8 普通教育の展望

1)普通教育の充実を求める世論のひろがり

・不登校問題の分野から普通教育についての関心が広がっている。ある親は「普通教育を受ける」=「登校する」ではないわけだから、何らかの事情で不登校になっても、それがために普通教育を受けることができなくなるというのは問題ではないか、憲法の理念からすれば不登校になった場合でもその 子どもにどうすれば普通教育を保障するのか、を考えるのが政治の責任ではないかと、と述べている。

・障害児教育の世界でも普通教育についての関心は広がっている。ある重複障害者は、最初から盲学校に行かせるのは間違っていると思っていた、どうして小学校の時から普通の社会(普通の小学校)に出してくれないのかと思い、最初は特殊教育、障害児教育なんかやめてしまった方がよいのではないかとも思っていた。しかし、盲学校にいて点字をきちんと獲得させてもらえたことは非常に重要なことだった、あの時代の普通教育だったらつぶされてとてもやっていけなかったと思う、と述懐している。人間を人間として育成するという普通教育の理念はどんな状況に置かれている子どもに対しても貫かれていかなければならない。

・作家の村上龍氏は作品の中で「普通に生きていくのは簡単ではない。親も教師も国も奴隷みたいな退屈な生き方は教えてくれるが、普通の生き方というのがどういうものかは教えてくれない」と述べている。また、米倉斉加年『いま、普通に生きる』(新日本出版社、2006年)など多くの人々がさまざまな分野で「普通」ということの意義について語りはじめている。それらは普通教育の理念とも深部で関連していると言える。

2)教科書裁判、学力テスト裁判等に見られるように日本国憲法や教育基本法の理念・目的を直接争点とする裁判でも事実上普通教育をめぐる諸問題が論じられてきた。

3)深刻な教育荒廃等を契機としてジャーナリズムやマスコミも教育問題を大きく取りあげるようになってきた。また、さまざまな教育改革論が展開されているなかで、一部には普通教育という言葉を用いないまでも実質的に普通教育の理念ともいうべき見解も表明されてきている。

4)諸科学の進展と普通教育

 脳神経科学や生命科学の分野など近年飛躍的に前進している諸科学の成果も普通教育論の発展に関連している。人間性についての文化人類学的な研究や人間が基本的に有している諸能力の内実を脳組織のレベルでも解明し、それらの人間的な成長発達を保障することがいかに大きなエネルギーを発揮するかについても解明が進んでいる。

 田中一氏(物理学)は、脳科学、認知科学、情報科学の成果の唯物論的意義を論じつつ「論理神経系が人類の一人一人のなかに形成され、脳内に論理情報過程が進行しはじめたのは、そう遠くない時期であると言うことである。論理情報過程が現在の学校教育という人為的な知的環境の中にあって急速に定着しつつある。(『経済』200012月号、新日本出版社)。そこでは「学校教育」あるいは「初等中等教育」という言葉を用いているが、普通教育論の見地からも学んでいく必要がある。

 澤口俊之氏(認知神経学、2000年)は前頭連合野等の意義に着日し、その部位の発達にとって幼少期の重要性を指摘し、この期間に子どもたちが「普通の環境」で育つことが必要であると述べている。(「若者の『脳』は狂っている−脳科学が教える『正しい子育て』」、『新潮4520011月号)。「普通の環境」の実質は普通教育の理念と結びつくのではないだろうか。

 哲学の分野では、鈴木茂氏(1989年)は「マルクスがかわることなくもちつづけた、人間の根本性格をなすものとしての、『自由な意識的活動』とそれに照応した共同的社会性とは、個々人をこえて種としての人間が身につけた生得的な本性であって、巨視的にみれば人類史は、そういう本性の成熟してゆく過程にほかならない」と述べている(『理性と人間』、文理閣、1989年)。普通教育の世界も「種としての人間」の自覚と深く結びついていると言える。

 牧野広義氏は「人間論の問題は専門をこえた共同研究が必要」であると述べている。『人間と倫理』、青木書店、1987年)。このことはルソーが「わたしたちがほんとうに研究しなければならないのは人間の条件の研究である」と述べていることを想起させる。普通教育の内実を深めていくためには絶えざる人間の研究が必要であり、かつまさに専門をこえた(とくに教育学研究を含めた)共同研究が不可欠である。

(5)諸科学の成果に立ちながら普通教育論に逆行する議論も主張されている。宇宙飛行士の毛利衛氏は遺伝学、ヒトゲノム解明の成果に言及しつつ「それは一人ひとり違う。その差は残念ながら持って生まれた遺伝子の組み合わせの差だ」(東京新聞インターネット版2004729日付)と述べ、遺伝決定論的見地から教育を論じている。

(6)国際的には「学習権宣言」(ユネスコ、1985年)や「発達権宣言」(国連、1986年)、「子どもの権利条約」(国連、1989年採択)などは普通教育論を支える重要な文書と言える。とくに「子どもの権利条約」第29条は教育の目的として「子どもの人格、才能ならびに精神的および身体的能力を最大限可能なまで発達させること」と定めているが、これは事実上「普通教育」の理念に合致するものである。