは教育基本法の基本理念の否定を意味しており、したがってまた、それは普通教育の理念・性格を変質させる意図の現れでもあった。

9)国民教育運動における普通教育

 1950年代終わりから60年代にかけて、安保条約の改定と結びついた教育政策の反動化が進む中で「国民教育の危機」が自覚されていった。このなかで歴史学者である上原専禄氏は「国民形成の教育」という論稿(1960年、岩波講座『現代教育学』第4巻、所収)において「『人間づくり』の教育ではなく、『国民づくり』の教育があらためて問題にならざるをえない」という提起をおこなった。このことを契機に「国民教育」という言葉が教育運動のレベルでも教育学研究のレベルでも強調されるようになった。この提起は主権者である国民の側に立った自主的・民主的教育運動をすすめるという意味で積極的な意義を有するものであった。しかし、その経過の中で結果として「普通教育」への関心が後退していった。

10)「個性重視の原則」と普通教育

 1984年に設置された臨時教育審議会は「個性重視の原則」を教育改革の基本原則とした。この場合の「個性」とは事実上人間性よりも個性を重視するというもので、教育基本法前文との関連で言えば、「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」という文言から「普遍的にして」を削除し「個性豊かな文化」を重視するというものである。ここからは「国民の育成」もしくは「日本人の育成」という教育理念が導かれることになるが、それは20年後の教育基本法「改正」の指導理念となっていった。

11)「ゆとり」政策と普通教育

 1977年の教育課程審議会答申は「ゆとりの時間」の導入を提起し、以来変化しながらいわゆる「ゆとり政策」が推進されている。これは戦後出発した教育課程の基本的に枠組みを根本的に変質させるもので、普通教育の理念を実現する上で重大な障害になっている。また今日の教育現実の危機的状況を生み出す基本的な原因となっている。戦後における小学校の教育課程の変遷を概観しておきたい。

 ①1947年の「学習指導要領一般編(試案)」では、教育課程は教科のみによって構成されていた。

 ②1951年の学習指導要領改訂により「教科」の他に「教科以外の活動」領域が新設された。

 ③1958年の学習指導要領改訂により、教育課程は2領域から「教科」、「道徳」、「特別教育活動」および「学校行事等」の4領域となった。

 ③1968年の学習指導要領改訂により、「教科」「道徳」「特別活動」の3領域となった。また、教科領域では「現代化」が強調され、それと関連して「落ちこぼし」が生まれた。

 ④1977年の学習指導要領改訂により、3領域の他に「ゆとりの時間」が導入された。この時間は「領域外の時間」として位置づけられた。

 ⑤1989年の学習指導要領改訂により、低学年の教科として理科・社会に代えて経験とは区別される「体験」を重視する「生活科」が導入された。学校五日制が導入された。

 ⑥1998年の学習指導要領改訂により3領域とは別に「体験」を強調する「総合的な学習の時間」が「領域外の時間」として組み込まれた。一方で厳選された「基礎基本」の習得が徹底され、他方では「体験」が重視され、子どもたちの人間としての基本的諸能力の合理的発達に重大な障害が持ち込まれることになった。さらにまた完全学校五日 制が導入され、「ゆとり」という言葉に反して過密な教育課程のもとでストレスが蓄積される教育課程に変質していった。教育の危機は生まれるべくして生まれていった。

12)教育基本法「改正」と普通教育

 200612月、教育基本法が「改正」され、「人間の育成」から「国民の育成」に理念が変質させられた。「普通教育」に代えて「義務教育として行われる普通教育」という語句があらたに用いられ、その目的は「各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的資質を養うこと」とされ二元論的規定になった。これは普通教育から国民教育へ変質させた明治20年前後に現れた主張を想起させるものである。

13)教育基本法の改正を受けた学校教育法改正案は、全体として教育を受けるのは国民の権利ではなく国民の義務であるという見地を押し出し、これまでの「初等普通教育」「中等普通教育」「高等普通教育及び専門教育」という各学校の目的規定を「義務教育として行われる普通教育」(中学校)、「義務教育として行われる普通教育のうち基礎的なもの」(小学校)、「高度な普通教育」(高等学校)に換えた。また「義務教育として行われる普通教育」の目標について「規範意識」や「国や郷土を愛する態度を養う」などを含む10項目が設定されている。