いろり端

 

 ぐっすり寝てしまった。外を見ると「渋民」という案内板が目に入った。啄木のふるさと、そして岩手。あこがれ、覚悟、決意。それらが入り交じった感慨にふけっているうちに盛岡に着いた。

 こうして岩手の住人になった。三三歳だった。大学の恩師から、盛岡には沖縄の捕虜収容所で一緒だった大牟羅良がいる、と聞かされていた。そんなこともあって『ものいわぬ農民』(一九五八年刊)は読んでいた。最初の章が「日本のチベット」というタイトルだ。覚悟はそんなところから生まれたのか。

 「将来、教員をめざそうとしている青年たちと教育について語り合いたい」―これが大学の教員を選んだ私の動機であった。それに岩手という土地にとけ込めるような教育学を編み出したいという気持ちが加わっていった。それから三三年という月日が流れた。

  いつのころからか、岩手を訪ねてくる友人たちに『ものいわぬ農民』に触れながら、岩手というところは奥深いすばらしいところですよ、と自慢するようになっ ていた。この自慢は、岩手という風土がはかり知れない活力を私に注入してくれている、という実感に由来するものだった。やがて、「ものいわぬ農民」は「も のいわぬ子ども」に通じるのではないかという思いを密かに抱くようになった。

 大牟羅さんはその本の「まえがき」で「おえら方、背広族などと言われる人々にはものをいわぬ農民―その農民も、常にものいわぬ農民ではなく、いろり端では巧まず飾らずに、自分たちの言葉で自分たちの生活をいきいきと語っていました」と述べている。

 大牟羅さんは、さらに、「いろり話が広く交流されることによってお互いに共感が生まれ、いろり端以外でも本音を吐く雰囲気が醸成され、やがて『ものいわぬ農民』にも、ものいえる日が訪れるのではあるまいか」と期待している。

 しかし、この期待が実現するには、二つのことを考えねばならない。一つは、ものいわぬ農民たちが子ども時代にしっかりした教育を受けること、もう一つは、かれらが大人社会のなかで〈ものの見方考え方〉を育む環境に恵まれること、だ。

  このことは教育学を考える上で重要なヒントになる。子どもたちにとって、家族や仲間、学校や地域文化等はすべて「いろり端」とも言える。子どもたちは、そ こから、さまざまな生きるエネルギーを吸いとって成長していく。しかし、それだけでは足りない。このエネルギーをしっかりと受けとめ、人間にふさわしい判 断力として育て上げる教育が伴わなければならない。

 子どもたちは、今日のような社会にあっても、快活に生きている。それは子どもたちのいわば天性だ。しかし、「いろり端」がやせほそっている。教育の世界が子どもたちの生気を押さえ込んでいる。これでは、いくら快活に見えても「ものいう大人」にはなれない。 

 私は「普通教育」について研究してきた。「普通」という言葉には、通常とか一般的という意味もあるが、「人間として当たり前の」という意味もある。「普通教育」とは、一言でいえば「人間を人間として育成する社会的営み」と言える。日本国憲法に用いられている「普通教育」にもそのような意味が込められている。

 教える・覚えるという授業ではなく、学びあう・育てるを基本とする授業を考えてみる。

  職業とは何か、を学ぶとしよう。子どもたちの周辺で見聞きできる職業を挙げてもらう。大人たちはなぜその職業を選んだのか、それらは日常生活や人間社会に とってどんな役割を果たし、どんな意味があり、どんな課題に当面しているのか、自分たちに見合った職業を選択するにはどんな勉強をし、どのような能力を習 得しなければならないのか、などについて、子どもたち同士がお互いに学びあえるような授業を、発達段階にふさわしく、組織していく。こういう授業が成立す れば、普段は「ものいわぬ」子どもたちが「ものいう人間」に成長していけるのではないか。

 学校に子どもを合わせるのではなく、個性豊かな子ども達に合わせた学校が求められている。

  学校をはじめ、さまざまな「いろり端」を現代風に復活させること、子どもたちに理解できる教育内容を取り上げ、子どもたちの学びあいを組織し、引き上げて いくこと。そして、その方向で教師の指導力を高めていくこと。もう一つ。そこでの成果が生かされるような社会環境であること。これらが全体として実現する ならば、若者たちはものを言い始めるのではないか。

 大牟羅さんや岩手の風土はこのようなことを私に教えてくれた。これからも、より広くより深く、吸収していきたい。(2010年5月記)